伝説紀行 八千代姫の復讐 神埼市(神埼町)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
八千代姫の復讐 佐賀県神埼市(神埼町) 【関連資料】 来年(2006年)3月には、佐賀県神埼町と千代田町、それに脊振村の三か町村が合併して新しく神埼市が誕生する。神埼町と脊振村の大半は山岳地帯にあり、千代田町は佐賀の沖積平野に位置する。三つの村と町を城原川(じょうばるがわ)が結んでくれる。そんな美しい自然の中に貴重な文化遺産が数多く残されていた。 神埼は戦略の要 世は、織田信長が今川義元を倒して天下をとる直前のこと。国盗り合戦真っ只中の時代であった。
「八千代桜」の八千代とは、勢福寺城の主・少弐冬尚に仕える家老の娘八千代姫にちなんだもの。八千代姫は番茶も出頃の18歳で、器量がよく近郷近在の男どもの憧れの的だった。だが、姫には親も認めた片桐三太夫という許婚(いいなずけ)がいて、そこいらからの申し出など眼中にない。 横恋慕の策略 八千代姫の美貌に惹かれて、力づくで我がものにせんとする男が城内にいた。名前を中島源太郎といい、殿さまお側つきの侍である。中島は、殿の覚えがよいことをいいことに、八千代姫の父親である家老に娘をくれるよう迫った。断られると今度は、許婚の三太夫殺害の非常手段に及んだ。 敵討ちの願掛け 愛しき人をなくした八千代姫は、殺めた者への復讐を誓った。だが、犯人が何処の誰かさえわからない。そこで姫は、近くの山王さん(仁比神社)に無事敵討ちができますようにと祈願した。朝晩のお参りが百日を越えた夜、八千代姫の前に白装束の童が立った。童は、「我は山王の神の遣いである」と告げ、「間もなく行われる城原川河畔での軍事訓練を指揮する栗毛に跨った赤軍の大将を討て」と言い残して消えた。
やがて、全国統一の時代へ 八千代姫が恋人の敵討ちを果たしてから間もなく、永禄2(1559)年。佐嘉の龍造寺隆信は東肥前の要衝である勢福寺城を攻めた。追い詰められた少弐冬尚は、駆け登ってくる敵兵と自軍の勢いの差を城山の頂上から確かめて自害した。鎌倉以来続いた名門少弐家は、このとき滅亡したのである。 八千代姫の足跡をたどってまず仁比山神社を訪れた。さすが千年を超すお宮だけあって、境内の樹木は貫禄たっぷりである。階段を登っていてチョロチョロ聞こえる水音に耳を澄ますと、「愛するお方の敵を討たせ給え」と願をかける八千代姫の差し迫った声が、苔むした岩の間から聞こえるような錯覚に陥る。
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