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新王国時代 第18王朝

ツタンカーメン

Tut'ankhamun

在位年代;前1336−1327年
誕生名;トゥトアンクアテン(アテン神の生ける似姿) Tut'ankhaten
改名後;トゥトアンクアメン・ヘカイウヌシェマ
(アメン神の生ける似姿、上エジプト、ヘリオポリスの支配者)
即位名;ネブケペルウラー(出現の主は、ラー) Nebkheprure'
治世;10年

王朝の首都;(アケトアテン)→メンフィス→テーベ

埋葬地;王家の谷、KV62 出身地;アケトアテン?

家族構成;
父/アクエンアテン?
妻/アンケセンパアテン(アンケセンアメン)、兄? /スメンクカラー 娘/二人確認されているが名前は不明

Data;
9歳ごろに即位し、19歳くらいで死亡したとされる王。よく少年王という言い方がされるが、結婚して子供も出来ていておまけに19歳なので、ぶっちゃけ「青年王」である。
現代においては最も有名なフォラオの一人だが、墓泥棒にあわずに済んだ理由は、皮肉にも記録からも人々の記憶からも抹殺されていたからである。アテン信仰に関わる王たちはアビドスなど正統派の王名表からは抹殺されているため、この王の存在が立証されたのは1922年に墓が発見されてからである。(ちなみに他に王墓が未盗掘で見つかった王には、末期王朝時代のプスセンネス1世などが有名。)

死亡については暗殺説が根強かったが、CTスキャンの結果、頭部に外傷はなく暗殺説は否定された。生まれつき足に障害を持っていた可能性もあるが、足の骨の損傷は発見時に棺から出すさいの手荒な扱いが原因とする説も根強い。、死の間際に大たい骨を骨折していたこと、ミイラづくりの際に肋骨の大半が取り除かれていること、通常はミイラにしたあと体内に戻す心臓が無いことなどから、戦車に激突するなど衝撃を受けての事故死だった可能性が取りざたされている。また、体内からマラリアにかかっていた証拠が見つかったことが報道されている。(ただし当時のナイルデルタではマラリアは一般的な病気。)
彼の両親については様々な説があり、最新のDNA鑑定でアクエンアテンが父親だと発表されているが、そもそも父親とされたミイラ(ほぼ骨)がアクエンアテンではない可能性もあり、実は確定ではない。

ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(1) STR検査法とその使い方
ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(2) 科学の体裁を模した"解体ショー"

Background;
アクエンアテンとスメンクカラーが相次いで亡くなったあと、家臣団が実権を握る中に幼くして即位したのがツタンカーメン。アテン信仰からアメン信仰へと立ち戻った時期であり、アテン信仰の歴史を抹消しようとした形跡が多く見られる。

この王が跡継ぎを残さずに急死したため、王朝がいったん断絶する。他に適当な王位継承者がいなかったのか、次代を継ぐのは高齢だった神官アイと将軍ホルエムヘブ。その後、ホルエムヘブの養子だったトトメス1世に代が移り、19王朝が開始される。18王朝から19王朝への歴史のターニングポイントに位置する王となっている。


これは久々の当たり本。「ツタンカーメン 死後の奇妙な物語」
「ツタンカーメンのヤグルマギク」の真実。副葬品にヤグルマギクの花束は存在しません
ツタンカーメンの嫁ってさぁ…

「鉄」にまつわる信仰と誤解、鉄器が広まらなかったのはヒッタイトが秘匿したからではない可能性あり