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新王国時代 第18王朝

スメンクカラー/ネフェルネフェルウアテン

Smenkhkare'/Nefernefruaten


在位年代;前1336−1334年
誕生名スメンクカラー・ジェセルケペルウ
(壮健なるラーの魂、神聖なるラー神の出現)
通称;アンクトケペルウラー・メリィトワァエンラー
(生ある息吹、ラー神の出現、全知全能なるラー神に愛されし者)
即位名;アンクケペルウラー・メリィワァエンラー 'Ankhkheprure'
(生ある息吹、ラー神の出現、全知全能なるラー神に愛されし者)
治世;3年

王朝の首都;アケトアテン 
埋葬地;王家の谷? 
出身地;テーベ?

家族構成;妻/メリトアテン 弟?/ヘカイウヌシェマ(ツタンカーメン)

最近になってから取り沙汰されるに至った、ほとんど活動の痕跡のない王。アクエンアテンとの共同統治だったため単独統治期間はない、という説が有力。アクエンアテンとほぼ同時に亡くなったと考えられている。この王についても単独の研究書が出ているので、ここでは省略。

次代ツタンカーメンとの関係は、片親違いの兄弟ではないかという説もあるが、今のところ確定はしていない。
情報が少ないため、この王が、アテン信仰とどう関わっていたかについては諸説ある。名前にアテン神が入っていないこと、墓に記された落書きなどから、この王は、かつての信仰(アメンorラー)への回帰をもくろんでいた、という説もある。

また、もう一人の共同統治者として名前だけが知られる「ネフェルネフェルウアテン」という王と同一人物である説もかつては存在したが、この名を持つ人物の称号に「夫」という言葉が入っていることから女性であることがほぼ確実となり、説としてはなくなっている。

ネフェネフェルウアテンの正体については諸説があるが、詳細は以下を参照。
「ツタンカーメンのマスクはネフェネフェルウアテン女王のもの」というニュースに補足を入れてみる



●KV55の遺体

ほぼ骨と化したKV55の状態の悪いミイラは、死亡年齢が20代と推定されたことからかつてはスメンクカーラーのものと考えられていた。しかし近年になり、ザヒ・ハワス博士のプロジェクトで死亡年齢は35歳まで引き上げることが可能であるとしてアクエンアテンのものだとされるようになった。KV55のミイラをアクエンアテンのものだとしてしまうと、スメンクカーラーの遺体は行方不明になる。しかし、アクエンアテンの項に書いたように、この鑑定は結果ありきで行われており、実際はやはりスメンクカーラーのものと考えたほうが合致しそうだ。

また、同じプロジェクトのDNA解析でKV55のミイラとツタンカーメンは親子であると結論づけられているが、この鑑定にも同じように問題があり、妥当性には疑問が残る。どこが問題だったのかについては、以下を参照のこと。

ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(1) STR検査法とその使い方



●女王だった説について

・「ネフェルティティは女王として即位した」説の問題点。これを定説と考えるのはさすがにちょっとな

この説はストーリーありきで組み立てられており、合致する証拠を羅列する手法のためちょっと支持するのは厳しいです…。
言ってるのは確かに本職のエジプト学者だが、手法としてはトンデモ説と同じく乏しい証拠に対して「推測」に「推測」を重ねているだけなので、砂上の楼閣状態。エジプト考古学はエジプトの観光産業と結びついて、ロマンあるストーリーを優先しがちなので注意が必要です。今んとこ、眉にツバつけまくるくらいでいいです。


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