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第三中間期 第21王朝
PsusennesT
在位年代;前1049-1002年王朝の首都;タニス
埋葬地;タニス
出身地;タニス
家族構成; 娘・アセトエムケプ 息子・アメンエムオペト
「第三中間期」と呼ばれているとはいえ、この時代には安定した政治が行われており、在位も長い。この王の時代、テーベとタニスの関係は良好であったようだ。
それは名前にも現れており、「パァ セバァ カァ エン ニウト」の中にある「ニウト(町)」とは、テーベの町を指している。
娘アセトエムケブは、テーベの大司祭国家のメリカウラーのもとに嫁いだようだ。
埋葬地はタニス、発見は1939-1940年。フランスの考古学者ピエール・モンテ(Montet,Pierre
1885-1966)。
かつては王の墓は神殿とは別に川の西岸に作るものだったが、この時代から、川の流れに順ずることなく、神殿内部に墓室を作るようになっていたようだ。また、埋葬品の中には王家の谷から盗掘してきたものがあり、石棺は第19王朝のメルエンプタハ王のもの、ほかにもラメセス2世やイアフメス王の副葬品がこの王の墓に収められていたという。
ちなみにプスセンネス1世の墓は未盗掘だったが、ほかの墓は損傷が激しいこともあり、誰のものか分かっていないものもある。
●幻の都 ペル・ラメセス
かつてラメセス2世が築いた一大都市、「ペル・ラメセス」は、ナイルの支流が流れを変え、人が住めなくなって放棄されてしまっていた。それを現在のタニスの位置に移設、再生させたのがこの王様。つまり、タニスの都=新生ペル・ラメセス。尚、もとペル・ラメセスのあった場所は、現在では畑が広がっている。石材はすべて運ばれているため、長年のうちに堆積した泥の中に建物の遺構だけが残されている感じである。
関連
・「銀の棺のファラオ」 ―プスセンネス1世
・古代エジプト第21〜22王朝 神殿内部に王墓が作られた理由。
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