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王名と王朝の変遷


「第一中間期」は、ペピ2世の死後に訪れた、混乱の時代を指す。中央政権が完全に瓦解し、一時的に無秩序状態と陥っていたため、ほとんど記録が残されておらず、王名もかなり曖昧な時代だ。
マネトーの示すところによると、「第7王朝は、70日の間に70人の王が即位した」とあるが、さすがに、正確な数字ではないだろうとされている。各地域の有力者が、それぞれ勝手に「王」を名乗った…多くの王が乱立された、という意味に取るべきだろう。

ひとりひとりの王に対する資料が乏しいうえ、正確な人数すら不明なので、ここでは、まとめて第一中間期の7〜8王朝/第9〜10王朝の概要と、現在までに判明している王名の一部を提示しておく。



第7-8王朝 首都・メンフィス
おそらくペピ2世の末裔たちによる王朝。
古王国時代の伝統を引き継ぐ王朝だが、権力をつけてきた地方豪族の圧力に耐えることが出来ず、第8王朝終焉とともに滅びてしまったと思われる。
現在使われている王名一覧は アビュドス王名表に因るため、実在の証明されていない王も多い。



第7王朝

首都;メンフィス 継続;20年 支配地;メンフィス周辺のみ
デルタ地帯→アジア人 上エジプト→テーベが独立
「70日に70人の王が即位した」(マネトー)と言われるほど混乱していた時代。王の名前などはわかっておらず、実際は存在しなかったのではないかという説もある。

第8王朝

アビドス王名表などを中心とした記録から、17人(20数人とする説もある)の王がいたとされる。
約30年ほどの王朝で、これだけの王が即位したことは、内政の混乱を伺わせる。


以下は、これらのうち一部の、実在が確実と思われる王。王名一覧とあわない王もいるが、アビュドス王名表自体が後世に作られたもののため名前が実際と異なって書かれている可能性がある。

●ネフェルカラー2世
第6王朝末期の王ペピ2世と王妃の一人の間に生まれたと考えられる王子。
この王の前に2人の王、ネチェルカラーとメンカラーがいたとされているが、おそらく兄たちだったと思われる。
推測が正しければ、少なくともこの王までは第6王朝の直系の子孫たちが王位を継いでいる。

伝説上の女王ニトクリスは彼の時代に存在したことになっているが、実際は存在せず、もしかしたら彼の名前が長年のうちに変化して伝えられるうちに別の伝説と合体した可能性はある。
[推定]ネフェルカラー→ネフェルカレ→ネティケルティ(トリノ・パピルスでの記載)→ニトクリス(ヘロドトス)

→ニトクリスについてはこちら

●ネフェルァカウホル

即位名;ネフェルカァホル(美しきもの、ホルスの魂)
関係は不明だが、おそらく第6王朝の系図に繋がると思われる王。この時代にコプトスの豪族シェマァイが宰相の地位につき、ネフェルァカウホルの王女ネブトと結婚して息子イディを得たことがわかっている。シェマァイらコプトスの豪族が、王をしのぐ権力を持っていた可能性も指摘されている。

●ウアジカラー

即位名;ウアジカラー(栄えるのはラーの魂)
ホルス名:デメジュイブタウィ(二国の統合を望むもの)

アビュドス王名表で「ペピソンベ」と書かれている王?

●カーカラー/イビ

即位名;カーカラー(ラーの魂を喜ばせるもの)
誕生名:イビィ、イビ

ウアジカラーとの間には一人、別の王がいたようだ。
小規模ながらサッカラにピラミッド・テキストの書かれたピラミッドを建造している。底辺は30m程度である。



第9-10王朝 首都・ヘラクレオポリス
地方の豪族(州候)たちが独自に王を名乗り、王朝が乱立された時代。
第10王朝は、のちに全土を再統一する第11王朝と約90年ほど並行して存在していた。



第9王朝(州候による独立)

首都;ヘラクレオポリス 継続;30年  支配地;一時は全土を支配
資料により王名表記に違いあり。

●メリィブラー・ケティ1世

即位名:メリィブラー(ラーの心は愛される)
誕生名;ケティ

→現在、下のアクトイ1世と同一人物という説になっている。

●ネブカラー/アクトイ1世

即位名;ネブカウラー(ラーの魂はみな黄金色)
誕生名;アクトイ

詳細は不明だが、マネトーによって「悪事を行った先行者たち以上にひどい支配者だった」と書かれている。
これはメンフィスにあった正統な王家に離反したことを指しているものだろうか。

●ネフェルカラー3世

即位名:ネフェルカラー(美しきはラーの魂)

第9王朝の三代目と思われる王。この王の時代の前後に、上エジプトのテーベ(ウアセト)にメンチュヘテプ1世を中心とした連合軍が発足し、デンデラまでのエジプト南部を独立させることに成功したようだ。

●ネブカラー・ケティ/アクトイ2世

第9王朝にはネブカラーの名を持つ王が沢山いるが、この王はおそらく4番目とされている。
エジプト文学の有名な作品「雄弁な農夫の物語」に登場する王は、この王だという説がある。

●セトゥト

アクトイ2世の後継者とされる王。詳細不明。


第10王朝(第9王朝と区別がつきにくい。)

首都;ヘラクレオポリス 支配地;下エジプト
上エジプトを支配する第11王朝と対立、エジプトに二つの王国が並立している時代

ケティ3世 アクトイ5世
即位名;ワァフカーラー(ラーの魂は永遠なり)
誕生名;ケティ

第9王朝から連続しているため便宜上「5世」としている。ネフェルカラーの時代にエジプト南部が独立(第11王朝)したため、エジプト北部のみを掌握している状態。

●メリカラー

ホルス名;メリカラー(ラーの魂は愛される)

教訓文学として、「メリカラー王への教訓」というものが残されており、ケティ3世 アクトイ5世 が後継者に残したものとされている。
メリカラー王は第11王朝のメンチュヘテプ2世の時代に該当し、「教訓」の中で南部には手を出すなと書かれているにもかかわらず、両者はティニスを巡って刃を交えた可能性がある。
しかしサッカラからは、小規模ながらこの王の作ったピラミッドが発見されており、戦いが始まる以前、その治世は比較的安定していたといえそうだ。


上エジプトを支配するテーベ諸侯が擁した第11王朝による勝利・国土統一によって、この分裂期は終結。
中王国時代がはじまる。



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