王名表と時代区分資料



現在知られている王名と時代の区分は、「王名表」と呼ばれる、エジプト人自身が記録した歴代王の名前や、パピルスなどを元に、発掘によって裏づけをとりつつ完成されたものです。王名表に名前が出てこない、正当な王とは認められていなかった人でも、発掘したとき、「王」の肩書きのついた名前を記された証拠物件が出てくることがあります。ツタンカーメンなどは、まさにそういう、故意に忘れ去られた王様でした。

王の名と時代を記録された遺物は、以下のとおりです。(よくエジプト史の本に出てくるハズ)




マネトーの『エジプト史』

マネトーは、プトレマイオス1世(前367−283、プトレマイオス朝の創始者)の治世時代に生きた。
プルタルコスによれば、この人物は2人いた王の神官顧問の1人で、セラピス神信仰の導入に関わったという。セラピス神は、エジプトのオシリスとギリシアのゼウスを習合させた、医療や豊穣の神だ。マネトーはギリシア生まれのエジプト人で、エジプト・ギリシア双方の文化に精通していたという。
『エジプト史』は、現在の「王名表」の根幹を成す書物(パピルス?)で、それ自体は現存はしない。ただし、プルタルコスはじめ、多くの歴史家の書いた本の引用が残されている。

古代エジプト王国を、支配者の家系ごとに「王朝」に分類する考え方は、ここから来ている。
ただし、かなり新しい時代に書かれたものだけに、他の王名表との食い違いも多く、古代の王たちの名前もギリシア風に訛っている。当サイトの王名表内で「マネトー名」と書かれているものがこれに当たる。

『パレルモ石』

現存する中では最古の碑文。第5王朝の頃に作られたものとされ、シシリー島のパレルモ博物館に大元があり、その欠けたカケラがカイロ博物館とロンドンのピートリー博物館にある。この石は、両面に王名が並んでおり、前3150年以前の初代王朝晩期の王たちから、第5王朝のネフェルイルカラー王までの王名を記している。

『カルナク王名表』

ルーブル美術館所蔵。初代王からトトメス3世までの歴代の王を記している。他の王名表では削除された、第2中間期の他民族の王たちのことを記しているのは、この石だけだ。

『アビドス王名表』

今も、建てられた時と同じセティ1世の葬祭殿内の、「祖先または記録の間」という廊下壁面に在る。初代王から、セティ1世とその息子(のちのラメセス2世)の時代まで76人の王をリストに挙げている。第2中間期の王たちは省かれている。また、第18王朝末期の「異端王」たち、アクエンアテンやツタンカーメンなどの辺りも、正当な王とは見なされず、省かれている。

『ラメセス2世の王名表』

上記、アビドス王名表の複製品。かなり痛んでいる。ラメセス2世のたてた神殿で発見された。

『サッカラ王名表』

サッカラに首都を持っていた王の書記、テンロイの墓から発見されたもので、第1王朝のアネジブ王からラメセス2世まで47個のカルトゥーシュが記されている。(元は58個あったが、11個破損) ここでも第2中間期の王たちは省かれている。

『トリノ・パピルス』

ラメセス時代の長いパピルスの裏に書き綴られた膨大な歴史資料。歴史は、神々が地上を治めていた時代から始まる。(12人の神王が出てくる。)
各治世の正確な年数と、時には年月日までを記した詳しい史料。もともとサルディニア国王のものだったものだが、輸送中に痛んでしまい現在ではボロボロの状態。完全な形であったなら、第一級資料となり得ていたはずだけに非常に残念である。



以上の資料をもとに、実際に発掘された遺跡に記された名前で、その王が実在するかどうかの裏づけをとったものが、現在知られている「古代エジプトの歴史」です。
ただし、居なかったことにされてしまって王や、在位期間が短かった王について、未発見の王がいる可能性も残されています。あまりに昔の王のため人々の記憶自体が曖昧になってしまって、名前や即位年を間違って記載されている王などもいるはずで、まだ完全とはいえません。

たまに、遺跡に記された王の名と、王名表の名前とが違っている場合もあります。(発音が微妙に違っていたり)
そんな時は「たぶんコレは同一人物だろう」とすり合わせていることもあるので、実は、けっこう曖昧な部分もあります。たとえば、ミン王とメン王とか。兄弟で似たような名前をつけて連続して即位しているのか、一人だけなのかは、分からないです。