王名表と時代区分資料



奥の光の差してる向こうの出口を出ると、オシレイオンがある
■初心者のためのインフォメーション■

現在使用されている王朝や時代の区分は、エジプト人の神官マネトーという人が書いた、「エジプト史」という本を元にしています。

マネトーはプトレマイオス王朝に、王家のために”エジプトの偉大な歴史を纏めて世間に公表しますよ”という意味で歴史書を書いた人で、いわば政府の雇われ知識人。マネトーはギリシャ語で本を書いていたので、ヒエログリフなどの古代エジプト語の読み方が忘れられてしまっていた時代でも資料として使うことが出来ました。

しかし実は、それ以外にも、「王名表」と呼ばれる歴代王の名前を記録した壁画・石碑・パピルスなどがあり、お互いに矛盾したり、補完したりする部分があります。歴史というのはその時代ごとに都合のいいように書き換えられたり、時が経つうちに一部間違えたり忘れ去られたりしていくものなので、どれが一番正しいのかは分かりません。

写真は、アビドスにあるセティ1世葬祭殿の壁に書かれた「王名表」。初代から、セティ1世に至るまでの歴代ファラオ名が廊下いっぱいにズラリと書き並べられている壮観な場所です。それらの名前に向かってささげ物をする王が一番はしっこに立っています。
王名表は、王家の歴史の長さを世に知らしめる威信材だったということでしょう。(そのため、都合の悪い王様の名前を省略している場合もあります)


『デン王の封印』 Den seal impressions 【第1王朝】

デン王の墓に使われた粘土の封印で、粘土の上にデン王を含む前後の歴代王の名前が順に記されている。第1王朝に実在した王の名前と王位継承順の重要な資料。

『パレルモ石』 Palermo stone 【第5王朝】

現存する中では最古の碑文。第5王朝の頃に作られたものとされる。発掘場所は不明で、売り飛ばされて市場に出回っているところを購入されている。シシリー島のパレルモ博物館に大元があり、その他の欠けたカケラがカイロ博物館とロンドンのピートリー博物館にある。この石は、両面に王名が並んでおり、前3150年以前の初代王朝晩期の王たちから、第5王朝のネフェルイルカラー王までの王名を記している。
パレルモとロンドンにある破片上で断片を確認できる名前は約80。これ+カイロ博物館所蔵の断片分がある。


『南サッカラ王名表』(South Saqqara Stone) 【第6王朝】

アンケスエンペピ王妃の棺の蓋に刻まれていた王名一覧。第6王朝テティからペピ2世までの王名が刻まれている。いわば家族の来歴。
ただし後世の再利用によってかなりの碑文が消されてしまっている。


『カルナク王名表』 Karnak Tablet 【第18王朝】

ルーブル美術館所蔵。初代王からトトメス3世までの歴代の王を記している。他の王名表では削除された第2中間期の他民族の王たちのことを記しているのは、この石だけだ。61名の名前が記載されていたようだが、その大半は破損していて読むことが出来ない。


『アビドス王名表』 Abydos King List 【第19王朝】

セティ1世の葬祭殿内の、「祖先または記録の間」という廊下壁面に在る。初代王から、セティ1世とその息子(のちのラメセス2世)の時代まで76人の王をリストに挙げている。第2中間期の王たちは省かれている。また、第18王朝末期の「異端王」たち、アクエンアテンやツタンカーメンなどの辺りも、正当な王とは見なされず、省かれている。


『ラメセス2世の王名表』(エジプト諸王の碑) 【第19王朝】
List of the kings of Egypt from the Temple of Ramesses II

第一王朝から総勢42名の名前が記されている。
上記、アビドス王名表の複製品でかなり痛んでいる。ラメセス2世の建てたアビドスの神殿の一室で発見され、フランス総領事ミノーによって持ち出されたのち大英博物館に売却されている。中王国時代の王たちの名前を記している唯一の資料。


『サッカラ王名表』Saqqara Tablet 【第19王朝】

サッカラに首都を持っていた王の書記、テンロイの墓から発見されたもので、第1王朝のアネジブ王からラメセス2世まで47個のカルトゥーシュが記されている。(元は58個あったが、11個破損) ここでも第2中間期の王たちは省かれている。


『トリノ・パピルス』Turin Royal Canon/Turin King List 【第19王朝】

ラメセス時代の長いパピルスの裏に書き綴られた膨大な歴史資料。歴史は、神々が地上を治めていた時代から始まる。(12人の神王が出てくる。)各治世の正確な年数と、時には年月日までを記した詳しい史料。もともとサルディニア国王のものだったものだが、輸送中に痛んでしまい現在ではボロボロの状態。完全な形であったなら、第一級資料となり得ていたはずだけに非常に残念である。
断片化されてしまったパピルス片を繋ぎ合わせる作業は現在も行われており、約240行が復元されている。(破損が激しく、文字が読み取れない行もあるため、実際に分かる王名はその半分にも満たない)


マネトーの『エジプト史』Manetho's Aegyptiaca (History of Egypt) 【プトレマイオス王朝】

マネトーは、プトレマイオス1世(前367−283、プトレマイオス朝の創始者)の治世時代に生きた人物。
プルタルコスによれば、この人物は2人いた王の神官顧問の1人で、セラピス神信仰の導入に関わったという。セラピス神は、エジプトのオシリスとギリシアのゼウスを習合させた、医療や豊穣の神だ。マネトーはギリシア生まれのエジプト人で、エジプト・ギリシア双方の文化に精通していたという。
『エジプト史』は、現在の「王名表」の根幹を成す書物(おそらくパピルスに記録された)で、それ自体は現存はしない。ただし、プルタルコスはじめ、多くの歴史家の書いた本の引用が残されている。ただしそれらは完全な写しにはなっていない。
また、書き写した人によって内容が違う。オリジナル→ (引用) Flavius Josephus →(孫引き) Africanus、Eusebius の孫引きの部分で結構な差が出ていたりする。オリジナルが残っていないため、完全な王名表の復元は不可能。

古代エジプト王国を、支配者の家系ごとに「王朝」に分類する考え方は、ここから来ているが、プトレマイオス時代に書かれたものだけに、他の王名表との食い違いも多く、古代の王たちの名前もギリシア風に訛っている。当サイトの王名表内で「マネトー名」と書かれているものがこれに当たる。



こうした資料をもとに、さらに、実際に発掘された遺物などからその王が実在するかどうかの裏づけをとって少し修正したものが、現在知られている「古代エジプトの歴史」です。
もちろん、在位期間が短かったり正当な王と認められなかったりで、いずれの王名表にも記されず、居なかったことにされてしまった王がいる可能性もあります。あまりに昔の王のため人々の記憶自体が曖昧になってしまって、名前や即位年を間違って記載されている王などもいるはずで、現在の王名表が完全かどうかは分かりません。

遺跡に記された王の名と、王名表の名前とが違っている場合は、「たぶんコレは同一人物だろう」とすり合わせていることもあるので、実はけっこう曖昧な部分もあります。王名表同士の食い違いも大きく、後の時代になって作られたものほど古い時代は曖昧な感じになってきます。兄弟や親戚で似たような名前をつけて連続して即位していて一人とカウントされている人物もいるかもしれません。歴史は、何度でも書き換えられるのです。