碑文として使われたルーン文字の例はいくつかありますが、その中でも、ルーン彫刻の最高傑作と謳われた、この作品を上げてみたいと思います。
この「十字架の夢」は、
英国で造られた、ダムフリーズ・アンド・ギャロウェイ州リズルの教会にある十字架に刻まれたもので、制作年代は8世紀。宗教騒動でひどく破壊されたものの、幸いにして保存状態はとても良いといいます。
初期のルーン文字が発明されたのが1世紀ごろと仮定して、発明されてから700年ほど経っているので、初期にくらべて、文字としての成熟度は上がっていたと言えるでしょう。
たいていのルーンは、腕輪や剣など持ち運び可能な装飾品に刻まれているため、発見されたその場所で作られたものとは言えません。腕輪などは、通貨代わりにも使われるでしょうし、貿易商人が商品として運んでいくことだってあったでしょう。発見された場所は、製造された場所というよりも、その品物が実際に使われた場所と考えるほうが妥当です。
しかし、十字架なんてものは、作ったら作った場所で使うもので、わざわざ遠くまで運んでいくものではありません。
従って、このルーンの刻まれた十字架は、現在ある場所、つまり、英国(ブリテン島)で作られたはずなのです。
と、なると、北欧だけではなくブリテン島にもルーン職人がいたはずですね。
民族移動のところで書きましたが、ゲルマン民族の大移動の余波は、ブリテン島にも及んでいました。
と同時に、ローマ支配の手が及び、キリスト教が布教されています。ケルト神話を元にして生まれた初期のアーサー王伝説が、キリスト教化されていくのも、この時期です。
ゲルマン民族の文字と、キリスト教とがブリテン島の上で重なって誕生したのが、「ルーン文字による神への祈り」。
十字架の碑文は、一見単純に見えて、そのような文化の交雑の上に存在していると言えるかもしれません。
<全能なる神は衣を脱ぎたまいぬ
絞首台の上にのぼり行くお覚悟出来しなれば、
人の子らの目に雄雄しく映り給う…
我(十字架)もち上げたり、力つよき王
天の大君を。我、かがまること敢えてなさざりき。
男らは我ら二人をともにののしれり。
われ血にまみれてあり…
キリストは十字架の上にいませり。
さわれ遠き境よりみもとに望みせつなる
気高き人ら来ませり。そをことごとく我見たり。
我いたく悲しみにこころ乱されぬ。
我はかがめり…
矢もて傷つけり。
男らは手足疲れし御方(キリスト)を引き摺り下ろせり。
その骸のこうべの傍らに立ちいたり。
彼らそこにて見たり…>
ルーン文字は、異教的なものです。
しかし実際は、イングランドにおいて、教会の認めるもと、長く使われていたという歴史があります。もしルーン文字が呪術に使われていたなら、教会は、その使用を認めなかったでしょう。少なくとも、この時代には、ルーン文字からは呪術的な(異教的な)意味が薄れ、文章を著すための記号として、用いられるようになっていたのではないでしょうか。
※)ワンポイント
ここでメイン資料にしているレイ・ページの本は、イギリスで書かれたものなので、イギリスのルーン石碑の取り扱いが、ひじょうにウェイト高くなってます。しかしルーンといえばスカンジナヴィア半島にしか無いと思っている人にとっては、けっこう驚きかもしれない。