アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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第二話 オーディン信仰とルーン文字の伝播



 ゲルマン民族といってもかなりの種類の部族があり、住んでいる場所も広範囲に渡っていたわけですが、ルーン文字を作ったのはゴート人だったのではないか? と、いうのが、いちばん有力な説のようです。

 この説は、ルーン文字とアルファベットの形の類似から、これらは、ローマに接触して最初に文明に触れたゴート人によって作られたものであろう、とするもの。ゴート人は何度となく長距離の移住を繰り返していますし、それに伴って使用される地域が拡大したと考えれば、この可能性は大いに在りえると思われます。時代は、一世紀ごろというのが主流なようです。

 一世紀後半といえば、ローマの歴史家タキトゥスによって、「ゲルマーニア」という本が書かれた時代です。
 この本は、ローマ人という全くの異民族の視点からゲルマン民族をとらえた資料で、ゲルマン民族に関する文字資料の中では最古のものとして、北欧神話の考察の中にはたびたび登場します。全てを鵜呑みには出来ないものの、興味深い指摘が数多く登場します。
 この「ゲルマーニア」の中に、オーディンは、すでにゲルマンの「主神」として、登場しています。

 オーディンは、エッダの中では、ルーン文字の開発者だと書かれている神です。(「オーディンの箴言」ほか)
 しかし、ルーン文字の成立が一世紀ごろなら、「ゲルマーニア」が書かれた時代は、オーディンとルーン文字を結びつける信仰が生まれていたかどうかはギリギリの時代です。ルーンは、一世紀よりずっと以前から使われていたのでしょうか。それとも、オーディンはルーンの発祥とは関係なく、既に主神として扱われていたのでしょうか。

 もしオーディンに、ルーン文字の開発者=知恵者、という属性がまだ存在しなかったならば、この神が主神となる理由は、他のところになくてはなりません。「戦死者を統べるもの」と、してか、それとも、文字以外の「知恵を与えるもの」としてでしょうか。
 何にせよ、ルーンと共に突然出現した神が主神になるはずはありませんから、オーディンは、ルーン文字が作られるより以前から存在し、ルーン文字が出来てからこの文字と結び付けられた神だと考えるのが妥当でしょう。


 ところで、オーディンがルーンの発祥と関係があるとされるもう一つの理由に、オーディンの出身地がゴート人の出身地でもある、ということが挙げられます。

 「詩のエッダ」の中に、「バルドルの夢」というタイトルで知られるエピソードがあります。
 これは、バルドルの見た悪い夢が何を意味するのかを尋ねるため、オーディンがスレイプニルに乗って冥界へ行くという話ですが、ここの冒頭で、オーディンは「ガウト(Gautr)」という別名で呼ばれています。
 この「ガウト」は、南方ガウトランドを指すとされ、オーディン信仰がガウトランドから来たことを裏付けている、という説が有力です。
 ガウトランド(「ゲルマーニア」では「ガウタエ」と書いてあった)というのは、


  …です。
 「ヘイムスクリングラ」などのサガに出てくるガウトランドというのは、この辺りのことです。ガウトの名称には、ゴート族から由来するという以外にも、生贄の意味だという説がありますが、神話の中でオーディンは、まさしく、自ら「生贄」となることによってルーンの知恵を得たということになっています。何かを得るために犠牲を捧げるという考え方は、北欧神話や、サガの中にしばしば登場するものです。

 ゴート族はもともと、このガウトと呼ばれている地方に他のゲルマン系の部族とともに暮らしていたようですが、気候の悪化により、一部が移住を開始したようです。故郷であるガウトランドを去った者たちは紀元前150年ごろにはロシアの西部まで来ており、(海を渡ったのか、陸路を回ったのかは今でも議論が別れるところ)その後、交易・略奪・移動を繰り返しながら、地中海まで南下してくることになります。

 と、いうわけで彼らは、ゲルマン諸民族の中で、真っ先に文明に触れたと考えられています。
 北方の僻地を離れ、当時世界の最先端を誇る繁栄を享受していた地中海文明に出会ったゴート人たちが、文字というベンリな道具の存在を知り、自分たちでも真似てみようと思ったのが、始まりだったかもしれません。
 安住の地を求めてさすらうゴート族の人々が、オリエントの異なる文化と接触した年代は、最速で紀元前100年前後。と、すると、南下していった最初のゴート族が、ギリシア・ローマと接触してルーンを発明し、1世紀後半には既に実用化されて100年以上経っていた、というのは、計算上無理なく納得出来るところです。

 この説に反論を唱える人々は、初期型ルーンの遺産がデンマーク周辺に集中して発見されており、その他の地域ではあまり発見されていないことを挙げますが、何も元になるもの無しにルーンが作られたと考えるのには、少し無理があるように思います。

 南へ移住したゴート族が、故郷に残った同族との連絡を全く断っていたわけでは無いでしょう。
 植民に成功したことを故郷にも伝え、後発隊が続々と押し寄せて来るたびに新たな移住地を求めて南下していったという記録から推測するに、旅先で得た見聞を、故郷に伝える者はいたはずです。


 問題なのは、肝心のルーン考案者が、実際に文字文化に接触した移住の民だったのか、それとも、故郷のガウトランドで話を聞いた残留者だったのかですが、どちらかということは、はっきりしません。

 オーディンが北欧出身であれば、ルーン文字は北の地のガウトランドで発明されたといえるだろうし、ヨーロッパ南部の出身だと考えれば、当時ゴート族のいた場所こそがガウトランドで、ローマに近い場所で発明されたのだろうということになります。ルーン文字が最初に考えだされた場所が何処だったのか? に、ついては、ルーンを司る神でもある、オーディンへの信仰が何処で始まったのかも含め、広く議論が交わされているところですが、確固たる証拠が出てくるわけもなし、おそらく結論は永遠に出ないでしょう。

 ルーン文字が開発されたのが何処だったにせよ、その後ルーン文字の使用は急速にゲルマン民族全体に広まっていったようです。
 オーディン信仰も、それとともに伝播して、早い段階から各地に根付いていったのではないでしょうか。



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