De Germania Liber
「ゲルマーニア」は、ゲルマン民族に関する最古の文字資料として知られている。著者はローマ人、プーブリウス・コルネーリウス・タキトゥス(Publius
Cornelius Tacitus)。本来のタイトルは「ゲルマーニア ゲルマーニアの起源・土地・習俗およびその民族について」で、書かれたのは1世紀ととてつもなく古い時代のものである。
北欧一帯の気候の悪化、人口の増加に伴い、ゲルマン民族のいくばくかは、南方へと移住してきており、当時ローマ軍の傭兵として雇われることがあった。しかし、ローマ人から見たゲルマン民族は、野蛮で、文化のかけらも持たない、「未知なる部分の多い北方の異民族」だった。
これが、「ゲルマーニア」の書かれた背景である。
理解の薄い異民族、それも自分たちこそNo.1の理性的な民族と信じて疑わないローマ人の書いたものだけに余計に、記述には偏見や勘違いが含まれている可能性がある。
また、記述に関しても、実際に見たものではなく、伝聞に基づく部分が多い。タキトゥスはもちろん、ローマ人の大半が、ゲルマン諸民族の故郷である北の地を知らなかった。当時の神々の信仰形態や神話については、それが正しく記述されているかどうかなどは、確かめるべくもない。
どんな資料も、決して、書いてあることのすべてが正しいわけではない。正しいかどうかを、ひとつひとつ、他の資料と照らし合わせながら吟味しなくてはならない。
この資料は特に、そうした理解の努力が必要となる。「書いている内容には誤りが含まれている」ことを大前提に、かつ、誤りとは思えない部分を抜き出せるかどうか。
どの単語が現在の何を表すのか。タキトゥスが書こうとしていたのはどんなことなのか。
偏見的な記述を除いて、実際に当時のゲルマン人は何をしていたのかを知ることはできるのか。
ゲルマーニアが書かれた時代、ルーン文字はまだ開発されていなかったか、開発段階にあり、実用化はされていなかったようだ。
文字を持たない民族が自分たちの記録を文字で残すことは出来ないのは当然…なので、たとえ外部から見た資料であっても、この「ゲルマーニア」は、大変重要なものとされている。
なお、「ゲルマーニア」は、文字資料としては最古の資料だが、文字でないものならば、ゲルマン民族に関する資料は他にある。
和訳は、岩波文庫から出版されており、本屋に無くても、古本屋で入手することは可能であるが、正直、読んで楽しいような本でも無いモンで、あんましオススメはしない。そこには北欧神話と伝説の醍醐味である、勇壮な英雄たちのサガは、全く存在しないからだ。
自分で読むのが面倒な人のために、以下に幾つかの箇所を抜き出してみた。
***********************
◆ゲルマーニアの太古〜第一部の2より
これらの歌において、大地から生まれた神トゥイスコー(Tuisco)と、その子マンヌス(Mannus)とを、種族の始原であり、創健者としてたたえる。そしてこのマンヌスに三人の男子があったとし、この子らの名に因んで…、大洋に近いものがインガエウォネース族、中間のものがヘルモノーネース族、他はイスタエウォネース族と呼ばれるのであるという。 |
ここでは、タキトゥスが知るゲルマン民族の神話が語られている。
「エッダ」では、人はオーディンら3人の神が作ったのが起源とされ、神々(アース神族)は、すべてオーディンから発生したことになっているが、ここに見られる名は、どれも聞き覚えのないものばかりだ。
トゥイスコー、マンヌスとは何者か?
語源などから推測した場合については、解説書に長々と書かれているので今更ここで繰り返すまでもないだろう。トゥイスコーは「大地から生まれた」者、アース神で大地から生まれたといえば、大地の女神イェオルド(ヨルズ、ヨルド)の息子、トールだ。
マンヌス、というのは人(マン)を意味する言葉とのことだが、「エッダ」、そして、この「ゲルマーニア」から1000年ほど後の、現在、日本でもよく知られる伝説では、「人間」は、トールではなくヘイムダル神の子孫として語られている。
地中海近くまで進出していった集団と、北欧に残った集団の間で伝承が違っていたのか、あるいは時代によって変化したものか。
この辺りは、今でも議論されるところである。
***********************
◆ゲルマーニアの神々〜第一部9より
神々のうち、彼らは最もメルクリウスを尊信し、この神には一定の日々に、人身犠牲をさえ供して、それが[信仰上]至当であると考える。ヘルクレースとマールスには、適当とみとめられる獣類を犠牲として、その満足を求める。スエービーの一部は、イースィスにも犠牲を供する。 |
タキトゥスは、ゲルマン民族の神々を、自分たちの神の呼び名でもって表す。
一般に、メルクリウスはオーディンのことだろうとされているが、これは確かなことではない。
同様に、ヘラクレスはトール、マルスはチュールだと「推測」されているのだが、こちらもやはり、確かではない。
何しろ古い時代の記録だけに、この本の書かれたのちに神々の役割が変化したとも限らないからである。
また、ゲルマン人とは、分散する少数部族の総称である。
ゲルマーニアの最初にタキトゥス自身が書いているが、「ゲルマーニア」との呼称は、はじめゲルマン民族の一部族「トゥングリー」に対して使われていたものが、しだいにゲルマン民族すべてを指す言葉として使われだしたものであるという。タキトゥスの書いた信仰は、もちろん全てのゲルマン人に共通するものではない。
ローマに近い地方の部族と、タキトゥスが知りえない、はるか北方の部族では、信仰が違っていた可能性も大いに考えられるのだ。
なお、イースィスとは、もとはエジプトの女神で、のちにローマでも信仰を集めた、女神イシスのことである。「ゲルマーニア」の書かれた時代、古代エジプト王国は既に終焉を迎えているため、ここで言うイシスとは、ローマにおいて信仰されていた(輸入された)、ローマ時代のイシス女神のことだろう。
スエービー族は現在で言うところのドイツ北方に住んでいた部族だ。「この異国の祭祀の原由、起源が何処にあるのか、わたくしにはほとんど分からない。」と書いているように、タキトゥス自身も首をひねっている。
イシスと比類されるということは、このスエービー族の神が「女神」であり、「魔法が得意」だったのではないか、とも推測されますが、詳細は不明である。
*************
「ゲルマーニア」の中には、「占い」や、「予言する女性」(巫女)、民会など、のちにサガ・エッダに登場する様々な生活習慣が、既にこの時代から存在していたことがタキトゥスによって言及されている。
また、神話に関係する部分もあり、どうやら、現在では名前すら残っていない多くの神々がいた形跡が見られる。惜しむらくは、タキトゥスが、それらを、自分の知るローマの神々の名に置き換えて、「○○のような神がいる。」…と書いてしまったため、それらの神々の名前が残らなかったことだ。
先にあげたイースィスもそうだが、第二部の43に登場する、「カストルとポッルクスに相当する双子の神、アルキ(ス)」なども、現在残っている資料には相当する神がいない。