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アイスランド・サガ
−ICELANDIC SAGA
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第一話 ルーン文字とは
<語源についての話は省略。>
どこの文明でもそうですが、文字の読み書きというのは、限られた人にしか出来ない、たいへん特殊な能力でした。一般的には、階級の高い者、裕福な者など。識字率が民族全体の1パーセントなんて、まだ良いほうです。ルーン文字を扱えたのはひとつの時代に100人くらいしかいなかった場合もあるだろう、なんて予想をされる学者さんもおられます。
そんなですから、ルーンが特別に神秘的な意味合いを帯びているわけではなくて、文字そのものが「不思議なもの」、「特別な人にしか扱えないもの」であった、と言ったほうが相応しいかもしれません。
ルーンに対する夢のようなものはひとまず脇に置いてもらえると在り難いです。
ルーンという文字は、書き文字ではなく、装飾品や木片、石に刻むもの、として作られた文字です。また、見えない部分、たとえば人間の魂のようなものにも刻むという信仰も、あったように思えます。
たまに、「ゲルマン人はキリスト教化してアルファベットを手に入れるまで文盲であった」との記述を見受けますが、これはずいぶん偏見に満ちた言い方で、実際は、ルーン文字という独自の文字を持っていて、それを読み書きする技術も持っていました。文化をもたない野蛮人では無かったのです。
文盲だと勘違いされたのは、彼等が文学などの文字作品を残さなかったことに因るのでしょうが、それは文字を扱えなかったからではありません。単に、文字を頻繁に書く習慣が無かったからです。
当時、紙というものはヨーロッパにありませんでした。
羊の皮を乾かして伸ばした「羊皮紙」はありましたが、これは非常に高価なもので、そう簡単に手に入るものではありませんでした。もちろん木片とて、木の育ちにくい北の地方では貴重だったはずです。
また、木片や石に刻むため、ルーンは、ナイフで刻みやすい「直線」を組み合わせて作られていました。
そのため、大量に書いたり、速記したりすることには向かない形状です。
これらの理由から、「文字による伝達」よりも「口伝えによる伝達」のほうが好まれたと考えられます。
人々は、ルーンを、主に「物の所有者の記録」、つまり名札として使ったり、死者の功績を称える石碑(記念碑)をつくるために使っていました。現在残されているルーン石碑や、文字の刻まれた木片、装飾品などに刻まれたルーンに、神秘的な意味が読み取れるものは、ほとんど無い、…と、いうより皆無といって良いかもしれません。
意味が不明瞭なものは想像次第でいくらでも神秘的に見えるのですが、それは置いといて(笑
ルーンが考案されたのは、今から約2000年前、だいたい紀元後1世紀前後とされます。
時代や地域ごとに形状は多少異なりますが、基本は24個。そこから16文字のルーンや30文字を越えるルーンが派生していきます。発見されているもので、現在までに約80の銘文が知られており、約5000の碑文があり、その出土地域は、ブリテン島も含むヨーロッパ全土に広がっています。
このように出土場所が散らばっているのは、、ルーン文字を持つゲルマン民族が、民族の大移動とともに、文字の痕跡を落としていったということを意味しています。しかし、その中でどこがルーン文字の発祥地だったのかは、分かっていません。
ルーンの多くは木切れに刻まれていたため、朽ちて失われてしまい、現在残っているものは、石や金属の装飾品に刻まれた、ごく僅かなものです。それがルーン学者たちの持つ全ての資料なのですから、はっきりした結論は、出されておらず、多くは推測によるものです。
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