■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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物語が後半に入ると、夫を殺されたクリエムヒルトの復讐が始まる。
「愛する夫」を殺されたことに対する「報復」だから、これは読者にも理解しやすい。しかし、ハゲネが自らの罪に対し、悪びれた様子もなく堂々としていることについては、理解しがたい。
ジーフリトを暗殺しておきながら、なぜ堂々としているのか?
読み手はこう思う。”もしかするとハゲネは、ものすごく残忍な男で人を殺してもどうとも思わないのではないのか” ”なんて冷酷で非情な人間なのか”と。
そのため、ハゲネをかばうブルグント勢や、親友と呼ぶフォルケールの言動を訝しみ、フォルケールの死に際しての彼の嘆きを無視してしまう。
しかし、ここまでに述べたとおり、ハゲネにとって、ジーフリト殺害は罪ではない。
ジーフリトは殺されても仕方ないことをしでかしたのであり、彼の死によってしか、ブルグント族の王の権威と安泰は守られなかった。
よって、彼には、殺害に対する良心の呵責は無くても仕方が無い。問題があるのはクリエムヒルトに対する裏切りのほうである。
彼は、詩節1001で、ジーフリトの死体を見下ろしてこう言っている。
「わしは、この人の亡骸を
城下へと運んでゆこう。プリュンヒルトさまの心を曇らせた婦人に
事の由が知れたとて、かまうことではない。
どんなにあの婦人が泣き悲しんでも、わしの関するところではない。」
ハゲネはクリエムヒルトの信頼を裏切ったわけだが、自分が仕える婦人は今はプリュンヒルトなのであって、クリエムヒルトではない、主人を悲しませ追い込んだ女に痛める心は無い、と、キッパリ言い切ってしまっている。
今は他国に嫁いでいるとはいえ、かつて仕えた姫君をこうまでバッサリ斬り捨てるあたり、人間らしさに欠けるとも言えるが、この時代の軍人には必要なものだったかもしれない。
過去の情に囚われていては、国を守れないこともあるかもしれない。
かといって、完全に情を捨てきった人物ではないことは、もちろん、各所に出てくる、彼と友人との会話を見ていれば分かることである。
ハゲネという人物は、冷酷なのでも無情なのでもなく、情より国の安泰や主君の名誉を重んじ、限られた友人にしか心を許さない、気難しい人物だったのではなかろうか。クリエムヒルトに対しても、心の奥底で、良心の呵責はあったはずだ。
それを裏付けるように、詩節1113では、こうも書かれている。
王は近親のものを伴って彼女の面前にやってきた、
しかしハゲネは敢えて彼女の前に出ようとはしなかった。
たしかに彼は妃に悩みを与えた自分の罪を知っていたのだ。
クリエムヒルトのことなど、かまうことはない、知ったことか、とは言いつつ、自分の罪は自覚していたのである。
ところで、クリエムヒルトの兄弟たち、グンテル、ゲールノート、ギーゼルヘルは、ハゲネの態度に対し、不誠実だと怒りを覚えている。
彼らが怒っているのは、ジーフリト殺害に対してではない。殺害前は「なにも殺さなくても」と止めていたわりに、殺されたあと、誰も嘆いたりしていない。あっさりしたものである。
クリエムヒルトも、ジーフリトが殺されても夫の国には戻らず、夫の仇がいるブルングントに留まることを選んでいる。
そう、クリエムヒルトは、兄グンテルとは和解したのだ。詩節1113から1115にかけて、彼女と兄弟たちの和解が語られている。よって、これ以後の彼女の復讐は「ジーフリトの殺害者」として、兄グンテルとハゲネに向けてなされたものではなく、すべて、決して許すことの出来ない人物であるハゲネ一人に対するものととらえるべきである。
ハゲネへの復讐のために一族全員を皆殺しにしなければならなかったのは、グンテルらがハゲネ一人を差し出すことを拒否したからであり、彼女には、ハゲネを討てるだけの強い手駒がいなかったからだ。最初からそれを望んでいたわけではなかった。
もしクリエムヒルトが、夫の殺害に対する報復を望んでいたなら、夫の殺害を容認した兄・グンテルもハゲネと同罪である。和解することなど、ありえない。彼女が兄弟との和解を選んだ時点で、彼女の怒りは、ハゲネの、自分に対する「裏切り」に向けられていたことになる。
案外、彼女自身、自分の失言のせいで夫が死んだのだと自覚し、夫も悪いことをしたのだと分かっていたのかもしれない。
ジーフリトの殺害は、後々まで語られていながら、実際は人々の行動理由にはなっていないのだ。
クリエムヒルトが、ハゲネに恨みを抱く理由は、ジーフリト殺害の一件だけではない。
ハゲネは、ジーフリトの遺産であるニーベルンゲンの財宝を川に沈めるという行為によって、二度もクリエムヒルトを裏切っている。
この黄金を彼女に返却すれば、二度めの裏切りは清算され、彼女も、少しは気が収まったことだろう。何も自分から望んで後戻りのできない戦いを選ぶことは無いかもしれない。
そのため、復讐を実行に移す前に、彼女は最後の話し合いを試みた。それが、ハゲネに対し最初にかける言葉なのだ。
王妃はいった、「おん身に会いたがっている人は、
おん身を歓迎もするでしょう。しかし私はおん身のよしみのために
挨拶をしようとは思わぬ。ただラインの彼方ウォルムスから
何を持参したかを聞きたい。それによっては歓迎もしようが。」(詩節1739)
最初に黄金のことを聞くとは、奇妙に思えるかもしれない。クリエムヒルトが黄金に執着する浅ましい女に見えるかもしれない。
しかし、その裏に、ハゲネに「和解する気はあるか」と、いう問いかけが隠されているとすると、合点がいく。この問いかけは、彼女とハゲネの間でしか通用しないものである。
それに対しハゲネは、自分は何も持参していない。持ってきたのは盾や鎧や兜やらである、と、答える。和解する気はない、もし敵意を持つのなら戦うまでだ、と、言っているのと同じことである。
これが決定打となって、もはや誰も止めることの出来ない、クリエムヒルトの復讐は始まる。
「ニーベルンゲンの歌」後半は、実はジーフリト殺害に対する復讐の物語ではない。
ハゲネによる、クリエムヒルトに対する「裏切り」への報復の物語である。
ゆえに、裏切りを働いたハゲネを庇う一族すべてが報復の対象となり、ジーフリト殺害の件では和解しているはずのグンテルら兄弟たちも、彼女の怒りを受けることになるのである。
悲劇は、ジーフリト殺害ではなく、ハゲネとクリエムヒルトの不和から始まった。
ハゲネは国と主君の名誉を守ることを第一に置き、クリエムヒルトという個人ではなく、彼女の「主国の妹姫」という肩書きに仕えた。そして彼女が他国の王妃となった後は、自国の「王妃」という肩書きを持つプリュンヒルトに忠誠を誓った。つまりそのために、過去に忠誠を誓った相手をあっさり裏切り、現在の主君たる女性の名誉を守ろうとした。
言ってみれば、男の理屈である。
クリエムヒルトは、ハゲネが自分個人に忠誠を誓ってくれていたものと信じ、裏切られたことを悲しみ、自分の感情のために国も名誉も家族でさえも犠牲にする。
これは女の理屈である。
どちらも正しいのだが、同時にどちらも不完全で、決して相容れることのない理屈だった。そのため、彼らの前には、互いの信念を貫き通したがゆえの衝突と破滅しか在り得なかったのだ。
自分の信じた道を貫いても、罪とはならない。
この物語の中で散っていく人々のほとんどが、己の信念に従ったことによって命を落としている。
ハゲネは男の理屈を貫いて命を落とし、クリエムヒルトは女の理屈を貫いて、キリスト教的な倫理を信念とするヒルデブラントに誅殺される。
戦って死した者にだけ信念がある。古代北欧的な悲劇の法則である。
ジーフリトやエッツェル王には、そのような信ずべき道は無かったのではないだろうか…。