■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
サイトTOP>2号館TOP>コンテンツTOP |
と、ここまでハゲネの汚名をそそぐために話を進めてきたわけだが、ジーフリトの殺害者、卑怯者、という謗りが消えても、彼が完全に無実だというわけでない。
なぜなら彼は、ジーフリト殺害とは別の罪を犯しているからだ。
それについて語る前に、まずは、ハゲネが「いかにして」ジーフリトを殺したのか、ということを正確に知ってもらいたい。
ジーフリト殺害を決意し、表明したとき、「どうやって殺すのだ」と問うグンテルに対して、ハゲネはこう答えている。
「私があの勇士の王妃から、秘密を探り出しておくからです。」(詩節875)
最初にジーフリトがブルグントへやって来た時、ジーフリトの名と過去の武勇について語るのはハゲネである。(詩節86〜)
またハゲネは、ジーフリトがプリュンヒルトの国へ行ったことがあるのも、知っていた。
つまり彼は、ジーフリトについて誰よりも多くの情報をもっており、この不死身の勇者に「秘密」があることを、あらかじめ知っていたことになるのだ。
でなければ、この確信に満ちたセリフは出ないだろう。
ハゲネはクリエムヒルトのところへ行き、ジーフリトも自分たちと一緒にザクセンとの戦いへ出るが、誰かがジーフリトを傷つけるようなことになってはいけない、どこを守れば良いのか(つまり、弱点はどこなのか)と、尋ねる。
「お妃様、」ハゲネが言った。「もしもあの方が何者かに
傷でも負わされることをご心配なさるなら、
どういう工夫でそれを防いだらいいかお聞かせくださいまし。
私は馬上でもまた徒歩の場合でも、いつもご守護いたしましょう。」(詩節897)
するとクリエムヒルトは、ジーフリトは、かつて竜の血を浴びたとき、ただ一箇所だけ血を浴び損ねて、生身のままの場所がある、と答える。
「竜の傷口から熱い血潮が流れ出し、
天晴れな勇士がそれをからだに浴びた際、
両方の肩の間に一枚の広い菩提樹の葉が落ちてきました。
この場所こそ、あの人の急所なのです。これが私の心配の種なのです。」(詩節902)
夫の殺害を企てている人間に、夫の急所を教えてしまうなんて奥さんとしてバカだなあ…と、思うかもしれない。
しかし、よくよく読んでみて欲しい。この秘密を打ち明ける直前に、クリエムヒルトはこんなことを言っている。
「私は、親愛なるハゲネよ、おん身が私に信実を
つくしてくれることを信じて、どこがいとしい夫の急所であるのかを
打ち明けておきましょう。こういうお話をするのも、
ひとえにおん身の信実を信じればこそのことなのです。」(詩節901)
彼女は、他の人物になら秘密を話したりしなかった。相手が心から信用しているハゲネだったからこそ、夫の唯一の弱点を打ち明けたのだ、と、言っているのである。
クリエムヒルトがハゲネをいかに信用していたかについては、彼女がジーフリトの国へ嫁するシーンでも、語られている。
嫁ぐ妹に対し兄のゲールノートから、誰でも好きなものを千人連れていくが良いと言う。そのとき、クリエムヒルトが最初に選んだのが、ハゲネとその弟ダンクワルトだった。
これに対しハゲネは、トロネゲ出身の者の気性はよくご存知のはず、ほかのものを選んでもらいたい、と固辞する。(詩節697−699)
見知らぬ遠方の国へと嫁ぐに至って、最初に選んだのがハゲネだったというのは、彼女にとって、ハゲネが頼りになる存在であったことを証明している。ハゲネも、この時点では彼女には心から仕えていたはずだ。
だが状況は、クリエムヒルトの一時帰国後に大きく変わっていた。
かつて仕えた姫君と、主君の奥方とがいさかいを引き起こすにあたって、ハゲネが選んだのは、家臣として正しい選択…つまり、プリュンヒルトの側につくこと、だったのである。
兄王の側近として仕え、おそらく幼い頃からなじみがあっただろう一族の勇士の心がすでに自分のもとから離れていることに、彼女は気づかなかったのだ。
そこに悲劇があった。
確信に満ちたセリフから推測するに、ハゲネは、今でも自分がクリエムヒルトに信頼されていることを知っていて、逆手にとったのではなかろうか。
そのような非道な行為をしたということは、ハゲネは、大衆の面前で主君の王妃を愚弄したクリエムヒルトにも怒りを覚えたのだろうか?
そうではない、と私は思う。彼女は幼い頃から自分が仕えてきた、一族の女性である。対してプリュンヒルトは、主君の妃とはいえ別の一族の女性だ。
ひとえに、プリュンヒルトに鞍替えしたためにクリエムヒルトをないがしろにしたとは、考えにくい。
従って、これは、クリエムヒルト個人に対する悪意なく、彼女に、愛する夫殺害の片棒を担がせた行為と理解する。
ハゲネは心を鬼にして、クリエムヒルト自身の口から、ジーフリト殺害の鍵を探り出したのである。
ここに、ハゲネはひどい裏切りを成した不実な男との見方が生まれる。
ゆえに詩人は、言うのである。
国王の郎党はいずれも晴れやかな様子であった。
だが思うに、ハゲネがなしたような恐ろしい裏切りは、
ほかのいかなる武士も敢えてしないところである。
王妃クリエムヒルトは、彼の誠実に信頼したことなのだから。(詩節906)
と。
ハゲネが成したのは、ジーフリトへの裏切りではない。前にも述べたように、信頼を裏切ったのはジーフリトのほうである。
ここで言及されている、彼の犯した「裏切り」とは、自分を信頼してくれていた一族の女性、かつて自分が仕えた王族の一人である、クリエムヒルトへの裏切りのことなのである。
ジーフリト暗殺は、ジーフリトを背後から襲ったから卑怯なのではない。信頼してくれた者を欺き、その口から秘密を聞き出したゆえに、卑怯だと言われているのだ。
この点を心において、もう一度このシーンを読み返してほしい。
詩人が、これに続く場面で彼を糾弾するのは、ジーフリトの殺害者だから、ではなく、クリエムヒルトの信頼を裏切った者だからなのだ、とすると、物語の後半に見える、彼への糾弾と賞賛の意味が、はっきりと見えてくるのではないか?
これは、あの不実きわまる男、ハゲネの企みによるものである。(詩節911)
ジーフリトの行為を不実といわず、ハゲネのみを不実という言われはない。だがクリエムヒルトへの裏切りについては、信頼に対し裏切りでもって応えているわけだから、どう贔屓目に見ても「不実」と言うしかないであろう。
これが彼の犯した、信実による「真実の」罪である。