■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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前のページでは、状況的な殺害動機、つまりハゲネの外にある理由についてを述べたが、このページでは、ハゲネ個人の理由、彼の内側にあったと思われる殺害動機について考えてみたい。
最初にジーフリトがグンテルの宮廷を訪れ、客人となったのち、ブルグントは、ザクセンの宣戦布告を受けている。
ザクセンの王、リウデゲールとリウデガストは大軍を率いており、攻め入るまでの短時間に多くの手勢を集めるのは、難しい。勝てるかどうかは確証が無かった。
グンテル王は頭を悩まし、信頼する家臣たち、ハゲネや、弟のゲールノートらを召し出している。(詩節148)
そのとき、ジーフリトに協力を求めよ、と、言い出したのは、ほかならぬハゲネなのである。
さらに勇士は言う、「なにゆえにジーフリトに仰らぬのです。」(詩節151)
…この時点まで約1年、ジーフリトは、エッツェル王の宮廷にて過ごしている。(詩節138)
客人のもてなしに1年かけるのは、当時は普通だった。もてなすことが名誉になるからである。
その期間、ジーフリトは、模範試合などで目覚しい活躍を見せ、「およそ肩をならべるもののないほど、彼の力量は立ち勝っていた」(詩節122)と、述べられている。
もしハゲネが、ジーフリトの力が自分より優れていることに嫉妬し、疎んじていたなら、明らかに「自分より優れている」と分かっているジーフリトに、わざわざ名を上げさせるように進言しただろうか?
実際、詩節129では、「彼に対し敵意を抱くものなどは一人としていなかった」と、書かれている。一人として、と言っているのだから、もちろんハゲネもである。この時点で、彼はまだジーフリトを憎んではいない。むしろ好意をもって迎えている。
その理由はおそらく、この男が、ブルグントの国にとって好ましい存在だったからである。
ジーフリトは、「美しいグンテル王の妹姫」クリエムヒルトに求婚しに来たのであり、両者の婚姻は、敵に回しては厄介なこの男を親戚として味方につけるものだ。
ジーフリトは、当時、最高、最強の勇士だった。
このジーフリトとの親戚関係があれば、近隣諸国は、決してブルグントに手出しできないだろう。
この時点で、ジーフリトとクリエムヒルトは実際には会ったことはないままに、すでに両思いの仲だった。
クリエムヒルトが、庭で様々な協議に興じるジーフリトを、窓辺から見て思いを寄せているシーンがある。(詩節133)
王の一家の側に仕えるハゲネが、その思いに気づかぬはずはない。二人の婚姻が上手くいくであろうことは、ハゲネにとって確実な目算だったと思われる。
ハゲネがジーフリトに対し悪意を抱く理由は、決して「力の差」ではない。
しかるに、彼がジーフリトを殺さねばならなかった理由は、嫉妬などの感情ではない。全く逆に、過去に自分がジーフリトを信頼してしまったことに在ると考えられるのである。
その証拠に、プリュンヒルトへの求婚旅行に出かけるときも、この旅行にジーフリトを同行させよ、ハゲネが言うのである。
「ではわしの意見を申し上げよう、」ハゲネが口を出した。
「この困難な仕事は、ジーフリト殿にも片肌脱いでいただくようお頼みなさるのが上分別かと思われます。
プリュンヒルトの事は、ジーフリト殿がよく心得ておられるから。」(詩節331)
重大な秘密を伴う、この旅行には、ハゲネと、その弟ダンクワルトの二人、つまり、絶対に信頼できる腹心だけが同行している。
その中にジーフリトを加えよと言ったハゲネの言葉は、彼がジーフリトを信頼していた何よりの証拠になりはしないだろうか?
それなのに、ジーフリトはのちに、その信頼を裏切る失態をしでかすのだ。
ハゲネはかつて、この男を味方につけよと王に進言した人物、その人だ。
そのジーフリトが、こんどは王の「絶対に知られてはならない秘密」を握り、すでにその一部をバラしてしまった。これは、知られれば王の威厳を損なうだけでなく、宮廷の崩壊にさえ繋がりかねない、恐ろしい秘密である。
栄光につつまれたアーサー王の宮廷が、ランスロットと王妃グウィネヴィアの不倫から崩れていったことを、考えてもらいたい。
もしジーフリトが、王の求婚旅行にまつわるイカサマを人々に教えてしまったら?
グンテル王の権威は失墜し、宮廷が崩壊しかねない
彼は思ったはずだ。
ジーフリトを王に信頼させたのは、自分である。従って、この責任は自分がとらねばならない。オトシマエは俺がつける、と。
だから、彼は裏切られた怒りを込めて、言うのである。
「ハゲネは永久にあの男を敵といたします」(詩節873)
と。
ここまで言わしめるからには、浅い怒りではあるまい。たとえ殺害に失敗しても永久にこの男を許すまじ、との気迫が、大いに伝わってくるではないか。
ハゲネはもともと、友情に厚い男である。
「ニーベルンゲンの歌」でも何度か触れられているとおり、彼はかつて、親友ワルテルと戦いたくないために、一族が殺されるのをただ黙って見ていたという過去を持つ。(詳しくは「ワルター物語」の項を参照)
「ニーベルンゲンの歌」クライマックス、ハゲネとグンテルのみが生き残り、ディエトリーヒおよびヒルデブラントと対決するシーンで、以下のように書かれている。
ヒルデブラントが答えた、「よくもまあそんなことを
咎めだてされるものだ。スペインのワルテルがおん身の一族を
あまた討った際、ワスケンの岩根で盾の上に座っておったのは
だれであったか。かかる例はおん身にも数々あろう。」(詩節2344)
ヒルデブラントが「和議に満足されたほうがよいぞ」と言うのに対し、ハゲネが「戦わずに広間を逃げ出すとは。」と返し、そのあとにこのセリフが続くのである。
ヒルデブラントが言っているセリフの意味は、「かつてハゲネが友ワルテルと戦いたくなかったように、お前は戦いたくない相手なのだから、おとなしく投降してくれまいか」と、いうことである。
しかも、戦わないのは不名誉なことだと言い返すハゲネに対し、かかる例はおん身にも数々あろうと、言う。
つまりハゲネは、名誉よりも友情を重んじようとする人物であった、少なくとも、ヒルデブラントはそう思っていた、と、いうことになる。
さらにヒルデブラントの言葉が間違いではないことを示す重要なシーンが、もう一つある。
それは、さきのシーンから少し遡って、作品中ハゲネの親友としてたびたび登場する人物・フォルケールが戦死する箇所である。
トロネゲのハゲネはフォルケールの討死しているのを見た。
これはハゲネがこの饗宴にあたり、一族郎党の中に見出した
最も大きな痛恨事であった。ああハゲネが、
そこでこの勇士のためにどれほど手ひどく復讐を成したことか。(詩節2287)
「あの老武者ヒルデブラントを生かしてはおけぬ。
わしの片腕たるものが、今までわしの得た無二の親友が、
あの老武者のために殺されたのだ。」
彼は盾を高くかざして、切りまくりつつ進んだ。(詩節2288)
友人を深く思い、その死にここまで悲しむには、ハゲネとフォルケールの友情は、深い絆と信頼関係で結ばれていなければならない。
ハゲネは友人を信じ、深く思う人物だった。
だとすれば、その信頼を裏切られたときの衝撃もまた、大きいものであったはすだ。
その酷い裏切りを成した者がジーフリトだった。
…そう考えれば、ハゲネの怒りの理由は正当なものであり、彼自身が手を下そうと決意するに足りる理由があると言えるのではないだろうか。
ハゲネだけが罪を犯したのではない。ジーフリト自身、決してしてはならないことを、しでかしていたのだから、殺されるだけの理由はあったのだ。