■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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続いて、前のページでも触れた、「ハゲネがジーフリトを殺さねばならなかった理由」、つまり殺害の動機について。
物語の進行上、どうしてもジーフリトに死んでいただかねばならなかった、というのは抜きにして、どうしてハゲネはジーフリトを殺したのか。彼自身が殺意を抱いたのか、それとも他者の殺意を代行しただけなのか?
これについて、ハゲネがジーフリトへの殺意をはっきりと口にする箇所がある。
「私たちは私生児を長く飼っておくべきでしょうか、」
ハゲネが言い返した、「それは立派な武士の名誉ではありません。
お妃さまの一件を自慢話にしたとあっては、
あの人の命をもらうか、さもなくば自分で死んでしまいます。」(詩節867)
このセリフの直前のシーンを見てみよう。
結婚後、ひさしぶりに帰郷したクリエムヒルトは、プリュンヒルトと、些細なことから口論になり、勢いで、プリュンヒルトとグンテルの初夜にまつわる秘密をバラしてしまう。
”グンテルと床をともにすることを拒んだプリュンヒルトを押さえつけ、おとなしくさせた最初の男は、クリエムヒルトの夫・ジーフリトである”と。
おとなしくなったところを手に入れたのがプリュンヒルトの夫・グンテルなのだから、自分の夫のほうが勇士としてはすぐれているし、プリュンヒルトは自分の夫の妾のようなものではないか。…
「ニーベルンゲンの歌」では、ジーフリトはプリュンヒルトを押さえつけただけで、実際に犯したわけではない。
クリエムヒルトのセリフは、半分は嘘なのだ。そのぶん、まだ救いようはある。
だが、半分は紛れもない事実であり、知られてはならないグンテルとジーフリトだけの秘密だった。それをバラしてしまった挙句、クリエムヒルトは、その証拠とばかり、初夜の床からジーフリトがこっそり持って来た指輪と帯とを見せるのである。
大衆の面前でプライドを傷つけられ、辱められたプリュンヒルトは、その場では気丈にふるまうものの、戻ってきて、泣き出してしまう。
それを知ったハゲネが激怒するのである。
もういちど、彼のセリフをよく見てもらいたい。
「お妃さまの一件を自慢話にしたとあっては、
あの人の命をもらうか、さもなくば自分で死んでしまいます。」
この、「自分で死んでしまう」とは、一体誰のことか。
むろんプリュンヒルトである。ハゲネはグンテルの一の家臣として、プリュンヒルトへの求婚旅行にも同行している。彼女の気位の高さは十分に承知の上だ。その彼女が、大衆の面前でどうしようもなくプライドを傷つけられたとあっては、自殺くらいしかねない。
いや、事実、この「ニーベルンゲンの歌」のもとになった各種のサガ(「エッダ」に収録されている詩歌、ヴォルスンガ・サガ両方ともに)では、自殺している。
そこでハゲネは、妃が死を決意する前に妃の殺意を代行した。当然ではあるまいか? 主君が苦労の果てにようやく結婚にこぎつけた妃が、男同士の秘密をうっかり妻にバラしてしまうような、口の軽い男に、生か死かの土壇場まで追い詰められているのだから。
サガとは違って、「ニーベルンゲンの歌」のプリュンヒルトは、死ななかった。それは、この、ハゲネによる自発的な殺害予告によって、彼女の心がいくばくかでも安らいだお陰ではないのか。
ジーフリト殺害によってハゲネは、彼にとって"より"重要なもの、主君の奥方の命を守れたわけである。
さらに、ハゲネは言っている。
「それは立派な武士の名誉ではありません。」
と。
大衆の面前で秘密をバラされ、愚弄されたのはプリュンヒルトだけではない。
妃との初夜を他人に手助けさせた、グンテルもそうである。このように酷く名誉を損なわれながら、なおもジーフリトと懇意にすることは、「武士の名誉に関わる行為」だと、ハゲネは言っているのである。
つまり彼の殺意には第一に、王と王妃の名誉を傷つけた報復のための殺害、という理由があるのだ。
これは、忠誠心と呼んでもいいだろう。騎士としても当然の行為である。
彼が卑怯だと思われやすいのは、そのあとにとった行動が、騎士文学では定石の「決闘」ではなかった、と、いう点である。
決闘によってジーフリトと戦い、主君の名誉を守ろうとしたのであれば、誰も彼を卑怯者呼ばわりできはしない。
しかし、「決闘」は出来なかったのだ。その理由は、一つ前の項、「ジーフリトを正々堂々と殺せるか」で書いたとおりだ。
魔法で武装したジーフリトを通常の方法で殺すことは出来ない。しかも彼は、アーティファクトを装備している。
戦えば必ず負ける。負けるのが分かっていてつっこんでいくのも、当時はひとつの勇気だったかもしれない…が、ハゲネは、この「玉砕」の道を選ばなかった。
なぜなら彼には、「どんなことがあっても」「確実に」ジーフリトの口をふさぐ必要があったからだ。
ジーフリトはもう一つ、語ってはならない大きな秘密を隠していた。それは、そもそもの発端、グンテルがプリュンヒルトへの求婚の課題を果たすとき、実はジーフリトの力添えを得ていた、ということである。
プリュンヒルトの課した3つの課題、そのいずれも、グンテルは自分ひとりの力で果たすことは出来なかった。
つまり、グンテルは、彼女の夫としては全くふさわしくなく、彼女が「すぐれた勇士の妻になった」と思っていたは、幻想だったことがバレてしまう。
そうなったとき、王と妃の関係が、どちらかの死という最悪の結果に終わることは、目に見えていた。
口の軽いジーフリトが、この、ブルグント族にとって爆弾にも等しい秘密を口にしてしまう前に、秘密とともに永遠に眠ってもらわねばならなかったのである。
なるほど、一般に言われるように、「自分の第一の家臣としての地位を脅かされる危険性」や、「ジーフリトへの嫉妬」なども殺害の理由としては在ったかも知れない。
しかし、そんなものは取るにたりない理由だ。ジーフリトには自分の国があり、普段は遠方の国に住んでいる。ハゲネと同じグンテルの家臣という立場ではないのだから、競い合う必要は最初から無い。
ハゲネはグンテルの第一の家臣としての地位を奪われることは決して無いし、ジーフリトは優れた勇士だが、ハゲネの国内での評判が傷つけられた様子はいささかも感じられない。(ハゲネに不満があるとしたら、グンテルがよそ者のジーフリトを必要以上に信用したという点においてだろう。)
ハゲネには、主君の名誉と王の威厳を守るために、またプリュンヒルトの命を守るためにも、どうしてもジーフリトを殺さねばならない理由があった。
グンテルとて、自分の名誉に関わる秘密を暴露され、妃が愚弄されたのだからもっと怒ってもいいはずだ。むしろグンテル自身が、妃の名誉のためにジーフリトを糾弾すべきではないのか。
にもかかわらず、この優柔不断な王は、過去にジーフリトがよくしてくれたことが忘れられないらしく、身内よりもジーフリトの肩を持つ。
すると国王がみずから口を開いた、「あの人は我々に
もっぱら利益と名誉とを与えてくれた。あの男は生かしておかなくてはならぬ。」(詩節868)
さらに、ジーフリトにはかなわないのだから仕方が無い、とも取れる弱気な発言もする。
「それに、あの珍しく勇敢な男は、恐ろしく強い。
もしさとられようものなら、だれだって手に立つまい。」(詩節872)
これに対し、ハゲネだけが王にジーフリト殺害を唆し続けた。
詩節870では、ジーフリトが亡いものとなれば、あまたの国々が王の領土となるであろう、とまで囁いている。
しかしこれは、単に王を決意させるための文句とも取れる。
領土をふやすためにジーフリトを殺したのではないことは、ここまでに述べた根拠から分かることである。
ジーフリトという強力な親戚がいなくなれば敵が増えるし、ジーフリトがいなくなったからといって、彼の国ニーデルラントが手に入るわけでもない。実際、「ニーベルンゲンの歌」には、ジーフリトが殺害されたあとブルグント族の領土が増えた形跡はないし、以後、ジーフリトの死とブルグント族の繁栄を結びつける記述は一切見られない。
ハゲネにしてみれば、いかにしても、この優柔不断な面のある王を、説得しなければならなかった。そのための表向きの大義名分のひとつが、この台詞であったとは言えないだろうか。