■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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さて、このようにしてクリエムヒルトとハゲネの対立によって、フン族とブルグント族は相果てるのだが、このシナリオは、もはや古代北欧の伝承にあるような「呪い」とか「運命」からは離れている。「ニーベルンゲン伝説」の根幹を成す、黄金の呪いはどこへ行ってしまったのか。
この物語はニーベルンゲン伝説の一つである。ニーベルンゲンとは中世の形では「ニベルンゲ」、ここではニーベルンゲンの財宝と呼ばれる、ジーフリトが得た莫大な財宝の所有者を指す言葉だ。
この財宝は、ジーフリトの死とともに妻クリエムヒルトが所有し、その後ハゲネによってラインの川底に沈められる。元となっている北欧の伝承では「呪われた黄金」とされていた。
詩のエッダ「レギンの歌」では、こう語られている。
ニーベルンゲンの財宝は、かつて小人アンドヴァリが持っていたものである。巨人フレイズマルの息子を殺したせいで囚われた三人の神々のひとりロキが、身代金として差し出すためにその黄金を奪い、アンドヴァリは悔しさから黄金に呪いをかけた。
ロキはその黄金を、巨人フレイズマルに渡し、いずれその黄金が命取りとなるだろうと告げる。そのとおり、呪いは成就され、フレイズマルは欲にかられた息子、ファーヴニルに殺される。ファーヴニルは竜に化けて黄金の上にとぐろを巻き、誰にも渡さぬように見張ることにした。
だが、そのファーヴニル自身も、やがて黄金のために死ぬこととなる。分け前を貰えなかったファーヴニルの兄弟レギンが、シグルズを唆して殺させるのだ。
その黄金は、持ち主を破滅させ、王たちの不和の元となる宿命を背負っている。
「ニーベルンゲンの歌」では、黄金は竜の守っていたものではなく小人たちの国に隠されていたものと設定が変更され、黄金にまつわる呪いも明確には語られない。第3歌章でハゲネが、ジーフリトにまつわるニーベルンゲンの国での出来事、竜殺しの偉業について語るシーンで、手に入れた黄金が呪われているといった伝説には触れない。また、ジーフリトの死後、クリエムヒルトが黄金をブルグントに運ばせようとするシーンでも、小人アルプリーヒは「ジーフリトが隠れ蓑を手に入れ、ニーベルンゲンの国を支配したことが」ジーフリト自身に不幸を招くことになったと呟く(1120)のであり、黄金の呪いについては語らない。
もちろんこれは、ニーベルンゲンの財宝にまつわる伝説が聞き手にとって既知のものだったために省かれているとも言えるのだが、黄金はもはや、物語に悲劇をもたらす決定的要因ではなくなり、フン族とブルグント族の戦いが、黄金を巡るものではなくなったことを示しているとも取れる。
だが、黄金さえなければ物語は前半で終わっていたかもしれない。ハゲネ最大の失敗は、ジーフリト亡き後、その遺産である黄金を利用しようと考えてしまったところにある。
第十九歌章で、ハゲネはグンテルに、「妹御と仲直りされよ、そうすればこの国に莫大な黄金がやってくる」と勧めている。(1107)
グンテルはこれにあっさり乗り、ゲールノートとギーゼルヘルをやってクリエムヒルトを懐柔させる。その結果、クリエムヒルトは兄弟たちへの恨みは捨てるが、直接の殺害者であるハゲネに対してだけは、怒りを捨てない。
ここでハゲネが黄金に欲を出したのは、個人的な欲望からではない。ジーフリトの遺産はクリエムヒルトのもの、彼女が所有権を放棄すれば王である兄たちのものである。どう転んでも個人のものにはならない。
しかし、「ハゲネは私情より国益を第一に考える軍人」という性格設定のもとに見れば、彼が財宝を欲しがるのも分からなくはない。莫大な財産は国を潤し、兵力を養うに必要なものだ。ハゲネとしては、クリエムヒルトと兄たちを和解させることによって、その財宝をブルグントの国のために使わせる算段だったのだろう。
しかし、クリエムヒルトは、後先考えず感情で振舞う女性だった。
和解はしても、彼女が莫大な夫の遺産を手に私兵を囲うようになっては、結局、国を危うくする原因なのである。
ハゲネの言う「有能な男ならば、女などに財宝を委ねておかないでしょう。/あの方は施しによって、とどのつまり、/勇敢なブルゴント人を後悔させるようなことをしでかすでしょう」(1130)と、いうのは、鋭く当たっている。
のちにエッツェルの元に嫁いだクリエムヒルトが、まさにその通り、任された財宝によって兵を囲い、夫である王の意思を無視して自国を危うくするような事態を引き起こすことを考えれば、彼女に莫大な財産を委ねておくことは危険である。再びプリュンヒルトと諍いを起こす可能性とて、無いわけではない。
叙事詩内の表現は常に大げさなため正確な量は分からないが、ニーベルンゲンの財宝はブルグントの国の財政に匹敵するか、それ以上のものだったのではないだろうか。
それを未亡人である一人の女性が握っている。これは危険な兆候である。
たとえば、財宝を与えたあまたの騎士たちに亡き夫の仇を討たせることを考えたとしたら、どうなるか。これは内乱となる。ハゲネは王の親戚であり重臣である。そのハゲネを標的にした戦いは、後編のエッツェル王の宮廷での戦いと同じく、一族すべてを動員した大規模なものとなってしまう。
ゆえにハゲネが、クリエムヒルトのみならず主君たる王たちからも怒りを買うと分かっていながら、財宝を取り上げることを考えたのは、人情的には残酷だが、「国防」という視点からすれば正解と言えよう。
だが結局クリエムヒルトは、、「夫の復讐をするために」エッツェル王のところ嫁いでしまう。黄金を川に沈めなければ、クリエムヒルトはそれを使って国に災いをもたらしただろうし、黄金を川に沈めたからこそ、クリエムヒルトは自由に使える財産(権力)を求めて異国の王に嫁ぐ。
結局のところ結末は変わらないのだが、そこにはもはや、クリエムヒルトの受け継ぐ財産が「ニーベルンゲンの黄金」である必要性は、なくなっている。
「ニーベルンゲンの歌」では、黄金はブルグント族の直接の滅亡原因になっていない。
「ヴォルスンガ・サガ」や「詩のエッダ」では、黄金を要求するのはアトリ(エッツェル)である。クリエムヒルトを妻としたアトリは、黄金を手に入れるため、妻の兄弟たちを偽りの饗宴へと招く。ヘグニ(ハゲネ)は心臓を抉り出される拷問に合いながら口を割らず、グンナル(グンテル)は蛇の牢に入れられながら黄金のありかは話さない。そのためアトリは黄金を手に入れることが出来ない。
隠された黄金のありかが最後まで明かされないのは 「ニーベルンゲンの歌」においても同じだが、黄金を要求するのはエッツェルではなくクリエムヒルトで、彼女が兄弟たちを呼び寄せたのは、黄金を手に入れるためではなく、兄弟たちとともにハゲネをおびき出すためである。
ここでも、「黄金の呪い」の持つ重要性は薄れている。
この時代において、黄金(財産)は権力を意味した。多くの財産を持ったものは多くの軍備や家臣を持つことが出来る。莫大な財産とは、常に争いの元となる。たとえジーフリトの得た黄金が、呪われたニーベルンゲンの財宝で無かったとしても、クリエムヒルトが莫大な財産を受け継ぐということ事態が、悲劇に繋がっている。
物語のお約束として、黄金を手にした者=「ニーベルンゲンの一族」は滅びることになっているが、彼らが滅びる原因は黄金そのものではなく、もっと人間的な理由、嫉妬や憎悪、裏切り、復讐といった、登場人物たちの感情によってのみ生まれた確執だと言えるのではないだろうか。