五万石騒動研究会による「古文書と伝承展」が、高崎市城址公民館において、10月4日から5日までの2日間にわたって開かれた。
会場となった城址公民館は、五万石騒動研究会の月例会場でもある
「五万石騒動については子どもの頃におじいさんやおばあさんに聞かされていた。」という方が お孫さんを連れてお出でになるなど、地域住民が三々五々訪れ、2日間で150名の参加者でにぎわった。
展示会は 若い世代への伝承の場ともなった
展示は、@ 事の起こり(騒動前)から、A 城下押し寄せ・願書提出の山場(騒動中)、そして B 顛末・・・と流れを追いながら、騒動終結後の伝承についても、C 直後の記録、D 明治末から大正にかけての慰霊と顕彰、出版(記録文書や伝記本)と民芸(琵琶歌や八木節)、E 戦後直後の社会運動(小説や紙芝居)、F そして現在の取り組み(電子紙芝居、研究会活動)・・・と、順を追ってわかりやすくおこなわれた。
当時の貴重な文書類に見入る参加者と、説明をする研究会メンバー
特に注目されたのが、「願い証文」と「受け証文」。これは、高崎藩への税制改革減税要求運動を起こした農民たちが、運動の指導者として総代を選出した時に、お互いに取り交わした文書で、それぞれ別々に ゆかりの農家に保存されていた。今回の研究会の調査で、初めて一対のものとして確認された。「願い証文」は村々の連判状とともに総代に手渡されたもので、「自分たちの代表となって戦って欲しい」と言う主旨が書かれている。「受け証文」は大総代3人から各村々に手渡されたもので「引き受けた上は、皆さんに決して苦難を掛けることはない。すべて一身に引き受けて戦う」と言う主旨が書かれている。
初めて一対として確認された「願い証文」(右)と「受け証文」(左)
中央は 連判状
展示会場では、合間を縫って、復刻電子紙芝居が上映された。はじめて参加したAさんは「子どもの頃に親からいろいろ聞かされてはいたけど、紙芝居を見てはじめて全体がつながりました」と話していた。
上映後に 大総代佐藤三喜蔵の遺族でもある星野会長から 簡単な説明と挨拶が行なわれた
「昔、高崎から親戚が逃げてきて しばらくかくまっていたことがあると 聞いたことがあります」という室田の人や、「郷土史には関心があるのですが、新聞を見て 五万石騒動の事を知り 見にきました」という若い男女、「五万石騒動の詩吟をしている人もいます。今度紹介しましょう」と教えてくれた総代丸茂元次郎の子孫、「わたしのところでは地域の歴史を掘り起こす活動をしています」と言って五万石騒動関連の文書や石碑を掲載した「郷土史アルバム」を持ってきた六郷の人など、交流と伝承の輪がまたひとつ広がっていく展示会となった。
五万石騒動 古文書と伝承展を報じる新聞記事
五万石騒動研究会は、今回の展示品を中心にした小冊子を発行する準備をすすめている。
|