恒例の高崎城址公民館での文化祭が 秋のさわやかな風と共に 10月13日(土)、14(日)の2日間に渡って開催され、高崎五万石騒動研究会は 「高崎五万石騒動 車連判状」と題した展示会を行い、今に伝わる当時の連判状17枚(写真)などを公開した。
入り口正面には 処刑された大総代小嶋文次郎の掛け軸が掲示され
訪れる人々に その思いを 静かに訴えかけていた
この連判状は 大総代3人のうちの1人であった 小嶋文次郎の子孫が代々 大切に保管してきたもので、一挙に公開するのは おそらく 初めてのことだという。
連判状には 当時の農民たちの名前が ぐるりと円を描くように 書き込まれていて ひとつひとつに 印が押されている。その形状から「車連判状」とか「傘連判状」などと呼び習わされている。連判状は 農民たちが同志としての結束を固めるために その決意と連帯の証として 作成したものである。
三々五々訪れる市民は それぞれの思いから 食い入るように連判状の署名を見入り、「当時の人たちの思いが 伝わって来るわねぇ」「村ぐるみで 参加したんですね」「当時は まだ姓がなかったのかな、皆 亀太郎のように 名だけだ」「でも 当時から皆 印鑑を持ってたんだね」などと 感想を述べ合っていた。
六郷小学校の校長先生をしていたと言う方も 見学に訪れ、「わたしが校長をしていた時に 五万石騒動の時に使った 村旗のレプリカを作ったんですよ。しばらく 校長室に飾ってあったんですが、生徒たちにも普段から見てもらおうということで 校長室の前に展示するようになったんです」と 思い出を語っていた。
願書の写しや 高崎藩から農民への御達し(要求に対する回答書)、さらに 処刑されても屈しなかった先祖を慰霊した 大総代小嶋文次郎の掛け軸(大正時代に製作)なども展示された。
今回の展示を通して 新たに判明した事実などもあり、研究会としては それらの成果を 順次公開していく予定だと言う。
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