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時の話題2006-9
LAST UPDATE 2006-10-11
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今月の目次
◇印は《日々雑感新掲示板》より転載
民間人からの校長・教頭(06/9/25) ◇非白人への偏見を克服するために(06/9/24) ◇東京都教委通達違憲判決(06/9/22) ◇ローマ法王失言の歴史的重み(06/9/19) ◇作文・小論文指導に思う(06/9/15) ◇民族差別を克服する日(06/9/1)

【民間人からの校長・教頭】vol.337《日々雑感より》
◆奈良県教委においても民間人からの校長採用が数年前から始められているが、教頭の採用も始めるという。民間企業から学ばねばならないことも多いと思うし、決してそれは効率性のみを導入しようというものでもない。血税でまかなわれる公教育なのだから、時間的・予算的にムダを省くのは当然だが、民間人管理職は、我々教員がいかに献身的にサービス残業をし、ブライベートな時間と金を費やして教材研究に励み、出張旅費や休日勤務手当の権利放棄(つまり自腹)を強いられているかに驚くだろう。とある他県の統計では、精神疾患による休職教員は一般平均の約10倍だという。身を粉にしながら強烈なストレスに耐えねばならない勤務実態であることを如実に示す数字である(他にもそんな職種はあるが)。安倍新総裁が教育基本法改悪を改めて掲げると、さっそく「指導力不足教員」問題を強調する世論操作が仕掛けられている。「指導力不足教員」については当サイトにも何度か書いたが、若者から展望もモラルも奪うかのような政治状況や格差拡大の助長と管理強化の風潮にもめげずに理想を掲げ激務に耐える教員に不条理な圧力を加える教育施策(これぞ「不当な支配」である)を棚上げにした、「指導力不足教員」批判は極めて政治的な演出の匂いがぬぐえない。民間人管理職には是非そうしたご都合主義の教育行政に風穴を空けてもらいたい。(833、06/9/25)[→9月目次]

【非白人への偏見を克服するために】vol.336《新掲示板レスより》
◆日本社会には白人コンプレックスが根強く、その裏返しとして非白人への蔑視感が蔓延しているように思います。しかも、ステレオタイプな負の決めつけが目にあまります。異文化との豊かな出会い、違いを尊重し認めあう多文化共生社会の実現をめざす教育や運動が強く求められますよね。僕がサイト管理を委託されている奈良県外国人教育研究会も、そうした教育に取り組む先進的な組織です、様々な運動にも関わらせてもらっています。「外国人犯罪統計のトリック」はまだまだ書き足したいことがありながら、執筆途中で中断したままなんですが、外国人犯罪に関するネガティブなデマが一部の政治家やマスコミから垂れ流される状況に異議を唱えるためにも、続きを書かなきゃと思っています。
 それとメキシコに限らないのですが、ストリートチルドレンがいたり、物乞いの障害者がいる国なんかに行った時は、どう関わっていいのかとまどうのですが、つまるところその国の人権施策や福祉はどうなっているんだ!と怒りを覚えます。それもさらには、多重債務やグローバリゼーションとのからみで、日本経済をも問いかえさざるをえなくなるんですけどね。(カニータさんへの
新掲示板レス、06/9/24)[→9月目次]
 ※参考 「メリダのストリートチルドレン(子どもにはお金ではなく、食べ物を!というアドバイスをカニータさんからいただきました)


【東京都教委通達違憲判決】vol.335《日々雑感より》
◆21日、日の丸・君が代を強制する東京都教委通達を違憲とし、被告都教委は原告都立高校教員約400名に対し3万円づつ払えとする東京地裁判決があった。このタイミングでこの判決が出されたということは、石原都政への警告でありばかりか、教育基本法改悪・憲法改悪を公言してはばからない安倍新総裁への司法の牽制でもあろう。現代日本の教育や人権状況の諸問題は、憲法や教育基本法に問題があるのではない。憲法や教育基本法を軽視する政治、そのことを警告する司法をも軽視する政治にこそ問題がある。自己責任という言葉で、行政責務の放棄・富の集中・効率的で残酷な経済格差を正当化し、従わぬ者を徹底的に管理統制する強圧的な人権抑圧装置と化した行政こそが改革されねばならないと考える。学校教育の理想(人権尊重)と隠れたカリキュラム(人権抑圧)を真摯に問い直すことも忘れてはならないだろう。(831、06/9/22)[→9月目次]
 ※東京都の教育委員会は正式には教育庁と呼ばれています。


【ローマ法王失言の歴史的重み】vol.334《日々雑感より》
◆ローマ法王が自らの発言の弁解をするという異例の事態になっている。就任時に前法王の路線を継承すると宣言はしたものの、強硬な保守派として知られた人物であるだけに、その動向に不安を感じていた人も多いだろう。一部のイスラム教徒に誤解を招いたと鎮静化を図ろうとしているようだが、ビザンツ皇帝の発言を引用したという言い訳は通用するのかはなはだ疑問だ。
 十字軍は、中世ヨーロッパからパレスティナへ幾度も送り込まれた遠征軍のことだが、その目的は「エルサレムへのキリスト教巡礼者に危害を加えるイスラム帝国から聖地エルサレムを奪回するため」とされた。しかし真相は違う。「イスラム系セルジューク=トルコ帝国の進出に危機を感じ国王の地位を失いかねないと焦ったビザンツ(東ローマ)帝国皇帝が、ヨーロッパのキリスト教会二大リーダーとして対立関係にあったローマ法王に援軍依頼するにあたり、イスラム教徒がキリスト教巡礼者へ危害を加えているという事実無根のデマを捏造して、キリスト教の危機であるから東西対立を越えて戦うべきだと訴え、おそらくはローマ法王もそうしたビザンツ皇帝の本音を察しながらもヨーロッパ=キリスト教世界での主導権を握るために、デマと知りながら西ヨーロッパ諸国の王侯貴族に号令をかけたのが十字軍であり、イタリア商人による戦争ビジネスがそれを支えていた」というのが真相である。
 こうした歴史的基礎認識からすれば、元はビザンツ皇帝発言であるとの言い逃れはむしろ反発を招くのではないかと思えるのだ。シオニズム運動に協力するふりをしてユダヤ人をパレスティナヘ追いやったヨーロッパ=キリスト教世界がイスラエルを擁護するとき、責任転「嫁」のレトリックがつきまとってきた。その政治的背景を、これまたユダヤ教徒に覆い被せようとするトリックも含めて、世界史のテーマ学習で読み解いていこうと、現在取り組み中である。(829、06/9/19)[→9月目次]



【作文・小論文指導に思う】vol.333《日々雑感より》
◆この時期は立場的に、生徒が書いた文章を読む機会が特に多い。読書感想文などは担当外だが、人権作文や教科で書かせる作文を読んだり、入試対策の小論文や自己推薦書の添削をしたりという時間が格段に増えているのだ。書くのも読むのも嫌いではないので、読んだり書き込んだりといった作業はなんら苦痛ではないし、時間がかかることも大した問題ではない。気掛かりなのは、彼女・彼らが日々の生活でいろいろなことにもっと気付いてほしいということと、斜に構えた文章に秘められた悲痛な叫びだ。気付き足らなかったり、気付いてほしいともがいていたりする姿が透けて見えるのだ。これは同時に目の前の教育課題である。文章的にそつがなく、大人受けするものを選び出したり、書かせたりという仕事も求められているのだが、見え隠れする彼女・彼等の姿にいかに関わるかという仕事も大切にしたい。(827、06/9/15)[→9月目次]


【民族差別を克服する日】vol.332《日々雑感より》
◆今日は防災の日でもあるけれど、民族差別を克服する日にもしてほしい。84年前のこの日、関東大震災があったのだが、すでにこの日の晩から朝鮮人虐殺が始まっている。一般庶民が6000名の朝鮮人を虐殺し、中国人も400人ほど殺されたようだ。朝鮮語は語頭が濁らないため「15円50銭」は「チューコエン、コジュッセン」となってしまうため、関東弁で「15円50銭」と答えられなかった東北出身者や言語障害者・聴覚障害者なども、「朝鮮人」に違いないと多数殺されたのだ。冷静な人もいたにはいたが、民族ジェノサイドが吹き荒れたことには変わりない。(821、06/9/1)[→9月目次]



























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