インドネシア拉致事件(20)
LAST UPDATE 2004-12-28
おとり捜査


 1995年夏の俺は、バリ島でおとり捜査に協力させられることになった。
 ロビンソン副署長と何やら相談をしていた私服警官トラは、俺におとり捜査の手順について説明を始めた。

 いかさま賭博の場合は、被害の親告だけでは検挙できず、賭博の現場に踏み込んで一斉検挙するしかないというのだ。よって、俺が再びボブの別荘に行き、賭博をする必要があるというのだ。

 その日の午後4時にボブから電話がかかってくることになっていたのだが、トラは、日本領事館と同じく、ボブ一味の時間かせぎだろうと判断した。金を取り戻すことができるかもしれないと期待を持たせて、警察への通報を遅らせる常套手段だそうだ。
 俺の場合は、再び勝負して金を取り戻するように命じられていたのだが、俺を再び呼びだしても、もうしぼりとる金がないのだから、引き続き時間かせぎをするために、その日は都合が悪くなったので延期すると告げられるに違いない、とトラは説明した。

 しかし、それではおとり捜査にならない。ボブからの電話があった時に、「友達に偶然会い、金を借りた」とかといった理由をつけて、「金ができたから、今すぐゲームをしたい」と強く申し出るようにと、トラは指示した。
 そして、できるだけ話を長引かせて、少しでも捜査の手がかりを引き出すようにしろというのだ。
 身元不明の電話は俺の部屋につなげないという措置がとられていたが、それも一時的に解除するという。

 また、ボブ一味が直接ホテルへ俺を迎えに来ることも考えられるので、その場合は、素直についていけという。トラは、俺の部屋のクローゼットに隠れて様子をうかがい、ボブ一味と俺が部屋を出ていった直後に、すぐさまホテル周辺に配備した覆面パトカーに連絡することになっていた。

 どちらにせよ、俺が乗り込んだ車を複数の覆面パトカーが追跡することになった。ボブの別荘に着いた後はしばらく待機して、ゲームが始まる頃を見計らって捜査員が一斉に踏み込み、一味を検挙するという手はずであった。

 おとり捜査は、捜査員が身代わりにでもなるのでない限り、通常はおこなわれない。民間人をおとりにすることは、その人物を危険にさらすことであり、もしもおとりであることが発覚すれば、その人物は人質になってしまうからだ。

 俺の場合も、もしおとりであることがボブ一味にバレたら、俺は人質とされ、どんな目にあっていたか分からないのだ。第5章で、同僚の娘さんがバリ島の男性と結婚し、プラザバリで働いていると書いたが、その男性の身内でインドネシアの警察官をしている人も、「おとり捜査に協力させるなんて危険すぎる」と怒っていたようだが、本当に危険な目にあうところだったのだ。

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