みんなに1000人の知り合いがいるとすれば、知り合いの知り合いは100万人になる。
もちろん多数重複もするのだが、案外「知り合いの知り合い」はその辺にたくさんいるはずである。仕事上の「顔見知り」(kurochanの場合、生徒・卒業生とその保護者などは万にも達する)はもっと多いし、知り合いの同業者の「顔見知り」という事になれば、1億人を上回ってもおかしくはない。
共通の知人がいるのに、そうとは気づかず街ですれ違う、電車のシートで隣り合わせるということは、大きな街でも、ままあるだろう。楽しくもあるし、ちょっと怖い気もする。
思わぬ場所で、そうと分かった時に、驚いたりすることがあると思う。kurochanも、「こんなおもろい奴がいる」と騒いでいる酔っぱらいのおっさんの話に聞き耳を立てていたら、kurochanの事だったり、知り合いに民事裁判の相談を受け、話を聞いているうちに、相手がたまたまkurochanの古い知り合いで困ったりしたこと等がある。猟銃を持った犯人が銀行に立てこもったある事件なんか、遠い地域のテレビの向こうの事件だと思っていたら、犯人は親戚のごく近所の住人で、その銀行のすぐそばの病院に親戚が入院していたり、人質にされた女性がkurochanの小学校の卒業生で、最後に突入した警官隊に撃たれた犯人をタンカで運んだ救急隊員がこれまた、kurochanの親の知り合いで、世間の狭さにとても驚いたことがある。
知り合いだと思って声をかけたら人違いで、ごまかすのに苦労した経験は多くの人にあるだろう。卒業生の女性に声をかけたら、ナンパと思われてムッとされたり、見知らぬ女性に声をかけられ、変な期待をしたら、卒業生で慌てたり、「先生久しぶり、覚えてる?」と声をかけられ、覚えていないので、どうごまかそうかと困っていたら、本当の卒業生が友達に頼んで仕組んだイタズラだったりと、仕事柄、笑えぬ話も多い。ある知り合いの教師なんか、ナンパしたら在校中の女子生徒で、本当に困ってしまったという話もある。
前置きが長くなったが、バリ島でも「世間の狭さ」いやいや「世界の狭さ」に驚いてしまった。
まずは、バリ島の同じホテルに泊まっていた例の若い女性2人である。市内観光でワニ園を訪れたとき、私ら「奈良の田舎から来たんです」という。そうか、奈良は「田舎」なんかと思いつつ、「僕も奈良の田舎です」と答えたのだが、そこまでは、同じツアーで来たんだから、特段不思議ではない。
ところが、その後中華料理屋で昼食をとったとき、女性の一人が、高校時代の地理の女の先生と卒業後も親しくしているとの話を聞いたが、その高校はkurochanの「実家」のすぐ近所だし、その先生は、また別の高校でkurochanとも同僚であった。同じ社会科でもあり、驚いた次第だ。ちなみに、彼女が勤めていたパン屋さんは、kurochanの別の同僚の行きつけだったし、彼女が最近まで働いていた次のパン屋さんのすぐ目と鼻の先が、kurochanの新居である。もう一人の女性は、kurochanの小学校の後輩であった。もちろん共通の知人もいるし、「最近あの交差点にも信号がついた」とか、ローカルな話をバリ島でしていた。
次に、あるインドネシア人である。当時、コレラに感染し、日本に帰国後発症する人が続き、奈良県にもいたぐらいだった。同僚の娘さんが、バリ島の男性と結婚し、プラザバリという有名な免税店で働いているとのことだったが、娘さんの夫の兄弟で日本語が上手い人がいるので、もしコレラにかかったら連絡しろと、電話番号のメモをもらっていた。後の章で出てくるが、「事件」が起こって、彼に電話したのだが、まだ会社から帰宅していなかった。その後、今回の旅行社のバリ支店に電話し、事件の報告と、食費さえなくなったことを言うと、現地の人に知り合いがいないかと言う。そこで、一人いて電話したが、まだ帰宅していない、と話したところ、「知人」がいるとは思わなかったのだろう。名前を聞くのである。答えると、電話の向こうの旅行社の女性職員はびっくりしていた。
彼女はこう言った。「帰宅していないのは、当然です。その人は今、私の隣に座っています」。何と、その旅行社の現地ガイドだったのだ。彼が電話に出て、「日本の親戚から聞いている。よかったら今日から家に泊まりに来なさい」と言ってくれるが、あまりに急なので、申し訳ないし、今晩はホテルに泊まりますと、告げた。それにしても、この時は、まさに「世界は狭いなぁ」とあきれるばかりのkurochanであった。