山神第二トンネル
所在地・宮崎県えびの市

トンネルは怖い話がつきものですが、ここの場合は悲しい歴史が・・・。



「『山神第二トンネル』の概要」
「トンネルで起きた悲劇」
「山神第二トンネルの現状」
「山神第二トンネルレポート」(各章ごとの入り口へ)
「『山神第二トンネル』あれこれ」(工事中)

「山神第二トンネル」の概要
九州南部に肥薩線というローカル線があります。 熊本県の八代と鹿児島県の隼人を結ぶ全営業キロ124.2キロメートルの路線です。
現在でこそ定期列車が1日4往復しかない区間もある寂れた路線ですが、 昔は九州を南北につなぐ大動脈でした。

この路線にあるトンネルが、 ミステリー系のホームページではなぜかとりあげられないミステリースポットなのです。 その名は「山神第二トンネル」といい、 真幸(宮崎県)〜吉松(鹿児島県)間にある全長約650メートルのトンネルであります。
さて、その山神第二トンネルにおける怪奇現象ですが、
  • 「乗客や乗務員のものではない、人の話し声がする」
  • 「乗客の話に返事する」
というものです。 他のトンネル系ミステリースポットと比べるとやや地味ですね。
普通だと「下半身がないお爺さんかお婆さんが車やバイクを追いかける (俗に言う「ツインカムじじい」や「ターボばばあ」)」とか、 「首のないライダー」という具合になるのでしょうが、 鉄道路線では自動車もバイクも存在しないのでこれらの話が成立しません。
このことが山神第二トンネルが知られていない原因かもしれません。

トンネルで起きた悲劇
1.悲劇の背景
このトンネルがミステリースポットになったきっかけは、 太平洋戦争が終わって間もない頃にまでさかのぼります。
1945年(昭和20年)6月、沖縄がアメリカなどの連合国軍によって占領されました。 次の目標は日本本土の南九州と判断した軍部は、 急ピッチで連合国軍を迎え撃つ準備を進めていきました。 日本各地から多くの兵士が南九州へ配属されていったのは言うまでもありません。
(実際に連合国軍は南九州を占領して、関東地方へ侵攻するための前線基地を造る予定でした)
しかし、占領作戦が実行される前の8月15日、日本は降伏しました。 これにより、太平洋戦争を含む第二次世界大戦は終結しました。
そして、兵士は故郷に帰ることになりました。

2.事件当日
終戦間もない8月22日、吉松駅から人吉(熊本県)方面(列車の行き先まではわかりませんでした)へ、 多くの復員兵を乗せた列車が発車しました。 当時の列車は沢山の煙を出すSL(蒸気機関車)に牽引されていました。
人吉方面へ行くには、急勾配を登らなければなりません。 そして、急勾配の途中には多くのトンネルがあります。 そのため、列車は前だけではなく、後ろに補助用の蒸気機関車をつけていました。 後ろから押すことにより、急勾配を登りきろうとしたのです。
列車は低品質の石炭による出力不足や、定員超過による重量増加に苦しみ、 空転をたびたび起こしながらも何とか登ってきました。

そんな列車が登り勾配の途中にある山神第二トンネルにさしかかりました。 ところが、列車は勾配を上りきれず、とうとう停止しました。
前部機関車はトンネルを出ていたのですが、後部の補助機関車はまだトンネル内にいました。
トンネル内、そして列車の中はたちまち機関車が出す煙が充満しました。 前部機関車が通過時に出した煙と、後部機関車が今なお出し続けている煙です。 動かない列車にいたのでは煙で苦しくなるばかりです。
そこで、多くの乗客が列車から降りました。線路つだいにトンネルから脱出しようとしました。

一方、前部機関車の運転士が、このままでは乗客や後部機関車の運転士が煙でやられてしまうと思い、 バックさせることにしました。
前部機関車の運転士は、乗客が列車を降りて、トンネル内にいることに気づいていません。 そのことを知らせることが出来たかもしれない後部機関車の運転士は、 既に煙で意識が朦朧としていて、知らせることは出来ませんでした。
こうして、列車はバックしはじめました。乗客は狭いトンネル内を歩いている最中でした。 列車は次々とトンネル内にいた乗客を轢き殺していったのです。
犠牲者の数ですが、資料により若干異なっています。 それでも、50人前後という多くの犠牲者が出ています。

第二山神トンネルの現状
1.地元の慰霊
事故の17回忌にあたる1961年(昭和36年)、地元婦人会の働きかけにより、 トンネルの人吉(真幸)側入り口付近に慰霊碑が建てられました。 記念誌「肥薩の汽笛」に慰霊碑の写真が載っていますが、現在では木々に覆われていて車窓からは見えにくくなっています。

2.列車の運転状況
鉄道トンネルですので、第二山神トンネルに行くには、肥薩線の列車に乗るしかありません。
2001年(平成13年)3月3日に改正された時刻表によると、 毎日運転の普通列車が4往復と、期間限定運転の普通列車が1往復走っています。 どうしても行きたい人は時刻表で列車のダイヤを確認してください。

3.運賃と取材基地
運賃について説明しておきます。 必要最小限に済ませようと吉松〜真幸間だけを利用の場合は片道220円、往復440円です。 後述の観光列車「いさぶろう」と「しんぺい」を使う場合も同額です。 ただ、真幸駅の周辺には1件もお店はありませんので、その点にご注意ください。
遠方からこられる場合は、熊本県人吉市のホテルなどに泊まればいいでしょう。 この場合の運賃は、人吉から(もちろん真幸経由で)吉松までは片道720円、往復1440円です。

4.「いさぶろう」&「しんぺい」
ちなみに、人吉〜吉松間には観光列車「いさぶろう」(人吉→吉松)と 「しんぺい」(吉松→人吉)が走っています。 これらの列車では、見晴らしのよい地点 (大畑駅付近のループ線を一望できる地点や、矢岳〜吉松間の「日本一の車窓」など) や、これらの列車名の元になった人物が作成した石額の前で停車したり、 途中にある駅構内の名所見物(矢岳駅のSL展示館や真幸駅の「幸せの鐘」など)のために、 時間を割いたりもします。

なんか後半は地元の宣伝みたいになってしまいました。 でも冷やかし半分で行くのだけはやめてくださいね〜。

「山神第二トンネル」レポート
第1章「吉松駅」へ
第2章「真幸駅」へ
第3章「矢岳駅」へ
第4章「大畑駅」へ
第5章「人吉駅」へ

「山神第二トンネルあれこれ」へ(工事中)



もどる