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[No.130] 突起の付いた花器  価格    '14. 5. 1 up

       (   H 15 cm x 10 cm )


前回のコメントでは随分突っ張ったことを申し上げました。いえ、「花なんか飾られて堪るかい・・」って言う花器のことです。

引き換え、今回は「ねえ、花を飾って、どんな花でもいいから・・」ってなわけで飾られたがりやの花瓶を作ってみました。

花を花瓶にさして愛でる・・ほかの動物にはなかなかできるものではありません。そんな人間にだけ与えられたこの特権を花咲く時期に存分に堪能したいものです。

この花瓶、作ってみて改めてどんな花でも生けられると思いました。特に今時の庭には雑草の花々が一斉に咲き誇りますがそんなものでも受け入れてくれます。

庭に咲く野草のほとんどは亡妻が好んでいた草花がほとんどでした。

5月の命日でもうかれこれ6年が経ちます。この花瓶は今までの花瓶に変えて仏壇も少し明るさを取り戻せそうです。

亡妻が予約済み・・と言いますので非売品とさせていただきます。

次回の更新は 6月 1日となります


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[No.129] 線刻紋取手付花器  価格   5、000円(箱なし送料別) '14.4. 6 up

       (   H 27 cm x 16 cm )


千利休・・以来、陶芸のあるべき姿というものがこれほどまでに幅広く芸術の中に浸透していった用品はほかに類を見ません。

刀剣やあるいは漆器などにも確かにその用途以上に美を追求したものもありますが特殊な階級にしか許されなかったものと違い一般大衆の中に根付いた意義は大きいと思います。

しかし、音楽や、絵画、彫刻などのような純粋芸術に比べて用具の美というものは一段も二段も低い観点での見方として工芸品・・と言われてきました。

その点、陶芸には古来仏教に伝わる精神性を民族的意識として上手に侘び、寂びの中に解釈させてその境地を高めていったことが伺われます。

「色即是空」「生あるものいずれ滅びる、没する・・」という考え方と相まって陶芸品の儚さはまさにうってつけの極みであったと思います。

土を練り、そして形にし、火をくべて焼き上げる。そんな一連の作業の中に何時しか自己の心と向き合って苦悶する自分を発見するのです。


かの芸術家の発した言葉を思い起こすのです。「座ることを拒否するイスがあったっていいじゃないか・・」そんなものはもはやイスでは無いはずなのに芸術家の発想はどこかに 私たちのしたごころをくすぐるものが感じられるのです。

「花なんか飾られて堪るかい・・・、そんな花瓶があったってイイじゃないですか・・・」ああ、実に爽快です!

次回の更新は 5月 1日となります


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[No.128] 盃集合  価格   それぞれ各 500円(箱なし送料別) '14.3. 1 up

       (   H 5 cm x 7.5~8.5 cm )


熟練した陶工さんたちはどうなのか知れませんが轆轤を回して器を作るとき作りやすい大きさってあります。

一番つくりやすい大きさは湯のみ茶碗、そして少し大ぶりのぐい呑・・あたりではないでしょうか。

手の中に粘土をつまみあげるようにして一気に引き上げます。ですから作るものの大きさはひと握りの粘土分という事で大体同じ大きさに出来上がります。

それだけに作りやすさは倍加しその余裕から様々な微妙な歪みを楽しんだり自然な形の奥深さを醸し出したりもできるのです。

それに比べ、いわゆるぐい呑や今回のような盃は使う粘土の量は親指と人差し指のあいだの感覚でつまみながら引き上げてきます。

ですから同じ大きさのものを揃えるということは比較的難しく、たくさん作った中で大きさ順に並べてペアーにしたりセットにしたりするようにしています。


この盃とぐい呑の違いは形状も異なりますがぐい呑は糸底切りをして完成しますが盃のほとんどは高台を作らなくてはなりません。

手間・・・という面でも二重の手間をかけないと盃はできないのです。今回は彩色紋がよく見えるように鏡の上に置いてみました。

次回の更新は(スキー・ヨーロッパ遠征のため) 4月 6日となります


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[No.127] 抹茶茶碗「椚林」  価格   3,000円(箱なし送料別) '14. 2. 1 up

       (   H 6~7 cm x 11~12 cm )


ちょうど小説で山本兼一さんの「利休にたずねよ」を読んでいる最中でして前読みの中で面白かったところに少し触れてみます。

徳川家康は秀吉に促されて上洛した。実は家康の不行き届きで仙台の政宗の挙動不審があってそれを詫びるため政宗と前後しての上洛であった。

上洛した翌日、利休から茶の席を設けるので来るように言われていた。家康は秀吉の寵愛を受けている利休に毒を盛られて殺されるかもしれないと覚悟した。

家康が本日上洛することを知っていた秀吉であるが利休には存分にもてなしてくつろがせろとの命を受けていたが当の秀吉は鷹狩りに出かけて不在であった。

赤い肌におぼろな黒釉がかかっている素晴らしい茶碗であった、家康は聞いた「銘はなんというのかな」「木守りでございます」木守りとは秋の収穫の終わった柿の木などにその実を 少し残して来年の豊作を祈ったり、小鳥たちにも分けてあげよう・・・。

「して、銘の由来はなんであろう」「はて・・、長次郎の焼きました茶碗をいくつも並べ、弟子たちに好きなものを選ばせたところ、これ一つが残りました」


審美眼に長けた利休は残り物だ・・と言って木守などと言いくるめて名物に仕立てるのはあっぱれな詭弁ではないかと感じ入った。

さて、椚林・・ですが私は山でクヌギの苗を育てています、そして何時かは美しい林になることを願っています。クヌギはこの大地の養分をたっぷりと吸収し逞しく成長して行きますが それは正しく大地への讃歌なのです。

次回の更新は 3月1日です


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成 2 6 年 ( 2 0 1 4 )

新年明けましてお でとうござい ます

本年もよろしくお願 いいたします


〜 数えればかれこれ陶芸に首を突っ込んで以来、早40年の歳月が経つことになりました。

全てにおいて中途半端・・この陶芸に対してもなんの収穫もないままにひたすら時間のみ費やしたというほかありません。              そこは素人の手慰め・・と心得て私なりに精神的渇望のはけ口として上手に利用して人生の楽しみとして捉えるようになりました。              そんな意味で今回のこの作品、実はお暇がありましたらNo.115「初雪」とあわせてご覧いただけると私の陶芸の手慰みの真髄が              多少なりともお伝えできるかと思いました。この作品、窯から出てきたとき無残にもザックリと大きく割れて器の用はなせませんでした。              目指す陶芸は何か!それは私にとって重大な意味を持ちます。「粛清!」という名のもとに窯から出た瞬間に消し去るべき器に愛おしみ              を感じ、こうして手厚く補修をして傍に置いておきたい・・・私もかなり年を取ってしまったんでしょうか。
〜〜*

[No.126] 金継ぎ・抹茶々碗「飼葉桶」  価格   円(箱なし送料別) '14. 1. 1 up

            (   H 8 cm    x   12 cm   )
      


次回の更新は 2月1日です


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[No.125] 夫婦茶碗  価格   ひと揃い  3,000円(箱なし送料別) '13.12. 1 up

       (   H 6~7 cm x 11~12 cm )


器の高台・・って、用途によって様々な形態があるようです。しかも慣用的になっているということはつまりそこが実用的かつ美しさの原点なのでしょうか。

お椀など汁物をよそう器はご飯茶碗に比べ一般的にその高台は少し高めのようです。

昔、旧家の食事は配膳器にそれぞれの食器が並べられ、その食器を手に持ち替えて食事をしていました。


私がある時そんな配膳で食事したとき感じたことは頻繁に手に持ち替える器は高台が高いほど機能性があって使い易いと感じたことでした。

その時ご飯茶碗を手に取るとき、先ず箸を置き、両手を添えてご飯茶碗を持ち上げて、片手に持ち替える、そしてまた箸を握る。その点、高台の高いお椀は直接片手で取り上げること ができたことに理不尽さを感じたことがありました。

まあ、そんなことは現代においてどうでもいいことですが試しに高台の高いご飯茶碗を作ってみました。

機能的には全く問題はありません。しかし人間の視覚的習慣の中に形態の違和感を感じる神経があるのでしょうかなんとなくシックリとこないのはなぜでしょう。

奇抜な女性のファッションに翻弄され続けた人生の中に幾度もその違和感の修正をしてきた私です。ナニ・・、そのうち慣れるさ!

次回の更新は 1月1日です


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[No.124] 抹茶々碗「卯の花」  価格     5,000円(箱なし送料別) '13.11. 1 up

       (   H 6 cm x 8.5 cm )


暑さが長引いた後なのにすんなりと秋の風情を楽しませてくれません、幾つもいくつも嫌われ者の台風がやってきては大きな傷跡を残していきました。

あまりにもジリジリと待ち焦がれていた秋も突然の季節風に、エッ!秋を堪能しないうちにもう冬ですか・・・と思わせる季節のはかなさです。

人生、苦あれば楽有り・・・、季節だって毎年極楽のような四季が巡って来てしまってはむしろ面白みに欠けるというものです。


おからを使った料理のことを卯の花ということがありますがそれはその料理が卯の花に似ているから命名されたものでしょう。ユキノシタ科の落葉低木ウツギの花(卯の花)です。

気象庁は中国から伝わった季節用語の二十四節気を日本版「季節のことば選考委員」によって「季節のことば36選(37)」を選んで実際の日本の季節に即した表現として取り入れて いくことを決めました。

それによると「卯の花」は5月を表す季語のひとつとして堂々の入選をはたしました。「卯の花の匂う垣根に〜♪」というわけです。

おから料理がそれに似ているからといってそんな名前にするんでしたら、私の茶碗にも「卯の花」という名前をつけてもいいだんべ・・・。

「オイオイ、じいさん!、もうとっくの昔から優れた陶芸技法には”卯の花”って既に使われているよ!」。ちょっと、知らなかったことにしておいてくれないかな〜

次回の更新は 12月1日です


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[No.123] おもしろ丼  価格   2個セット  3000円(箱なし送料別) '13.10. 1 up

       (   H 6 cm x 8.5 cm )


料理家であり陶芸家であった彼の有名な魯山人展を見る機会に恵まれて浦和市立美術館を訪れたことがありました。

作品にまつわる諸々の言い伝えは凡人陶芸家にもその真髄は広く紹介されて馴染みの言葉も多く記憶するところです。

ある雑誌に連載された記事のコピーでしょうか・・・見過ごしがちなコーナーに無造作にクリップで挟まれた記事が目に止まり読み始めました。

天気や大雑把な気温・・つまり、カラリと晴れてはいるが外は木枯らしの音が・・とかその日の状況が手に取るように記録されていて、そして今日はどんな茶漬け飯をどうやって食べた ・・・。とかが記されているのです。

料理研究家の料理番組は確かにその季節のものを選んで”旬のもの”は狙っていますが見ていてどこかよそよそしく感じることがあります。

食事を肌で感じて食す・・・ということに関して魯山人はほぼ感覚的に造っておもてなしの出来る達人ではないかと感じました。

料理を美味しそうに見せる器・・・そんなものは料理に自信のない人の言うセリフです。肌で感じて食す・・・料理も器も先ず見た目がおもしろくなくては始まりません。

里芋、人参、ごぼう、こんにゃく・・・郷土的料理もこんな”おもしろ丼”によそって食事を楽しみたいものです。

次回の更新は 11月1日です


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[No.122] 乳白・コーヒーカップ  価格   2個セット  3000円(箱なし送料別) '13. 9. 1 up

       (   H 6 cm x 8.5 cm )


思い起こせばコーヒーカップ・・・、もう何組作ったんでしょう。茶の湯や酒の器同様人間の欲望は行きつくところを知りません。

今日もこうして飽きずにコーヒー茶碗を作っています。

昔、おおむかしのこと。人はその日の食べることに命を懸け、そして引き換えにその日の糧を得て子孫を残し生きながらえてきました。

たまたま空腹に耐え、物欲を絶って洞窟の壁面にその人の想いを絵にして表現しようとした人間が居たと聞きます。

人間の欲望って現実には物欲ではなく達成感に象徴される精神欲が満たされたとき大願成就を感じるのでしょうか。

似たような形のものを来る日も来る日も飽きもせず作り続けていると座禅を組んで精神を集中するときの感覚に似たものを覚えるのです。


あれ・・?、もう6時か・・、ぼちぼち晩酌の用意でもして、何か面白いテレビ番組はないのかな・・?。この作家はただの凡人・・でした

次回の更新は 10月1日です


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[No.121] 鉄絵湯飲み  価格   それぞれ 1500円(箱なし送料別) '13. 8. 1 up

       (   それぞれ 9 cm x 8.5 H cm )


連日の猛暑で”熱中症”によるダメージを受け救急搬送される人が後を絶ちません。

市の防災無線でもその対処法を広報して呼びかけます。仕事をしながらラジオを聴いていてもアナウンサーがしきりに「おてもとの飲み物をひと口飲んでください・・」と至れり尽くせりです。

それにもかかわらず夕方のニュースではどこそこでカクカクシカジカ・・と報道され、聞く方もなぜか「ああ、またか・・」くらいにしか感じません。


だいたい昔は熱中症で倒れたなんて言う話はあまり聞きませんでした。”熱射病”という名前はありました、そもそもその両者は全然違うものですから世の中全体が暮らしにくい天候になったと いうべきでしょう。

そして私たちの世代を含め高年齢者が多くなり一層その騒ぎに該当する層の人口が増えたこともあります。先ずのどが渇いたという自覚症状がありません。これは暑い夏を乗り切るためには 致命傷です、水を飲む・・・というクセを付けておかなければいけない所です。

大振りの湯飲み茶わん、二つひとり分です。暑い白湯をくんで置いておきます、しばらくすると飲みごろに冷めて甘く感じられます。一口ずつ幾度かに・・午前中にそれぞれを、そして午後にも それぞれを戴くというふうにすると熱中症知らずで健康な夏を過ごす事ができるのです。

そうです、この厚ぼったい陶器でこそ薄手の磁器ではかもしだせない滋味が生まれるのです。

次回の更新は 9月1日です


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