Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.141〜150 を掲載しています

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No.150  「小樽・船見坂」  '14.  7. 1 up 価格    (額縁付き送料込み)

           (38 x 45 cm)クレヨン
あちらこちらと写生旅行に出かけるたび感じることがあります。恋愛で言う相思相愛・・とでも申しましょうか、行ってみたいという私といらっしゃい!というその土地。

6月の最終週、羽田から空路北海道は新釧路経由でその日の昼過ぎには憧れの小樽に来ることができました。ここには二度目・・、もっとも初めての小樽はスキー大会でのことでした。

その今年初めての北海道は全日本マスターズでのことでしたが最終日を除いて終始降雪に悩まされた小樽大会でした。ここはひとつどんなことがあっても天気の良い小樽にもう一度 来てみたいと言うのが主目的でした。

地元の方が言うにはアンタ本当にいい時に来たんだね・・と言うくらいに先週までは天候不順だったこの地方もすっきりと晴れ渡って少し吹き渡る風も寒げでした。

レンタカーを借りておおよそ見当を付けていたお目当ての場所、それは名前のとおり船見坂と言う地名です。小樽は坂の多い町ですが特にこの坂は名前の通り坂のてっぺんから港に 停泊する船までがシッカリと見渡せるのです。


余談ですが借りたレンタカーはいつものことながら目的の写生地が決まるとホント邪魔ものに代わるのです。できるだけほかの車の妨げにならないように駐車しておきましたが 直ぐにミニパトカーが来て指導を受けることになります。

お巡りさんも私がこの場所で絵を描いていることを判ってくれて無理なことは言わずに駐車場所を見つけてくれるほどに親切でした。結局交差点の反対側の工事のための駐車許可車両に もう少し詰めてもらってそこに入れさせてもらえるように交渉までしてくれました。小樽の親切なお巡りさんどうもありがとう。

写生する間、幾人もの方がこの坂を昇ったり行き交いをしています。お年寄りは途中で一休みしてまた昇り始めたりと平地の街では見慣れない光景を目にします。

そして休憩中にも港の景色を眺め気力を溜めてまた昇り始めます。ここで風景とともにその人々の息遣いを観察しているとああ、人生そのものだな・・と感じるのでした。

次回の更新は 8月 1日となります


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No.149  「漁村の天主堂」  '14.  6. 1 up 価格  100,000 円 (額縁付き送料込み)

           (46 x 53 cm)油彩
もうお忘れになってしまったでしょうか、昨年の10月はご丁寧にも一週間に一度づつ台風がご挨拶にやってきて大変往生しました。

しかし最後の週はさすがに静かな素晴らしい秋の日が続いてくれました。「それ!」計画日程のそれぞれの宿を予約しあちこちのレンタカーを予約して新幹線、飛行機の切符を手配 して九州、熊本へ飛びました。

天草の市街から私の向かう崎津までは地図によると直線で20kmほど、それほど遠くではないようでした。しかし急峻な山道、谷を抜け、峠を超えて目的の漁村を眼下に見るまでに 約一時間ほどかかったでしょうか。

山道を降りて漁村に降り立つと山懐にひっそりとそれは佇んでいました。太平洋天草灘の荒波を避けた静かな羊角湾、湾から更に枝状に伸びる入江が崎津の漁村なのです。

そこはまるで油でも流したように波ひとつないひっそりとした入江の漁村に津崎カトリック教会はありました。私の日本の風景感としてはあまりにもミスマッチな体験でした。


教会の歴史の流れの中にあって特にここ天草地方には悲惨な歴史は他の地方と違ったものを感じます。

秀吉や家康によって弾圧された信徒たちは隠れキリシタンとしてこの辺境の地に生き延びてきました。更に1630年代の鎖国令発布に引き続く島原の乱において多大な殉教者をだし 壊滅的な迫害を受けてきました。

明治になって宗教の自由が保障されるまで300年もの長きにわたって人々の心の中にともし続けた宗教観は並大抵のことではなかったことでしょう。

この建物は1935年、長崎の建築家によって新たに建造されましたが異色な建造物・・という違和感のないことに改めて驚かされた次第です。

次回の更新は 7月 1日となります


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No.148  「白馬村・清流」  '14.  5. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

           (38 x 45 cm)クレパス
私は乗り物のうち列車の旅をかなり好んで楽しんでいます。自分で運転しなくても次々と目の前の風景が移ろい楽しめる・・しかも好きなお酒をチビチビやりながら。

ある日、JRの開発したハイブリッドディーゼル列車「リゾートビューふるさと号」にわざわざ新幹線で長野まで行ってその予約列車に乗り込んだ。

コースは長野から篠ノ井線の急勾配を登り今では珍しいスイッチバックをしながら姥捨て駅を経て松本、更に大糸線では穂高、大町、仁科三湖(木崎、中綱、青木)を眺めながら 列車は終点の南小谷まで行きますが私は手前の白馬駅に降り立った。

ここで言うハイブリットとはこの急峻な路線を運行するにあたり上り坂では燃費の良いディーゼルエンジンを使い、下りの余力で発電しながら運行するというものです。そしてリゾート ビュー、つまり特別にゆったりと設計された座席からの風景と信州娘のおもてなし、両方を堪能させてくれるのです。


前置きが長くなりました。宿はホテル白馬、スキーシーズンではない白馬はおもてなしも抜群。ジャンプ台の迫力を見たりのどかにハンググライダーを眺めて散策もいいものです。

趣を変えて駅の反対側に渡ってみました。山麓から少し離れたここからはこれまた白馬三山(白馬、杓子、白馬鑓(やり))が一望できて清冽な川の源はそちらからのものなのです。

この川はいくつもの支流を集めてやがて姫川として新潟県糸魚川から日本海へと注いでいるのです。今日は残念なことにその山容の全貌を見ることはできませんでした。

次に来るときには最後のおもてなしとして白馬三山の笑顔を期待します。帰路もそのリゾート号、ありったけの笑顔でもてなしてくれた事は言うまでもありません。あっ!、清酒 「大雪渓」か?俺をこんなに酔わせて・・

次回の更新は 6月 1日となります


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No.147  「横浜・赤レンガ倉庫」  '14.  4. 6 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

           (38 x 45 cm)クレパス
1859年(安政6年)横浜港は海港しました。明治になって政府は近代的な港湾整備が必要と考えおよそ今から100年前に「新港埠頭保税倉庫」として完成した。

戦後の連合軍への接収を経て1992年、横浜みなとみらい21の整備に伴って横浜市が国から取得し「赤レンガ・パーク」としてオープンしました。

現在は近代化産業遺産として1号館の文化施設、2号館の商業施設と合わせて年間来場者数は600万人を超える横浜市の人気観光地であります。


暖かな春の陽気に誘われて私もミーハー気分で赤レンガ倉庫に向かいました。その巨大な建造物は近付いて行くに従って周囲はアリの大群がさまよって見えるほどの人出に包まれていました。

オットト・・・、あの人ごみに揉まれるほど私はそんなに若くありません。こうして離れてそう、ちょうどこのくらいから眺めていると心も落ち着いてきます。

スケッチをしながらふと後ろを見上げると乳母車を引いた若いお母さんと目が合ってしまいました。

「あら!、楽しそうな絵ですね・・、私も今度スケッチブックを持ってきて描いてみようかしら・・」

古い佇まいの堅牢な建物とはしゃぎ回る若者たち、頑固そうな爺さんと若いお母さん、全てを融合してこころ穏やかな雰囲気が漂うのでした。

次回の更新は 5月 1日となります


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No.146  「房総・野島崎灯台」  '14.  3. 1 up 価格  100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)油彩
昨年、スキーシーズンに入る直前に房総半島への写生旅行をしてきました。

多少風の強い日もありましたが天候に恵まれて有意義な4日間を過ごすことができました。

私の勤めていた会社の事業所の海の保養所があったおかげですっかり房総半島のトリコになってしまったものでした。

青春期・・以来、会社の仕事から離れてもこうして何かにつけては年に何回かはこちらに足を向けると言うことになるわけです。


房総半島は列車で行くのもいいですが車で行ってもまたそれなりの楽しさはあります。今回は全て車中泊、そして目当ての風景は車の足を最大限に利用して行ったり来たりして 最適な写生地点を探すこともできるのです。

房総半島の地図を見るとお判りのように内房線は館山から千倉駅までは海岸線を離れて外房に向かいます。ですからその間の海岸線約40kmの移動は車が一番です。

しかも整備された道路はここから京葉工業地帯まで通勤する人達のため快適な走りもできますが実はその道から素晴らしい風景は望めないのです。

房総半島は太平洋に面した漁場の港が無数にあります。そして所々注意するとその小さな漁港に入れる下り坂があって静かな漁村の佇まいがあるのです。 「ここは海抜3m、津波の時は・・」という標識があり看板は出ていませんが地元の漁師さんの呑み屋さんがあって二流のお酒と、一級のお刺身料理もまた楽しみの一つです。

都会の呑み屋さんと違ってもう8時には閉店します。私も心地よい夜風に吹かれながら防波堤脇に止めてある車に入って布団に潜り込んで就寝します。

しばらくガヤガヤと言う騒音に一度目を覚ましますが外はまだ暗いことを理由にまた寝入ります。しばらくすると防波堤を超える強い風の音で再び目を覚ますともうすっかり車外は 明るくなり子供たちの話し声も聞こえるのです。

外に出ると小さな港にひしめき合っていた漁船は皆出港したあと、出払って空になった港には数羽のかもめがキョトンとしているだけです。そして間近にこんなにも間近に伊豆大島が 迫るように手が届くほどに見えるのです。

さて、千葉県最南端に位置する野島崎は昔、元禄時代の大地震により隆起した場所であって野島も今では陸続きの野島崎となっているのです。

海岸から眺めるとその地殻変動によって形成された海岸段丘は太平洋の波浪に侵食されながらも大海原に向かって牙をむく狼のような表情が実に魅力的です。

次回の更新は(スキー・ヨーロッパ遠征のため) 4月 6日となります


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No.145  「九十九島」  '14.  2. 1 up 価格   12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)クレパス
台風一過の昨秋、九州は天草、長崎、佐世保など予定していた写生旅行を実施しました。

しばらく前まではいくつもの台風がパチンコ玉のように来襲していましたが最後が行ったあとは比較的安定した天気が続いて楽しく過ごしてきました。

長崎から佐世保に行く途中で電車からとてつもない外国の都市が出現して驚きましたがそれはハウステンボスとすぐに気がつきました。

しかし私にはそこに立ち寄る計画はありませんでしたので車窓から眺めるだけにとどめました。


佐世保はインターネットで地形や見所など十分に調べてありましたので予約したレンタカーで目指す場所まで一気に行くことができました。

山有り、谷有り・・・しかも海に面していますのでそれは複雑な入江を作り漁場やまた軍港、船舶工業など様々な分野に優れた機能を有していました。

いわゆる九十九島風景・・・を求めたところアリャリャ・・、恰好の見晴らし景色がものすごく限定されているのです。

観光としては見晴らし台を作ってその島々を望める設備はしてあるのですが、絵かきとしてはもう少し別のアングルを求めたい気もいたします。

しかしながらそれがかなう場所が限られるのです。レストランのテラスやホテルの屋上など様々な所からでしか見渡すことができないのです。

小高い道路脇から望もうにも鬱蒼とした木が生い茂り、荒地にはツタ類が蔓延って視界が開けないのです。

今度ここに行くとしたら観光名所ではない佐世保、沢山の魅力的な素顔が随所にあるのです。

次回の更新は 3月 1日です


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成 2 6 年 ( 2 0 1 4 )

新年明けましてお でとうござい ます

本年もよろしくお願 いいたします


〜 不肖、わたくし本年は六度目の「歳男」が巡ってまいりました。つまり72才を迎えるということになります。

お正月早々に絵についての講釈を述べる気持ちはございませんが、富士山の絵を描いたのは相当久しぶりのことでございます。              我が家は読売新聞を購買していますがこの社は余計なことにこの一年間、「読者に巨匠の描く富士山を毎月お届けする」と。              私が小学校以来こんな難しい富士山の絵に挑戦したのはひとえに文化遺産登録にミーハー的発想にほかならない事であって              まさか巨匠たちの描いた富士の絵の先に私ごときの富士山が並べられて皆様にご覧いただかれるとは夢にも思いませんでした。              歳は重ねてもまだ自分の立ち位置を自覚できません、本年も宜しくお付き合いのほどお願いいたします。
     〜〜*


No.144  「河口湖・富士」  '14. 1. 1 up 価格  100,000 円 (額縁付き送料込み)
           (46 x 53 cm)油彩
次回の更新は 2月 1日です


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No.143  「大江天主堂」  '13. 12. 1 up 価格   12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)クレヨン
今年はなぜか次々と・・つまり一週間に一つづつの割合で台風が日本列島を襲い私の旅行計画も延びのびになってしまいました。

ようやく台風も来なくなったと胸をなでおろし、電車や航空機の切符の手配、宿泊先の宿の手配をして新幹線を乗り継いで九州・熊本にたどり着きました。

リムジンバスで熊本空港、そこから空路天草空港まで・・と思っていた矢先、天皇陛下御行幸で空港までいけません。タクシーなら何とかかわせるかも・・、結局高いお金を出して 空港のゲートを入って荷物検査ブースに駆け込みました。

可愛いプロペラ機は眼下の天草5橋上空をひと飛びして初めての地、天草空港に到着しました。ここに予約しておいたレンタカーを準備してもらって出発です。


天草は熊本県・・・実はつい先年まで長崎県だとばかり思い込んでいましたが実に大きな島でしかも長崎に近い、上島と海峡わずか100mにも満たない海によって隔てられた 下島とに分かれていますがそこは橋によって結ばれています。

天草市の中心部からひたすら山を越えて大げさに言えば東シナ海側に入ると沢山の入江があって人目を偲ぶように教会の建物が目に付くのです。

1566年に領主がキリスト教の布教を許したものの100年後には江戸幕府の禁教令により天草の乱となったがこの地にとっては遠いよその国での出来事のようなこと であったんでしょう。しかしいずれは隠れキリシタンという汚名は拭いきれませんでした。

布教の300年後、明治25年の信教の自由が認められて60年後1933年にこの天主堂が建造され今日に至っています。

世界の遺跡の中でもとりわけどこのものも宗教に支えられた人の作り出す物の見事さはここでも変わりありません。

当時の交通の主をなした海からも隔てられた山の中腹にこれだけの巨大聖堂を建立させる人のエネルギーの偉大さに圧倒されました。

次回の更新は 1月 1日です


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No.142  「雪国の夏」  '13. 11. 1 up 価格  100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)油彩
頭の中がどうにかなってしまったんではないかというくらい引切りなしに蝉の声が鳴き叫んでいます。その鳴き声は川のせせらぎの音も圧倒される勢いです。

私が初めてこの地を訪れたのは厳寒期の冬真っ只中でした。時折吹きすさぶ風に視界もさえぎられその風嵐が通り過ぎると全く無音の静寂さが戻り人恋しくなるところでした。


さほどに雪国の山村は夏と冬の顔が人違いするくらいに違った世界に見えるのです。

雪にすっぽりと埋もれた民家の佇まいはそれなりの風情があって郷愁を誘われます。引き換え夏のその民家の無様な格好は例えが悪いですがまるで歯槽膿漏にかかった 前歯のように見えるのです。

建物のバランスは私たち長い習慣からしてその安定感は平地対高さによってこれくらいの比・・・と思っているのです。しかしそこの民家も私たちの習慣的常識をはるかに超えた 比率で実在するのです。


そもそも絵画とは、写実や具象に限らずいくら頑張ってみても平面構成の中でいかに立体的にそして奥行を感じさせて描けるかがポイントでしょう。それとても目の不自由な方が 手でなぞらえたところで立体・・3次元の空間表現を超えることはできないのです。

恐らく私たちは視覚によって多くのものの概念を頭の中に準備しておいてそれと現視点との相違の一致するところで物事の判断をしていることなのでしょう。

この絵は一応筆を置くまでにかなりの時間がかかりました。作者本人がこの風景に馴染むのに時間がかかりました。ましてやこの絵を見せられた方々の戸惑いもわかります。

私は皆さんよりいち早くこの風景に違和感なく接することができるようになりました。あと1ヶ月もすればこの大地には2mを越す雪が積もってくるのです。そう想って見ると殊更 「これでいいのだ・・・」と思うようになるのです。

新しいOSによるパソコンを使い始めたとき、昨日見たwebサイトが今日はどうなっているんだろうと又アクセスしたところ昨日と同じ画面を出しやがる、最近のパソコンはズルイ!。 もう一度そこに行って自分で検索してくることもせずに昨日のデータを白々として「どうぞ・・」なんて画面に出します、全く人を馬鹿にしています。

次回の更新は 12月 1日です


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No.141  「霧ヶ峰・湿原」  '13. 10. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)クレヨン
今年の夏は厳しかった・・・って去年の夏の終わりにも言ってたような気がします。とにかくあのニックキ夏は終わりました。

実は夏が憎いわけではありません、住んでいる場所が夏に対して対応していないだけです。ですから東京も標高1500mくらいあればもっと夏が好きになるはずです。


それは無理・・という方は私のように標高1500mで夏を過ごせばいい話です。ここは長野県の霧ヶ峰高原、1500〜2000mのなだらかな起伏の中に存在する高原です。

ビーナスラインという山岳道路があってほぼその中間点に位置するのが霧ヶ峰です。近年、蓼科、白樺などは喧騒なリゾート地と化してしまってむしろ開発から取り残された感のある こちらの方が落ち着いた避暑が楽しめるというもんです。

お風呂や買い物は車で30分ほどで諏訪市街地に降りて・・・つまり通うことによって地の利と穏やかな時間の共有が可能となる場所で過ごしました。

霧ヶ峰には天然記念登録された三つの高原湿原植物群落というものがあります。ひとつは「八島ヶ原湿原」そして「車山湿原」いずれもビーナスライン沿いと言う立地に恵まれて かなりの賑わいを見ることができます。

そのビーナスラインから外れてひっそりと佇むのは「踊り場湿原」。こんな名前は何時付けられたんでしょう、私の子供の頃は「池のくるみ」と呼ばれていました。

子供の頃私の実家からでもよく歩いて登ってきた記憶があります。ここには実家のお隣さんが「五千尺山荘」の山小屋を経営していて冬にはよく泊まりに来て右手の斜面でスキーをした 思い出があります。

今日はちょうどバックの正面に蓼科山が穏やかな表情で佇んで見えます。

次回の更新は 11月 1日です


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