Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.131〜140 を掲載しています

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No.140  「富士・西湖」  '13. 9. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)
夏本番!、の掛け声に誘われてスケッチ用品を抱えて飛び出しました。しかしそこは大自然の巡り会わせ、標高のある富士山は中々安定した天気にならず幾日も雲の中に隠れて 姿を現してくれません。

一方、周囲の山々はその外輪山にしても高々千5〜600mの標高でしかありません。こちらは何れも勇壮な山容を惜しみなくさらけ出してくれるのでした。

富士山の写生をあきらめて河口湖から西湖に入るともうここから富士を望むロケーションではありません。比較的視界の開ける山中湖や河口湖と違って神秘性のある湖です。


ことに富士を背にする対岸から湖を眺めると改めて富士山のスケールの大きさがわかるのです。この湖の対岸に臨む山々はいわば外輪山として存在するのです。

右手奥には毛無し山(標高1642m)、金山(1670m)と重なるように見えその稜線を左になぞっていくと鬼ケ岳(1681m)、雪頭ケ岳(1688m)が見渡せます。

その両峰を中腹まで目を転じるとまるで古には氷河でもあったかのようなカール状の大地を形成しそこから一気に湖へとなだれ落ちる地形は圧巻です。

こうして山と対峙し、そしてこの地形が形造られた天地創造の歴史を思い描くとき、壮大なエネルギーが働いてそして落ち着いた現在を不思議に感じるのです。

ここから見る対岸の湖の岸辺には色とりどりのパラソルが開き子供たちの歓声も聞こえてきます。その楽園も何か大きな自然の懐の偉大さのなかに温かく包まれているのです。

次回の更新は 10月 1日です


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No.139  「見沼弁財天」  '13. 8. 1 up 価格  80,000 円 (額縁付き送料込み)

          (32 x 41 cm)
私の遊び場・・・イエ、体力作りのため日頃鍛えているサイクリングコースに見沼用水沿い・・と言うコースがあります。ご丁寧に東縁、西縁のふた筋あって気分により走り分けできます。

お陰さまで夏の暑い時期はその川沿いの土手は桜の並木になっていて厳しい陽ざしを避けて木陰を走ることができます。我が家から往復ないしは周回すると25〜30kmと手軽です。

ついでに寒い時期には陽ざしが燦々の芝川土手から荒川河川敷で葛西臨海公園往復80km、いずれも車など危ないものとの接触の危険性の少ないコースの至近と言うことで満足です。


さて今回の絵の題材は見沼用水東縁、さいたま市見沼区の北、間もなく東武野田線の七里になろうかと言う所です。

この絵をご覧になった方は恐らく私が初めてこの風景に出合った感想とさほど変わらないと信じています。稲穂がそろそろこうべを垂れようかと言う郊外に広がる豊かな田園の中にその真っ赤な 祠は「どうしてこんな所に・・・?」と違和感を強く感じたからです。

的確なたとえが浮かびませんが食べ物でもとんでもないものを口にしてマイッタ!と言う経験があります。もう二度と・・と思っていたのに妙に懐かしさを覚え、気が付いたらやみつきだ〜ってこと。

そんな風景がここ見沼田んぼの「見沼弁財天」なのです。今では私にとって心和む風景、毒々しいまっカッカの赤は実に爽やかで周囲の緑色に孤高にあらがって勇気付けてくれます。

そう想って見ていただくと何となくひ弱な老人がヒイヒイ言いながら走る姿に似ていると思いませんか。

次回の更新は 9月 1日です


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No.138  「蓮花めぐり」  '13. 7. 1 up 価格 150,000 円 (額縁付き送料込み)

          (65.5 x 91 cm)
昨年の7月、全国的にも猛暑で名だたる名所・・?の一つに数えられている群馬県の館林を訪れました。

人間は高度に鍛えられた精神のもとでは「・・・火もまた涼し・・」と肉体的苦痛を凌駕するほどの強い思考によって極楽浄土を体現することが出来ると言われます。


東武電車に乗って館林駅までは我が家からさほどの距離も感じられない程の時間で到着しました。駅前に出ると人気のない広場は強烈な真夏の陽射しで思わず脳天に一撃くらった目眩に似た 幻覚を覚えるほどでした。

1時間ほど待てば蓮の花の咲く群落へ行くバスが出ると時刻表に書いてありましたが、ついつい私の意思に反して軟弱な右手は冷房の利いたタクシーにオイデ・・をしてしまいました。

館林市・城沼公園、ここは蓮の花咲く沼の中をボートの中から鑑賞できることで有名な場所と聞いていました。到着すると15人ほど乗れる船外機付きの小さな舟があり乗り場にはすでに大勢の 老人たち先客が待ち構えていました。あっ、おれも老人だったわい。交互に出航する舟の三順目にはどうやら乗りこむことが出来ました。

沼を吹き渡る風に今までの吹き出した汗もひんやりとして引っ込んでしまいました。そしていよいよ蓮の花群生地に舟は静かに進入して行きます。昨年の日記でその様子の動画は御紹介 しましたがまだご覧になっていない方はこちらからお楽しみください。(1分57秒)

さて、陸に上がりそして更に周囲の散策路をめぐるうちこの絵の構想はほぼ完成していました。すると急にお腹の空いている事に気が付き、老舗の川魚料理店ののれんをくぐりました。

キリ!っと冷えた冷酒がのど越しに潤いを与えてくれます。鰻は高価なので鯰のかば焼きを頂きました、しかしこれが「ああ、貧乏人でよかった!」という美味さ・・・。

次回の更新は 8月 1日です


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No.137  「四万十川の沈下橋」  '13. 6. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)
この所、四国写生旅行の絵が続いています。No.131「瀬戸大橋」、No.132「足摺岬」、No.133「瀬戸の島々」、No.136「宇和島湊」、そして今回は「四万十川の沈下橋」

実は「足摺岬」が「宇和島湊」の次に来て「・・沈下橋」となれば旅の順番からすると良かったですが若干順不同になってしまいました。


宇和島みかん・・・、さぞかし街を取り囲む山々の段々畑にはミカン畑があって・・・、それは期待外れ。大きな工業都市宇和島市でありました、しかし少しではありましたが宇和島市を後にして くろしお鉄道が山間部に入りかけた頃見事なミカンの段々畑を目にする事が出来ました。

二両編成のくろしお鉄道は山間部をノコノコと進みやがてゆったりと流れる川辺の縁を利用して進みます。そして暫くすると「・・・?、あれって沈下橋・・?」そして改めてその川は日本最後の 清流・四万十川だと気付きました。

もちろん高知県を訪れた目的の一つは足摺岬の写生もありましたがこの川を散策することも念頭に入っていました。岬を写生した翌日、さっそく川ぷちを上流めざしてレンタカーを走らせました。

川の両岸は一般道とは離れています。その川ぷちの道は点在する農家の生活道路ですが車のすれ違いもままならない程狭いのです。そして沈下橋はやけに細く長くて対岸にこちらに 向かう車の無いことを確認し進みますが欄干も何もないコンクリート板が並べてあるだけ、脚のすくむような橋なのです。

四万十川は水量も豊富で屋形船の舟運もあってどこか現代離れしたのどかな日本の原風景に触れてきた感じがしました。

次回の更新は 7月 1日です


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No.136  「宇和島湊」  '13. 5. 1 up 価格 100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)
ウワジマ・・・宇和島・・・みかん・・・どうにもこうにも思いあたるキーワードの乏しい事に呆れてしまいます。

初めての四国への電車の旅二日目は三豊市から松山を経て宇和島まで予讃線の予定です。とうぜん伊予・向井原から風光明美な海岸線を電車は走ってくれるとばかり思っていました。

どうやら予讃線も期待外れの内陸線のようで幾つもの真っ暗なトンネルを越えて宇和島市に到着しましたが方向が全く判りません。その日は宿に着くなり駅と宿・・従って・・宇和島港は あっちの方角だろうと見当を付けました。


タクシーの運転手さんも「お客さん、そんなところから港は見えないと思いますが・・?」と不安げな様子です。こちらの方がもっと不安が募ります。でもgoogle-mapのビューポイントでは確かに 望んだ風景があるはずと気を引き締めて車を降りました。

目的の保手公園から・・・、もう何年も手入れをしていない公園周囲の垣根はすっかり港を見下ろせる風景の視界を遮っています。無理やり垣根の隙間から潜り出すと湊が眼下に静かに広がります。

正面の島は本九島、標高は320mほどの段々畑は柑橘類などの果樹園が盛んといいます人口は450世帯、1100余人が漁業や養殖などで暮らしていると言います。

この絵の場所は宇和島港の工業的雰囲気から離れた穏やかな湊で養殖いかだや係留されたプレジャー・ボートがそれなりに活気を醸し出していました。

次回の更新は 6月 1日です


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東京駅

No135  「東京駅」  '13. 4. 1 up 価格 12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (38 x 45 cm)
昨年10月、東京駅復元工事が完成しました。1914年竣工のこの赤レンガ駅舎は1945年の東京大空襲でほぼ半壊となり2年後には応急復旧工事したものの60年間に亘って 日本の表玄関口として使われ続けてきました。

そしてついに2012年10月、約500億円の資金をつぎ込んで復元完成にたどり着きました。その60年の間に交通機関のめざましい発展、その中にあってその駅舎自体の存続も幾度か論議 されてきました。しかし多くの赤レンガによる復元工事希望の声がついに日本のあらゆる技術を駆使し免振と合理性を融合させた新駅舎として復元完成にこぎつけました。

それから約半年、連日熱狂的な観覧希望者の波もようやく下火になって平穏な駅舎を見ることが出来る環境が出てきました。

勿論のこと平日にあってはビジネス街の中心でありこの広い歩道も慌ただしい人々の往来であふれかえる事でしょう。落ち着いた休日を選んでスケッチブックを抱えて出かけました。

僅かに観光客も認められますが静かで威厳のある東京駅舎と対峙することが出来ました。

ときに春の嵐は理不尽です。突然の突風と砂嵐により浮かれた写生気分もアッというまに蹴散らされてしまいましたがひと時の楽しかった気持ちは大事に持ち帰ることが出来ました。

東京駅前からタクシーに乗りました。あれ!?、運転手さんが降りてきてドアーを開けてくれました。そうです東京駅では車道側のドアーから乗り降りするので自動ではありません。運転手さん曰く 「天皇陛下が東京駅舎で車を乗り降りする時こちらのドアーから出入りするのです・・」・・・#♪♪♪

次回の更新は 5月 1日です


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妙義・金鶏山

No134  「妙義・金鶏山」  '13. 3. 1 up 価格 100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)
妙義山はNo127 にも白雲山として登場しました。上信越道を藤岡から佐久までのあいだ直線で結ぶと富岡から軽井沢までのその間は大きく右から迂回しなくてはなりません。

幾つもの山塊・・・そこが妙義山塊なのです。ついこの間まで地球の地殻変動が続いていたかのように荒々しい山様は高速道を走っていても目をみはるばかりです。

周囲の穏やかな山並みに比べるとひと際大きな巨岩を頂に乗せたような山々や切り立った絶壁には見る者を圧倒するような迫力を感じ運転する車のハンドル裁きもおぼつかなくさせます。

山の生い立ち・・・的に見てみるとこの金鶏山は確かに岩や絶壁を有しながらも最早その山様は風化が進み所どころになだらかな傾斜を作りながら樹木を育ていずれは穏やかな山となる途上でしょう。

金鶏山・・、標高は7〜800mと決して高い山ではありませんがもともとこの下仁田付近の標高も2〜300mしかありませんので際立った表情を見せてくれます。

この山自体岩石がもろく崩れやすいため入山禁止となっていますが後ろにそびえ1100mを越える妙義主峰をはじめ白雲山、相馬岳、星穴岳、金洞山などは今でも魅力的な岩場として 親しまれています。

私としてはいわゆる”表妙義”付近をウロウロしたにすぎません。本当の妙義山の醍醐味は”裏妙義”にあると言われます。これからも幾度となく足を運ぶことになる事でしょう。

次回の更新は 4月 1日です


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瀬戸の島々

No133  「瀬戸の島々」  '13. 2. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
瀬戸に浮かぶたくさんの島々を見たい・・・、と想った時さてどこから眺めたら満足いくだろうかと考えました。

当然陸地の近くから多くの島々が重なるように見える所・・と考えましたが実は、そう言った地の利こそ本四架橋を掛けるのに絶好地なのです。島々が自然のまま重なり合って見える場所って どこにあるんでしょう。

出かける前に四国の地図をあちこちから眺めまわし、と同時に旅行の日程との兼ね合いをめぐらして決定した「瀬戸の島々」は香川県西部の瀬戸内に突き出た岬に行こうと決めました。

しかし列車の旅で途中、岬めぐりをしようとした時どうしても無理がでます。岬の根元で一泊すること、そしてレンタカーを借りて岬の山頂に登る必要を感じました。

予讃線、三豊市のレンタカーはあらかじめ予約しておきました。細い道をカーナビを頼りにその頂である”紫雲出山”に登りました。結構急峻な山の頂には古代の人類の居住跡や巨石文化跡 などがあって興味をひきました。

その山頂からの眺めがここに紹介する「瀬戸の島々」です。正面に「粟島」右に「高見島」左に「佐柳島」その左奥「北木島群」真ん中奥に「手島など」右奥に「広島」

正面雲の下は岡山県倉敷市の工業地帯でしょう。堪能、堪能、大満足の景色でした、午後2時に車を返し特急”宇和海号”に飛び乗り夕方愛媛県宇和島市に投宿しました。

次回の更新は 2月 1日です


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高知県・足摺岬

No132  「高知県・足摺岬」  '13.  1. 1 up 価格 100、000 円(額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)


 新年明けましておめでとうございます

四国最南端に位置する足摺岬から新年のご挨拶を申し上げます。

最南端ということは陸地のどこから見てもお日さまの光は逆光で全てのものにその光を均等に分け与えてくれるようです。


すでにご存じのように私は11月の初め生れて初めて四国の地に足を踏み入れました。ちょうど150年前、坂本竜馬は26歳の時土佐藩を脱藩し愛媛県を経て本土を目指しました。

幸三郎、70歳にして愛媛県から竜馬の足跡とは逆に土佐藩へ・・イヤ高知県入りしました。日本で最後の清流と言われる四万十川をはじめ美しい山々や壮大な太平洋の自然に恵まれた地を 目の当たりにした時、この地球・・・、世界観をひしひしと身にしみた次第でした。しまった、もっと若く26歳の時この風景に浸ることが出来ていたら・・・更に大きな人生感を持って歩んでいたかもと。


しかし高知県滞在の二日間、土地の名物のカツオのたたきやウナギ料理にすっかり目を奪われて土佐を後にする頃にはすっかり元の凡人になり下がってしまいました。

絵は素晴らしいものです。今でもこうして眺めているとあのときの感動が再び蘇って来るのです。今年こそ善い絵が描けますように・・・

次回の更新は 2月 1日です


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瀬戸大橋

No131  「瀬戸大橋」  '12. 12. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
毎年恒例になりました秋の写生旅行ですが今年は四国へ・・と計画しました。

この年になるまでまだ一度も四国の地を踏んだことが無かったこと、瀬戸内海に浮かぶ島々をじっくり眺めてみたかった事ほかいろんな想いが四国行きを決めた理由でした。

夜行列車は若い時以来利用する機会に恵まれませんでした。しかしつい先だってもJR青春切符企画利用の際、期間限定ではありましたがサンライズ越後号を利用したばかりでした。 そして今回も一週間分の列車の時刻、途中下車の場所、乗り換えなど全ての切符を手配した上での出発となりました。

今回は毎週々末に東京ー高松or出雲のサンライズ号がありましたのでそれを利用することになりました。朝7時過ぎに岡山県、児島の駅で途中下車しました。憧れてやっと渡る島々を寝ている 間に通過してしまっては悔やんでも悔やみきれません。

あいにくの雨模様でしたが還って他の観光客が居なくてそのうえどこにいっても親切なサービスを享受できて助かりました。現にこの絵を描く場所も普段では叶わなかったでしょうが雨の掛からない 軒先にテーブルを出してくれての接待でした。昼食で注文したカレーは渦潮カレー、瀬戸内の嬉しい洗礼です。

こうして山の展望台から静かな瀬戸内の行き交う船をみていると思わず「ああ〜、あそこをモーターボートでスラローム滑走してみた〜い!」とおもうのでした。

午後には薄日も差して来てこれから渡る四国の山並みが遠くに霞んで見えます。やおら立ち上がっていよいよ大橋を列車で渡って四国入りです、乗り換え駅の香川県・坂出をはじめ各列車の 発車ベル音はすべて♪せとは、ひぐれて・・・と旅情を誘ってくれます。

次回の更新は 1月 1日です


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