Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.121〜130 を掲載しています

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甲斐駒ケ岳への道

No130  「甲斐駒ケ岳への道」  '12. 11. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
わたしは実家への往き帰りJR中央本線小淵沢付近まで来ると必ず読みかけの本から眼を転じて”甲斐駒ケ岳”の雄姿にしばしうっとりと魅入ってしまいます。

ですから天気さえ良ければ往復年間20回余もその雄姿を車窓から目撃しているのです。しかしその孤高なる峯はいつもその姿を見せてくれるとは限らないのです。

甲斐駒ケ岳は山梨県と長野県の県境南アルプス国立公園にあって赤石山脈の北端にある標高2976m日本百名山に数えられる名峰です。


たとえ有名な登山家が世界の名峰を極めたとしても天気の運不運はどうしても付きまといます。たとえ初登頂したとしても全くの視界不良・・なんてよくある話です。

世界有数の画家、幸三郎がせっかく絵にしようと車で泊まり掛けで訪れた時もその名峰は恥じらいを見せて姿を見せることはありませんでした。

おそらくこんな美人は毎日見ているとすぐに飽きてくるんではないでしょうか。なかなか勿体ぶって見せてくれない所に魅力があるのかもしれません。

あっ・・・・、ついつい人生経験を述べてしまったりなんかして・・。

次回の更新は 12月 1日です


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隠遁・妙高山

No129  「隠遁・妙高山」  '12. 10. 1 up 価格 100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)
10月の声を聞くと私にとっては冬の準備怠りなく・・・という気が一段と感じられてしょうがありません。たとえば今年の”冬”というのは後先にもこの冬しかないのです。

昨年の冬のことをあれこれ巡らしてみてももうその冬は手の届かない所に行ってしまっています。来年の冬は果してめぐって来るだろうか・・補償はありません。やはり今年の冬に対する 思い入れは強まるばかりです。

人が自然と対峙した時如何に余裕を持って自然の脅威のなかに身を置く事ができるか、それはその置かれた自然の環境をどれほど自分が理解し先の状況を予測することができるかによって 大きく変わります。余裕が大きければ大きいほど人間の行動は的確で大胆な行動ができると考えるのです。


話が長くなりました。昨年初めて妙高山でのスキー大会に出場しました。天候は二日間吹雪、結果は大回転、スラローム共に惨憺たる結果でありました。

この大会のこのバーンは果してこの山のどこで行われていて山全体としてはどの程度の斜度があって・・・という読みが見えない。実力も目先のことに追われて身体を投げ出す勇気も湧かない。

雪解けを待ってこの妙高山付近を3日間歩き回って調べました。まだ天候も安定した季節ではありませんでしたがその山の全容を捉える事ができました。

な〜んだ、麓から見るとスタート付近があそこでゴールがここか・・、こうしてコースを掌握することは100辺の練習にも匹敵する強さが持てます。

カッコウの歌声が風に乗って響き渡ります、とてもさわやかで心地いい高原でした。

次回の更新は 11月 1日です


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lodge NorthStar

No128  「lodge NorthStar」  '12. 9. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
年を取ってきたせいなのか年々夏の暑さがきつく感じられるようになりました。まあ、寒いのは厚着すれば済むことですし、ことに防寒着の発達は目ざましく”発熱下着”など科学の進歩の恩恵に たっぷりとあずかっています。

しかし暑さについてはどうでしょう農家のお年寄りが野菜のハウス栽培の中で熱中症で亡くなられた・・・、なんて言うニュースを聞くたびに人類が宇宙に出て活躍する時代にそれはないだろう・・・と悲哀にくれます。

暑さでしおれた畑のキュウリを見るたびにこいつら高原の爽やかなところで育っていればもっと瑞々しく育つのにな〜・・・と、年寄りだってもっと瑞々しくなれる筈だ。


そんな訳で日本年金機構に夏季・特別有給休暇を申請して長野県の乗鞍高原に涼を求めてしばし移住しました。

朝の散歩、日中の林道のサイクリング、山にも挑戦し、そして木陰で読書(・・うたた寝)をし、そしてせせらぎの湯で乳白色の湯に浸ってまた英気を養うことでホントウに瑞々しく生き返りました。

そうそう、乗鞍高原の朝の散歩道では豊かな自然の中に融け込むような質素ではありますが慎ましやかなロッジがそこここに点在しています。そんなロッジのうちの一つ、絵にしてみました。

そうなんです、たまにはこうして絵も描いたりなんかしたんです。やく10日間の夏の乗鞍高原はあっという間に過ぎ去さりました。しかし残暑の都会に戻って絵を見るたび爽やかな高原の空気 の余韻は失われることはありません。

次回の更新は 10月 1日です


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妙義(白雲山)

No127  「妙義(白雲山)」  '12. 8. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
スキーの大会やあるいはレジャーの為に車で高速道路を利用することがたびたびあります。その名の通り急いで目的地に到達する手段として高速道路の恩恵は欠かせません。そして のんびりと旅を楽しみ風光明美な空気に浸るための移動手段は一般道路・・・と言うのが定説のようです。

ところがです、その移動手段の高速道路でも時として事業者(道路公団)からしてみれば折角苦労して難関工事の末完成した道路、通行する多くの利用者にもこの素晴らしい絶景を是非 堪能して欲しい・・・と願うのは当然でしょう。そんな所が何箇所かあるのです、しかも安全のために目隠しするのではなく速度を抑えて暫し景観を楽しんでください・・と。

ここは上信越道、下仁田ICを過ぎ浅間に向け付近はいよいよ険しい山並みが迫ってきます。間もなく視界の開けた左手に迫力ある山塊が目に飛び込んできます、妙義山塊・・・ここで絵を 描きたい!


こうして後日その場所を訪れたのです。「ここで・・下ろしてくれ・・!」そうは問屋がおろしません。(これ、ダジャレのつもり・・)やむなく次のインター松井田妙義で降りて一般道をもどります。

谷を挟んで山から山へつり橋のような構造の高速道路、どっちの山に登って見ても脇道がありません。同じ目線の風景は高速道路以外にはありえないのです。

ジダンダ踏んでついに車を麓に止めて藪を掻きわけて同じ目線を求めましたがまことに残念、鬱そうと繁るスギ林の中では視界がありません。どうやらこの道路、両側からいわゆる”猿のかけ橋” 式に作られた橋なんでしょう、土木技術の水準の高さに脱帽してしまいました。

橋げたの下にできた日陰でお茶を呑みおにぎりを頬張っていると・・・、ホウ・・・こうしてジッとして見ていると中々神聖な山に見えてくるではないですか。

次回の更新は 9月 1日です


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信越の山々(妙高、黒姫、飯縄)

No126  「信越の山々」(妙高、黒姫、飯縄)  '12. 7. 1 up 価格  12,000 円 (額縁付き送料込み)

          (34 x 48 cm)
梅雨入り宣言の出た関東甲信越地方でした、まだ太平洋高気圧も遠慮がちに関東地方は取りあえずジメジメさせはじめたころ私は新宿から電車で中央線、塩尻から篠ノ井線、そして長野から 信越線と乗り継いで新潟県高田市にやってきました。

お目当てはこの絵にある手前の妙高山を描くことでした。今年の3月31日、4月1日にかけてここ妙高山スキー場で東京都スキー連盟公認アルペン複合大会があって参戦しました。

前日30日早目に到着した日、初めて目にした妙高山は男性的で猛々しくとても素晴らしい山に見えました。「こんな素晴らしい山があったんだ・・・」

しかし二日間に亘る大会中、降雪とガスに悩まされた大会でした。結果もみじめなもの・・・このリベンジには絵を描くことによってこの山を征してやる・・!と決意して帰途についたものでした。


6月の中旬に訪れた妙高山は既に厚化粧した冬の顔とは全く違った素顔をして迎えてくれました。しかも結構シャイ・・なのでしょうか3日間の滞在中なかなかその頂まで全身を曝してくれることは 有りませんでした。

高田の街の郊外から眺めると妙高山、黒姫山、飯縄山と仲良く並んで信越線の沿線に並んでその雄姿を見せてくれますがやはり妙高山の姿は他の山と比較にならない迫力を感じます。

もうすっかり雪も解け残された雪渓に厳しかった冬の形跡を僅かにとどめるのみでした。もう少し私に懐いて恥ずかしがらずにその全貌を見せてくれる季節になったらまた来てやろう。

国道18号線脇の休耕田には外来種のキク科の花が恥じらいも無く満開に咲いてわが世の春を演じていました。妙高山よまた来るからな・・。

次回の更新は 8月 1日です


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桜島「南風」

No125  桜島「南風」  '12. 6. 1 up 価格 100,000 円 (額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)
はじめて鹿児島を訪れたのは昨年の11月初めのことでした。このところその桜島の噴火回数が年々増して来て何時世紀の大爆発が起こるものかと気をもんでいるそうなのです。

今年に入ってからでも既に600回を超える噴火や爆発を記録しています。ちなみに1980年代の年間噴火回数は各年平均340回くらいでした、1990年代では260回、2000年代では 150回・・・とその回数は減少傾向にありました。

ところが2009年からの単年度で755回と異常な回数を記録、2010年には1026回、2011年1355回と増え続け、今年度のすでに600という数字は年度に換算すると優に1500回を 越えるのでは無いかと言うほどの活発さです。

もっとも今から約100年前の大噴火ではそれによって流れ出した溶岩により水深100m、距離にして400m離れていた大隅半島とは地続きとなった経緯があります。


文献によるとそれ以前にも幾度かの災難として桜島は噴火を繰り返しているわけですが、その度多くの犠牲者を出しながらも鹿児島の人たちはこの風光明美な景色と引き換えに 悠々と暮らし続けているわけであります。

以前にも触れましたが『ボッ!!』と言う腹にまで響き渡る爆発音におどろいて振り向くと山頂から噴煙が3000m上空まで噴き上げる様子を目の当たりにして肝を冷やしました。

しかし市内の善男善女たちは何があったの・・・?くらいにしか気を止めていませんでした。それほどに噴煙を吐く山にたいしてどうぞお好きに・・・と言わんばかりのおおらかさなのです。

こうして私も市内の高台から今でこそ眠っているその獰猛な自然を眺めているとイヤー、実に美しく気高く感じられるのです。

次回の更新は 7月 1日です


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幸三郎・古希

No124  「幸三郎・古希」  '12. 5. 1 up 価格 

          (53 x 46 cm)
4月下旬、わたしはとうとう70歳の大台を迎えました。市役所からは高齢者用の保険証も届きました、その他では市営のスポーツ施設は以前から無料で使用できますし嬉しさの半面 もう先が無いんだな・・という自覚も目覚めます。

記念と言っては何ですが久しぶりにじっくり自画像でも描いてみようか・・・と言う気になりました。3月1日から描き始めましたので2カ月の間鏡の中の虚像とじっくりと対話してきました。

とかく男って奴は自分の顔をそうじっくりと観察することはありません。大体生存に必要なパーツが揃って機能してさえすればそれで満足してしまいます、つまり実用主義ですか。

でもそういった考えは自分の顔に対するあきらめが定着してから自然に身についてきた感じがします。ざっと自画像の遍歴をたどって見ます。(それぞれの画像からは”X”では無く”戻るボタン”で戻ってください。


画学生の頃、今思うと22歳という年頃の頃は何にでも突っかかって自分を通そうとあがいていた気がした。

28歳の頃は自分の希望をこのまま突き進んでも良いんだろうか・・・絵の才能にも少し不安を感じ始めました。

結婚し、絵を描くことは趣味として続けて行こうとしましたが33歳子供の誕生、勤め先の仕事の負荷、そして長年の不摂生がたたって遂に 十二指腸潰瘍と胃の三分の二を切除する手術をしました。

このままではいけない先ず健康的な生活をすることが第一、青白い顔の私は神経に触る絵の制作から少し離れようと40歳の頃からスポーツに 力を入れて生活するようになりました。

身体も丈夫になり仕事も脂が乗って過酷なことにも精力的に取り組めるようになりました。50歳の時二十日石アルペンスキークラブの門をたたき競技スキー に首を突っ込み始めました。


もう暫くは自分の顔を見たくもありません、いつかその後10年もしたらもう少し聖人らしく好々爺な顔つきになっていてくれることを祈りながら・・・。

なお、この頁に登場する6作品はNEXTボタンのクリックで見られてもおもしろいかと・・・

次回の更新は 6月 1日です


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湖畔の街

No123  「湖畔の街」  '12. 4. 1 up 価格 80、000 円(額縁付き送料込み)

          (38 x 45.5 cm)
鮭が遥か洋上で育った後遠大な旅の果てに生まれ故郷の河川にたどり着き遡上して子孫を残しその一生を終る・・・。果てしなく脈々と受け継がれる生命の継承と私たち生き物に授かる不思議な 能力の片隅に「帰巣本能」みたいなものがあるらしい・・。

そう思うと私も近年盛んに生まれ故郷の作品が多くなったと感じなくはない・・・人生の末路か・・?なんて。

私たち人類には相当高度な感情によってそれら故郷を懐かしむという特典が与えられています。それを歌や詩に託して美しい表現でむしろその哀惜を楽しむ方向を見つけ出しています。

しかしその特典に頼りすぎる場合に置いて精神状態の不都合を認めることができると言われます。若くしてホームシックとと言う名のいわゆる懐郷病であって未来の希望を閉ざし現実からの 逃避に故郷を想うことなのでしょう。


そう考えると私の懐郷思想はむしろ健全であり人間としての情操もいわゆる安定型であり日常の生活に置いて常識的な社会生活が可能と自己判断することができそうです。

こうして山の高台から自分の故郷を眺めるといろんな想いが湧いてきます。

眼下の諏訪湖はわたしの子供のころから親しみ、スケートやボート遊びなどを通じ自身の冒険の場でもありました。

そしてこの街にはいまだ母も住み自分なりの生活をしています、そして年に何度か酒を酌み交わし親交を深めてくれる幼なじみ達も慎ましやかに暮らしています。

そう言う事を想いながら描く故郷の風景と言うのはまた格別な思い入れが湧いてくるものです。

次回の更新は 5月 1日です


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横浜開港記念館

No122  「横浜開港記念館」  '12. 3. 1 up 価格100、000 円(額縁付き送料込み)

          (46 x 53 cm)
月日の経つのは早いものです。私がまだ画学生の頃絵のモチーフとして横浜を慕い通いつめたのは半世紀も前のことでした。ようやく山下公園が整備 され始めましたが港のそれぞれの埠頭は一般人が立ち入れるほど安全ではありませんでした。

しかし日本郵船の客船として建造されるも戦時下では病院船として戦役を果たしてきた“氷川丸”がその公園に係留されることになりました。そしてシンボリックなマリンタワーの完成と共に市民と港を 親しみのある場に引き寄せた功績は大きなものであったと思います。(港の見える丘公園からマリンタワーと氷川丸を望む1962)

そう言えば横浜は間もなく開港150周年を迎えますがその半ば以前、50周年を記念して建てられたのがこの絵の題材になった”横浜市開港記念会館”と言うわけです。ですからこの建物も完成 から間もなく100年を迎えると言います。


関内駅から横浜スタジアムのわきを抜けみなと大通りを10分ほど歩くとその建物はありました。あちらこちらからと絵を描くアングルを探したところ気に入った場所は何と横浜地方裁判所正面玄関前 なのです。多くの問題を抱えた人たちの車が激しく出入りする場所なのです。

いかめしそうな門番の守衛さんもよくよく見ると同年輩の優しそうなオジサンじゃないですか。「そう、その辺だったら大丈夫ですよ・・」って、わたし同様、はなしの判るお方の許しを得て陣取りました。

途中で昼食時間になりましたがその間中、門番さんが見張っていてくれたおかげで安心してその場を離れて洋食屋さんでゆっくりしてきました。

久しぶりの横浜、少し足を延ばして昔は行けなかった倉庫街に向かいます。今ではすっかり市民の憩いの場、わたしも思わず芝生で寝っ転がって くつろいできました。

次回の更新は 4月 1日です


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外房の漁港

No121  「外房の漁港」  '12. 2. 1 up 価格 80、000 円(額縁付き送料込み)

          (45.5 x 38 cm)
No.118でご紹介した同じ港です。山もそうですが海辺の風景もその時々の天候や遭遇する気持ちの変化が作品にも大きく影響されます。

昨日までの穏やかな晴天の日には空を飛ぶトンビもゆっくりと和やかな円を描いてのどかさをいっそう強調してくれます。

一転、今朝は雲の流れも速く恐らく午後から天気も崩れるんではないでしょうか・・・、昨日のトンビも今日はせわしなく向きを変え餌となる魚影に目を凝らしている事でしょう。

そんな気配を察して舟だまりの漁船もなんとなくその表情を険しいリズムの中に置かされている様にも感じるのです。


小さな漁港です、二日もここで絵を描いていればすっかり漁村の住民みたいです。話しかけてくる人、かたわらで網の修繕をしている人、皆私と同世代の気安さで接してくれるのです。

そろそろ房総半島は花の季節を迎え観光客でにぎわう事でしょう。しかし観光バスはここまでは入ってきません、フラワーセンターやいけす料理などの食事センターのにぎわいはこことは無縁です。

トンビが急降下しました、イワシの群れがサバに追われて海面に近づいたんでしょうか。

次回の更新は 3月 1日です


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