Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.81〜90 を掲載しています

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No.90  「イン・ザ・プール」  '09. 7. 1 up 価格 80、000 円(額縁付き送料込み)

          (45.5x38cm)
私の日課の中に泳ぐ・・(水中散歩)と言うものがあります。まさしく水中散歩でありまして決して泳ぐとか競泳なるものとはケタはずれな遊覧の 境地です。

そもそも私は所謂カナヅチであります、もう10何年か前に妻が股関節の手術をしたときリハビリに”水中歩行”を強いられました。可哀そうだから 1週間に1度はお付き合いしてあげよう・・と、プールに入りました。妻は毎日、わたしは週一・・・。水中生活が永ければ長いほどその違いは歴然 としてきました、2〜3か月もすると妻はもう泳げるほどにまでなったのでした。

私は焦りました、水中で妻に体を支えてもらいながら何とか息継ぎができるようにと励みました。
死ぬような想いで25m完泳した日の帰り道、豪華な回転寿司で夕食をしたことがつい昨日のことのように思い浮かびます。

結局私の重い(比重のある)体を水にうかせるためには”スピードを付けて泳ぐ”か”浮いてくるまで待って息継ぎするか”の二通りで選択する 必要がありました。私は迷わず後者を選びました、すると浮いてくるまで待って呼吸すると3ストローク目で呼吸することになりました。

つまり、呼吸は右ローリングで一呼吸、次の次の左ローリングで一呼吸、右、左、・・・という長距離ジョギング泳法になってしまったのです。


以来、わたしはプールでは何時も孤独です。他のスポーツではお友達が沢山いて楽しい話題も広がりますが水中ではひたすら泳ぎ続けます、係員 の笛の合図があるまでは・・。今日もこうして孤独に約2000mほど泳いでいます。レーンの向こうには水泳クラブの女性たちの水煙があがり呼吸する たびに歓声も聞こえてきます。

こうして水中ジョギングをしながら眺めているとアノ女性たちがまるで陸上生物の時とはとても想像も出来ないほど水の中では美しく見えるのです。 引き締まったバディー、洗練されたシェープアップ・スタイル、水圧・・って相当なものなんですね!?。

次回の更新は 8月 1日です


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No.89  「保田風景」  '09. 6. 1 up 価格 80、000 円(額縁付き送料込み)

          (45.5x38cm)
房総半島、内房浜金谷と保田を仕切るように鋸山がそびえます。

標高はわずか330mほどではありますが周囲にさえぎるものが無いためそこからの眺望は素晴らしく金谷側にはロープウェーも敷設され観光地 ともなっています。

江戸時代にはすぐれた建築資材として房州石の名で舟運を利用して江戸の市場まで盛んに運び出されていたようでした。そしてその石を切り出し、 露出した山肌が海から見るとまるでのこぎりの歯のように見える事から”鋸山”と言われます。

わたしは青春期、幾度となく訪れて周辺の風景は写生していましたが”眺望”は絶対に絵にすることは出来ない・・。と思っていました。

それは房総風景に対する私の思い入れがありあまりにも強くそれを破って絵にすることが出来ませんでした。


今こうして時間に余裕が出来てふたたび房州を訪れたときすっかりこだわりの呪縛から解放された自分に気が付きました。

内房の海は今日も静かでおだやかな海岸線が間もなく始まる夏のシーズンを待っているようです。

次回の更新は 7月 1日です


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No.88  「ある日」  '09. 5. 1 up 価格

          (40.5x32cm)
あれから間もなく1年がたちます。

あまりにも薄情かも知れませんが逝ってしまった人の事より「幻のようにはかない世」に残されたものとしてどういう生きかたをすることが大切 なんだろうか・・考える事があります。

妻と一緒になって35年、このような別れになろうとは思ってもみなかったことです。恐らく誰でもそうではありますが「いつかその時がくる・・」 と思ってはいますが実際には現実を目の当たりにして見ないことには実感がわきません。

その間は瞬く間のようでもあり、何時までも余韻となって永く悔いとなって残る事もあります。楽しかったことと辛かったことは半々であったでしょうか 。

暮らす日が充実している日は思い出すことも光り輝くような想い出に満ちます。そしてそうでなかった日はその反対の想いしか浮かびません。


しからば日々、一人でなくては出来ないことにまい進してみよう・・、そうすることで光り輝く想い出が蘇ってくるような気がいたします。

これからも5月と言う月が私にとって新たな年の出発のような気持ちを創出する原点になってくれるような・・。

次回の更新は 6月 1日です


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No.87  「横臥裸婦」  '09. 4. 1 up 価格 ¥ 120,000 (額縁付き送料込み)

          (91x73cm)
以前にも裸婦の絵を掲載したときに述べたことがありますが画家も必死ですがモデルさんもかなり必死になって頂かないと絵にすることは 大変難しいことです。

画学生のときはひたすら対象を忠実に描けるよう勉強を重ねその成果として人体の骨格と体のバランスを保つ要素を見つけ出す訓練を しました。

それと同時に瞬時の動きや動作を脳裏に焼きつけその記憶ですばやい動きの表現を可能にしたりすることができるよう勉強します。

そのために私たちはわずかな時間でモデルさんの体の動きを素早くクロッキーという勉強で訓練します。必要最低限の線や 単純化されたフォルムにより表現していくうちに内面的なものも表現できるようになって来るのです。


さて、その内面的なこと・・って、それは勿論そのものの持つ美しさであったり哀れみ、悲しみ、喜び、ひいては思想的なことなど・・ 花や風景を書く気持ちとまったく変わらないことなんです・・が、その大部分は恐らく作家自身の人生経験、つまり情緒の養い方そのものであり 人物画についてもモデルさんとの気持ちのつながりから生まれてくる共同作業と思っています。


camera-eyeの画像は1960代後半頃の作、画家・安住孝史氏の教室風景から引用させていただきました。


2014年9月1日、画家・安住孝史氏の鉛筆画文集なるものが出版され「東京・昭和のおもかげ」と題しまして100点余もの作品が並べられていました。

その中に寛永寺坂美術研究所・恐らく1967〜8年・・ころの美術研究所での作画風景で私が中央で大きなキャンバスに真剣に取り組んでいる様子が描かれているのです。

この横臥裸婦のサイズはF・30号、モデルさんの横たわるシーツの柄も同じ、正しくその時に彼は私を含めたアトリエ全体の空気を描いていたのでした。

次回の更新は 5月 1日です


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No.86  「春の使者」  '09. 3. 1 up 価格 ¥ 80,000 (額縁付き送料込み)

          (38x45.5cm)
いつも行くスーパーのお店の入口の花屋さんもこの時期沢山の花が並ぶようになりました。

手ごろな値段で買える花はやはり季節ものの花です。私の絵の材料に・・と、妻の仏前にとたくさん買っても大変安くなりました。

アトリエは冬の間結構ストーブの薪を焚き続けますので一日中比較的室温が高くなります。この時期花を永く持たせるためには極力室温を低く保つ 必要があります。

花の写生をする時には厚着をして寒さをこらえひたすら忍耐が要求されます。たびたび内燃機関に保温の燃料を補給することも必要です。


約2週間のうちアトリエの絵が完成する間、リビングにある妻の仏壇に供えた花はほぼ朽ちてしまいました。春の花はそれほどに愛でる人の環境に 厳しさを要求します。

しかし、わたしが写し取った春の使者の躍動はこのキャンバスにしっかりと刻みこみました。春の花と私の想う心は「・・わが読売巨人軍は永遠に 不滅であります・・」たしかに永遠に不滅かも知れません。

次回の更新は 4月 1日です


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熱海港

No.85  「熱海港」  '09. 2. 1 up 価格 ¥ 80,000 (額縁付き送料込み)

          (45.5x38cm)
昨年の10月9日の日記です。

朝方、車のドアをノックする音で目が覚めました。外が明るくなっているだろう事は分かっていました。でも寝たふりをして無視。

7時まえに起床して係りの人の所へ500円を持って駐車料金を払いに行きました。大変恐縮してくれてトイレの場所はあっちとこっち、どちらも綺麗 ですよ・・と大変親切です。

自転車(車の上に乗っけてきた)で熱海の港や海岸沿いをひとっ走り、絵を描く場所も決めてきました。


昔来たときは熱海ってどこに行っても人、人々でそれだけでも疲れ切ってしまった記憶があります。でもその時は休日、今日は普段の素顔の熱海。

昼飯に近所の定食屋さんで「アジのたたき丼」を注文しました。お代わりしたくなるほどおいしかった。あれれ・・、描きかけの船、出港しちゃったよ。


日一日と春めいて陽ざしの温もりが嬉しく感じるこの頃です。ああ、また海に行ってみたい・・と思います。

次回の更新は 3月 1日です


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初秋白樺高原

No.84  「初秋白樺高原」  '09. 1. 1 up 価格 ¥ 100,000 (額縁付き送料込み)

          (53x46cm)
長野県諏訪、私の生まれ故郷です。どちらを向いても見慣れた風景、つい見過ごしてしまいそうな山並みですがホテルに泊まりました。

白樺湖”池の平ホテル”に奮発して泊まってみました。なんとなく観光旅行的な気分になるのは不思議なことです。

ゆったりした時間の中で手漕ぎのボートに乗り、付近を散策し、小高い山に登ってみると見慣れた不格好な蓼科山も名峰富士山にも引けを取りません。


ところで写生をしたのは9月10日、白樺高原は夏の観光シーズンも終わって秋までのひと時、いつもの静けさを取り戻してきた頃でした。

実は見慣れた風景はインパクトが弱いため中々気迫で描き込むことが難しい題材なんです。ご多分にもれずこの絵の完成はつい先日、3か月も掛かって しまいました。

次回の更新は 2月 1日です


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台北秋天

No.83  「台北秋天」  '08. 12. 1 up 価格 ¥ 50,000 (額縁付き送料込み)

          (33x24cm)
11月の初め台湾の台北へ旅行に行く機会がありました。同じホテルに3泊しそこを拠点に近場を観光してきました。

海外旅行はめったには行きませんし、しかも台湾ははじめての旅でした。仲間がいろいろと計画を立ててくれ後をくっ付いて行くと言うお気楽観光です。

桃園国際空港から台北の街に車で移動しましたが街そのものの印象は「ああ、外国に来たんだ・・」と思いましたが、人々の顔は私たちと見分けの つかないものでそれだけでも安心感が増しました。

私のホテル前の大通りを真北にまっすぐ行った淡水河畔の小高いところに「圓山大飯店(グランドホテル)」と言う立派な建物がありました。日本で 言うところの迎賓館のような役目をするホテルです。

丁度当日、中国の高官がここに宿泊し台湾政府首脳との会談が予定されていたとかでデモ隊と警備警察との間で物々しいにらみ合いの真っ最中でした。 しかし、私の脳裏には台北の象徴的な風景として焼き付けられました。

ちなみに私たちの泊まったホテルの名前は「康華大飯店(ゴールデンチャイナホテル)」カタカナのない国では二通りの呼び方をしないといけません。

ところで今回の旅行写真、数多く撮ってきましたのでその一部ですがこの場をお借りして台湾旅行 としてキャノンのアルバムにアップしました。スライドショウでご覧ください。

もう一度機会があれば、今度はゆっくりと絵を描きに行ってみたい。そんな題材もかなりありそうな気がいたしました。

次回の更新は 1月 1日です


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菊

No.82  「菊」  '08. 11. 1 up 価格 ¥ (額縁付き送料込み)

          (73x91cm)
今年は花をずいぶんと買う機会がありました。生前花が好きだった妻のため、せめて1年くらいは花を絶やさないようにと。しかし、夏の頃はせっかく 買ってきた花も痛むのが早く、長く持たせるためにいろいろと工夫もしてみました。

花が開いてその寿命をまっとうしてくれるんでしたら我慢もできますが、まだ蕾なのに花が開くこともなく腐ってしまったり枯れてしまったりします。

特に気温が連日30度を超すような時は花瓶の水を小まめに取り換えてあげ、茎を切って新しい水揚げ口を作ってやるとかなり持つことがわかりました。

買ってきた花束をそのまま花瓶にぶっ込むとたちまち花瓶の水が腐って花が全然持ちません。面倒でも、花の茎や水につかる葉を落して花瓶に浸る 部分の雑菌を洗い流して活けるとそれだけでも数倍は長持ちするようです。


気候が涼しくなり、そして寿命も比較的永い種類の花が店頭に並ぶようになりました。これから春にかけての季節は花を題材に絵を描く事を楽しむ にはほんとうに恵まれたシーズンなのです。

菊の花を楽しむのは年をとった証拠・・と、自分で自覚しながら観察します。しかし、よく観ていると同じ菊と言う名前なのに実に千差万別、それぞれが 個性的で適材適所と感心しなくてはなりません。

・・・?、おやおや、これってなんだか人間の社会とまったく同じなんだ。それぞれがその持ち場持ち場で自分の役目をしっかり果たすことにより バランスの取れた活気ある社会が成り立つんですね。

次回の更新は 12月 1日です


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芙蓉の散歩道

No.81  「芙蓉の散歩道」 '08. 10. 1 up 価格 ¥120,000 (額縁付き送料込み)

          (91x73cm)
毎年同じ場所、農家の土手の段差に芙蓉の花が咲きます。

前からこの花は芙蓉の花と認識していましたが確信を持っていたわけではありません。

夏になると見事な開花となります。別段手入れをしているわけではありません、藪のようになって道をふさぐほどになると刈り込む程度です。

2m程にも大きくはなりますがさりとて日陰を作るほどではありません。ギンギラギンの日向に向かって咲き、花びらは夕方その命を失って しおれます。翌朝に開花する予定のつぼみはすでにその準備を終えてネジリンボウになって待っています。


ところで芙蓉の花・・・ではなく、芙蓉の峰ってご存知の方いらっしゃいますか?

私の小学校のクラス歌、先生の作詞作曲でしたが「♪芙蓉の峯の気高さと、芙蓉の花の優しさを〜・・」

そろそろクラス会をしないと歌も忘れそうです。今この季節になるとマンジュシャゲが交替してこの土手を赤く染めています。

次回の更新は 11月 1日です


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