Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.61〜70 を掲載しています

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装う赤城山

No.70  「装う赤城山」 (65x53cm) '07. 11. 1 up 価格 ¥100,000

赤城山、スキーに行き来するたびにこの山とは関わりがとても大きすぎます。

11月ともなると車で関越道を下って高崎あたりまで来ると、くっきりと左右に榛名山、赤城山、遠く正面は既に雪を頂いた谷川岳が印象的に目に飛び込んできます。
私のスキーホームゲレンデ、あるいはスキー練習の活動拠点としてのエリアはこの赤城山の裏にある武尊山、日光白根山の麓の群馬県片品村です。

そんなエリアへの行き帰りは当然、赤城山の麓をいつもウロウロと、しかも状況によっては右回りであったり左回りであったり、山からして見れば実にウルセー存在です。
一方、かよう私としてはこんな山さえなかったら上り下りも、危険なカーブも、凍結路の危ない目に会うこともないのに、マッタク邪魔なことこの上ない存在です。

まっ、お互いにそんなにいがみ合ってもしょうがない事ですが、人間には邪魔だったり、険しかったりと言うものを崇高なもの、美しいものととらえる心があります。
もっと心の広い御仁は、単なるジャジャ馬や悪女としか見えない人に対してさえ、美しい!とか可愛い!ナンテ歯の浮くようなことを平気でのたまわる精力的な方もおりますが。

  前置きが長くなりました。そんなにも身近な山「赤城山」ですが先日の「乗鞍岳」の説明同様、赤城山と言う山は存在しません。黒檜山、駒ケ岳、鈴ヶ岳、地蔵岳、 長七郎山など10個余からなる山塊を総称して「赤城山」と呼んでいます。(知ったかぶりして群馬の人、ゴメンナサイ)
そんな見慣れた山でしたが絵にしたのは初めてです。奇妙な山がデコボコと、とても美しい(たとえば富士山)山とは思えませんでした。
しかし、「あばたも笑窪」愛情を持って眺めてあげると飽きない!!、そして其処にはすっぱさも辛さも充分に判る成熟した大人にしか理解できない美しさまで 見えてくるわけです。

今回、絵を描くことを目的に赤城に行って気がついたところは、いたる所、「あばた・・」が沢山有って「本当に奥の深い山」、「モナリザ」を見た思いになるのでした。

これからまた暫らくはジャマもの扱いして済まないけれど、道行く皆さんの安全を見守っていただきたいと心より・・。

次回の更新は12月 1日です


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雲

No.69  「雲」 (120x93cm) '07. 10. 1 up 価格 ¥150,000

厳しい暑さを乗り切るとやがて訪れるこの爽やかな風に生命の喜びを感じます。

移動性高気圧、たしかに天気の移り変わりは目まぐるしいものがあります。
ですから余計晴れた日は目一杯の日の光を体に受けてほてった体を爽やかな風に身を任せたくなります。

こうして土手の草はらに仰向けに寝転がると、意外と芝のチクチクが気にはなりますが、すぐに慣れます。
そして、薄目を開けて空に目を転じると詩人、山村暮鳥の詩が聞こえてきます。

『雲』                   『おなじく』              『ある時』
丘の上で            おおい雲よ、              雲もまた自分のようだ
としよりと           ゆうゆうと               自分のように
こどもと            馬鹿にのんきぢゃないか         すっかり途方にくれてゐるのだ
  うっとりと雲を         どこまで行くんだ            あまりにあまりにひろすぎる
ながめている          ずうっと磐城平の方までいくんか     涯のない蒼空なので
                                    おう老子よ
                                    こんなときだ
                                    にこにことして
                                    ひょっこりとでてきませんか

ふと、我に返り無限大の焦点をズーっと引いてくると目の上を無数のアキアカネとんぼの群舞、それが空を覆いつくしているではありませんか。

次回の更新は11月 1日です


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乗鞍高原−3

No.68  「乗鞍高原−3」 (49x33cm) '07. 9. 20 up 価格 ¥20,000

梓川から別れて急坂を登りきると、おっ乗鞍高原に着いたんだ・・、と感じるところがあります。

実は高原の中心部へは更に幾つかの急坂を超え、観光センター駐車場に到着します。
つまり、高原のとっつきにある場所、ここが猪谷リクリエーションセンターでスキー場にもなっているようです。

乗鞍高原最後のスケッチは、観光センターからテクテクとひたすら坂道を下り、これ以上降ると帰りの登りは大変なことになるぞ、と言う所まで来ました。
わたしに「乗鞍高原の絵葉書を作れ」と言われれば、おそらくここからの景色を描こうと思います。

どうって事のない水溜りと林、乗鞍の連山を一望にして尚且つ説明も不要なほどの鳥瞰図とくれば天下の「富士山」を絵にするほどの覚悟が必要です。
しばらく缶ビールを飲み、2本目も半分・・・と言った時、やっとスケッチブックを広げました。

少し頭の中の雑念が薄れ、陶然とする手前に構図をすばやく決めてしばし木陰で昼寝と決め込みました。
ジリジリと照りつく日差しをよけた木陰は、湖面を渡る風が冷たくも感じる快さです。小一時間の昼寝の間に頭の中は既に絵が完成していました。

壮大な乗鞍高原、そして乗鞍の連山、すべてはこの水溜りの中に飲み込まれて忍び寄る秋風のさざなみの中にも写す影はありません。

次回の更新は10月 1日です


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樺林の乗鞍高原

No.67 「樺林の乗鞍高原」 (25x16cm) '07. 9. 10 up 価格 ¥10,000

実は乗鞍高原を歩き回って、高原を満喫しようとすると、広い草原か深い森林しかありません。

名勝、と言われるような滝は番所大滝、善五郎の滝、三本滝をはじめ名の無い滝もすべて密林の中にあります。
実は滝を絵にしたことは一度も無く、描こうとする以前に圧倒されてしまったり飛沫を浴びて気持ちよさを満喫することで満足してしまいます。

本当は、こんな時ぐらいしか滝を絵に描く機会はないだろう。一枚ぐらいは滝の絵を描こうと決心はしました。
しかし、どの滝も高原の夏を満喫する観光客の歓声が響き渡り、絵を描く環境ではありません。難しさもあいまって断念・・。

そして、林を抜け草原に出ると見慣れた乗鞍も新鮮な感じで見ることが出来るのです。
No.66 で見た位置からさらに、ほぼ真西の方面から乗鞍岳のみえる場所まで来ました。一之瀬牧場が終り、この先はスーパー林道が密林の中に消えていきます。

高原周遊バスの案内テープで知りましたが、大地が草原になってはじめて茂る木が”白樺の木”と聞きました。
この高原の草地にはまだ白樺の木しか茂っていません。そう思って観察するとこの高原は那須高原などと比べると未だ歴史の浅い大地なんだろうかと思います。

乗鞍岳と言う名の山はありません、赤城山、八甲田山と同様、連山の総称です。どこから見てもとがっている岩山が主峰の剣ヶ峰、標高3026.15m。この端数は先日私が 昇った時に15cmの岩石を頂上に積み上げ、置いてきた為です。

その他、大日岳3014、朝日岳2975、摩利支天岳2872、富士見岳2817など23もの連山からなっているのです。
殆んどの山の頂は岩石がむき出しですが最西端の高天ヶ原(たかまがはら)2829m は山頂まで榛松で覆われ、緑のビロードに包まれた美しさも格別です。


次回の更新は9月20日です 今月、3点のスケッチを3回に分けて掲載します


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乗鞍高原

No.66 「乗鞍高原」 (49x33cm) '07. 9. 1 up 価格 ¥20,000

夏の乗鞍高原へは2年ぶりに訪れました。

例年この時期、夏スキーを目当てに来訪し観光センター駐車場を基点としてシャトルバスで雪渓まで行きスキーをしていました。
今年はスキーに取り組む一つの考えがあり、スキーは持参せずにやってきました。

ここでスキーを楽しんでいる仲間からは「エッ!?、何でスキーを持ってこなかったの?」と咎められました。
でも夕方ともなれば雪渓から降りてきた仲間と共に例年と変わりなく夕べの宴に時間の経つのも忘れるほどでした。

さて、ここ観光センターから「乗鞍高原周遊バス」なるものが1時間おきに名所めぐりをしています。
初日の昨日は乗鞍高原のすべてをこのバス(1日500円で乗り降り自由)でめぐり、改めて高原の観光をして見ました。

スキーでしか知らなかった乗鞍高原ですが、今まで知らなかった素晴らしいところが沢山あることに驚きました。
絵を描くポイントに目を付けておきましたので、翌日から実際に徒歩で目的地まで行き構図を決めました。

今日は一之瀬園地入り口と言う所から乗鞍岳を描きました。山に向かって南西の方向からと言うわけです。皆が滑る雪渓は剣が峰の右端、白樺よりに少し見えます。

今年の夏は各地大変な猛暑でした。ここ乗鞍高原と言えども、日中お天道様の下は強烈な日差しでした。
天気に恵まれてスケッチを3枚してきました。今月は10日おきにご紹介したいと思います。


次回の更新は9月10日です 今月、3点のスケッチを3回に分けて掲載します


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金魚すくい

No.65 「金魚すくい」 (120x93cm) '07. 8. 1 up 価格 ¥150,000

わたしの育ちが悪いせいか、祭り、縁日、出店のたぐい、あまり善い印象はありません。

それはいつも「だまされる・・」と言う先入観があるからです。ですから今もって鳴り物入りで宣伝するものは信用しません。
パチンコ、競輪、競馬、競艇、ロト・・なんとか、ひいては宝くじに至るまで私にあまたの誘惑も通用しません。

私の好まない数々で成果を挙げられている方々に立てつく気持ちはありません。それなりにご自身の「操作性」があっての成果だと思います。
そういう意味でこの「金魚すくい」私の意思に反してなぜか身近に感じてしまいます。テキヤ的要素がありながらもなぜか心が許してしまうのです。

確かに上手な人はオヤジが苦言を言いたくなるほどに漁獲をものにします。見ていても「どうして?」と言うほどです。
わたしが許せる!と思うのは、テキヤもどきの兄ちゃんはどうしても獲れない子供に「ホレ!」、とお土産をくれます。

それは例え100円の内30円分かも知れませんが、競馬や宝くじのように根こそぎ「取り上げ」という博打の世界とは少し違うところです。
ですから自分はする気は無くとも、これに挑戦する子供達に「世の中の仕組みの一端」が判って欲しいと声援を送るのです。

これはあくまでも漁獲競技であり、狩猟時代のゲーム性なんです。
投網、簗、四つで、ルアー、等々大自然の中で行われていた猟をこのお盆の中で夜店で楽しむ・・・。
JAPAN 的発想の「闘牛場・・」って感じがしません?
次回の更新は9月1日です


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男の顔(自画像)

No.64 「男の顔(自画像)」 (93x120cm) '07. 7. 1 up 価格 ¥150,000

昔から洋の東西を問わず画家は沢山の自画像を描き続けてきました。

殆んどの自画像は絵筆を左手に構え、みなさんギッチョです。これは鏡を見ながら・・つまり物理的には「虚像」を見て描いています。
幾度も書きましたが、他人をモデルにして絵を描くと素人のモデルはどんな描き方をされるか「描きかけ途中でもその絵を見たがります」

お金を払って、モデルになっていただいている方は決してそのようなことはしません。
恐らく、写真のモデル(プロ)さんも例外ではないと思います。最近の小さな子はシャッターを押すと「見せて、ミセテ!」とすっ飛んできます。

作家と言うのは表現方法でも、形をデフォルメしたり色彩に意思を持たせて写実に迫る手立ては無いものかと試行錯誤を繰り返します。
思考・・は良いとしても、錯誤・・の状態と言うのは、スポーツの世界では「ナニやってんだ?あのバカは・・」と成るわけです。

確かなコーチが居て、このようにした方が確実にタイムアップになります・・。と言う目標が一点の場合はそれが正しいことです。
表現の世界で「こちらが正しい・・」などと言うことは在りません。信念を持って貫き通し、見る人を納得させる(・・させることが出来る)ことが必要です。

自由な試行錯誤、誰にも束縛されない試行錯誤、これは作家にとって自己鍛錬上必要欠くべからざる大切な行為なのです。
そんなことに本当に頼りになるモデル、しかもそのモデルの内面の葛藤まで見過ごせる関係。
自画像はモデル代として、かなりの飲酒代は覚悟の上です。

次回の更新は8月1日です


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萌える山

No.63 「萌える山」 (49x33cm) '07. 6. 1 up 価格 ¥20,000

冬季、スキーで毎週通う赤城山の北面道路です。帰り道、険しい山岳の道も長いトンネルを抜け黒保根村に出ると南に面した明るい斜面に出ます。

この新しいトンネルは、出るとすぐ大きくカーブするループ状の取り付け道路になります。厳しいカーブからの開放感とあいまって気持ちも大きく和みます。
ループ橋は実に快適な道路です。ハッと気がつくと、いつしか山の雪も消えて全山萌えるような新緑の景色です。

5月、何時もその新緑の素晴らしさに見とれることはありましたが絵に描いてみたいと思ったことは初めてです。
その萌えるような新緑は一週間後に来て見るとすでにありません。たしかに若い、新鮮で鮮やかな緑に変わっては居ますが私の感じた新緑とは違います。

早速ループ橋の端に車を止めしばしコンビニのおにぎりをほうばっていると、何年目かの新緑・・・そうだ、絵でも描こうか。
有り難い。こんなことがあろうかと何時もスケッチブックとクレパスがが車内にあると言う事はいっぱしのカメラマンならぬ絵描きみたいです。

「新緑の山の風景」さぞかし沢山のミドリ系の色を使ったのかと思うと、何時もと勝手が違います。
肌色、ピンク、空色、そして若草色・・・新緑と言うのは必ずしもミドリではないようでした。

日本では古来より「萌黄色」と言う色名がありました。英語では Light Green ナントモ味気ない。

次回の更新は7月1日です


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雨の峠越え

No.62 「雨の峠越え」 (166x130cm) '07. 5. 1 up 価格 ¥200,000

久しぶりに大きな絵です。規格では100号と言います。畳の面積から比べると約1.3倍と成ります。

私のように単純な人間は、スケールの大きさを求めようとすると絵も大きく描かないと気持ちの上で消化不良を起こしてしまいます。
著名な画家は、小さな画面でも描かれたスケールの凄さを感じさせます。「芸術は爆発だ!・・」と言った人も多分私と同じO 型血液ではないでしょうか。

小学生の頃、絵日記を描かされました。おそらくB-5 ノートの大きさでしょう、上半分に絵を描き下半分の升目に文字を書く。
私はその時大変な反抗を試みました。我が家の舟を操って初めて一人で諏訪湖へ出ました。その日の絵日記の絵はページ全部、湖を漂う私の小舟でした。 一行「おおきかった・・」と。

結局その日は天候の急変、風向きも変わり私の目指す河口へはたどり着けませんでした。諏訪青陵高校ボート部のエイトに牽引され河口に着きました。 そして無事に川を上って我が家にたどり着きました。

ところで、5月の連休を利用してよくサイクリングを楽しみました。勿論、テント、自炊用具、食料を持参し計画したコースを日程に合せて巡ります。
日本各地の県境はだいたい峠道、登りの苦しみは下りの楽しみを思うとへでもありません。と同時に天候の急変も随分と経験しました。
そう思いながら、絵日記を描いてみましたら100号になってしまいました。

次回の更新は6月1日です


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早春花

No.61 「早春花」 (65x50cm) '07. 4. 1 up 価格 ¥100,000

特に花が大好き・・!と言うわけではありません。

しかし、いかにも季節の移り変わりを「私でどうでしょう・・」と話しかけてくれる花。私は好きです。
花屋さんの店先には季節はどうなっているの?と言う花もあります。外国から来てまだ日本人の目に季節として受け入れられない花もあります。

好みは人それぞれですが、「私に早春の季節を届けてくれる花」と言えば絶対に「水仙」です。
水仙はまだ浅い春、寒風の中スッキリと凛々しく咲きます。多少の降雪や霜にも強い丈夫な葉はしっかりアイロンを掛けた制服のようです。

つまり、服装の乱れた学生が増えたこのごろですが、身だしなみを整えて笑顔の美しい素顔の少女達に重なる思いがあります。
確かに私はいつの間にか、古い人間の仲間にどっぷり浸かってしまう年齢になりました。群がる少女達の中に在りし日の吉永小百合を想わせる様な子は居ないかと私の 眼は追い求めます。 しかし、その視線は、虚しく冬枯れのこずえの先から空の雲へと転ずるのでありました。

人間の営みや考え方、人生観の移り変わり・・があったとしても、かなり大げさかもしれませんが私は水仙の生き方は好きです。
そう思いながら、少しオマセなスイートピーと、一緒の花瓶に入れてあげると随分華やかになるではありませんか。

次回の更新は5月1日です


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