Vol.001

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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.51〜60 を掲載しています


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裸婦習作 F−18

No.60 「裸婦習作 F-18」 (65x50cm) '07. 3. 1 up 価格 ¥100,000



今回、趣を変えて『青春切符』のなかに記述した文章を転記してみます。

・・・・、余韻にしたっている間も無く、モデルさんが支度を終えて出てきました。
週の初め、これから二週間かけて勉強するモデルさんのポーズを決定しなくてはなりません。

ポーズの決定は全て自分たちでモデルさんと相談の上、決めなくてはなりません。
見渡したところ、どうやら私が司会をして皆の意見を集約しながら自分の意見も・・・と、いう事を任されることになりました。

こういった雰囲気は常に暗黙のうちに「年長者が・・・」と言うよりも、今回は「幸三郎、やらないか?」という誰かの声で特に反対が無ければ 決まってしまいます。
私は以前にもこういった場の司会はよく経験していましたので別に拒む必要も有りませんでした。


しかし、今週から私はある想いがあって、モデルさんのポーズは横臥した、いわゆる「寝ポーズ」を望んでいました。
しかもモデルさんと先ほど玄関ですれ違ったとき、一層その気持ちが強く
「アッ、この人だったら寝ポーズを描いてみたい」と思っていました。

案の定、受験の為の研究生からは立位「立ちポーズ」と言う声が複数聞こえます。このまま多数決を採ろうとすれば当然「立ちポーズ」に 決まってしまいます。・・・


    どうですか?絵を描く場の雰囲気を少しは伝えることが出来たでしょうか。
モデルさんを使って絵を描くということは描くほうも、もちろんモデルさんも必死になります。

今度の定期更新はスキーシーズンでお休みします。次回の更新は4月1日です


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冬の岬

No.59 「冬の岬」 (65x50cm) '07. 2. 1 up 価格 ¥100,000



湘南、葉山海岸の冬です。陽ざしさえあれば温暖な海岸を満喫できるはず・・。
あいにくの曇り空、風も冷たく写生を楽しむ雰囲気ではありません。



でも、せっかく来たものですからキャンバスを広げ風に立ち向かいます。
気持ちと風景が同じ・・と言うのはこんなことを言います。実は気持ちが風景に対して求めるものが重なってきます。

荒れた海、吹きすさぶ冷たい西風を真正面から受けて孤高に立ちはだかる冬の岬です。
私の後ろを幾組かのカップルが通りすがります。「・・きっと絵を描くのが好きなんじゃない?・・」彼氏にしがみ付きながら語りかけています。

幸三郎はガンコなだけだ!。誰がこんなところで絵を描いてて楽しいものか!!


今度の定期更新はスキーシーズンでお休みします。次回の更新は3月1日です



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竹トンボ

No.58 「竹トンボ」 (91x73cm) '07. 1. 16 up 価格 ¥120,000





    新年あけましておめでとうございます。
本年も、わたしの好き勝手なウンチクにお付き合い宜しくお願い申し上げます。



今年から東京都は、公園など公の広場でのいわゆる大道芸に対して規制を掛けると言います。
つまり、審査をして一定以上のレベル以上の大道芸人については免許のようなものを与えて公園内での大道芸を認めるトカ?

事の発端は井の頭公園内でのパーフォーマンスなどの中に、余りにも風紀秩序に抵触するものもありそれらを如何にしたら取り締まることが出来るのか、 検討に検討を重ねた上での結論のようでした。
その場、その場で取り締まることの難しさの為に考え出された苦肉の策が「大道芸等パーフォーマンスの質的向上を図るため・・」としています。

デハ、免許のない一般の人がたとえば公園の中で「ほのかな自己表現」をすることも許されないのでしょうか?
元々公園と言うところはそういう場所ではなかったんでしょうか。「草笛を吹くことが上手なおじさんが子供達に吹いて聞かせた」そんな 原点を思い出します。



一本の竹を手際よく引き裂いて、小刀を器用に使いこなしあれよあれよと言う間に「竹とんぼ」を飛ばすおじさんに免許なんかいるか!



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水門のある風景

No.57 「水門のある風景」 (65x50cm) '06. 12. 16 up 価格 ¥100,000



前回の裸婦像と同時期に描かれた風景もご紹介しておきます。

水門は人の手による建造物の中で殆んど、主役としての風景として登場する機会には中々恵まれません。
0メートル地帯と言われる地域にとってそこの生活を守るための要ではありますがひたすら脇役に徹しています。



脇役であるために、何の装飾も施されず不細工な荒々しさをそのままぶっきら棒な表情で仁王立ちして置かれています。
教会や寺院のように人々の崇拝や憧れと言った対称でない、ある種の身奇麗さと言うものに心を揺さぶられます。

そういった無骨な対象を絵にするとき、いかにも不自由なパレットナイフでの表現がより真実味を出してくれるか、と言うことも知ることができます。
こうして、冬の厳しい寒さの中「水門」はある種の威厳と言ったものさえ感じさせてくれるとは思いませんか。



このコーナー、次の定期更新はお休みとさせていただきます。どうぞ、よいお年をお迎えください。
次回は1月16日の更新です。



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裸婦M22

No.56 「裸婦M22」 (91x65cm) '06. 12. 1 up 価格 ¥120,000





久しぶりに、また裸婦像の登場です。


すでに一目見て、今までと全然違うマチュエールで描かれていることにお気づきかと思われます。



そうです、この絵は筆を一切使っていません。本来、油絵の具を大量に混練りしたり掻き取ったりする作業用のスパチュラナイフと言う金属ナイフのみで描きました。
ひと頃私が思い描いた描法の中に「色を汚したくない」と考えた結果、パレット上で出来た色合いを筆で掬い取ってキャンバスに置いて来るというものでした。

キャンバス上で筆をずらす事により、以前に載せた色が新たに載せた色と混ざり合って画肌を汚くしてしまうと考えました。
そして、そのためには何十本という沢山の絵筆を用意しなくてはなりません。しかし実際にはゴッホにしろゴーギャンにしろアトリエや写生に持参する筆の本数は 僅か5本くらいと、意外と少ないのです。しかも彼等の画面は色彩鮮やかどこにも迷いと言うものがありません。

要は、いかに一筆、一筆のたびごとに筆を丹念にボロキレでふき取るかと言う事でしょう。
実はその目的のために別の思いがけない方向性を探る、つまり視点を変えた事による発想の出発点を見つける可能性もあるわけです。

確かにこうしたタイル職人バリの作業による絵を描き続けると、一筆一筆はより純粋な色彩を確保する事が出来るようにはなりました。
この辺あたりまで来ると手段と目的が、逆であった事に気が付きました。私は暫らくの間手段を優先し、それのみを追求していたのです。

絵画の表現の中で手段が目的を上回る事は決して許されません。
この描法は友人、先輩、皆から批判を受けました。しかし、点描法を試みたスーラー、シスレー等も当時仲間から多大な批判を受けました。
私は描法に関しては手段が目的を上回ったから止めはしました。しかし、スーラーやシスレーは印象派の旗手として目的と手段が同一線上にあったと思われます。

作品のみの良し悪しはそのものの評価で決められます。しかし、作家がどんな人生を歩んできたか?も、興味ある評価の大切な部分であると思います。




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錦秋丸沼周遊

No.55 「錦秋丸沼周遊」 (53x46cm) '06. 11. 16 up 価格 ¥100,000



私のスキー、ホームゲレンデ丸沼高原から国道120号、丸沼を望みました。


スキー場は一部人工降雪によるバーンのオープンとなる11月初め、この国道「日本ロマンティック街道」は行楽の車で大変な賑わいです。



宇都宮〜日光、金精峠、丸沼、沼田、吾妻、草津、長野原、菅平〜上田の総延長350kmを言います。
元々はドイツ古典の街道に習って設定しましたがロマンティック・・と言う呼称は日本が先駆け、ドイツも真似してロマンティック・・と。

スキー場の中腹から東、眼下に丸沼を望み紅葉の終焉の限界辺りを行楽のバスや車が繋がっていきます。
雪が積もってスキーを履いている斜面、多少斜度はありますが特にドウってことはありません。しかし、雪の無いこの時期は崖の上です。

絵を描き終えるまでに缶ビールを3本ほど開けたでしょうか。ヨタ付く足取りで斜面を降りることは出来ません。
青空の下、浅間山、武尊山、谷川岳を望みながらの迂回路は遠回りですが大変気持ちのいい山歩きです。

ここでの写生(11月3日)の後、2週間もするとこのあたり一面の銀世界に変わります。
今や山は、ろうそくが燃え尽きる前の時のように、一層赤々と最後の彩を発散しています。そして付近を周遊する車の列も忙しそう。





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芝川上流

No.54 「芝川上流」 (49x33cm) '06. 11. 1 up 価格



秋晴れの某日、芝川に写生をしに出かけました。

ここは以前描いたことのある八丁橋から更に上流を眺めて描きました。


川口市と旧浦和市の市境にある八丁橋を境に高い土手は低くなり芝川も小川の様子になります。

武蔵野線東浦和駅下車でこの八丁橋を渡ると町会は私と同じ町会になります。
広大な見沼田んぼを埋め立てて公立の小学校、中学校はもとより川口幼稚園、川口北高校、川口短大、埼玉学園大学、養護学校、中華系学園、 埼玉協同病院・・がひしめき合います。朝晩にはワンサカと通勤、通学の自転車、徒歩の往来で賑わいます。

では、昼時は?と申しますと、これが土日の休日と見間違う程に閑散としてしまいます。
そんな昼近くの八丁橋の上で写生をしていると、昼休みに自宅へ昼食に向かう近所の農家の夫婦でしょうか 「オヤ、そう言えば最近この辺りで絵を描く人も減ったもんだナ、昔はよく描きに来る人が多かったニナ」

そんな会話を後ろで聞くと私も遠い昔の人・・なんだよ!って返事もしたくなります。
マッ、のどかな秋の日、缶ビール片手にしばし武蔵野の田園を満喫しつつ時が過ぎていきます。

まだ昼を少し廻ったくらいの時間です。もう、高校生が下校してきます。
申し合わせたように男女ペアーで駅に向かって歩いていきます。街で見かける高校生に比べ皆明るく楽しそうに見えます。





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鳥寄せ

No.53 「鳥寄せ」 (46x38cm) '06. 10. 16 up 価格 ¥80,000



空が澄み渡っている性でしょうか・・、木々を飛び交う鳥たちのさえずりが凛として響きます。


血気盛んな若い頃、鳥は臆病、スグ逃げる、話も出来ない、可愛くない、別の世界の生き物・・・と思っていました。



あるとき、「アッ、俺は年を取ってしまったんだ・・」と思った瞬間がありました。
荒川土手をのんびり歩いていました。冬なのに珍しく風もなく穏やかな日差しを浴びての散策でした。

行く手の草むらには雑草の種をついばむ小鳥の集団が見えます。このまま進めばやがて彼等は散り散りに飛散するでしょう。
段々に近づきます。彼等の視野にははっきりと私が近づいている事も確認できるところまで来ました。

と、数羽のムクドリが飛び上がりました。それにつられて全部が飛び立つと思われました。
違いました。数羽の鳥は見つけた昆虫の餌の奪い合いでした。他のムクドリは依然忙しそうに餌のついばみに余念がありません。

「無視」されました。つまりムクドリ達にとってヨタヨタと土手堤をうろつく二本足の動物は天敵でもナニでも無いと言う事です。
そうなるとどうにか此方からアプローチしたくなるものです。「オーイ、仲間に入れてくれよ〜」



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晩夏武蔵野田園

No.52 「晩夏武蔵野田園」 (46x38cm) '06. 10. 1 up 価格 ¥80,000



表通りから林に囲まれた細い下り坂を、自転車は吸い込まれるように走ります。


目の前が急に明るく開け、のどかな田園の真っ只中にいます。



完全に周囲から隔絶されたようなこの田園は、それでも耳を済ませると国道122号の騒音が近く微かに届きます。
川口市郊外の丘陵地帯、武南公園という看板がついこの間まで立て掛けられていました。

しかし、公園といっても別に市や町が公園として管理しているわけでもなく、無造作なミニ開発にさらされています。
特にこれ、と言って力を入れている作物などありませんが、この付近の農家はこの時期何処もサトイモ、しょうが、の畝が主体です。

近くには植物取引所、植木屋さん、などが盛んなので大真面目に小さな植木の苗も大切に育てています。
真夏に訪れるとこのミニ盆地は、風もなくむっ!!とするほど蒸し暑い場所でした。

しかし、こうして天も高くなると心地よい風も吹き抜けてとても居心地のいいところに代わります。
この辺も夕方近くになると「さぎ山へ」が良く見られます。



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少女の顔

No.51 「少女の顔」 (16x23cm) '06. 9. 16 up 価格 ¥60,000  





時折、涼しさを通り越したような日、街に出るともうセーターなど着ている人を見掛け、とても新鮮に映ったりします。

つい5ヶ月ほど前は、女性たちが眩しいほどの素肌を惜しげもなくご披露してくれて「ヤー、素晴らしい!」と感じたのがウソのよう。

もう露出した肌は見飽きました。男の身勝手かもしれませんが其れほどに動物本能のオトコの目としては新鮮さを求めます。
いずれ、半年もすれば「光り輝く女性の肌がマブシ〜」と、また喜ぶ事は判りきっていることです。



日本と言う四季の変化に富んだ国に生まれて、季節季節の変化を植物や風景、そして女性の衣服の変化を楽しめることが出来るのは 大変幸せだと感じます。
普段、職場で一緒に仕事をしている同僚に対しても「あっ!、絵を描いてみたいな・・。」と感じることもあり極普通のオトコとしての 欲望を感じることもある訳であります。

厳密に判断すれば、そう言った感情を持つこと自体が「セクハラ」の対象になるわけです。
世の中の判断基準は何処で一線を引いたらいいのかは明確ではありません。

社会的にも「よき伴侶を求める・・」と言う傾向も薄れてきています。人と人とのつながりがクールで事務的になりすぎているのでしょうか。
「あっ!、絵を描いて見たいな・・。」と思うのは、少なくとも人間としての社会性への小さな「窓」と思うんですが。



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