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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.21〜No. 30 を掲載しています

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建設

No.30 「建設」 (130x166cm) '05. 10. 1 up 価格200,000円





いつも、当ホームページをご愛読いただいている方々は既にご存知ですが、「みち草」によりますと小生、幸三郎の庵も今のうちに ある決意をしないと老後の心配(雨漏りの年次による被害拡大や、天変地異の影響とは関係なく物理的影響による損傷など) があり、これ以上愛妻に心配をかける事は出来ません。そんな経緯により我が家建て替えに踏み切りました。



オーストリア、ザルツブルグ。某国の首相、本場のオペラを見て「・・実に、感動した!!」いつでも、何にでも感動するようです。
そんなことを言ってバカにしたがるのは止めましょう。実は私だってアノ人に負けないくらいイロンな事に「感動!!!も、感激!!!も」しますョ。



「棟上」と言うのは、朝から夕方までの間に住宅の柱を全て立ち上げて、運動会の「お山の大将」よろしく、てっぺんに木やりのオンベ をかざしてしまいます。それはモウ、朝から弁当持参で見ていても華やかで素晴らしい事の連続です。


特に、足場も無いところを鳶(多分大工さんでしょう)の方が建てた柱を頼りにどんどん上に登っていくのを見るのは快感です。

日本が高度成長する頃の東京の街中、いたるところこんな光景に遭遇しました。




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キュポラのある風景

No.29 「キュポラのある風景」 (46x53cm) '05. 9. 16 up 価格100,000円



さすがに台風を三つ四つやり過ごした後は強烈な日差しの中に、どことなく秋の気配も感じられます。



「川口にお住まいですか、アノ、鋳物の街ですね?」「イエ、私の住んでいるところは植木の町、川口です・・」


こんな会話を幾度したことでしょう。確かにJR京浜東北線の電車が荒川鉄橋を渡り川口駅に着く前のしばし、大小幾つかの鉄工所 の裏庭をかすめ、駅ホームに降り立つときはすっかり「鋳物の街」に降り立つ気持ちにさせられます。

しかしそんな街川口の最近の都市化はマンションと鉄工所混在の町となり、お互いストレスを近隣に感じながらの生活を余儀なく されています。マンション近くにはこんな看板も見かけます。「この付近は昔ながらの都市型工業地帯であり・・・・多少の粉塵を 伴う排気が出ることもございますが、皆様のご理解・・・」



この、風景は旧芝川沿いに今でも昔ながらの技術を継承しつつ細々と「キュポラの火」を守っている工場の風景です。
突然!、右手から少女、吉永小百合が走ってきたりなんかして・・・、今の若い人にこんなおじさんの胸のときめきが判ってたまるか。




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麦わら帽の女性

No.28 「麦わら帽の女性」 (91x73cm) '05. 9. 1 up 価格120,000円





本当に健康で「ウーン〜、美しい!」と思う女性をまったく見かけなくなりました。



私が年を取りすぎて本当に美しいと感じる本能が錆び付いてしまったのか、はたまた美しいとする国際的 基準が私の知らないある日、いつの間にか変更されてその規格にあった人達だけが街の中を歩き回っているのでしょうか。

気がつくと、いつもテレビで見慣れている顔立ちのそっくりさん達をあちらこちらで見かけます。まあ、一言で言えば 気にしなくて済む分、傍目には気が休まりますがどこか寂しく感じられて仕方がありません。


それならばこちらから探し出さなくてはなるまいにと、血気盛んにするわけにも行きません。

ソフトボールクラブの選手である彼女は大変な大食漢、と、彼氏である友人から聞きました。そんな話を しながら絵を描いていると、額も鼻の頭も汗びっしょり・・・思わず、ああ美しい!と声を出すところでした。
それは冗談ですが、人物を描くということは生身の人を描きます。とりわけその生身の心に触れるとき、美しさを 引き出させることも出来ます。
しかし私に、巷にあふれる能面的鉄火面の生身の心に触れることが出来るでしょうか




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梅雨明けの昼下がり

No.27 「梅雨明けの昼下がり」 (166x130cm) '05. 8. 1 up 価格





今年は、あっという間に梅雨が明けてしまった感じです。気がつくと田んぼの稲はまばゆいばかりに夏の日差しを 一杯に浴びて「光合成真っ盛り」です。



この日は期末試験も終わって、晴れ晴れとした女生徒が自転車で家路に着きます。恐らく又明日も最後の学科の試験が あるんでしょう、皆寄り道もせずまっしぐらです。



実は同じ時期、同じ場所で絵に描かれた彼女たちより15年ほど後輩たちが帰ります。明日の最終試験に向け まっしぐらは変わりませんが、皆厚い化粧をし、ミニスカートの下は申し合わせたように運動短パン。ですから 当然自転車の乗り方も男乗りです。

川の流れは15年前と同じ、満々と水をたたえた見沼代用水路です。川面に影を落とす濃緑の枝葉もその当時と 変わりません。




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梅雨間の白樺湖

No.26 「梅雨間の白樺湖」 (46x53cm) '05. 7. 16 up 価格100,000円



私の実家、信州諏訪盆地の東縁、霧が峰高原の山岳道路に「ビーナスライン」があります。建設当時、自然破壊 だの観光開発だのいろんな意見の末完成した本格的な山岳道路です。2〜3年前から一般無料開放の道路になり ました。


信州の山岳道路の無料化はあちこちで始まりました。つまり債務返済が完了して一般道としての供用が開かれました。 そのうちここ「ビーナスライン」も債務返済完了となったわけであります。お陰で八ヶ岳、蓼科、白樺湖、霧が峰、 そして美ヶ原と続く一台パノラマ山岳道路がただで堪能できるようになりました。
お気に入りのスポット、「八島湿原」そしてここ、「白樺湖」でしょうか。晴れている時の構図は勿論左に蓼科山 そしてその影を映す白樺湖とくれば役者がそろいます。でも、脇役たちだけでも十分素晴らしい景色を提供してく れました。しかし、今回は梅雨間、絵がかけただけでも良かった。

それにしても岐阜県の乗鞍スーパー林道、無料開放の報を受け一般自動車の乗入れ禁止を決定。それを受けて長野県 知事もそれに繋がる松本側のマイカー規制を取り入れ決定しました。
素晴らしい景観はカモシカだけが堪能できることに逆戻り・・・と思うのは、人間だけです。もともとカモシカの 日常の風景ですから。




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雨のバス停

No.25 「雨のバス停」 (91x73cm) '05. 7. 1 up 価格120,000円



人間、ずぶ濡れになると結構度胸も据わってしまって時々薄笑いしている人も見かけます。もう、映画の 主人公になった気分でしょうか・・・。



しかし、そこまで行く過程には道具立てが必要です。昼日中であること、突然の豪雨であること、手ぶらであること そして見渡す限り全員が「びしょ濡れ」であること・・・でしょうか。

でもほとんどの人が味わう、にわか雨の仕草は正に蟻の子を散らしたように・・・慌てふためき隠れ場所を 探します。

もし、街中ではなく寂しく暗いバス停でしたら薄ら笑いどころでは有りません。車のライトだけがいやに眩しく 目に付き刺さります。そして追い討ち的に水しぶきまで・・。

そこに立っているのは幸三郎、お前だろう?・・・「そうかも知れません。でも、あなたかも知れません」




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六儀園の雨

No.24 「六儀園の雨」 (46x53cm) '05. 6. 16 up 価格



山手線、駒込駅下車。都立公園としてこの駅の近くに純和風庭園の代表として「六儀園」が駅前にあります。 また、駅前から反対の北に向かうと洋風庭園の「古河庭園」です。


古河庭園は土地の傾斜を利用し、どちらかというと若者に人気があります。晴れた日はそのモダンな建物 に強い日差しのコントラストを存分に陰影として刻んで明るい庭園と対比してみることが出来ます。

一方、「六儀園」読み方からしてなじめません。「rikugien」と発音します。ただ、だだっ広い和風庭園は いつ行ってもおじいちゃん、おばあちゃん達ばかりです。平坦な庭はのんびりと池をめぐり、枝振りのよい松を くぐるため適度に腰をかがめて、或いは段差のある石橋程度の視点の差による奥行きの違いを楽しむわけです。
そして断然に雨、特にこの梅雨の時期が一番のお気に入りです。雨の中で絵を描くのもつらいことですが うるさいジジババが居ません。名のある庭師の名園も私の手の中で再構築され、一層の静けさと深みを与えられ ます。

もし電車で駒込近くを通られた方、お時間がありましたらぜひ一度足を運んでみてください。 名園というのは実に時間と金をかけないと出来ないものと言うのが本当に良く判ります。


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八丁橋風景

No.23 「八丁橋風景」 (46x53cm) '05. 6. 1 up 価格



原風景、どこかに旅したとき「オヤ?こんな景色どっかに有ったぞ!!」又は、「どんな状況だったか 思い出せないが、こんな気持ちになった事はあった気がする」

まだ真夏には間がありますが五月晴れの時々、盛夏を思わせる日差しがしばし顔を見せます。
我が家から坂を下って東浦和に向かう県道、通称「草加ー浦和線」「芝川」に架かる川口市最上流の橋、 「八丁橋」です。昔、この芝川に3mもの水位の高低差のある東西の見沼用水路からパナマ運河と同じ 方式で船を行き来させた「通船掘り」が有ったところです。橋自体も 川口市と旧浦和市の市境になっています。
橋の下流は時々荒れる芝川として土手も整備されていますが、この先上流はのどかな田園を流れる小河川 、すぐ先は武蔵野線が走り、橋からも埼玉スタジアムが間近に望めます。ひとつ下流側に新しい「通船掘り 大橋」が架かり、バスも東浦和へはすでに新橋を通ってこの八丁橋は通らなくなりました。
新道が出来るまでの県道、バスも車も狭い道を譲り合って行き来していました。道路沿いにはケヤキの 大木が生い茂り、時々は交通の妨げにと、伐採されたりしました。もっと早く新道が整備されていれば 何本かのケヤキも切られなくて済んだのにと悔やまれます。
東京湾の潮の満ち干きはここまでも50cmほどの水位差を生じさせます。某日、私はここ八丁橋たもとから 小舟を降し、3.5馬力の小さなエンジンボートで荒川まで下ったことがありました。江戸時代米俵を積んだ 舟運をたどって・・・。

私の郷里、更に幼い頃、母の実家に行く途中、川があって土手があって、そして抜けるような青空、当時 珍しい石造りの橋、乗客のいない空バスが砂埃を上げて諏訪大社方面に向け走り去っていった・・・


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裸婦G13

No.22 「裸婦G13」 (91x73cm) '05. 5. 16 up 価格120,000円



今回は裸婦像を取り上げて見ました。
子供の頃、ピカソやマティスの人物画を見たときに「こんな絵を描くのにどうしてモデルが必要なんだろう」 と、感じたことがありました。
物心ついて、上手な絵を描きたいと思った頃、対象物を良く見て観察し「写真のように・・」と思ったことも 有りました。
しかし、何事もそうであるように「物事にのめり込み追求していくうちに・・その感じ方はオマエだけだよ」 と言う、悪魔のささやきが聞こえてきます。
その辺まで行くと、すでに後戻りの出来ない世界を知ってしまいます。偉大な芸術家たちは「表現」と言う言葉の 鞭をもって気性の荒い人は他の表現を愚別視したりしながら突き進みます。

私は幸い・・と言うか、不幸にも悪魔様のささやく声が聞こえるところまで行けませんでした。しかし、そんな 追求という実験室でビーカー洗いをしていた頃「門前の小僧」もお経ぐらいは読めるようになりました。

人の目の前で絵を描いていても恥じ入ることがなくなりました。(多分に単に人間性の問題かも知れませんが・ ・)少なくとも、「俺はこの絵を決して上手く描こうと思って、描いてるんではないんだぞ!」
とても開放的な気持ちで絵を描くことが出来るようになった記念作でした。こんな気持ち、経験したこと 有りませんか?(電車の中で鏡を覗き込んでのっぺらぼうの顔に表現している人はもう戻れない)

参考デッサン


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髪を切る自画像

No.21 「髪を切る自画像」 (46x38cm) '05. 4. 16 up 価格100,000円



何かにつけて、今は亡き父のことをよく思い出すことがあります。私の青春時代、男もロングヘアーの時代があ りました。当然私も長めの髪、北朝鮮にもし住んでいたら「バカの象徴」ですか。


父が床屋に行ってくるたびに頭全体の髪の毛はその都度、侵食される小さな孤島のように申し訳程度に前頭部に ちょこんと乗っかっていました。親父くらいになると髪の毛にこだわらなくても生きていけるんだ・・と。まあ、 それ程大げさには感じませんでしたが、うすうす同感はしていました。
50歳過ぎ頃から、それ程薄くなって悩むほどではありませんが髪の毛が、わずらわしくなってきました。床屋 さんに行っても、早い床屋さんが一番、長持ちするようにしっかり短くしてくれるところが一番と思うように なりました。

定年退職してからは、迷わず倅が中学校の時使っていたバリカンを引っ張り出してきて、妻に刈ってもらっています。 最近は、スキーの選手仲間でも未だ若いのにバリカンでさっぱりした人も見受けます。そう言えば、何処かの弱い プロ野球チームでもそんな選手がたくさんいたなー。(お前らは坊主にするのは未だ早い!!反省せよ!)
全国の床屋さんゴメンナサイ。

参考デッサン


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