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「画家への道」ページにジャンプこのページはNo.1〜No.10 を掲載しています

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No.10  「早春榛名山」・「武尊山」・「レインボーブリッジ」・「日光白根山」 (49x33cm)'04.11.01up   価格各¥30,000円 

 画用紙、スケッチブックの見開きにそれぞれクレパスでの風景画を載せました。クレパスと言う素材は私にとって水彩より 気楽で、扱いやすいことから常に車の中や旅行かばんの中に携帯していく事がふつうです。


早春榛名山 武尊山
「早春榛名山」「武尊山 」
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レインボーブリッジ 日光白根山
「レインボーブリッジ 」「日光白根山」


  作品についての説明です
     「早春榛名山」 4月、山は未だ真冬です。スキー帰り、群馬渋川あたり早春の匂いがして・・
     「武尊山」  11月、丸沼高原スキー場から武尊山と麓の岩倉スキー場方面を望みます。
     「レインボーブリッジ」8月、ボートをお台場入り口付近で係留。レインボーブリッジを見上げます。
     「日光白根山」 10月、丸沼高原スキー場。ゴンドラ終着駅、眼前に迫る日光白根山。




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No.9  「自転車屋さん」・「秋が瀬運動公園」・「草笛」・「オレンジ」 S・M(23x16cm)'04.10.16up   価格各¥80,000円 

 ご既得なかた何人か青春切符での習作をあれこれとご注文頂き感謝しています。又、別方面の方からは、 もっと大きさの手ごろな奴は無いのかとのご指摘もあり、今後10号くらいまでの作品も順次ご紹介させていただきます。 一番数の少ない最小サイズSMですがすでに2点ほど売却済となってしまいました


自転車屋さん 秋が瀬運動公園
「自転車屋さん」「秋が瀬運動公園 」
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草笛 オレンジ
「草笛 」「オレンジ 」


    特に小品についての説明は要らないかと思いますが・・・
       「自転車屋さん」 結構気になる自転車修理のポーズです。
       「秋が瀬運動公園」無線を楽しみに荒川へ行ったとき元気な子達がサッカーをしていました。
       「草笛」     葦の野原です。ヨシキリと言う鳥の鳴き声と草笛の音色が共鳴して・・
       「オレンジ」   習作です




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鉄橋の下

No.8 「 鉄橋の下 」 F- 50 号 (93x120cm) '04.10.01up     価格¥150,000円 

 「土手の陽だまり」の次ぎに、もう一枚、荒川の側面をご紹介します。

鹿浜橋、江北橋、扇大橋、西新井橋、と土手の上を自転車で下ってくるに従って河川敷の様子も大きく変わってきます。

それまで広々として野球グラウンド、サッカーグラウンド等ゆったりと確保されたコートも次第に狭くなります。
千住新橋、堀切橋、平井大橋、新小松川橋あたりまでくるとそれたサッカーボールを野球のレフト選手が 蹴飛ばし返したりする光景も目に付きます。
しかし自転車で快適に気持ちよく走れるのはこのあたりまでです。

河川敷にグランドが確保できないくらい狭くなると、もう人の立ち入りも出来なく荒れ放題です。


  この絵は多分、船堀橋あたりかと思います。
東京湾までまだ6〜7kmもあります。この先はコンクリートに囲まれた カミソリ堤防が葛西橋、更には最後の荒川湾岸橋へと続きます。

ボートに乗っていても感じる事は左右両堤防間の距離は恐らく上流の秋が瀬橋(ボートで行ける最上流)あたりから 幸魂(さきがけ)大橋、笹目、戸田、新荒川大橋、そして先ほどの橋を経て東京湾までほぼ同じ幅(7〜800m)です。
上流は1/3が川幅ですが、荒川湾岸橋では100%が川幅です。

東京の東を貫く荒川は鹿浜橋から終点まで僅か18〜20kmしかないのに、その川と親しむ若者の上流の絵と今回の下流の絵とでは 雲泥の差を感じます。
どちらが幸せかは計り知れませんが「旅人」として見てみると「人間って与えられた環境でそれぞれ存分に・・」 これもそんな親水感覚のうちの1枚です。



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土手の陽だまり

No.7 「 土手の陽だまり 」 F- 50 号 (93x120cm) '04.09.16up     価格¥150,000円 

 「土手の陽だまり」と言う題名の絵ですが、当然ここは私の以前勤めていた会社の目の前「荒川河川敷」の土手です。

夏も終わり空にはウロコ雲が見え始める頃、厳しい夏の終わりを感じる嬉しさと、これから 迎える秋という季節への期待感が私の四季の変化に対する感覚を刺激します。

「荒川土手」・・・と言う私にとっては生まれ故郷の「諏訪湖」よりも永い付き合いのある親水への 中立てをしてくれる存在は、人生の中で大きな心の支えでもありました。


 私の実家目の前は、諏訪湖に注ぐ支流「衣の渡川」という川幅5m位の穏やかな流れの川に面していました。 このあたり、大概の農家は稲穂の舟運や、たい肥運搬などの用途に舟を持っているのが普通でした。
当然、我が家も 家の前にそんな舟が係留していました。
どんな舟かと言いますと、便利ですね絵と言うのは、ちょっと「青春切符」 の、子供の頃の絵に戻ってください。3段目左端の舟の絵 (舟を見た人は"戻るボタン"で戻って)これが我が実家の前に係留していた運搬舟です。
しかし何故かもう一艘、隣に流線型の同じ大きさの舟も係留していました。

その舟は、親爺が諏訪湖に漁をしに行く為に特別しつらえた舟であり、我が家の現金収入の糧にと、働いてくれた舟 でありました。
今思うに、大変だった漁の仕事、親爺の趣味だったんだ・・・ナンテ。

何時の日か気がついた時、私は船舶免許を持ち荒川から東京湾に船を引っ張り出して水と親しむ生活が身についていました。
そんな親水感覚のうちの1枚です。



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渡河

No.6  '71「 渡河 」 F- 50 号 (120x93cm) '04.09.01up     価格¥150,000円 

また自転車です。

多分、自転車でなくてはならない理由があるんです。

独身を横臥していた時期の作品です。当時、私の娯楽は山歩き、写生旅行 そして、自転車でのツーリングなどでした。
今の若い人と比べてみると随分お金の掛からない娯楽ばかりかと思われますが 私にとっては結構贅沢な遊びをしているんだなーと言う満足感はありました。

当時、車は持っていましたが今で言うドライブは 私の気持ちを開放に向かって放つ手段ではありませんでした。

勤め先での「美術クラブ」メンバー、何故か皆自転車ツーリングの愛好者ばかりでした。

夏休み前、美術部々室に集まったメンバーが休み中のツーリング計画を見せ合います。「おっ!」「海なんだー・・」とか、「あれっ!」 「うまくすると、コレッテ、俺とすれちがわねーか〜」なんて大騒ぎです。


某年、8月某日。山梨県国道20号線の昼下がり、突然のスコールで私は全身びしょぬれで自転車のブレーキを握っていました。
小淵沢から長坂に向けての下り坂は晴れていれば最高のはずでした。と、長坂方面からの登り坂をどぶ鼠のような男が自転車を ユッサユッサしながら昇ってきてすれ違います。

私に気が付きそうもありません。「チ〜〜ン」と合図してすれ違いざま、どぶ鼠が右手で 顔のしぶきを払ったその時、「w∫♂♯ξ・・!」「茂木か〜」


慌てて急ブレーキを掛け、民家の軒先でしばし休憩談笑し会いました。


この絵は、多分一晩で描いた絵だと思います。




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調整

No.5  '72「 調整 」 F- 50 号 (120x93cm) '04.08.22up     価格¥150,000円 

何年も基礎的なデッサンの勉強をしているとしだいに「色彩を楽しむ」と言う次元から離れていく気がします。


事実、私もたかだか2年間位ではありましたが色彩を扱わない時期がありました。

そして再び色彩(色)を恐る恐る 使い始め、しかも調和とか色彩バランスに気を使い始めた頃の1枚です。


追々、私が色彩から遠ざかった時期の絵もそのうちご紹介はしますが、私としては久しぶりに自由に色彩を 使った(イエ、使ってみた)と言うのが本音です。

今思いますと確かに多くの色域は意識していますが色彩の響き(喜びに繋がる交響曲)には程遠い感じがします。


「調整」絵の題材としては象徴的なモチーフ、つまり記憶の中にある「もやもやしたもの」を如何にしたら絵にする事が 出きるんでしょうかと、朝も昼も夜も広告紙の裏に沢山の構図の構想を思い巡らせていました。

これからどんどん出てくる「自転車」シリーズの幕開けの絵です。
先にご紹介したNo.1, No.2及び No.4 はこの絵の後に 続いたシリーズと思っていただければ話しは簡単です。



調整 部分-1

「調整 部分-1」

今で言えばちょっとドライブ、そんな気楽にツーリングを楽しんでいた時代がありました。

何処を走っていても同じ仲間達はたとえバイクであろうと勿論、自転車どうしピースサインを交わしてお互いの 無事を確かめ合ったりしていました。

ツーリングしている仲間は、どちらかと言うとチョットうす汚くて、積みすぎたテントや生活用品でヨタヨタ走っている人 ばかりでした。

ある日、或時、たまたま碓氷峠を走っていました(よたっていました)。

スポーティで見るからに軽快な自転車が私を瞬時に抜き去って急坂を昇ってきました。



調整 部分-2

「調整 部分-2」 

黄色いシャツときらきら光る銀輪が、右と左に大きく交錯しながらアット言う間にカーブの先に見えなくなりました。

同じ自転車・・・いえ、それは何処の世界にもいる所謂、アスリート。

(弾む肉体と卓越した技術が一つとなって、およそ凡人では想像も出来ないすごい事を平然とやってのける人。)


私も今思うと、そう言う人のそばで間直にスポーツを見たい・・。と思うから水泳、卓球、競技スキーをしているのかな。

2004 アテネオリンピック。こんな顔の若者たちが何人もいますネー。 



調整 部分-3

「調整 部分-3」

何時間かのち、最後のカーブを過ぎると登り坂もやっと終わりです。

横川から一気に坂を上り詰めた喜びと、やっと頭を上げることが出来て、今まで下しか見えなかった視界が 急に開けてとても清々しかった事を覚えています。


と、そのカーブの広場、なんと先ほどのサイクリストが自転車を逆さにして休憩しながらの調整中でしょうか。

「すごいなー、無段固定ギアーだ。」恐らく競輪の選手か〜。


マイカーで、もう愛車を舐めるようにして可愛がっている人を良く見ます。少しのキズなんかも見逃さず直ぐ手入れをする。


しかし碓氷峠で出会ったサイクリストは、家に帰ってきた後も何故か頭から離れませんでした。

私にとって、絵になる風景だったと思います。




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各種顔料

No.5  幸三郎・「油絵の具」製造の極意(1) '04.08.07up 

今回は私の使っている「油絵の具」のご紹介をさせていただきます。


普通の絵描きはマサカ、絵の具まで自分では作らないかと思います。私は普通の絵描きではありませんので絵の具は自分で作ります。

その理由は

1、)色の鮮明サを大切にしたい。

2、)自分の描いた絵の寿命を知っていたい。

3、)使いやすさは私が決めたい。

1―1)色は混ぜれば混ぜるほどくすみます。つまり鮮明さは失われます。混色しない原色。

2−1)原料のはっきりした顔料を使うことで絵の管理の限界を知る事が出来ます。

3−1)顔料には個々の最適な吸油量と言うのがあって、絵の具を練るために必要とされる 油の量と「ちょう度」という扱いやすさのメドは熟成させないと決まりません。



乳鉢練肉

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(2)

顔料はそれぞれの色によって性質が違います。ですから絵の具の製造方法も色によってさまざまなはずです。


「乳鉢練肉」・・これは硬い素材の顔料に対して行われる練肉(顔料を微細化して油の中に練りこむこと)です。

顔料は製造直後「凝集」と言う物理的要因によって本来の粒子径より擬似的に仲間同士固く結び合って塊を 形成し大きくなります。これを「凝集」と言いますが、そのことにより鮮明さを失いクスミを生じます。

この凝集する力の大きい物質に対しては物理的にほぐす大きな力、が望まれます。 ほぐす大きな力の代表としてはなんと言っても「力」つまり、せん断力が必要です。

このコバルトブルーやコバルトバイオレットなどの顔料はこうしたせん断力によって鮮明さ(微細化粒子)を 作り出します。一般工業製品としては三本ロールと言う機械的せん断力によって微細化しています。




平板練肉

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(3)

「油絵の具」の中で比較的高価な色材、(絵の具は色材によって値段の格差が物凄く違う)にカドミ系の顔料があります。


カドミ系の顔料は黄色の硫化カドミウム〜鮮明な赤色のセレン化カドミウムまで大きくカバーしてくれます。

お店で買おうとすると薬指くらいのチューブで黄色は1000円位、赤は1300円もします。(約20cc)
カドミウム顔料は比較的柔らかくネリベラ(練箆)の弾力性を利用して混練りする事が出来ます。

同じように、弁柄と呼ばれる酸化鉄系統の顔料もこんな方法で練肉する事が出来ます。しかしこの弁柄という 優れた顔料は値段的にかなり廉価なため苦労して作るより買った方が楽チンです。

いずれにせよ顔料を人力によって練り上げる為には、若干適正吸油量より大目の油を必要とします。
ところで、先ほどから油々と言っていますがどんな油かは言ってませんでした。

油(ここでは植物性の油についてですが)の中にはほったらかしておくと何時までも不変の油と、 空気中の酸素を取り込んで固まる性質のある油とに区分けされます。

で、油絵の具に使われる油は後者、酸化重合タイプといわれます。

大量に生産され比較的安価な物はペンキの材料として使われますし化学的に合成される事も出来ます。

亜麻仁油は一般的によく使われますがかなり精製に精製を重ねても永い年月の間に黄変(オオヘン)して絵に 沈みをもたらします。
ですから学童用、習作用としてはこの油を使用します。
専門家用にはやや値が張りますがポピーオイル(けし油)が変色せずに好まれます。


熟成

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(4)

「適正吸油量」と言う言葉を使いましたがセメントと砂利と砂に、水を少しずつ加えていきます


よくかき混ぜながら水を徐々に加えていくと突然にジャボジャボになって水分の入れすぎ状態になります。

その直前が大変好ましく、まさしく顔料と油の関係でもそのポイントが最重要であります。

本来工業的には効率のよい「予備かくはん装置」があって飛び散る飛散まつを集塵する装置を備えています。
そして三本ロールで機械的に混練りすると最適「ちょう度」の練肉が得られます。

カドミウムは「毒・劇物」に指定される化学物質です。
衛生的且つ安全に絵の具とする為に余剰の油で湿らせて 飛散を防ぎます。一度油でオブラートされたカどミウムはもう悪さをしません。


ここで私の場合「熟成」を約1〜2年します。ここでは特大の歯磨き用チューブに保管します。

熟成する事によって余分な油は分離してくれます。また、顔料が油によく馴染んで発色性と光沢が増します。




チューブ色々

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(5)

油絵の具に使用する油は空気に触れると2〜3日で表面に皮膜を形成し更には内部まで凝固してしまいます。

ですから用途に応じて色々なチューブを用意しておきます。
大きなチューブは180cc歯磨き用のチューブ 製造会社から買ってきます。
熟成のため大きくても丈夫なものが求められます。
室内制作用には40cc、
戸外持ち運びで扱いやすい20ccと2種類の容器を用意しています。 後者は直接絵の具用のチューブ製造会社さんから買ってきます。




充填

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(6)

練りあがった油絵の具はチューブの充填口(後ろの大きな開口部)から少しずつ周りを汚さないようにいれます。


難しそうですが慣れればナンノ苦も無く詰められます。
時々お茶屋さんが店先で紙筒にトントンしながらやってる あの要領です。
そうする事によって絵の具の中に閉じ込められている気泡が追い出されて保存性もUPします。

どんな仕事もそうですが熟練者は周りを全然汚しませんし、手だってそのまま茶菓子に手を出せるくらい・・ そこまでは行きませんが、何となく自分でもウン、と思える時もある。




絵の具完成

幸三郎・「油絵の具」製造の極意(7)

充填量は7割5部です。

つまり20ccの容器は27ccが目イッパイ。


180ccのやつは240ccも入ります。
ですから目いっぱい入れてしまったらお尻を閉じる事が出来なくなります。

そして閉じようとする向きの90度の位置の絵の具との喫線あたりを軽く押しつぶし、更にお尻をピッタンこつぶして閉じます。
これで最高の出来あがりの兆しです。
閉じ口部分内部には両面テープが内装されていてペンチで潰すと完璧に閉じます。
後は双折りする事で安全です。

最初のペンチ潰しの時、上からティッシュペーパーで挟みこむことによって汚れの広がる事を防げます。




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'72 雷雨

No.4  '75 「雷雨」(F-100号)(160X133cm) '04.07.30up    価格 

今回、ご紹介させていただく絵はチョット大き目の絵です。


前に紹介しました「花屋・・・」と違って、モチーフは「樹上の・・・」「夏の昼・・・」などと

同列と考えていただいても結構です。
つまり絵の発想は自分の生活の中に実際にあったことをそのまま絵にしただけなのです。

平たく言えば「絵日記」でしょうか。

あまり難しい事をグタグタと 考えず、本当に素直な自分の心の印象を絵にしてみる。と、こんな按配になりました。



今年は猛暑とか・・この7月末の時点でも各地から落雷の被害のニュースが伝えられてきます。


犠牲になられた方もいると聞きます、そんな方たちの最後の鮮烈な印象はどんなだったでしょう・・・



雷雨 部分-1

「雷雨」部分-1





絵の描画方法と言う点では「花屋・・」と同じ、惜しげも無く絵の具をチューブから搾り出してパレットナイフで直接キャンバスに絵の具を 盛り付けていますから、この時期としましては絵に対する表現方法と発想の具象化は右にも左にも自由な行き来を楽しんでいました。




雷雨 部分-2

「雷雨」部分-2

ページの始めに、私は某色材製造化学会社を・・・と書きましたが会社で色材を扱う中で「絵の具」の基となる「顔料」についてはあらゆる 角度からの情報や知識を身につけることが出来ました。

そして最初に配属された職場が「塗料」「印刷インキ」だったわけです。

「油絵の具」と言う画材は、まさしく塗料と印刷インキの合いの子なんです。

塗料に使われる顔料は太陽の陽にあたっても退色しない 丈夫な顔料を使います。
但し、沢山使いますから安くなくてはなりません。
印刷インキのほとんどは室内で本の印刷に多く使われますから 耐気候性はあまり重要視されません。

ひたすら鮮明さを求められます。その多くは有機化合物として化学的に合成されます。




雷雨 部分-3

「雷雨」部分-3



これでお分かりかと思いますが、「油絵の具」の顔料と言うのは子供の扱う安全な(口に入ったとしても)絵の具は別として 耐候性(耐気候性)に優れ、鮮明で値段に糸目はつけないと言うものが当然選ばれます。



ルーブル美術館でたとえば印象派の画家の中で色材の違いについてよく比較される二大巨匠を比較してみますと、 大金持ちの家に生まれたセザンヌがなぜ貧弱な絵の具で哀れな彩色を選んだのでしょうか(耐候性のない絵の具)。

それに引き換え、貧しい生活のゴッホの絵は西陽のあたる階段の踊り場で燃えるような「ひまわり」の絵を感動的に見せてくれます (耐候性の優れた絵の具)。

「・・・古墳」からの出土品の中でなんと言っても目を奪われるもの、私にとってそれは壁画です。幾千年の時空を越えて その時の「絵日記」が重い石の扉をクリックすると見えるなんて・・・



そんな訳で、次回は画家による顔料講座・・・イエ、私の絵の具の作り方講座をちょっと。




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'70 花屋の娘

No.3  '70 「花屋の娘」(F-50号)(93X120cm) '04.07.20up    価格 

同じく我が家のアトリエに展示してある絵が写真撮影の都合上NO.3の紹介となります。


私が師事させて頂いた絵の先生に山中巖先生と言う方が居りました


私の「絵描きになりたいんです」と言う言葉を本当に嬉しそうに聞いてくれました。

そしてこんな事を言ってくれました。(アンタハ素質ガナイカラ絵カキニナルノハ無理ダ) という言葉は口にせず、「今の仕事で生活を先ず安定させることが出来ればもうそこからスグ・・」



そんな気持ちの分岐でした。
夢のように迷う自分と現実に正面切って向かい合った私を 側面から冷静に見つめることが出来るようになったのです。




友人達はこぞって言いました。「情熱を無くした負け犬・・」



花屋の娘 部分-1

「花屋の娘」部分-1

つまり漠然と「絵描きになりたい」って、どう言う事なんでしょう。

朝から晩まで絵のことしか考えず、生活の手段としての収入は? 毎日、朝から晩まで絵を描いていられると思う?冷静になれば明白です。






花屋の娘 部分-2

「花屋の娘」部分-2

絵を描く(表現力)と言う点ではその技法を習得又は切磋琢磨すると言う事によってある程度は叶うと思います。


しかしそれは 説明的と言う表現にすぎず、「感動した!」と言う表現とはかけ離れたものではありませんか?。


'70 年代はそう言った議論をよくした事を覚えています。




花屋の娘 部分-3

「花屋の娘」部分-3

もうお分かりかと思いますが、漠然と絵描きになりたかった自分は、芸術家としての扉の前で立ちすくんでしまい、更には描こうとする 絵の題材すら見つけまわらないとならなくなりました。


こんな私でもとても苦しんで描いたのがこの絵でした。




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'80 夏の昼下がり

No.2  '80 「夏の昼下がり」(F-50号)(120X93cm)  

同じく我が家のアトリエに展示してある絵が写真撮影の都合上NO.2の紹介となります。


川口木曽呂この周辺の畑ではサトイモの生産が盛んです。

'70 頃ここに越してきた時この大きな葉っぱを持つ植物の存在は私にとってどうしても 風景の中に取り入れるべき存在ではありませんでした。


こんな植物は私の育った長野では存在しませんでした。


ここで生まれ育った我が2世達は当たり前のようにこの環境を受け入れていました。




夏の昼下がり 部分-1

「夏の昼下がり」部分-1

木曽呂という所はおなじ川口市内に比べるとまったく別世界の環境です。

バスに揺られてグリーンセンターを 過ぎる頃から吹く風に緑の匂いを感じます。

まだ外環道が造られていなかった頃、坂を下り切った所に この世から隔絶されたような風景があっちにもコッチにもありました。

そんなあっちコッチが少なくなってからもう何年になるでしょう。

年々木曽呂の夏は暑い風が吹くようになり宅地化も進みました。




夏の昼下がり 部分-2

「夏の昼下がり」部分-2

幾ら地球温暖化などと叫んでみても20年前の夏も暑い事は暑かった。

幾らも変わってはいません。

こうしてこの絵を描いていた同じこのアトリエで、今パソコンに向かっていても暑さはそんなに違ってはいません。

後ろで「ワンワーン」と唸っているセンプーキの音の方がむしろ、あの頃の子供達の叫び声よりうるさく感じます。




夏の昼下がり 部分-3

「夏の昼下がり」部分-3

子供を育てる事はとてつもなく体力を消費する事だと思いました。(とてつもなく財力を消費する人もいますよね。)



若いお母さんが大汗掻いて、体力で子供を育てているところを目の当たりにすると、ほんとうに頭が下がります。




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'83 樹上の家族

No.1  ’83 「樹上の家族」(F-50号)(93X120cm)  '04. 7.17up



我が家のアトリエに展示してある絵が、とにかく写真撮影の為に いろいろと引っ張り出したりする手間も省ける都合上この絵がNO.1の紹介となりました。


それと、実はこのモデルの樹は我が家の近くにあって 川口市の保存樹として登録されていました。



しかしついこの間、雷の直撃を受け保存も無理、と言う事から伐採されてしまいました。


川口市木曽呂・・・大きな樹(たぶの巨木)がまた1本消えていきました。







樹上の家族 部分-1

「樹上の家族」部分-1

木曽呂という所はおなじ川口市内に比べるとまったく別世界の環境です。

バスに揺られてグリーンセンターを 過ぎる頃から吹く風に緑の匂いを感じます。
まだ外環道が造られていなかった頃、坂を昇り切った所に やはりポプラの大木が木曽呂の入り口として迎えてくれました。

その樹も無くなってからもう何年になるでしょう。

年々木曽呂の夏は暑い風が吹くようになり宅地化も進みました。



樹上の家族 部分-2

「樹上の家族」部分-2

自分が子の親となって初めて家族の絆、を感じられるようになったでしょうか。

自分の親、兄弟に対してでもあり 又、子供達に対してでもあります。

「産んでもらって有難う」又「産まれてきてくれて有難う」しかし子供達の 自立はあっという間ですし、気が付けば私もすでに「おじいちゃん」になっていました。




樹上の家族 部分-3

「樹上の家族」部分-3

子供達が大きくなる過程で、どれくらいの自転車を消費したんでしょうか。

時には無造作に、時には愛着を持って・・ 私と自転車、私の家族と自転車、あまり意識はしませんでしたが沢山のモチーフとして付き合ってくれたのが 自転車でした。




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