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『走行共和』ロケ日誌

前編

Vol,1(2001.11.21)
ついにやってまいりました、中国!!
本日より、環境の許す限り、中国撮影珍道中を発信いたます。
昨日は成田に怪しげな男5人が集結して、いざ出発とあいなりました。なかでも一番コワオモテの星野さん(星野晃氏)は厳重な荷物チェックを受けておりました。そして、5人揃って飛行機に乗り込んだ時も乗客の冷たい視線を浴びたのであります。飛行機は比較的空いていたので、私たちは一番後ろの喫煙席に陣取りました。
そして離陸。チャイナエアはかなり年期の入った飛行機でありました。私の座席などは、離陸にあわせて、背もたれが勝手に後ろに倒れていくのです。背もたれを戻しては倒れ、戻しては倒れ、そんなことをしながら、無事離陸しました。やっと落ち着いたなあと思っていたら、前の座席に座っていた神谷さん(神谷秀澄氏)が肘掛けを勢いよく持ち上げました。と同時に肘掛けにハマっている灰皿が外れて、私のところに飛んで来ました。ヤレヤレです。

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内閣総理大臣伊藤博文役平田康之 連合艦隊司令長官伊東祐亨役中村文平

こんな飛行機で、本当に北京まで行くのだろうかと不安になりましたが、軽い機内食なども出て、予定通り3時間ほどで到着しました。北京からは、リムジンバスで青島までの長い道程。みんなで、ゆっくり寝ていけばいいよなどと言いながらバスへ向かいました。するとそこで待ち受けていたものは・・・、どうみても、高校の野球部が乗っているようなマイクロバスです。まさかこれじゃないよなあと思いましたが、運転手が私たちに向かって屈託のない笑顔で手を振っています。「なんてこったあ・・・」です。平さん(日本人制作スタッフ)の話によると何かの手違いでこうなってしまったそうです。一行に重苦しい空気が流れましたが、そのあとの、食事がとても美味しかったです。単純な一行は急に機嫌がよくなってしまい、みんなで「シェイシェイ」の連発でした。文平(中村文平)さんはジャスミン茶の美味さに感動し、10杯くらい飲んでいたようです。
さあ、腹ごしらえもして、いよいよ青島。さすがにこのバス移動は辛かったです。約10時間。
こちらの人は運転も荒っぽいです。足を伸ばすことも曲げることも出来ず、後半は足がつりそうになってしまいました。「十一ぴきのねこ」(五月舎時代の旅公演)よりつらかったです。
しかし明け方、霧のたちこめる彼方に真っ赤な朝日をみることが出来ました。そんなこんなでホテルに到着し、もうすぐ昼食です。昼食後、衣装合わせの予定です。午後にならないと国際電話につなげないということなので、開通次第、送信してみます。次回から、写真を添付します。それでは。
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ヒラタヤスユキ 




Vol,2(2001.11.23)
チンタオ撮影風景ニイハオ!!
昨日はあれから夜、監督との打ち合わせと衣装合わせを行いました。
本日はメイクテストでした。明日も衣装合わせの予定で、私たちの本格的な撮影は24日からのようです。チンタオ滞在は29日までです。この予定は軍との約束で決められているそうなので、あい変わらず細かいスケジュールはヒッチャカメッチャカで、スタッフは大変なようです。私たちは到着までにいろいろあったので、もうすでに多少の変更には慣れました。

kyowa6.jpg衣装を着て

変更といえば、本日ホテルが変わりました。岩本さん(日本人通訳)が、初日のホテルの惨状を監督に訴えてくれて実現したようです。夕べは小便小僧のオシッコのようなシャワーを浴びていました。それに比べたらここは天国です。しかし、ここはインターネットにつなげません。その為、少し離れた処にある別のホテルから送ることにします。
チンタオの撮影が終わると北京に移動です。北京でも撮影があるようです。

食事に関しては、連日感動的な美味しさです!!どうもすいません。 素晴らしい健康体になりそうです。ではまた。

ツァイツェン!! ヒラタヤスユキ

Vol,3(2001.11.24)
衣装を着て本日より、いよいよ撮影開始!!
いざ戦場へ、という感じです。帰ってきたらまた書きます。

chintao1.jpgこいつがウマイ

本日の撮影、無事終了。
普段のおこないが良いせいか今日から突然寒くなりました。
寒風吹きすさぶ甲板上でのシーン。200人以上のエキストラが参加してなかには本物の軍人さんもいるということでした。

kyowa3.jpgkyowa4.jpgチンタオ撮影風景

ロケ弁がこれまたメチャクチャに美味しかったです。
どうもすいません。

本日はこのへんで。  ヒラタヤスユキ



Vol,4(2001.11.26)
chin-car.jpgなつかしいクルマ

2日目の撮影も無事終了しました。私のシーンは残すところ、パンツ1枚で日向ぼっこのシーンのみです。日毎に確実に寒くなっております。どうなることやら・・・

ロケはやはりいいです。これだけの規模になると、映画を撮っているような感じがします。作品創りは世界共通語だと思います。言葉は通じなくても、漂う雰囲気は一緒です。とても貴重な体験をさせていただいております。

ya-san.jpg第2監督ヤーさん

中国人のスタッフはほとんどが坊主頭で、迫力のある顔をしております。第2監督などは、名前が「ヤーさん」です。しかしこの「ヤーさん」とてもひょうきんでいい人です。

中国人はみんな声がでかく、まくしたてるものですから、あっちこっちで喧嘩をしているような感じです。しかし、これが普通なのです。ですから、ホテルの食堂や、朝市など、人の集まる所では、独特の活気を感じます。生命力が溢れています。やはり中国4000年の歴史はすごいです。

チンタオの街には、中国とはまた違った異国情緒が漂っていて、とてもいい所です。

チンタオの海岸には釣り人がいます。竿持ってくればよかった!!

ではまた。
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ヒラタヤスユキ


Vol,5~7(2001.11.27~12.1)

本日はホテルで待機していましたが、結局出番はありませんでした。
夕食はプロデューサーが一席設けてくれました。本当に食べてばかりですいません。
街の様子などを送ります。
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ヒラタヤスユキ


chintao3.jpgチンタオの朝市machi.jpgチンタオの子供たち


本日、チンタオの風光明媚な海岸にて、伊藤博文が気持ちよく日光浴をしているシーンを撮影しました。
パンツ一丁。とても寒くて、気持ちよかったです・・・。

kaigan2.jpgkaigan3.jpg氷点下の日光浴

私は、アルコール度が50度近い、地元の酒をちびりちびりやりながら、撮影に望みました。その模様などを送ります。
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ヒラタヤスユキ




本日をもって、チンタオの撮影がすべて終了しました。今晩、夜行列車にて北京へ移動。またマイクロバスかと思い、ハラハラしておりましたが、ほっとしました。



今日は文平さんの撮影だけで、私の出番はありませんでした。私は現場に同行し、文平さんの現場マネージャーをやっていました。火薬を仕込んでの撮影。黄海海戦のシーンです。かなり迫力がありました。

kohkai-kaisen.jpg

しかし、撮影終了後の文平さんの顔はススだらけでした。
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ヒラタヤスユキ


Vol,8(2001.12.2)
train.jpg夜行列車で北京へpekin1.jpg

たいへん長らくお待たせ致しました。やっとメールが送れます。

台本の翻訳がギリギリ状態なので、前の日に渡されたりしてます。しかも、台詞がさりげなく多かったりして、日々、ボケと格闘している身にとっては、緊張感の連続です。

でも、台本を翻訳してくれている、我らが通訳の岩本女史はとてもよくやってくれています。感謝!!
とにかく、日々素晴らしい体験をしております。このことを、役者のこやしとして全力投球でがんばっております。

北京では、スタッフと一緒に、大学の宿舎に滞在しております。

本日、これから撮影なので、一段落したら、たまっている、写真を送ります。
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ヒラタヤスユキ



Vol,9(2001.12.3)
青島から北京への移動は夜行列車に揺られて12時間。なにか、とても懐かしい気がして、初めて夜汽車に乗った子供のような気持ちでありました。

banri1.jpgbanri2.jpg万里の長城へ

翌日はオフ。我々は北京分の台本を渡され、台詞をおぼえなければならなかったのですが(伊藤博文は台詞が多い!! ありがたいことです)せっかくの北京。
一同、今日一日は台詞のことは忘れよう!! ということになって、万里長城と北京市内への観光に出かけたのでありました。それでも、移動のバスの中では、そこかしこでボソボソと台詞をつぶやく声が聞こえてくるのでありました。

sikin1.jpg故宮(紫禁城)taxi.jpgタクシー?

翌日は伊藤博文が先陣をきって、撮影に臨みました。北京での撮影はスタジオセットです。
前日に見学した故宮の一角がそのままに再現されていました。西太后が控える部屋で、光緒帝との謁見シーン。午前1時、撮影終了。

国会議事堂と皇居のセットがまだ完成していない為、翌日もオフ。私にとっては、台詞を覚える時間が増えてありがたいことです。
日々、とても良い緊張感に溢れています。--ヒラタヤスユキ

Vol,10(2001.12.5)
今日、雪が降りました。

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昨日の撮影終了が午前3時。今日は午前零時。
みんな、いささかバテぎみであります。
北京では、スタジオとオープンセットの2カ所で撮影しています。どちらも、とてつもなくでかく、とてつもなく寒いです。
連日、「八甲田山」状態です。
おやすみなさい。
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ヒラタヤスユキ

mon.jpg通訳の岩本女史
taoru.jpgバリバリに凍ったタオル
bun-jana.jpgジャー・ナー監督
jian-d.jpgジャン・リー監督と

Vol,11(2001.12.7)
owakare.jpgクランクアップ組のお別れ会

本日、文平(中村文平)さんと星野(星野晃氏)さんがめでたくクランクアップを迎えました。
ジャン監督主催で、ささやかなお別れ会を開きました。

こちらは、日に日に寒さが増してゆきます。いったいどこまで寒くなるのやら。恐ろしささえ感じます。

こちらに来て、2週間以上経ちました。言葉は通じなくても、それぞれのスタッフのキャラクターが見えてまいりました。皆、それぞれに個性的で、面白い人たちばかりです。

やはり物を創造する空間はとても素晴らしいと感じる今日この頃です。
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ヒラタヤスユキ

Vol,12(2001.12.11)
連日、かなりハードな撮影スケジュールが続いております。
早朝出発で、深夜帰舎。午前0時を過ぎると、現場は深々と寒さが増してゆきます。
ほとんど冷凍庫の中にいるような状態で、マイナス10度に達しているとのこと。気力と体力勝負になって来ました。

昨日は撮影現場が変わり、北京市内にある、西太后が建てたという迎賓館のような建物の中で撮影が行われました。暖房が効いていて今までのことを思うと天国でした。
1シーン(何故か伊藤博文が首相官邸でビリヤードをしている)を撮り終えたところで、屋外の撮影の予定でしたが、雪が降ってきたため中止となりました。

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久々にほっとひと息。宿舎に戻って寝ればいいものを、そのまま市内散策にくりだし、晩飯は羊の串焼きなどを喰らいました。
毎度のことですが美味。

極寒の中、ロケ弁を屋外で立ち食いなどしていると「ものを喰らう」ということの原点にふれているような気もします。これもまた貴重な体験です。

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本日の撮影も暖かい現場の予定なので、ちょっと気が楽です。
それでは行って来ます。
ツァイツェン。
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ヒラタヤスユキ

Vol,13(2001.12.13)

北京での撮影が無事クランクアップを迎えました。
桑名(桑名湧氏)さんも神谷(神谷秀澄氏)さんも帰国しました。
私は、我らが小高社長が陣中見舞いに来てくれるということなので、
そのまま滞在し、17日の便で一時帰国することになりました。
次回撮影はちょっと間が空いて、広州での予定です。
広州は北京に比べるととても暖かいということです。

昨日は北京市内に滞在している日本人留学生宅を訪問しました。

ryugakusei.jpg留学生たちと

彼らは「電影学院」という大学で、映画創りを学んでいるということです。
異国の地で映画に夢を託し頑張っている人たち。なにか新鮮でした。
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ヒラタヤスユキ




Vol,14(2001.12.18)
昨日無事帰国しました。我らが小高社長が陣中見舞いに訪れ、一緒に現場を訪問し、監督はじめプロデューサーに挨拶してきました。

そんなわけで、次の出発はまだいつになるか決まっておりませんが、今度は広州ロケの予定です。また現地に入りましたら発信いたしますのでよろしくお願いします。

ヒラタヤスユキ




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