文平です。2月25日は霧の中、北京へ到着。そのまま、撮影直行と思いきや、予定変更でホテルへ。ヘアメイク、衣装をチェック。全て、無問題!明日の撮影に向け、前回「走向共和」で明治天皇役だった矢野君と、稽古。稽古が終わったのは、11時過ぎ。明日は6時出発。部屋に戻り、風呂に入る。旅の疲れから、そのまま就寝。
なつかしの矢野浩二さんと・・
翌2月26日。
5時半に起きて、メイク。6時出発。
メイク完成
撮影スタート、8時。こだわりの楊監督。
現場は、TVドラマと言うより、映画の撮影に近い匂い。
今日のS190がかなり長いとは言え、撮影は1カット1カット、丁寧に撮られていく。
結局、S190を撮り終えたのは夕方の6時。
無事本日の撮影は終了。
ではなく、終わったのは、僕と矢野君のみ。
他は昨日の撮り残しを撮影のため、居残り。
さて、明日も朝6時出発。今日は少し早めに就寝。
辛苦労!文平でした。
2月26日の6時出発に続き、2月27日も6時出発。
27日は怒涛の撮影ラッシュ。
撮影前にスタッフと
まず、車の交通量が少ない工業団地の広い道路を使っての撮影。
キャスト送迎用のセドリックのボンネットにカメラをセット。
荻村教授、不肖中村の運転技術を実際に車を走らせて、レベルチェック。何せ、中国は左ハンドルに右側通行。しかもマニュアル車。何年振りにクラッチを踏むかなと思いつつ、恐る恐る発進。
体はマニュアル運転を覚えていたと見え、どうにかOK! 突然、楊監督が来て、カメラの付け替えを指示。車は監督のビュイックを使うことになる。テストを含め、7TAKE.。楊監督からOK。
続いての撮影現場は、日本の山谷の素泊まり旅館の設定。現代部分の主役蕭憶の阿部君とかとも打ち解け、車の中で昼食。いつもの調子で、中国側のスタッフとも「ニイハオ、辛苦労、是是、謝謝、好好」の中国単語と、英単語で仲良くなり、全て「無問題」いやあ、我ながらつくづく図々しい奴ですな!
事あるごとにスタッフの話題に首を突っ込み、かき回しています。
現場スタッフと連日の撮影にちょっとお疲れ・・
ヤンヤン監督
共演者と
荻村教授の妻役の簗瀬さんも加わり、中国事情などに花が咲く。
台本は中国語の直訳ですから、撮影に入る前に、自分なりの言葉に書き換えて、稽古してます。
例えば、蕭憶を荻村が励ますシーンでは、こんな具合です。
元の台詞は「そんな迷惑なら大歓迎だよ」を、
「馬鹿!警察なんか何度でも行ってやるよ。余計な気を使うんじゃない」と変えます。
そして、監督に助監督の大村さんを通して相談。そして、OK!
こう言った調子で、殆どの大事な台詞は変わっていきます。兎に角中国では言わなければ何も動かない。
こちらから積極的に動かないと話になりません。こちらからアイデアを出せば必ず聞いてくれます。
それもまた、中国での仕事の楽しみのひとつ。監督も結構乗ってくれて、現場は和やかです。
素泊まり旅館の撮影現場は、なんとその昔、北京の地下を迷宮のように掘られた、防空壕を整備して造った、中国人向けのホテル(と言うより、地方から出てきた人向けの旅館。ちなみに外国人は泊まれないとのこと。)
表の構えは、小さな飲食店と言った感じで、入るとすぐに左手にカウンター。そこから地下に狭い階段が続く。階段を降りると、幅150cmに満たない狭い廊下が延々と続いている。
開け放しのドアの中は、日本で言えば6畳ほどの広さ。
ベッドがひとつ。見ると家族連れで6人くらいの人が泊まっていたりする。
天井は思ったより高く2、5メートルくらいか。撮影は、まっすぐに続く廊下の端から端までを使っての、ドリー撮影。この場面が終わったのは、14時過ぎ。次の撮影現場へ。
この後が本日のメイン。
明け方まで続く撮影の幕開けなのでした。
それは、第3弾にて詳しく。
北京の空は曇り、街には霧が立ち込める。
高層ビルの群れが、そそり立つ奇岩のように淡い影となり、
明かりは山里の家の灯火のようだ。
2月28日と3月1日は霧の中に明け、霧の中に暮れた。
さて、2月27日、撮影日記。
さあ、撮影と言う時、別のTV局の取材が入った。「記憶の証明」の宣伝の為の取材。
撮影中も取材班が同行した。北京地下壕ホテルの撮影も終わり、次は荻村教授(中村)の自宅に初めて蕭憶が中国から訪ねて来る場面。現在建築中の高級マンションのモデルルームを使っての撮影。現場へ移動し、セット出来るまで打ち合わせ。例によってくだんの如し、台詞の変更などを含め打ち合わせ。
では、こちらも準備が出来るまで「記憶の証明」撮影秘話。
お話は記憶の証明の過去部分。
2年前の「走向共和」では、日本兵のエキストラは全員人民軍の兵士の皆さんだった。
今回、記憶の証明の過去部分のメインは、捕虜収容所。
この捕虜のエキストラは、全員本物の犯罪者。
5人の警官が引率?し、300人の捕虜役の犯罪者を監督したそうな。
勿論、犯罪者と言っても、軽い窃盗や引ったくり、泥棒の類いだろうが、迫力があったと過去部分で収容所の最高責任者岡田を演じた矢野浩二君が話してくれた。
300人のエキストラは、実に統制がとれ、指示に忠実で、能く厳しい環境の中で、捕虜を演じたと言う。将に中国ならではのエピソードだと思った。きっと、地方から無断で都市部に出てきた人達が、運悪く捕まったのだろうが、切ない。身につまされる。
撮影の準備が出来たようなので、現場に行ってみましょう!
流石立派な部屋です。早速撮影。
まずは玄関で蕭憶が案内を乞うところ。
ここでもひとつ小芝居を提案。
荻村夫妻が揃って「どうぞ」と一言の場面だけれど、
監督に相談して、台詞は知ってる中国語を全部言うことに。
で、「ニイハオ、ニイハオ、ホアンインチンジン、チンジン、チンゾォ、チンゾォ」(こんにちわ、こんにちわ、いらっしゃいどうぞ、どうぞ、座って座って)とおおむね勘違いの出迎えの場面と早変わり。監督も笑ってまして、楽しそうでした。
玄関の場面が始まったのが午後4時くらい。
この辺りから荻村教授の頼りなくも強引な芝居は冴えを見せ始める。
窓外から当てられるライトに騙され、まるで養鶏場のブロイラーの如く荻村教授は時間が経つにつれ、テンションは上がり、親父ギャグは留まるところを知らない。
引き、寄りは勿論、アームを使い移動を使い、監督も撮影を進める。結局終わったのは午前2時30分。
お疲れ様の一日でした。
辛苦労(お疲れ様でした)辛苦労!
しかし、お風呂に入って心地よくベッドに入った荻村教授に、意外な朝が用意されていたのです。
たいしたことじゃないのですが、乞うご期待。
ちょっと周尚文の代役?共演の川辺久造氏と
今回のドラマに参加した日本側の役者は、全て別の日に中国に入り、別々に中国を離れる。なかなか全員が集まることが出来ない。ちょっと寂しい。
川辺久造さんと
では、撮影のこまごまの続き。
28日の午前4時に寝たと思ったら、すぐに部屋の呼鈴を鳴らす音。朦朧とした頭でがばっと起きると、部屋の扉が開く音。すぐにホテルの部屋清掃の女の子の姿が見えた。時計を見ると、7時ちょっと過ぎ。
女の子は一言言って出て行った。
「なんだあ?」ベッドの上で、暫し呆然。
重い頭の中で、「そうか、この2日間とも朝早く出発してたから、今日も同じだと思って掃除に来たのか………」と毛布をかぶったが、時既に遅し。体は重くさりとて、また眠るには時機を逸してしまった。
結局、荻村教授は眠ることもならず、さりとて心地よい朝の目覚めの得られず、ベッドから這い出るしかなかった。
でもこの後いつOFFの日があるのか不安なため、奥さん役の簗瀬さんを通訳に頼み、近くの大きなスーパーへ。小高社長、平田康之氏、茉莉花茶買いましたよ。
後は部屋に帰って、お昼ね夜寝でした。
この日は監督が「記憶の証明」の記者会見だったので、撮影班は早めに撤収。
明けて3月1日。
この日もOFF。気持ち良く眠り、目覚め。やっとこメールの整理。
唯、ひがな一日ぼんやりと過ごすことが出来ない、律儀?な荻村教授は、現場へ途中から行く車に便乗。
この日は報道班として撮影現場へ。片手にカメラ、片手にビデオ。本日の現場はスタジオ。
日本と同じようにスタジオが並ぶ。中へ入ると、日本家屋がひとつ。青山洋平(矢野浩二君)の自宅。
つまり、収容所の所長だった、岡田の自宅であり、蕭憶の恋人小百合の祖父の家。
年老いた岡田(川辺久造氏)が周尚文の幻と碁を打つ場面。川辺さんとは荻村は全く絡まないので、この機会にと写真を撮る。助監督の大村さんに頼み、監督との写真を撮る。
監督が、「では、役者さんと一緒に集合写真を撮りましょう」とセットの中で、記念撮影。
この後も、荻村教授はせっせと写真とビデオを撮り、吸煙(喫煙)しつつ、中国語の取得に努める。
しかし、寒かったので早々に退散。
明日3月2日は7時出発予定なので、6時にメイクだろうと当たりをつけ目覚ましを5時30分にあわせる。「さあ、寝ようかな」独り言していると、ドアをノックする音。ドアを開けると、制作の矢野さんがいる。
「文平さん、明日のメイク5時です。宜しくお願いします」
「……は、い………」
ベッドの中で(明日は4時半起きだな)こう言う時に限って何故か、発動機のような音を立てて、何か得体の知れないものが走っていく。これが明け方の2時、3時の話。うとうとしたと思ったら、枕元で電話が鳴る。 起床の時刻を知らせる、制作の矢野さんからの電話。「行くか」
本物の裁判所を使った、3月2日の撮影については、次回。
文平でした。
これが中国の裁判所。本当は勝手に写真を撮ってはいけないのですが、隠し撮りしてしまった。 |
そして、これが裁判所の中。カメラのセット中のところをちょっと一枚。 裁判官や弁護士など、日本語の台詞が有る特約(エキストラ)は、日本からの留学生や企業の駐在員。傍聴席の特約は中国の人達。 |
そしてこれは、メイク中の山花役の松野健一さん。額から両頬にかけて皺をつけ、額には刀創がはしる。これが出来上がった山花のメイク。 | ||||||||
このメイクだけで1時間以上掛かるのだ。今日の撮影のメインは山花役の松野さん。僕等は台詞は一言なので、割りと芝居に集中して気分はリラックス。やはり撮影が始まって大変だったのは山花役の松野さん。「人を刺すのに理由なんか、要るかい! 人間なんぞ魚みたいに簡単に殺せるんや!」 と弁護士に掴み掛かり、警官に引き摺られる場面を、十回程熱演。本当に辛苦労!!で、荻村は何をしていたかと言うと。 |
こう言うことをしていたのであった。松野さん、御免なさい。真中は不肖中村。向かって左は日本人留学生。右は助監督の張歌さん。張さんは急遽役者として出演。で……… | |||||||||
さて、中国の撮影も佳境となって参りました。
今回は病院を使っての撮影。僕の出番もいよいよ終わりに近づいてきました。
これが病院の現場です。本物の病院なので、
特約(エキストラ)の看護婦さんが立っている後ろはドクターの控え室です。
入院患者もちょっと離れた所で見学しています。
岡田が昔の恋人宮崎の病室を訪れる場面です。
特約の看護婦役の女の子、緊張してました。
その後ろでは、岡田役の川辺さんは、既に舞台袖で
出番を待つ役者の顔です。
そして、これが岡田の恋人宮崎役の弓さんです。
弓さん、変身。弓さんの頭は鬘です。張万象老師の手作りです。
毛髪1本1本を植え込んで作ったものです。
中国では、役のイメージに合わせて髭や鬘をひとつひとつ作るのが、
当たり前のようです。僕達にとってもだい先輩の、弓さんと岡田さんの
緊張感溢れる本番。
特約の女の子も、監督からOKが出て、初めてのTV出演にどこか放心状態。
斯く言う私荻村は、制作主任の張さんと、ちょっとだけの
非情都市の真似事をしてました。
制作主任の張さんは、若き頃柔道を遣っていたとか。
そのため、待て、有効、1本、受身、始めなどの日本語は通じるのです。
こうやって、無事???に病院での撮影も終わり、
村教授こと中村文平は、残すところわずかとなり、2日ほどOFF。
時間を持て余した僕は、次々にやって来る日本の役者を報道することにしたのです。
まずは、池田役の遠藤さん。
そして、中村雅代役の北河さん。
メイクしているのは張老師の奥さんです。
後ろの張老師の嬉しそうな顔、見えますか?
北河さんは、着物姿で最初の撮影に望みました。
これは、矢野浩二くんが、北河さんをインタビューしているところ。
何だか、僕をインタビューした時とは、全然違う顔をしてます!
例えばこれは、矢野君と遠藤さんの稽古風景。
お次は川辺さんと弓さんのほんわかとした稽古風景。
「弓さんは此処なんぞはどう思われます?」
「そうですわねえ………」
なんて、ほのぼのとした感じでしょう?
川辺さんにはしかし、大きな不満があったのです。
川辺「俺は今日こそ地鉄(地下鉄)に乗るぞ!」
助監「駄目ですよ。危ないから」
川辺「危なくなんかねえよ」
助監「駄目です。川辺さんは方向音痴なんだから」
川辺「馬鹿言うんじゃねえ」
ま、毎日こんな会話が聞こえていたのでした。
そんな諸先輩方を横目に、わたくし荻村は、矢野浩二とともに
北京の夜に紛れ、羊肉の串焼きだの羊肉のしゃぶしゃぶだのを
たらふく胃袋へ納めまくっていました。