韓国旅行その2 1998年3月11日〜13日 |
日付 | 内容 | 行き先 |
動機+1998.03.09 | そしてまた韓国へ。 | ご近所(笑) |
1日目1998.03.11 | カモカモN西君。 | 明洞、梨泰院、ロッテ百貨店、南大門 |
2日目1998.03.12 | 観光に目覚める。(前編) | 景福宮、安国(仁寺洞) |
観光に目覚める。(後編) | 安国(仁寺洞)、?、ソウルタワー、漢江 | |
3日目1998.03.13 | あれ?無くなってるっ!! | 帰国 |
「3/13(金)」 | ||
ガイドさんが到着し、来た時と同じように車に乗りこむ。僕達の荷物がすごく増えているのを見て、驚いている。僕の荷物を見て、「あっ、タイタニックですね。私もその映画見ました」と言っていた。やはり恋人と見たのかな?このガイドさんは綺麗だから彼氏がうらやましい。僕がプラモデルをたくさん買ったと言う話をすると、東大門に行けたのか?と聞いてきた。そう言えば、忙しくて行けなかったのだ。少し心残りである。タイタニックと言えば、タペストリーも心残りだ。車内でI川君にそれを言うと、お母さんが後で韓国旅行に行くらしいので、頼んであげようか?と言ってくれた。ぜひ、と頼む。(結局、事情があって行けなくなったそうです。) |
今回は色々な偶然に助けられた感じがするので、少し紹介します。 | |||
非常にタイミングが良かった。 | |||
●ガイドさんにロッテ百貨店に行くことを告げると、免税店の割引チケットを取りに戻った。20分かかったのだが、このおかげでPさんに電話がかけられて、梨泰院に行けた。 ●梨泰院のハミルトンストア前にある観光案内所。ここは「軍屋」から戻ると閉まっていた。もう少し遅く出かけていたら、店の場所が判らなかったかもしれない。係の人は本当に親切だった。 ●初日にロッテ百貨店で、N西君が何も買わなかったおかげで、他にも行ってみようということになり、メトロ美都波へ向かう途中の地下街で、スポーンを見つけられた。 ●僕はその地下街を周ってみようと思ったので、「軍屋」を発見し、たまたま中の店員がプラモデルを趣味としていたため、模型の宝庫「S」店を知る事が出来た。 ●南大門からホテルの部屋に着いて、すぐPさんから電話があった。これも、もう少し遅く部屋に入っていたら、この日は逢えなかったに違いない。 ●Pさんの家の近くに模型屋さんがあり、たまたまPさんはそれを知っていた。 | |||
印象に残った出来事(人)。 | |||
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「それから」あとがき | |||
帰った当日は韓国の気分が冷めず、家へまっすぐ帰らずに仕事場に直行。常連の子を呼んで土産話。そのまま「カレーハウスCOCO壱番屋」へ行ってN西君は1,300gカレーに挑戦して撃沈、そして解散と、無茶をしました。 部屋に戻ってその日はぐっすり寝ましたが、どうしてもPさんの言っていた事(酒に酔っていたとはいえ)気になります。ガイドブックを隅々まで読んで反省しました。韓国は儒教の教えが強く、先輩を敬う事に厳しいのでした。僕達がしてきたこと(先に食べたり、歩いたり)は、ひどいことばかりだったのです。それでPさんも酒で不満が爆発し、キレたのかもしれないと思いました。良い方に解釈すれば、本当の友人として認めてくれて、自分の本音を出したとも言えるかもしれませんが、僕はあの行いから、前者の方だと思いました。また、対等に見てくれたとしたなら、僕はとてもじゃないがそのような「出来た地位」に無いのです。正直な話、僕のやっている仕事なんてちょっとがんばればアルバイトにだって出来ます。まず自分の事を大事に思う心も荒んでいます。落ち込みました。この先どうやっていけば良いか判らなくなってしまったのです。 友人のY岸にも「お前なんか、友達じゃない!」とひどい事も言いました。その電話で僕の危機的な様子を感じ取ったのか、明日も仕事があるにもかかわらず、わざわざ僕のいる隣の県まで来て話をしました。このときも僕は納得できずに終わったのです。Y岸の言う「がんばり」の意味が理解できなかったのでしょう。僕は同世代ではダメだ。かといって恥ずかしくて家族にも相談できなかったので、ある人に助けを求めました。 そのおかげで僕に大切な友人が、また1人出来ることになるのです。(→韓国その3へ続く。) 話は韓国に戻ります。(笑)僕が今回行ってみて感じたのは「流行」の事です。前回行った時、チョイがかけていた眼鏡。「何て上下に狭いんだ!まるでドラえもんに出てくる、スネオのママのとそっくりじゃないか、カッコ悪い」と思っていたのですが、2年余り経って日本で流行っています。携帯電話もそうです。今の日本では誰もが持っているくらいですが、前回の時点では明らかに韓国のほうが普及していました。そして韓服(ハンボック)。99年の時点で東京の方で流行し出した、というのをTVで見ました。今でも思います。ひょっとして「流行」は韓国の方が先を行ってるのじゃないか?と。 とても考えさせられた旅行です。今回もビデオがあったため、しつこくなるのを承知でなるべく完全に再現したつもりです。読んで頂いた方、ご苦労様でした。想像力がたくましい人、また、韓国に行ったことがある人はもちろんですが、行ったことが無い人、これから行こうと思っている人に臨場感が伝わったでしょうか?これからもがんばって書いていこうと思います。これからも僕は「判らないこと」に直面していくのです。でも1つ確実なことが言えるのは、 I川君とN西君にお金を貸すと、1年は戻ってこないということだ。(笑) おしまい。 追記。2000年10月11日、嬉しい事がありました。あの模型店で見た「マッチボックス1/72フラワー級護衛艦、コルベット」をオークションで落札できたのです。しかも新品で。その日は何故か検索する気になったのですが、「マッチボックス」では見つかりません。「フラワー級」でも見つかりませんでした。しかし「コルベット」で見つかったのです。「シボレー・コルベット(実車)」に混じって。(笑)オークション締め切りまで残り3時間でした。幸いにも僕しか落札者が無く、定価よりも安く手に入りました。18年間捜し求めたものに出会えるとは、感慨深いものがあります。物に恵まれている気がします。 |