思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その22
 2011年・秋
 
最後の運び屋/久し振りに夫婦二人旅
 スペイン斜め縦断の旅 
終盤にサンチャゴ・デ・コンポステーラ目指す正味11日間の旅
 
はじめに…息子・大亮がバルセロナで任期残すところ半年弱(予定)。最後の運び屋で 
 何度か報告しているように、大亮の3年任期の日本人学校勤務も2011年度末で終了します(何か大きな変化がない限り)。
 都合、4回に及んだ、バルセロナへの日本食食材の運び屋も、これが最後になりそうで、今回は弘志と恵子の二人旅になりました。残り5カ月を切っていますから、必要な日本食食材も少なくなりましたが、だいぶ先とはいえ、帰還する際の必要物品も出て来ました。
 エアーチケット代は、やはり底値は冬場の2月頃のようですが、それまで待つと運び屋の意味がなくなります。少し高めでしたが、フィンランドエアーにしました(往復8万円)。ただ、今はどのチケットもそうですが、燃油サーチャージが高く、それに4.9万円もかかりました。それでも早めに確保しないと更に上昇傾向にあったそうです。
 こういう航空会社は人気が高いらしく、日本からのパックツアーで結構日本人が多かったです。もちろんこんな時期ですからリタイアー組が大半を占めていました。安い分、以前のような豪華な食事は付いていませんが、これは明らかにこれからのトレンドでしょうね。
 スペイン行きは、多分これが最後になるので、バルセロナの後、どこに向かうか?見落としスペインはたくさんあるのですが、結局、キリスト教の世界の三大巡礼地に最終盤に向かうことにしました。イベリア半島の最北東端にあるサンチャゴ・デ・コンポステーラです。マドリッド周辺にも興味深い町があるので、それも巡ってから、ということになり、そこへ向かうなら直行でなく、バルセロナから鉄道で南下してバレンシアを経由するという基本コースを組みました。ですから、「斜め縦断」になったわけです。
 サンチャゴ・デ・コンポステーラへの行き方には、迷いましたが、結局、往復とも飛行機にしました(大亮にネットで購入して貰いました)。列車を使うと、マドリッドから8時間以上かかり、ヘタをすると一日つぶれ、夜行を使うと座席指定が日本からは難しい、という事情もありました。値段も国内便は相当安価で、列車より安い場合の方が多いようでした。この種の航空券は時間帯によって価格が大きく異なるのにも驚きました。にわか信者もいいところですが、全世界から人々が集まる町ではあるので、ここで少しドラマチックなこともありました。後で触れます。

 ヨーロッパ通貨危機と騒がれた時期で、ユーロ安ではあったのですが、以前のように町々で両替をすることは殆どないので実感は湧きませんでした。ユーロは自分の銀行口座からATMで直接引き出しますから帰らないとレートは分からないし、クレジットカード払いが多いのですが、これも自宅に請求が来ないとレートは判りません。
 まえがきで色々書きだすと冗長になりますから、続きは本稿で書くことにして、天候だけに触れておきます。概ね雨の少ない日々を送ることができました。ただ、快晴が続いたわけではなく、曇天もあり、夕方に小雨に見舞われることもありました。

 
10月20日 関空10:55発 バルセロナ着現地20:20   10月27日 サラマンカ新旧カテドラル。マドリッドへ
10月21日 カタルーニャ美術館。ミロ美術館。等 10月28日 サンチャゴ・デ・コンポステーラへ
10月22日 ティビダボ遊園地。豆腐屋清水宅 10月29日 サンチャゴでカテドラル・博物館
10月23日 カサ・バトリヨ。バレンシアへ 10月30日 ガリシア博物館。マドリッドへ
10月24日 バレンシアカテドラル。中央市場。クエンカへ 10月31日 10:20マドリッド空港発
10月25日 クエンカ宙吊りの家。マドリッドへ 11月1日 関空10:00
10月26日 セゴビア水道橋・アルカサル。アビラ城壁    

 
今回も制限ギリギリまで運び込みました。(23+8)kg×2(人)
 バルセロナからのオーダーをメールで聞いて日本で買い込むという形でブツの準備は進みました。最近は多くなっているバルセロナからネット通販で申し込み、日本の塚脇に届き、それを運び込むというパターンもあります。アマゾンの本類、ユニクロの衣類とかですね。バルセロナでは布のガムテープが貴重品らしく、このオーダーも5個でした。気の早い話ですが、スペインを去る時に同僚に渡す品までオーダーに入って来ました(何だと思います?3月まで内緒!)。そして、日本人スタッフに喜ばれるお土産が銅鑼焼きです。これもできるだけたくさん…となると、予想外に荷物は膨らみ、表題のような量になりました。
 大亮の息子の桃勢なんかは「モモのお土産は、最後に出してネ」と期待に胸ふくらませていました。従兄妹の健介・春菜に借りた『ポケモン図鑑』をはじめスペインでも人気のアニメキャラクター商品でした。
 
▲無事、バルセロナ空港に到着 ▲運び込んだ諸々。桃勢、ポケモン図鑑を見せる  

バルセロナでの見落としスポットを探索
 着いた日、大亮達のPISO(マンション)に入ったのは夜10時頃でしたが、日本に帰ってからの色々とかも話し、少し遅くなりました。
 翌日は桃勢も幼稚園を休んでくれて、見残しバルセロナ探索に付き合ってくれました。大亮達が「コロニア・グエルは行った?良いとこだよ」と言うので、訪問地はそこにしました。ただ、その途上にモンジェイックの丘に通じるスペイン広場があることを発見、先にカタルーニャ美術館へ立ち寄ることにしました。
 予想以上に壮大な美術館で、ちょっと驚きました。広場からの道には外エスカレータもあり、見学者でいっぱい、平日だったので子供達も学校から見学に来ていました。小高い丘にあるので振り向けばスペイン広場方面を一望できました。
 その後、道なりに裏側に回ればミロ美術館へつながっています。12年前に訪れた時は閉館後だったので見残しと言えばその最たるものでした。ここは世界的に有名なのか、行列ができていましたが、たっぷりと見学できました。ただ、一応撮影禁止ということになっていました。何だか、ショップで絵葉書を買わせるためのような気もしましたが、仕方ないですね。
▲カタルーニャ美術館への道 ▲美術館からスペイン広場方面 ▲ロマネスク美術の部屋で
▲ミロ美術館屋上 ▲ミロ美術館内彫像と絵画 ▲ミロ美術館内でランチ

コロニア・グエル教会堂へ
▲コロニア・グエル教会堂外観 ▲教会堂の内部遠景
  桃勢君も眠くなってきたので、ここで恵美・桃勢組と別れてスペイン広場の近くの地下鉄駅から20分程離れた所にあるコロニア・グエル教会堂へ向かいました。この日は大亮は出勤でしたから、恵美ちゃんは車で迎えに行かねばならず、その時間の関係もありました。
 この教会堂は、ガウディの設計によるもので、グエル公園のあのグエル氏が繊維工業住宅地区として開発した地域でした。途中でガウディはサグラダファミリアの方に集中したため、こちらは中断したらしい。
 この町はイギリスのニューラナークのような空想的社会主義による街作りの趣でした。詳しいことは調べていませんが、そんな印象です。
 教会堂の雰囲気は、ガウディらしい海のイメージや曲線的デザインがたっぷりでした。その周りに配置されている施設には労働者向けの福利厚生的なものが多く見られました。
 今は個人の住宅等に使われているのですが、まだ現役の工場として稼働しているところもあり、やはり石の文化の耐用年数は長いと感嘆しました。    


 
▲教会堂の横から ▲受付、インフォメーション ▲今も稼働中の工場  

ティビダボ遊園地は、バルセロナとサンクガットの間にあって、展望は抜群
 3日目は土曜日、大亮も休みなのでみんなで車で行ける所を考えました。大亮のPISOから見える低い山の頂上に建物があり、それが遊園地で地元では結構人気だそうで、そこへ向かうことにしました。
 山頂に見えるのはキリスト教会なのですが、いかにも新しくそれ用に作ったもので壮大な割には内容的には薄っぺらな印象でした。ただ、展望だけは素晴らしく、サグラダファミリア教会はもちろん、バルセロナ市街が見渡せ、その向こうはもちろん地中海でした。
ティビダボの教会 ▲山頂展望台で ▲展望台の東側
   
遊園地の向こうにバルセロナ市街が広がる    

東風(トーフ)カタランの清水君が大改装したマンションに泊めてもらう
 ちょうど1年前、バルセロナからパリへ向かう直前に訪問した大学時代の同窓、清水君が開店した豆腐屋さん(豆腐屋さん開業の経緯はHPに書きました)。彼がその後店の近くにマンションを借りて大改装を敢行。息子やネットを通じて、是非「別荘だと思って」泊って行って下さいとメッセージが届いていました。
 息子宅に2泊した後、彼の家に泊らせて貰い、そこからバルセロナ・サンツ駅に行き、バレンシアへ向かうことにしました。丁度土曜なので、翌日店は休みで夕方から唯一空いている日だったので、お宅訪問をしました。
 このお宅が凄かったです。先ず、名前は2階なのですが、実際は6階で(この事情については長くなるので割愛)、そこまでは木製のエレベータで昇ります。定員4人ですが、何とも趣のある乗り物でした。ヨーロッパでは、由緒あるホテルに時々あるものです。部屋も色々あって、僕達客人用の狭いけど清潔なツインベッドの部屋が入口に直ぐにあります。清水君が改装に力を入れた風呂は日本式でバスタブ以外に洗い場があります。トイレも勿論ウオッシュレット。右に主寝室ですが、ここは妻の美知子さんのヨガ教室にもなる広さ。左の奥にダイニングを兼ねた居間。パティオに面しているのが清水君の書斎兼洗濯機室。驚いたのは日本では考えられない幅広の廊下でした。窓から南を望めば地中海が見える、という贅沢でした(それでいて、家賃は千ユーロ!)。
 息子の大亮一家も同行し、日本人学校中学生の職場体験学習実施の打ち合わせをしていました。彼は地中海マラソン出場が翌日なので、早々に帰りました。その後、ランブラ・ダ・カタルーニャ通りにあるセルベッセリア・カタラナというピンチョスの店で夕食をご馳走になりました。さすが地元で大人気の店で、席取り合戦で巧くカウンターに座れて、美味しい料理に大満足でした。他の町でもそうでしたが、現物を見て、「これ」と注文できるので大変好都合でした。
 翌朝は、日本以上に日本らしい朝御飯をいただきました。親戚や知り合いが土産に持って来てくれる日本食が色々あるようでした。  
▲説明する清水君、後エレベータ ▲清水宅、主寝室兼教室 ▲窓から。遠くに地中海

 

▲リビングで打ち合わせ(横は妻・美知子さん)

▲カタラナで美味しい料理(清水君撮影) ▲清水宅の入口  

バルセロナの最後はカサ・バトリョ見学
 次の日は夕方にユーロメッドでバレンシアに向かうのですが、午前中空いていたので、清水君宅からも遠くないカサ・バトリョへ出かけました。カサ・ミラと並ぶガウディ作の建築です。後者は昨年見たのですが、ここは見学料も高く、ちょっと二の足を踏んでいたのですが、『歩き方』持って行くと10%オフで、行って正解でした。
 ガウディらしい曲線の美しさやガラスの使い方の斬新さもあるのですが、内側の吹き抜けのタイル(グラデーション)、テラスのオブジェ、屋根裏部屋とか、見所はたくさんありました。
▲カサ・バトリョの室内 ▲テラスのオブジェ(日本語ガイド聞く)

▲吹き抜けのタイル

 

屋上のオブジェ

▲屋根裏部屋 ▲外観と見学者  

バルセロナを離れ、ユーロメッドでバレンシアへ
 RENFE(スペイン国鉄かな)は、ネットでチケットを買え、3週間前なら格安だと教え子から教えて貰いました。ただ彼女から相談があったのは、ネットで頑張っても途中でうまく行かなくなるという話でした。その通りで僕も日本でそうでした。大亮に頼んだのですが、現地でも順調ではないようでした。ただ、最初のバレンシアまではユーロメッドで取れました。因みにお値段は3時間乗って一人26.5ユーロでした(正規運賃は不明ですが)。
 バレンシアは火祭りで有名ですが、スペイン第3の都市とはいえ、特段見るものもないので、2泊の予定を短縮して、1泊にしました。このあたりのフレキシブルさはチケットが取れていないことが却って幸いしました。そういう事情もあり、着いた日に夜まで開いている美術館があったので、雨模様でしたが訪れました。バレンシア美術館ですが、スタッフもきっちり居て、かつ無料でした。
 夜はここが発祥の地だと言うパエリャを食べましたが、どうってことは無かったですね。
 ホテルは最初物色した所は駅近だからか高めだったのですが、少し離れると割安で旧市街の真ん中で見つけました。
 ですから、中央市場なんかも近くにありました。もちろんカテドラルも。
▲夜のバレンシア美術館 ▲祭壇画等がたくさん

▲本場のパエリヤ

 

▲バレンシア・カテドラル

▲中央市場 ▲市場横の果物屋KAKIだって…  

クエンカへはAVEで。宙吊りの家だけでなく、村全体が宙吊りかな
 AVEというのはRENFEの新幹線のようなものですが、前日に予約すればこのシーズンですから席は十分にあります。ただ、1時間弱乗るだけにしては一人約42ユーロというのは割高な印象でした。セゴビアにしてもそうでしたが、AVEの駅は新駅が多く、そこから旧市街に向かうのは結構時間がかかります。日本の新大阪とか新神戸と同じなのですが、その比でないのは、新駅周辺に全く何もないことです。ホテルはもちろん、小さな店もない、荒野の一軒家(ビルですが)という感じです。
 バスを乗り継いでカテドラル前に着いた頃は雨交じりで、ホテル探しに不安を感じましたが、結果的にはなかなか趣のあるホテルにチェックインできました。18世紀の建物を改装したもので、床が少し傾いていたり、重厚なドアの建付けが悪かったりしましたが、いい雰囲気でパブリックスペースもたくさんありました。それでいて何と41ユーロでした。アウトバスでしたが、風呂は前にあり、ほぼ独占状態で快適でした。
 朝食も一人9ユーロでそこそこのものが用意され食堂からの展望も楽しめました。
 先にカテドラルを見学し、深い谷を跨ぐ橋を渡ると修道院を改装したパラドール(名跡を改装した国営ホテル)があり、そこからは有名な宙吊りの家が見えます。 宙吊りの家は抽象美術館になっていて学生の来館も多かったです。それより驚いたのは近くに科学博物館ができていて、こんな辺鄙なところにこうも近代的な博物館作って、村興しのため?と感嘆しました。 
▲AVEのクエンカ駅。バス停以外何もない ▲クエンカのHポサダ・サン・ホセ ▲そこそこの朝食

 

▲クエンカのカテドラル

▲カテドラルにはこんな像も ▲宙吊りの家、横から  
▲抽象美術館(宙吊りの家内部) ▲抽象美術館入口 ▲科学博物館入口 ▲博物館展示(風力)
     
▲対岸の橋から。左は宙吊りの家、正面はカテドラル裏側、右手に泊っているホテルの食堂窓      

いったんマドリッドに宿泊することに。そして飛び飛びに三泊。荷物の関係です
 最初、マドリッドを素通りしてセゴビアに向かう予定でしたが、早く進んでいるのでマドリッドで一泊しました。町々でお土産を買っているので荷物も重くなっているのでホテルに預けて進むことにしました。大きな駅が二つあるのですがアトーチャー駅に着いて駅の真ん前にある大き目のホテルに入ったのですが、今日はいいとして後の二日間は満室で断念。『歩き方』にはなかったのですが駅前ビルの裏側にあるホステル(ブエルタ)に立ち寄るとこの先の27日、30日もOKでした。
 受付の人は英語が全く駄目で、ボディランゲージでしたが、何とか通じました。それと、毎翌朝、いつもニコニコ現金払いのお店でした(因みに1泊1部屋47ユーロ)。
 
▲3回泊るマドリッドのホステル ▲今から無料のプラド美術館(午後6時頃) ▲庶民的駅前食堂(サラダが新鮮!)  

セゴビアへはAVEで1時間。ピッチを上げてアビラ経由サラマンカへ
 セゴビアへは、近くのアトーチャー駅ではなく、チャマルティン駅からAVEが出ています。地下鉄で20分くらいですが、チャマルティンからは半時間足らずで着きます。バスはもちろん水道橋前まで運んでくれます。水道橋はさすがに圧倒される程の巨大さで迫って来ました。ただ、イスタンブルのように上を歩けないのは残念でしたが、橋の上部に登り着く頃に日の出でした。
 ここから歩いて、ディズニーの白雪姫のモデルになったと言われるアルカサルを目指します。この日はバスの乗り継ぎでペースを速める日程でしたから、塔に登っただけで中を見学する余裕はなく、カテドラルも外から見るだけに止めました。
 
セゴビアのAVE駅からバスで旧市街へ ▲水道橋と日の出 ▲案内板。日本語表記も  

 

ディズニー白雪姫のモデルになったアルカサル正面

▲屋上からカテドラル ▲街に水路。アルハンブラのよう  

アビラへはバス路線のみ。城壁の町へ
 アビラは城壁の町として有名で、城壁の内部にホテルやレストランがたくさんあって、迷いましたが、温かいスープに惹かれて入ったレストランが美味しくてラッキーでした。もちろんメニュー・デル・ディアです。
 再びバスセンターに戻り、大学の町サラマンカへバスで約2時間半の旅でした。車窓からの平原の景色を見ながらウトウトしていたら着きました。
アビラのメニュー・デル・ディア ▲アビラのカテドラル ▲アビラのカテドラル祭壇

 

▲城壁のアルカサル門

▲サラマンカ行きバス ▲バスの車窓から。広がる平原  

大学の町サラマンカに到着。やはり若者が少し目立ちました
 お目当てのホテルは意外にも満室でしたが、中心のマヨール広場とかにより近いホテルに泊れ、小奇麗でなかなか良かったです。
 世界の4つに入る古い大学だそうで、何の研究が盛んなのかはわかりませんでしたが、学生の歩く姿が目立ちました。ただ、男子学生の姿があまり見られない印象でした。
 宿泊できたので、マヨール広場やいくつかの塔のライトアップも見ることができました。因みにこの街は中華料理店がいくつかあり、久し振りに食べたくなり、「北京」で夕食にしました。カテドラルは新・旧が内部で続いているという珍しい構造でした。
 
▲Hエンペラトリッツ ▲ホテルのエントランス ▲此処の大学で勉強したコロンブス  

 

▲カテドラル正面

▲貝の家。今は図書館・案内所 ▲マヨール広場前は古本市  

朝の散歩も気持ち良く、ゆっくりできたサラマンカ
 街は南にトルメス川が流れ、そこにかかる橋からの眺めは風情がありました。
 残念ながら、サラマンカ大学の見学は止めになったよう
でした。まあ、それは仕方ないでしょうね。
 時間的余裕があったので、近くのサン・エステバン修道院にも入りま
したが、これも壮大で見物でした。  
 
ローマ橋からトルメス川 ▲ローマ橋と旧市街 ▲サラマンカのカテドラル  

 

▲カテドラル正面

▲サン・エステバン修道院 修道院の内部  

指定券なしで、ゆったり2時間半、マドリッドへ。あのゲルニカにも再会
 歩いてサラマンカ駅に着いて、切符を買おうとしても、英語が通じず、何やら指差しているので見たら電車。要するに「車内で買え」と言うこと。座席を確保して出発。車掌さんから切符を買いましたが、乗客に両替して貰うとか大変そうでした。駅に来る途中で買い求めたサンドイッチが新鮮で美味しく、いいランチになりました。
 少し早く着いたマドリッドでは繁華街のソルで途中下車、買い物しましたが、賑やかなところは疲れますネ。
 再び駅前の食堂でたっぷり食べた後は、午後7時以降無料の王妃ソフィア芸術センターへ行き、例のゲルニカ以外にも、ダリやミロの作品も見ることができました。今回もゲルニカ前は厳戒態勢でした。
 
▲マドリッド行きのRENFE車両 ▲車内でのランチ ▲この日も駅前食堂でムール貝とか  

   

▲王妃ソフィア芸術センターから広場

▲芸術センター内部(撮影禁止…)    

いよいよ、旅の最終盤、サンチャゴ・デ・コンポステーラ往復へ
 はじめにも書きましたが、サンチャゴ・デ・コンポステーラへは飛行機を使うことにしていました。この選択は良かったみたいです。お陰でマドリッドで余裕ができ、プラド美術館、王妃ソフィアへも再訪できました。12年前に悪い印象しかなかった(暑すぎたのですが)マドリッドを見直すことにもなりました。
  今後のトレンドなのでしょうか、息子に警告されましたが、国内線のRYAN航空等は価格が安い代りに、サービスは無いか有料なので要注意。荷物も機内以外は有料、その制限もきつい(皆さんほぼ同じような大きさの荷物をお持ちでした)。機内では水一杯も出ません。注文したら全て有料。ですから、マドリッド泊まり(荷物預け)はその点でもリーゾナブルでした。
 実は考えて組んだ行程ではなかったのですが、高槻に住む友人の娘(あかり)がこの時期にサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かって歩いていたのです。フランスからピレネー山脈越えで有名な巡礼の道です。最後はバルセロナの息子宅へ向かうので情報が入る次第です。でも、うまく合えばいいし無理なら無理で仕方ないね、という感じでした。
 ところがマドリッドに居る時に息子から電話が入り、「彼女はサンチャゴに着いて、会えそうだから弘志の携帯電話教えるよ」ということでした。ところが、飛行機搭乗直前に電話があり、「大西洋まで行く友達と一緒に行きたいから、もう発つけど、ご免」との連絡。残念だけど引き留める訳にもいかず、諦めていました。
 しかし、再び大逆転で、サンチャゴに着いてホテル探しをしているところに電話があり、「友達の一人が体調崩し、後発になり、私も遅らせることにしたので、まだこの町に居ます」とのこと。カテドラル前で午後5時に待ち合わせ、感動の対面を果たしました。
 地元の人で満席になるピンチョスの店ビスポで食べながら話し、僕達のホテルで日本茶で話し、と続きました。

 
空港行きバス乗り場も近く。アトーチャー駅横 タラップで降りたRYAN・AIR カテドラルに到着  

あかりチャンと再会

▲ビスポで夕食&デザート ホテル・スソでお茶タイム  
 

これだけは見る価値ありと言われる「ボタフメイロ」を見るぞ! 見られた!
 カテドラルの大型の香炉、とりわけそれを振るシーンが印象的なのですが、いつ行われるのか不確定なのです。あかりチャン情報では、前日の12時に実施(予定外のはず。大量献金した人へのサービス?)。研修生に尋ねていた人に聞くと土曜日の12時、直接スタッフに聞くと、アイドントノウ。とにかくやりますと予告しないのが値打ち?
 2日目の朝9時からのミサは空振りに終わり、12時に賭けました。「当たり」でした。9時には研修生が写真撮影はダメと注意していたのですが、挙行されるとそれどころではなくなりました。僕もカメラで動画も撮るし、静止画も撮るし、大忙しでした。
 9時と12時の間に、博物館の見学をしましたが、なかなか見応えがありました。
▲栄光の門・ヤコブ像 ▲カテドラル正面 ▲ヤコブ像の裏側 ▲博物館の中から

 

▲博物館の柱廊再現

▲馬三頭のレリーフ ▲色々な彫像  
 
▲ゴヤの下書きによるタペストリー ▲博物館の回廊と広場 ▲カテドラルのファサード  
 
▲ボタフメイロ揺らす ▲短い間でしたが揺れました ▲片付けと記念写真  

人気定食店でランチ。カテドラルを見渡せるアラメダ公園へ
 揺らす大香炉入りのミサが無事終わったので、地元人気の定食店でランチをゆっくり済ませ、カテドラルを見渡せるアラメダ公園へ向かいました。今朝早く出発しているはずのあかりチャンに再び遭遇、ビックリしました。友人の回復を待ったようです。
 夕食に昨夜のビスポに行きましたが、バルセロナのカタラナ並みの混みようで勿論立ち食いでした。カテドラルのライトアップも見に行きました。
▲カサ・マノーロのメニュー ▲アラメダ公園からの眺望 ▲アラメダ公園で奇跡の再会
▲混み合っていたビスポ ▲ビスポの料理は今日も美味しかった ▲カテドラルの夜景

実質最終日、マドリッドへの飛行機は午後遅くだったので、サンチャゴでゆっくり
 何と最終日の朝、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、カテドラルの3回目のミサに出ました。妙さん(西矢の母)に、ミサの最後に渡される煎餅のようなものを持って帰ってあげようということになったからです。妙さんは汎神論者みたいなところがあるので、喜ばれそうでした。
 感心したのは、3回とも少しずつミサの中身が違っていることです。市民楽団みたいなグループが演奏&合唱したり、信者の子供がロウソクを持って参加したり、緑色の衣装をまとった聖職者が現れたり…
 昨日くらいから何が行われるのかと思うくらいテントが出たり柵が置かれたりしていたのですが、この日が市民マラソンの日だったみたいです。カテドラルの前の広場がスタート・ゴールで、参加者も凄い数でした。フルマラソンではなく10キロくらいのようでした。
 昔、上流階級のクラブだったというカフェCASINOでのコーヒータイムの後、歩いてバスセンターに向かいましたが、途中にガリシア博物館があり、ここは民俗博物館らしく、そういう展示でした。お金を用意していたら、申し訳なさそうにされるので何で?と思ったら、ここも日曜日は無料でした。
▲巡礼路には貝 ▲今日は緑の衣装 ▲マラソン大会のゴール ▲ホテルから見る走者
 
カフェCASINOでゆっくり(お代は2ユーロ) ▲ガリシア博物館 ▲博物館の展示・農村風景  

 

展示・お面の数々

▲トリプル・スパイラル階段 最終日、暗いけど空港へのバス停へ  
 
バルセロナを離れて8泊、完全に現地対応の旅へ復活。結果論かも知れませんが、万事ほぼ快調でした。
 はじめにも書きましたが、帰りもフィンランドエアーはサービス控え目、お決まりの茶蕎麦は出ますが、腹8分目で進んでいます。機内の映画は「岳」が入っていたのですが、日本で見たので残念でした。台詞が聞き取りにくいのが難点ですが、タイミングが良ければ良い作品にも出会えます。個人的好みでは「プリンセス・トヨトミ」はいまいちでした。ターンテーブルも以前ほど時間がかからなくなっていますから、預けるものは預ける、でいいと思い直しています。
  ホテル選びは、その都度書いたように僕達らしさにピッタリの選択でした。概ね40ユーロ台後半の値段で進みましたから、5千円弱でした。一点豪華主義でどこかでと思い、サンチャゴ・デ・コンポステーラの2泊の内1回はホテル・サンフランシスコに泊ろうと決めていたのですが、生憎満室でした。ただもう1泊決めていたホテルがバルの経営だったので、鍵預けっ放しで実に気安い所だったので、何の不満もありませんでした。断られた所に限って手頃なホテルが見つかったりしました。
 今回はレストランも『地球の歩き方』のお世話になりましたが、やはりなかなか良い線を行っています。有り難かったと痛感しています。

 今回の旅を印象深いものにしているのはバルセロナの清水宅訪問とサンチャゴ・デ・コンポステーラでのあかりチャンとの遭遇でした。あかりチャンにはいくらでも高槻で会えると言っても、やはりイベリア半島の最果てで会うのは違ったものがありました。

 ギリシャ危機に続いてイタリア、ポルトガル・スペインと信用不安が続いていますが、旅行者にそれと判るような世情の変化は見当たりませんでした。勝手な言い分ですが、ユーロが共通になり旅行者にはとてつもなく便利になったので、ユーロ圏からどの国も落ちこぼさないで欲しいものだと考えています。
 

 
 


Copyright © 2011 MIKAMI HIROSHI