思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その18
 健介・春菜と一緒に、後半は4人旅
 
日本食食材運搬⇒夜行寝台で北上・パリ着
 マヨルカ島・バルセロナ・パリの旅 
8日+8日間
 
はじめに…健介・春菜vs桃勢、再会の旅。思い切ってパリへ 
 前2回、報告しているように、息子一家のバルセロナ滞在は、早くも1年半近くになります。
 娘の子ども達、健介(小4)、春菜(小2)と、息子の子ども、桃勢(5歳。幼稚園児)が現地で再会するという企画が実現しました。
 子ども達に予定を合わせるということは、夏休みに渡航せざるを得ず、必然的に、航空券や宿泊料は割高になりますが、マア、これが初めてで最後になるか、と思い切ることにしました。
 子ども達3人組はどこへ行っても大はしゃぎで過ごすでしょうが、今回は大亮達のお薦めでマヨルカ島へ飛ぶことにしました。
バルセロナに戻ってガウディ関連に行くとして、その後、スペインの名所を訪問しても健介・春菜の興味を引きそうにないので、思い切って北隣のフランスへ向かうことにしました。途中下車しながら北上というプランもあったのですが、半端になるので、ドンとパリまで進むことにしました。飛行機より割高になりますが、夜行の寝台列車を使うことにしました。日本では夜行寝台も珍しくなっているので、子ども達にもいい経験かな、と考えました。
 ですから、いつも通り、日本食食材運び(一応、制限は4人分ですから80キロ、機内も入れたら、合計115キロ程にもなりました。これって新記録です!)、マヨルカ島・バルセロナ・パリと進むことになります。スペインで約8日、パリで8日、移動とかも含めて都合19日の旅になりました。
 宿泊先はホテルではなかったので、変化はありませんが、主な訪問先は以下の表のようになります。
 尚、天候はパリでモンサンミッシェルの2日目が雨にたたられたくらいで、ほぼ晴天でした。暑さ加減もパリは緯度が北海道より北ですから、日によっては寒いくらいだったのですが、スペインでも日差しがきつくても、日陰に入れば涼しい日々でした。
 
7月26日 関空12:00発 KLM航空  19:00バルセロナ着 8月4日 パリ着。植物園・動物園、バスティーユ広場
7月27日 マヨルカ島へ。飛行機で 8月5日 オルセー、エッフェル塔、セーヌ川クルーズ
7月28日 カテドラル、宮殿、ミロ美術館、ベルベル城 8月6日 ディズニーランド・パリ
7月29日 ドラッグ洞窟 8月7日 ルーブル、凱旋門、ポンピドー、サントシャペル
7月30日 ソーイェル 8月8日 ヴェルサイユ宮殿
7月31日 パルデモサ 8月9日 モンパルナス→モン・サン・ミッシェル
8月1日 ピカソ美術館、チョコレート博物館、コスモカイシャ 8月10日 モン・サン・ミッシェル→モンパルナス
8月2日 サグラダ・ファミリア、グエル公園、トーフ屋 8月11日 モンマルトル
8月3日 モンセラット           フランサ駅出発 8月12日 パリ→アムステルダム空港経由 関空8:00(13日)

 
今回も、日本食食材運搬。新記録で115kを2人+キッズで
 もう慣れましたが、今回もネットで何度かオーダーが色々届きました。
  健介・春菜(以降、健春と省略)もそれなりに担いでくれて、運び込みました【写真を見て下さい】。更に、今回は健春の両親(娘夫妻)が調達してくれたサッカーゲームが嵩張ったりしましたから、結構大変でしたが、きついのはJR大阪駅の運搬くらいで、何とかなりました。
 このサッカーゲームは大人気で暇を見つけては勝負にかけていました。
 往きのKLMオランダ航空では、健春はサッサとテレビ画面でゲームを開始、集中していました。二人であれやこれやと言いながらでしたが、私達には、何のことかさっぱり解らないままでした。
 予想通り、桃勢は久し振りの日本の同世代と合流し、テンションは上がりっぱなしでした。
▲娘夫妻の車でJR高槻へ ▲往きの機内でゲームに集中 ▲バルセロナ空港で歓迎式
▲運び込んだ日本食食材 ▲プレゼント貰って喜ぶ桃勢君 ▲娘夫妻のプレゼントで早速ゲーム

先ずは、マヨルカ島へ飛ぶ
 出かける前にネットやスカイプでやり取りをし、大亮の勤務校・日本人学校の都合も加味しながら、結局スペインの前半はマヨルカ島へ向かうことになりました。着いてみて判ったのですが、この島はヨーロッパの人々の一大リゾート地。特に太陽の光を求める寒い地域(例えば北欧やドイツ)の人々の憧れは凄いものがあります。以前私達が訪れたハワイ島のように火山岩のビーチがないだけに、島の周囲全てが海水浴場だと言えます。
 ここの宿泊は、5日間と、そんなに長くはなかったのですが、アパルトシステムのElisaという所をネット予約し、予約と言う点では全く問題なしでした。名前を告げるだけで、案内のレターが手渡され、その後は立ち去るまで、何もやり取りは無しでした。
 いわゆるコンドミニアム形式で、小型でしたがキッチンがあり、全くの出入り自由で食事の準備も不自由はありませんでした。3〜4棟に全部で50〜60室程あったようです。このゾーンは島の北、東なので、空港の対面に位置します。でも車で小一時間の距離です。色々な所へ出かける途中にスーパーマーケットもあるので、料理の材料も買えます。
▲この頃は余裕、日記を書く ▲エリザでランチに素麺もあり ▲エリザのベランダでお茶タイム
 マヨルカ島の初日は、予約済みのレンタカーに乗り、エリザを探し、落ち着いたら、ビーチへ出かけることで終りました。
 ムロという名前のビーチまで、歩いて5分ほど。ビーチ真際の宿泊施設もあるし、そこから幾つもの宿泊施設が広がっていますが、多分遠いほど費用も低いのでしょう。
 その間に色々な店がひしめき合っていて、自炊する人が多い為か、ミニスーパーも多い。もちろんレストランも色々ありますが、この日はTAIWANという店に入って、その味の良さにはまって、マヨルカ最後の夜も再訪することになります。

▲MUROのビーチで初泳ぎ ▲美味しかった中華料理「台湾」で ▲夕方、桟橋の先で

マヨルカ2日目は、旧市街へ。カテドラル等だけでなく、ミロ美術館も

▲旧市街、カテドラルと宮殿

▲カテドラル近くの大道芸
  約1時間ほど車を飛ばして、空港のあるパルマ方面へ。そこが、旧市街で壮大なカテドラルと、向かいにアルムダイナ宮殿があります。
  カテドラルの前には広大な地下駐車場が広がっていて、その収容力は相当なものです。
 ここは、世界遺産にもなっているし、中央の天蓋飾りはガウディの作品だということでも有名なようです。
 
  その壮大さに圧倒されましたが、少し変わった装飾も見かけました。
 カテドラルからも宮殿からも見える景色はもちろん直ぐ近くの海ですから、それも壮大でした。
 たくさんの観光客が集まっているはずが、意外と落ち着ける場所があるもので、宮殿横の公園で、買い込んだサンドイッチとフレッシュジュースのランチを取ることもできました。
 
 


 
▲カテドラルへの階段で ▲カテドラルの内部 ▲カテドラルの横、海底を思わせる  
▲宮殿のバルコニーから海 ▲宮殿横を通ってランチへ ▲宮殿横の公園でランチ
続いて、ミロ美術館、ベルベル城へ
 ミロの母親がマヨルカ島出身だったので、その関係でここに晩年を過ごすことになり、そのアトリエが残され、立派な美術館もできています。
 民家の中にあるので、車で到着するのに少し手間取りましたが、中は広々していました。
 その後、ベルベル城へも足を延ばしました。ここは名前が見晴らしがいいと言う意味だとかで、確かに360度の展望。今行って来たカテドラルとかがキッチリ見える眺望が手に入りました。
▲ミロのアトリエ入口で ▲ミロ美術館の庭園のオブジェ ▲室内のオブジェ
▲ベルベル城展望台で手を振る ▲ベルベル城。3人キッズと弘志・恵子 ▲エリザのプールで

マヨルカ3日目は、鍾乳洞=ドラッグ洞窟へ
 車で小一時間かかるのですが、相当大きな鍾乳洞あるということで、南西に車を走らせました。
 鍾乳洞の滴が小さいと言うのでしょうか、意外なほど細かいツララの鍾乳洞でした。
 ただ、見学料が高い割には大したことない、という印象でしたが、その分、音響と映像で補おうとしている印象でした。
 この日は、エリザが夕食にご招待の日。飲み物以外は食べ放題。ここが経営しているレストランでフーズはどうぞ!と言う訳で、毎週一回こういう日があり、ピッタリでラッキーでした。
 散策後、夕方のみ営業のポニーに春菜と桃勢が乗りました。大亮君のナビゲートも大変だったようです。
▲洞窟へ入る ▲細かなツララの鍾乳洞 ▲中の池に船が漕ぎ出る。何故かモーツアルト

 

▲エリザが夕食ご招待

▲夕食後、池の畔で ▲帰りにポニーに乗りました  

マヨルカ4日目は、ソーイェルの街へ
 島の北西部に、静かな港町があり、そこから船で更に静かな海水浴場へというプランでしたが、係員さんが波が高いので別の日にしたら…というアドバイス(?)。結局ここで、ゆっくり過ごすことになりました。
 高台へ行くと入江と海の両方が見られるし、そこには海の博物館も設置されていました。
 海辺のレストランでお決まりのメニュー・デル・ディアで昼食をとり、そこから市の中心部へ出ている観光用トラムに乗車。
 狭い道を通るので、ハラハラするほどでしたが、色々な景色を楽しむことができました。
 最後に立ち寄ったテラスカフェは5ツ星ホテルの喫茶部でなかなか素敵なティータイムになりました。
▲ポルト・デ・ソーイェール公園で ▲展望台から海。後は博物館

▲海沿いレストランで昼食

 

▲トラムで町まで

▲市の中心部を歩く ▲テラスカフェでお茶してます  
帰ったらビーチでの泳ぎ、最後の晩餐でTAIWAN

▲午後のビーチは最後

▲台湾のテラスでビリヤード ▲川の向うはエリザの客室棟

マヨルカ島を去る日、バルデモサ(ショパン所縁の地)
 最終日は、珍しく午前にビーチへ。いつもと少し違った光景でした。
 ネットで確認した通りの支払でチェックアウト。当たり前とは言え、そうでもないと後で痛感。
 空港から飛び立つまでにはたっぷり時間があるので、バルデモサへ。ここは、ショパンが愛人のジョルジュ・サンドと1シーズンを過ごしたことで有名で、その修道院が名所になっています。
 この町には、エンサイマーダと呼ばれる大きなパンがあり、それをみんなで食べることから始まりました。
 その修道院はカルトゥーハで、眺めのいい最高のロケーションにありました。
 附属でミニコンサート会場もあり、ピアノ演奏もサービスされました。
▲最後のビーチで砂埋め大会 ▲エンサイマーダをみんなで ▲ショパンの胸像前で

 

▲カトゥルーハのテラスから村

▲何故か、ミロのポスターいっぱい ▲ミニコンサート会場  

バルセロナに戻って、先ずはピカソ美術館
 バルセロナ周辺探訪に残された日数は丁度8月の1〜3日。1日は日曜日だったのですが、ラッキーなことに第1日曜日は大半の美術館、博物館は入場無料なのです。早速ピカソ美術館へ行きましたが、無料故の混雑はありませんでした。
 10年程前、弘志と恵子は見学に訪れているのですが、相当疲れていて余り印象に残っていません。今回は少し丁寧に観て回ることができましたが、珍しく撮影は禁止でした。
 その後は、健春がチョコレートが好きなので、チョコレート博物館へ回りました。さすがにチケットがチョコレートでできていて、驚きました。
 市の中心部のカタルーニャ広場から少し地下鉄で北に向かいますが、コスモ・カイシャという体験型の子供向き博物館があり、午後はそちらへ向かいました。ここも無料でしたが、なかなか見応えのある展示や装置で、お勉強のできる施設でした。
▲カタルーニャ鉄道でブンブン独楽・綾取り ▲ピカソ美術館の出口で ▲チョコレート博物館

▲トラムでコスモカイシャへ

▲受付にアインシュタイン? ▲大規模な展示 ▲見学の合間に休憩中

バルセロナ2日目は、ガウディの世界へ
 サグラダ・ファミリアは、夏休み真っ只中なので、待ち時間を心配しましたが、早目に着いたのが良かったのか、比較的スムーズでした。
 何時行ってもクレーン車がありますが、一向に「完成」は見えません(完成予想は早まっているようですが)。
 10年前と違って、昇りはエレベーター、降りは階段と決ったようです。やはり下を見ると足がすくむのですが、以前のように塔と塔を結ぶ橋に出ることは出来なくなったようです。
 中にあるガウディや、このサグラダ・ファミリアの歴史や構造等の博物館的なスペースも随分改装が進んでいるようです。
 建物の外に出てからも、古い感じの彫像の入口の反対側と斬新な印象の入口に近い側のコントラストも変わってはいません。
▲建物の間から見える塔 ▲下を見ると脚がすくむ ▲3人組が降りて来ます ▲正面、上まで

▲1階部分、今日も作業が続く

▲古い彫像の正面 ▲中の工房部分 新しい彫像の正面
続いて、グエル公園へ
 
 続いて、地下鉄を乗り継いで、グエル公園へ。
 暑いさなかでしたが、人は多かったです。
 ここは公園ですから、入園料とかが要る訳でもなく、気ままに過ごしている感じでした。
▲グエル公園シャボン ▲グエル公園に3人組座る ▲グエル公園、3人組跨る ▲グエル公園でランチ

 

▲健介カメラマン奮闘

▲有名なトカゲ前で ▲グエル公園正面から  
午後は、おなじみランブラス通りへ
 ランチも済ませて、落ち着いたので、ランブラス通りへ向かいました。桃勢は昼寝タイムでした。
 サン・ジョセップ市場でフレッシュジュース、美味しかった! 名物の大道芸を眺めながら、南下していたら、海に着いてしまいました。
 ここで、大道芸の人に混じって、ケン球をする予定でしたが、母ちゃんが居ないとアカン…ということで断念しました。
▲ランブラス通りで大道芸 ▲サン・ジョセップ市場で生ジュース ▲コロンブスの塔まで来た ▲海まで来てしまった
この日は、最後に元朝日新聞の清水の始めた「トーフ屋」へ
 カタルーニャ広場から北西に歩いて10分程度、住所で言うと「アリバウ119」に、三上・西矢の同窓で、最後は朝日新聞論説委員だった清水建宇君が始めたトーフ屋があります。たまたま、三上が大学のワンゲル創部50周年記念誌に関わり、編集委員に朝日関係者が居て、その関係でバルセロナでの豆腐屋開業を知って、事前にメールで訪問を知らせたりしていました。
 バルセロナの日本人学校でも話題だったらしく、息子の大亮は再訪のようでした。
 当初から聞こうと思っていたのは@どうして、バルセロナなのか?A何故豆腐屋なのか?でした。
  簡単に答えを書くと@朝日の記者時代、「世界の名画を旅する」というシリーズの担当をし、その時世界で一番いい町はここだと思った。A自分は豆腐がないと生きていけない。海外で暮らすと困る。自分で作るしかない。
 退職して、いろいろ準備もあったのですが、結局この4月、開店に漕ぎ着けました。日本でスペイン語学校に通っていた時知り合った日本人が弁当担当のチーフになり、弁当が売り上げの8割を占めているとか。弁当は日本の文化だと痛切に語っていました。
 まだ、採算ラインに行けるかどうか、不確定ですが、日本食ブームもあり、そういう所へ卸す話が進行中で、9月に軌道に乗れば、何とかなるかな…ということでした。
 豆腐の製作現場も見せてもらい、久し振りの豆腐や彩りも鮮やかな弁当を買い込んで大亮宅での最後の晩餐になった次第。
 も少し、突っ込んだ話もあったのですが、それはリンクを張りますので、興味のある方はそちらを見て下さい。
 
▲店頭で話し始める ▲工場見学? ▲奥ではずむ話  

   

▲トーフ屋さん外観

▲レジで。手前が清水の連れ合いさん    

バルセロナ、最後の日はモンセラットへ。車一直線で
 
 健春が加わっているので、大亮達の車で全員移動は法的にも安全上も無理。恵美ちゃんを留守番に、朝早く出かけました。
 弘志・恵子には2度目でしたが、今まで長蛇の列で見られなかった「黒いマリア像」が見られました。
 前回気が付かなかったのですが、ケーブルの終点と思っていた修道院辺りから、急勾配のケーブルが出ていて、それにも乗りました。

 この日は、弘志・恵子は先にPISOを出て最後の買い物もして、長距離列車が出ているバルセロナのフランサ駅で落ち合いました。
 午後9時出発、朝9時パリ到着、大変分かり易く、丁度12時間の夜行寝台の旅になります。日本のマイチケットでチケット購入済みで全く問題なくスタートしました。連結の大変多い列車で、そのためか、見送りが窓までという具合にはならず、向うのホームで桃勢達が送る形になりました。
 
▲黒いマリア像のガラス触る ▲超急勾配のケーブル ▲ケーブルが上がる。下は修道院  
フランサ駅に集合、そして出発

 

▲フランサ駅で、ホームへ

▲見送りはここまで ▲向うのホームで見送り  
 
▲恵美ちゃん手作りの弁当 ▲車掌さんがベッドメイキングしてくれました  

いよいよ、パリ。ここでもアパート住まいが始まる
 夜行寝台は、スムーズに走り、ピッタリ12時間でパリのオステルリッツ駅に到着しました。
 直ぐに予約済みのアパルトに荷物を預け、早速パリ観光を開始する積りでした。オステルリッツ駅から出て、それなりの通りに沿ってそういう建物があるはず…が、全く見当がつきません。
 ネットで予約することに慣れて、これまで困ったことがないので、甘く見るようになっていたようです。手許にPCを持っている訳でもないのに、決定的に情報不足のままパリに着いていました。
  @物件の住所が不確か。だから地図も不確か。A物件の名前が不確か。B取り扱いの業者(代理店、エージェント?)の連絡先が不明。
  Aは笑い話のようですが、物件の名前は日本語で「植物園」なのです。隣が植物園ですから、その辺り、そういう名前があまたあります。@物件の住所はオピタル大通り沿いの○番地くらいなのですが、それも不明のままでした。Bの代理店にまで連絡が必要になるとは思ってもみなかったのですが、それが慣れによる甘さですね。
 三上が近くのホテルで尋ねたりしている時に、西矢と健春が困惑した顔で待っていたら、「誰かを待っておられるのですか?」と聞いて下さった日本人が居られました。川辺さんとおっしゃる方で、そこのマンションにお住まいで、パリ在住40年の画家夫妻でした。
 このご夫妻のお陰で色々と難問が解決するのですが、それを書き出すと相当な量になるのでここではパスし、末尾に書きリンクを張ることにしますのでそちらを見て貰うことにします。
 チェックインは午後2時の約束でしたから、ともかくそれまでは隣の植物園、動物園を探訪することにしました。曇天で肌寒いくらいでしたが、こういう所を巡るには困る天候ではありませんでした。
▲パリ着。トレインホテル ▲植物園に入る ▲動物園で健介とワニ ▲春菜と大蛇
ひとまず落ち着いたアパートは、こんな感じの私達にはピッタリの住まいでした。贅沢ではないけど使い勝手もよく、一応二部屋だし、何より、ロケーションは抜群でした。

▲入口の青い扉

▲お世話になったMONOP ▲健春の部屋 ▲夕食風景
 
▲最上階のドーマ手前2つが私達の部屋 ▲ダイニング兼書斎兼…。右は健春の部屋  

とりあえず、午後にリヨン駅へ行き、バスティーユ広場へ
 アパルトのオーナーの代理人の人に現金を渡す必要があり、銀行探しに手間取ったりして、時間を食いました。この鉄道駅周辺には銀行が無いのでした。
  でも、少しでも探索をと思い、直ぐ近くの橋を渡ると、そこはリヨン駅なので、ここから乗車予定(ディズニー行き)もあるので下見を兼ねてそちらへ向かいました。そして、少し歩けばフランス革命発祥の地であるバスティーユ広場。今やそういう面影は全くありませんが、そこで遅めの昼食となりました。
 
▲リヨン駅へ ▲バスティーユ広場へ ▲バスティーユ広場で昼食  

アパルト問題で難渋したけど、少しの予定変更のみ。先ずはオルセー、エッフェル塔へ
 部屋の鍵(詳細はリンク)が夕方には開かなかったり、その為隣の小母さんに迷惑かけたり、と色々あったのですが、パリ二日目には何事もなかったかのように、これまでゆっくり出来なかったパリの探索を開始しました。
 驚いたことに、セーヌ川沿いの電車のC線がオステルリッツ駅から3駅程工事中で不通なのです。それを理解するのに結構時間がかかりました。その分を代替輸送のバスが走ってくれて、無料なのです。只だからマアイイッカ?!
 で、その代替バスでオルセー美術館へ。ここは珍しく撮影禁止でした。ルーブルなんかはフラッシュのみ禁止なのですが…。
  その後、セーヌ川に沿って下って、間もなくエッフェル塔。ここは健介が行きたいコールしていた所でした。下からズッとエレベーターで上がるのと、2階から3階(最上階)のみエレベーターの二通りあるのですが、もちろん健春は後者ですから付き合いましたが、彼等の方が圧倒的に早く、元気いっぱいで、私達は歳を自覚させられた次第。エレベーターから外が丸見えですから、スリリングではありました。
  高い所はどこでもそうですが、ここでも360度の展望ですから、パリ市内を眼下に納めることができたことは言うまでもありません。
 
▲C線代替バス乗り場 ▲オルセー美術館のエントランス ▲撮影禁止の館内  

▲昼食後公園から

▲滑り台から ▲2階までは階段 ▲1階で春菜
▲エレベーターからセーヌ下流方面 ▲セーヌ下流、中州は「白鳥の小径」 ▲シェイヨー宮と奥はブローニュの森
▲セーヌ上流方面 ▲シャンドマルス公園。奥はモンパルナス方面 ▲最上階で記念撮影
エッフェル塔の前から、セーヌ川クルーズに乗船
 セーヌ川クルーズも幾つか種類があるのですが、乗り場が近い方を優先。私達が乗ったのは、Uターンして戻るのですが、8つ停留所があり、その半分の所がアパルト近くでしたから、その手前で下船。モン・サン・ミッシュル行きのチケット予約に地下鉄でモンパルナスへ出向きました。
  コンパクトなサイズの船でバス代わりにもなる船でしたから、あまりガイド的なアナウンスもなく、水面からパリを眺めるという目的にはピッタリでした。
 
▲セーヌ川クルーズ船アナウンス ▲橋の下を通過 ▲船からノートルダム寺院方面  

パリ3日目は、ディズニーランド・リゾート・パリへ
 健春と一緒ですから、彼等の好みの場所?、それはディズニーでしょ、ということで、行くことになりました。息子の一家も半年ほど前に出かけていて、「日本ほど待たなくていいし…」という評価でした。
 リヨン駅から40分弱で構内の駅に到着。中で食べ物を買うと高いと言う評判なので、リヨン駅構内で昼食は確保。
 チケットも事前ゲットがいいと書かれていましたが、当日、現地でも全く問題なし。駅からパークへ向かう途中の案内所で買えました。
 日本の浦安のものとの比較は一度行っている西矢にしか出来ないのですが、入場券を手にすれば、乗り物とかはフリーで、結局割安ではないか、ということでした。
  朝一番に行っていますから、その効果もあったでしょうが、どの乗り物もそれほど待つことはなかったようです。大体30分程度でしょうか。
 ファスト・パスというのがあり、それに申し込んでおくと、時間が指定され、それまで近くの遊具で遊んで時間の有効活用ができる仕組みでした。
 色々形は変わるのですが、多くはジェット・コースター絡みで、健介は楽しんでいましたが、大人はノーサンキューの世界でしたね。
 
▲ディズニーランド入口で ▲メインストリートはUSA通り ▲ビッグサンダーマウンティン終点  

▲ビッグサンダーマウンティン

▲廃船と吊り橋 ▲パイレーツオブカリビアンの世界 ▲ラビリンス入口
▲ラビリンスの上から ▲ドライビングゲーム。前は健介 ▲トイストーリーの世界
▲スタジオへ移動 ▲ミニパレードは何回も ▲ニモの世界。長い待ち時間
メインイベントのパレードは、7時半ごろから
 スタジオから急いで帰って、パレードが来るのを待ちました。東京より少し規模が小さいのは見ていなくても分る感じでした。時間的にもまだ充分明るい内に終りました。
  帰りはいっときになりますから、電車で健春は床に座りました。これも経験のひとつでしょうか。
 
▲パレード開始 ▲春菜、握手しよう! ▲動物達勢揃い  

パリ4日目、ルーブル美術館など、美術館巡り
 ミュージアム・パスというチケットがあり、2日有効券を買いました。連続2日なので、明日のヴェルサイユ宮殿でも使えるので並ばなくて良いという利点もありました。インフォメーションでなくても、ルーブルのショップで手に入りました。
 三上は前回、胃潰瘍でホテルで寝ていましたから、初めての入場でした。ここは案内チラシの日本語版があり、便利でした。
 色々ある割には、目指すべきは、結局モナリザとミロのヴィーナスなんですね。私達も最優先でそこへ突き進みました。館の方もわかっていて、そこだけ案内板がしっかりしていました。
 後は、「パクリの集大成」ですから、色々あるのですが、現地で見たものも多いので、見所としてはどうなんでしょうね。ギリシャとかエジプトとかシリアとか…。
  予想通り、建物が広く、ほんとに迷ってしまうほどで、出口が判らず、困ったりもしました。
  ただ、格式ばっていず、有名なピラミッドの下辺りにカフェテラスがあり、色々買って来ては食べるという人が大勢居ました。
▲ルーブルの入口 ▲モナリザの前で ▲モナリザ ▲後にサマトラケのNIKE

▲ヴィーナス撮影

▲ミロのヴィーナス ▲馬の真似です ▲健介ミイラを撮影中
▲ギリシャ風の天井 ▲絵画の部屋で ▲ルーブルでランチ
午後は、凱旋門、セントシャペルへ
 地下鉄で数駅行くと凱旋門、下はご存知シャンゼリゼ通り。少しこの通りを歩いて、再び地下鉄でパリ市庁舎やポンピドー文化芸術センター内の近代美術館へ。
 歩ける距離にステンドグラスで有名なセントシャペルがありました。この辺全て先に書いたミュージアムパスで入れますから、なかなか有効でした。
 
▲凱旋門、横から ▲凱旋門からシャンゼリゼ通り(右側) ▲ラ・マルセイエーズレリーフ  
▲ポンピドー文化芸術センター外観 ▲ピカソの部屋 ▲モギリアニの部屋
▲ポンピドーセンター横 ▲セントシャペル ▲セントシャペル 混雑で入らずノートルダム寺院

ミュージアム・パスの2日目、ヴェルサイユ宮殿へ
 久し振りに午前中は、怪しげな雲行きでしたが、この日は一日かけて広い庭園巡りを含めてヴェルサイユ宮殿をまわりました。
 『地球の歩き方』によれば、日曜日は駅前にノートルダムマルシェ広場で日曜市が開かれているらしく、そこでフルーツを含めランチを用意することにしました。
 チケットは昨日ゲットしたパスがあるので、入場はスムーズでした。日本語の音声ガイドも少し長めでしたが、結構役立ちました。荷物も強制的に預けられさせましたが、あの混みようでは、助かったというのが実感でした。
 
▲日曜朝市で昼食確保 ▲いよいよ、ヴェルサイユ宮殿へ ▲宮殿見学開始  

 

▲下の暖炉に注目

▲鏡の間全景 ▲王の会議室  
▲窓から庭園(噴水祭で庭園有料) ▲ナポレオン関係の絵画 ▲同じくナポレオン関連
広大な庭園へ、レンタサイクルで走り出す
 本来ならヴェルサイユ宮殿の庭は入場無料なのですが、この日は噴水祭で有料。それも時間限定、音楽は流れますが生でなく、放送。その時間に居なくても有料?
  以前来た時に活用したレンタサイクルは今も活躍。ただ、王妃の村里は全く雰囲気が変わり、ここも有料になっていました。ダメモトで出したミュージアム・パスが使えたので、マア良いか、でした。
 余りに広いので迷いそうになりましたが、サイクルを返却してから、ランチにしました。
 
▲ヴェルサイユ宮殿の庭園。向うは大運河 ▲噴水の裏側から ▲王妃の離宮へ  
▲王妃の村里へ ▲村里の鄙びた雰囲気 ▲大庭園の一郭でランチタイム
▲お花畑で健春 ▲ヴェルサイユ宮殿を振り返る

パリ最終盤、1泊2日でモン・サン・ミッシェルへの旅
 一応土日は避けて、少し遠出になるモン・サン・ミッシュルへ月曜に出発しました。
 パリ中心部からのバスツアーもあります。日帰りもあり、確かにたくさんのバスが来ていました。でも、それは余りにも情緒が無さそうなので、TGVと路線バスで行くことにしました。『歩き方』の情報は正確で、数日前にモンパルナスの駅で切符を買う時も時刻を示したら実にスムーズに発券されました。バスは凄い人でしたが、チャンと2台目を発車してくれました。
 ここのホテルも日本からネットで予約して行きました。
 行ってみないと解らないのはいつものことですが、今回も潮の干満がどうなっているのか解らずに到着しましたが、納得しました(詳細は割愛します)。
  ホテルやお店がかたまっている手前の集落から、修道院までは歩いて30分少々ですが、そのどちらにもバス停はあります。私達は予約したホテルがどこにあるのかもよく解らないまま修道院下(終点)に着きました。ですから、先ずは一度戻ってホテルにチェックインし、再び修道院方面へ向かうことになります。
 一日目は、すこぶる天候が良かったので、この道を往復するくらい何ともありませんでした。車道は混雑していましたが、歩く方はのんびりしたものでした。
 着いた時は引潮でしたから、足を水に浸けず修道院の裏側にも回れました。
 修道院の見学は翌日にし、初日は巨大オムレツのプラールでの夕食に絞りました。
 そして、夜はライトアップされた修道院を眺めるという日帰りではできない贅沢をした次第です。
 
▲モンパルナスでTGV ▲TGVの中で ▲レンヌ駅からバス  

 

▲修道院前

▲ホテルへ戻る途中でランチ ▲直ぐ見つかったホテルの前庭  
▲もう一度修道院方面へ ▲牧羊地に健春入り込む ▲歩道の端で ▲裏側の干潟で貝探し
   
▲干潟に修道院のシルエット ▲オムレツ調理開始    

 

▲巨大オムレツの完成。子供はハーフサイズ

▲レストラン前で ▲出てきたら満潮!  
 
▲車は満員、歩きは空き空き ▲健介の横がホテルの部屋 ▲ライトアップされた  

モン・サン・ミッシェル2日目は、初めての雨。修道院見学
 この旅で初めてで最後の悪天候になりました。ホテル探しはパリでの経験で覚悟したのに、集落の端っこ、修道院に一番近い所にありました。そこから風混じりの小雨の中往復することになりました。
  朝は羊の食事・散歩タイムのようで、放牧されている羊の群れと一緒に歩きました。春菜はメリーさんの羊を歌いながら歩いていました。
 よくこんな急峻な所に凄い建物が建てられたものだと驚きもひとしおでした。ただ、修道院のあるトップゾーン以外は民家―レストラン、売店、ホテルとかがひしめいているという構図でした。
▲羊と一緒に修道院へ ▲王の門前で ▲頂上の教会へ ▲教会正面
▲荷物のリフト用滑車 ▲騎士の間 ▲小雨の中、待つ人達
 
▲引潮で駐車場使用可 ▲珍しくピザランチ ▲レストラン横の鐘をつく  

最終日は、モンマルトルの丘へ
 こんなに丁寧にパリの街を巡ったのは、初めて。そして最後になるでしょうが。色々と騒動はあったのですが、アパルトの位置が良かったことは、好都合でした。偶々オステルリッツ駅に夜行列車が着くだけの理由で選んだのですが、色々回ってみて、パリに5つある鉄道駅の中で、この駅ほど周囲が静かな駅はなかったように思います。そして、どこに行くにしてもコンビーニエントでした。
  モン・サン・ミッシュルから帰って、最後の一日はモンマルトルへ出かけました。少し遠かったですが、地下鉄が強い味方で、難なく到着しました。ただ、駅周辺は治安が悪そうな印象でした。
 前に来た時も思いましたが、何故かメリーゴーラウンドがあるのは今も変わっていませんでしたし、テルトル広場で肖像画を描く画家がひしめいているのも変わっていませんでした。
 サクレ・クール寺院に登ったのは初めてでしたが、生憎曇天で展望はイマイチでした。でも、パリを北から遠望できることは間違いありません。
 最後に気紛れで降りたコンコルド広場も、四方に名所が控えていて、パリに別れを告げるには良いポイントでした。
 
▲サクレ・クール寺院 ▲メリ-・ゴーラウンド ▲サクレ・クールからパリ市街  
▲テルトル広場 ▲ムーラン・ルージュの通気口 ▲コンコルド広場。奥に凱旋門

少し長めのスペイン・フランスの旅、色々ありましたが無事終了!!
 最後まで、アパルト問題はついて回りましたが、一応無事アパルト退出。飛行機の関係で朝6時にチェックアウトの予定で、オーナーの代理人が来るはずが、都合が悪くなったので鍵を中に置いて欲しいとのこと。事前に電話でパリの代理店と話して判ったことで、メールで送信したとか。そんなバカな!日本に送信してどうすんねん!! デポジットを400ユーロ渡しているだけに困るのですが、後程送金とか。〔後日談ですが、帰国後10日以上経っても銀行口座に振り込まれず、焦りました。仲介業者やオーナーにメールし、口座番号や必要なDATAを送信し、入金が確認できた時はホントにホッとしました。〕
 前日、仏語しか話さない隣の小母さんに挨拶し、ジャパニーズクッキー(おかき)を渡す。
 マイチケットから往きの関空でKLMの還り便の変更連絡があったので、不安でしたが、これは問題なし。
 少し待ち時間が長くなったのですが、子ども達はそれぞれに過ごし、又しても機内のゲームをしながら帰りました。
 
▲隣の小母さんに挨拶 ▲アムステルダムの空港 ▲国際的な?滑り台  



詳細解説
@アパルト探索事件

 川辺さんの妻・紘子さんは、家に居られる夫・孝雄さんに連絡し、情報を集めて下さり、オピタル通りの該当物件に近いビルの入口から入り込み、管理人的な人にも、フランス語で色々訪ねて下さったのですが、それらしき物件は見当たりませんでした。
  紘子さんは「家のパソコンで色々調べた方がいいので、自宅に来られますか」と言って下さり、家族みんなでお邪魔しました。その結果、オピタル通り10番地でなく、6番地だと判明。そしてもう一度その周辺へ行くと6番地の扉があり、その扉の色は青でした(前に夫が調べてくれた情報では青い扉がポイントでした)。
  一応、代理店(プライベート・ホームズ)の電話も調べて頂いたし、6番地の扉はセキュリティで空いていないけど、チェックインの時刻が午後2時なので、その時間が来ればその扉が開くのではないかと期待し、それまで近くの植物園とかへ出かけることにしました。
 ところが、2時に扉前に行っても、青扉は閉じられたままでした。窓を覗いたら、健介が向うで誰かが通っていると言うので、回り込んだのですが、普通の道に出るだけでした。途中に旅行者用アパルトの経営をしている店があり、同業者かなと思い、尋ねてみたら、英語ができるスタッフで、代理店に電話してくれたり、随分親切にしてもらいました(代理店の番号は朝に孝雄さんが調べて下さっていた)。代理店には日本人(辻さん)が居られ、この方も親切に対応してもらえた。
  こういう時に役立つのは日本から持って行った携帯で、「何かあれば、ここへ」ということが可能でした(もちろん、仏から日、日から仏、という凄い遠回りなのですが)。事情を話して、オーナーと連絡とるということで、青扉前へ戻りました。
 丁度、別人の入場で扉が開き、家族は入った所でした。階段を上がっているとオーナーの代理人と会い、そのまま物件の部屋へ入れました。その人は妊婦さんで小学生くらいのお子さん連れでした。色々やり取りが必要なのですが、何と、話せるのは仏語とスペイン語のみ。電話で辻さんと話し、また替わるという具合でした。
 約半額は日本でカードで支払っているのですが、残りを今すぐ払って欲しい、それもキャッシュで。慌てて、銀行のATMを探しに走りました(国際キャッシュカードなので引出しOKでした)。保証料も必要で、チェックアウトの際に返すというので仕方なくそれもプラス。

 この保証料(デポジット)は、チェックアウトまで付きまとうことになりますが、それはその日の記事で書きます。

A鍵が壊れているか?事件
 パリ初日、@の事件解決後、バスティーユ広場へ出かけ、散歩しながら戻り、近くのMONOPというスーパマーケットで食材も確保し、「さぁ、夕食準備だ」と帰りました。6時半頃でしたが、まだ充分明るかったのはもちろんです。ところが、鍵が開かないのです。海外旅行中、うまく鍵が開かなくって難儀することはありましたが、大抵その内開くものです。

 ところが、同行者4人何度やってもダメなのです。30分くらいトライしたでしょうか。
 「仕方ない、この際、非常手段だ」と考えたのはお隣の窓から出て、屋根伝いに行き、窓から入る、これしかない、と考えました。
 耳を澄ませると、お隣からラジオかテレビの音が聞こえるので思い切ってノックしたら年配のご婦人が出てこられました。もちろん仏語オンリーですから意思疎通が難しかったですが、何とかそれなりの了解を得て、隣室の窓から出させて頂きました(5階ですから、危険だから止めときなさいと言われているようでしたが)。
 ところが、生憎この日は天候が良くなかったので、夕方出かける時に窓の鍵を閉めていたので、このプランはペケに終りました。

 万事休す! これはホテルを物色するしかないか…。健介は「野宿しかないと思った」そうです。春菜は「野宿って何?」と尋ねていました。代理店は仕事終わりだし、どうしようもない。けど、鍵のことだからオーナーに連絡しては?と思ったのですが、その番号は部屋の中。
 そこで、この番号を教えて下さったのは川辺さん。で、携帯でかけてみました。そしたら「そういうこと、よくあるんです。僕が行って見ましょう。一度見てみたいし…」とおっしゃり、来て下さいました。何と、一発開錠! コツは三上が会得しましたが、「押してもだめなら、引いてみな」でして、ほんの少し引いてみると開くのでした。
 この日は、二重、三重に川辺ご夫妻様、さまさまでした。

 
 


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