思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その17
 イベリア半島の大西洋海岸を巡る旅
 

バルセロナへ食材運搬⇒西進 ポルトガルの旅 3+7日間 
はじめに…この機会に、先ずはイベリア半島 
 前回の印象記に書いたように、息子一家がバルセロナの日本人学校に赴任して、まもなく1年近くになります。
 スペインは、10年前に訪れています(HPにも報告)から、昨秋も「ショートトリップ」で地中海側を少し周りました。
 今回は、思い切って西隣のポルトガルに足を延ばすことにしました。ポルトガルにも、10年前にリスボンと近郊のシントラは尋ねています。その時は夜行列車で西進したのですが、今回は飛行機でバルセロナからリスボンへ飛びました。
 航空券は関空からの飛行機会社にセットもできるでしょうが、別に購入しても手間もお金も余りかからなかった印象です。
 日本でネットでポルトガル航空のチケットが簡単に取れました。プリントアウトした紙1枚でOKでした(チョッと心配でしたが)。因みに円高のお陰もあるでしょうが、一人7千5百円ほどでした。
 バルセロナには正味3日だけ居て、リスボンに飛び、そこからは主にバスで北上し、ポルトガル第2の都市ポルトで折り返し、インターシティーで3時間少々でリスボンに戻り、そこから関空へ向かうプランにしました。
 この時期にしたのは、2月はヨーロッパへの航空券が底値だからですね。それに、緯度も低いので日本よりは暖かだろうという読みでした。結果的に日本と同じか、少し寒いという天気事情でした。
 ホテルを予約もせず、移動手段もバスか鉄道かは現地で判断、というような旅はほんとに久し振りでしたが、けっこう順調に進みました。この時期はホテルもローシーズンですから、泊まれない心配はないし、値段もローですから、そういう意味では結構尽くめでした。
 天候も寒かったのは確かですし、雨にも降られましたが、降ったり止んだり、時々晴れたりという天候で最悪ではありませんでした。
 今、世界の航空業界は価格競争が激しいようで、KLMオランダ以上に安かったのがフィンランド航空で、そこに決めました。ヘルシンキ乗り換えになりますが、イベリアには時間がかかりますが、日本との間は少し早い、そんな感じです。
 これからの世界の標準はそうなるのでしょうが、機内食も簡素(往きの2回目の食事なんかは不味かった)、機内も窮屈目。まあ、色々な付加料金を別にして、正味往復5万2千円ですから、文句は言えないですネ。
 西矢が迷いながら立てたプランは結果的にこの日程からすれば、ベストに近かったような印象です。主な訪問地は下表のようになりました。


2月10日 関空12:00発 FinnAir 2月16日 アルコバサ ナザレ
2月11日 ジローナの街へ鉄道で。散策 2月17日 コインブラ
2月12日 カザミラ、カタルーニャ歴史博物館 2月18日 ポルト
2月13日 カルドナへ。塩の洞窟(鉱山) 2月19日 ポルト 2日目
2月14日 リスボンへ 2月20日 リスボンへ
2月15日 オビドス 2月21日 ヘルシンキ空港経由 関空10:00(22日)

 
ショート・トリップは、鉄道で1時間半ほど北のジローナ
 前回の訪問から、約4カ月でしたが、早くも欠乏気味の日本食食材があるようで、ネットでオーダーが色々届きました。
  もう一つ重要な届け物は国外免許証でした。これは有効期間が1年間しかなく、毎年申請が必要になります。何を恐れているのか解りませんが、本人が帰れるはずも無く、親戚や会社の同僚とかが門真まで出かけなければなりません。ゆとりができた我々なので何とかなりますが、以前だったら、憤懣やるかたないところです。息子の分だけですから、その妻の分は後程郵送になります。代理人は関係を示す戸籍謄本まで要るのです。
 今回は三上・西矢の二人でしたから、重量制限内、機内持込を含め、Max60kgですが、今回もギリギリまで行きました。
 着いた次の日は、大亮達の子供=桃勢と共に北へ(フランス方面へ)1時間半ほど行ったところにある古都ジローナへ向かいました。前回もそうでしたが、バルセロナのサンツ駅から乗るのですが、時間帯によっては列車は1時間間隔です。桃勢は普段車で移動することが多いので、電車に乗るのは楽しみのようで、中々寝たりしてくれませんでした。
 小さいながらも空港があったり、大学のある町で、大きなカテドラルもある落ち着いた雰囲気の町でした。ここでも、スペインの食事の定番、メニュー・デル・ディアを頼んだのですが、英語が通じないので、注文はエエ加減でした。マア、そう変なものは出てきませんでした。
▲カテドラルに向かう桃勢 ▲カテドラルの正面の階段で ▲奥にある「天地創造」のタペストリー

バルセロナ中心部を歩く
 10年前、訪れたものの、暑くて下のレストランで休憩しただけだったカザ・ミラを尋ねました。ガウディの造ったマンションで、彼らしく曲線を生かしたデザインと屋上のオブジェが特徴です。
 見学料が一人10ユーロと高いのですが、それなりの値打ちはあるとは思いました。屋上からはあのサグラダファミリアやグエル公園も見え、そして、日本のテレビでその光景が映っていましたが、今も賃貸で住んでいる人が居るんですね。そこは見られませんが、ワンフロアーは住んでいる風に公開されていて、これも中々興味深かったです。
▲カザミラの外観 ▲屋上。右にサグラダファミリア ▲公開されている一室
 このカザミラを出て、ズッと南へ下ると有名なランブラス通りに出ます。ランブラス通りの途中でお腹も空いたのでバルで昼食。
 更に海方面へ向かい、その東に倉庫を改装したカタルーニャ歴史博物館があります。どこにでもある典型的な歴史博物館で古代の民家や石臼のある風景は世界共通という印象でした。平日だったからでしょうか、小学校の高学年が見学に来ていて、そこで授業がされていました。
 ランブラス通りを逆に北上するのですが、同じ道を通るのも芸が無いので一つ東の通りを歩くと、例のピカソが描いたと言われるビルの壁画に遭遇することができました。
▲カタルーニャ歴史博物館の展示 ▲博物館内での授業 ▲ピカソの壁画

この日はカルナバルで、パレードに桃勢も参加

▲桃勢君、パレード

▲カルソッツを食べる
  この日は、またしても偶然、カルナバルの日で、オ リベーラ小学校・幼稚園合同でパレードをしました。
  カルナバルはカーニバル。リオのものが有名ですが、キリスト教圏では、どこもお祭り騒ぎがあるようです。この後も、ナザレの町でもパレードに遭遇できました。
 衣装作りに保護者も動員されたみたいで、恵美ちゃんも手伝ったとか。桃勢達はスキューバーダイビングスタイルの参加で、テーマは「海」だったようです。
 
  その後、大亮達にサンクガットでレストランでの夕食に連れて行って貰いました。
 カルソッツという料理らしく、東京葱のような太い葱を炭で焼いたものを、独特のソースに漬けて食べます。他にも炭火焼風のものを色々食べる店で、凄い流行りようでした。

 
 
大亮一家と車で、バルセロナ近郊の穴場・カルドナ
 『地球の歩き方』にも載っていないのですが、日本人学校で伝えられている穴場。サンクガットから車で小一時間の距離にあるカルドナ。そこに「塩の洞窟」があります。正確には塩の鉱山でしょうか。
 今はもう掘削はしていないで、遺跡のようになっていますが、日本には類似のものが無いように思います。鍾乳洞のようになっていて、中では塩がそのまま採れるわけです。
 工場跡が受付ゾーンで、そこから、車に引かれて坑内へ向かい、カタルーニャ語のガイドさんに案内されて、見学します。


 
▲カルドナの塩鉱山の工場跡地。後にお城 ▲塩の鉱山に入る ▲塩鉱山の中で。ヘルメットをかぶって  
   
 この鉱山の後にそびえているのが、お城。ここはスペインの国営ホテルであるパラドールになっています。小さな町なのですが、そこにはいいレストランもあり、そこで満腹になるまでランチをいただきました。この辺のことは大亮・恵美がスペイン語かカタラン語か、注文してくれるので何かと便利でした。
 周りの景色も、のどかで広大で見応えがありました。
▲カルドナのレストランで ▲カルドナの城で大亮一家 ▲城を去る弘志・恵子

リスボンへは飛行機でひとっ飛び
 隣国とは言えポルトガルへは国際線。国際線なら2時間前手続きが原則。しかし、EUになって、便利なことの一つですが、EU内なら1時間前で良いんですネ。2時間ほどで着いたリスボンの空港は驚くほど市街地に近いのですが、ここでダウンタウン迄のバス代は無料のはずだったのですが、3.5ユーロも取られ、これが福と転じます(少々オーバーですが)。
 このチケットはリスボン市内の交通機関全て無料という代物だったのです。リスボンは10年前に訪問済みで、今回もファドを聴く予定を立てたので丘の上にホテルを取ろうと考え、『歩き方』で安そうな所を探しました。そこを確保し、知ってるつもりでリスボンを歩き始めました。
 ところが、オフシーズンで観光客が少ないことも影響したのか、川側に出れば好い雰囲気かと考えたのですが、適切なポイントに出られず、川沿の寒いこと寒いこと。さっきの乗り放題のチケットでバスでも市電でも乗ろうと考えたのですが、うまく行かず、気が付いたら遠距離用のサンタ・アポローニャ駅。
 マアお陰でアルファマ地区を歩いて市電乗り場へ進んで行きました。これが 『歩き方』にも紹介されている28番線で、人や車とギリギリの距離で西に進んで結構面白い路線でした。終点では降りなくてはならず、そこの教会や公園でひと時を過ごしました。
 自由旅行の利点でしょうが、偶々有名なサンタ・ジュスタのエレベーターの真横にオリエンタル・レストランを発見。食べ放題で選び放題は普通なのですが、ここは食材を自分でチョイスしてそれを好みの味付けで焼いて貰えることが売りでしょうか。寿司もありました。食事を楽しんでいる間も降雨はきつくなり、ファドは断念。乗り放題のチケットを使いエレベーターで昇ってホテルへ向かいました。
サンタ・ジュスタのエレベーター ▲アルファマ地区の市電通り ▲エストレーラ教会前の公園で

いよいよポルトガル国内へバス旅行開始。最初はオビドスの街へ
 翌朝、強い風雨の中、地下鉄でバスの出発地点のカンポグランデへ(地下鉄のチケットを買うのに何故か0.5ユーロ要るという仕組みが分からず少し困惑)。ここからバスで1時間少々でオビドスに到着。この辺が今回の旅のラッキーな点でしたが、着いた頃には雨が止んでいました。
 前日がロープライスのホテルだったし、今日は雨にも濡れ、バスタブも欲しいので、今回の旅では最高価格になるホテルに泊まりました(結果的にはお湯の温度が上がらず、ヒーターも中央管理で夜間切られましたが)。
 この街はほんとに小さな町なので、ゆっくりするにはピッタリ。土産物屋さんと食べ物屋さんが並ぶメインストリートだけ。その中で少し落ち着いた店でチョッと豪華目のランチ。この街の特産のジンジャというサクランボのワインを飲んだり、超小瓶を買ったりしました。
 町の一番奥がお城のようになっていて、ここがスペインのパラドールにあたるポザーダ(国営ホテル)になっていますが、そこの城壁に登ると強風に飛ばされそうでした。
 さすがにホテルのスタッフはしっかりしていて、翌日のバスのダイヤを聞いたらネットで調べてくれて、カルナバルで休日であることが判り、本数が少ないことも判明。それを知らなかったら大変な目に合うところでした。
▲リスボンのホテルを出発 ▲オビドスの入口ゲート メインストリート ディレイタ通り。後がポザーダ

 

▲町の奥の城壁の上で

▲オビドスのホテル ▲真中に水道橋の跡が見えます  

バスの乗り継ぎでナザレへ。そこからアルコバサ(世界遺産)往復
 ホテル近くのバス停からカルダス・ダ・ライーニャへ。ここで乗り換えてナザレの町へ。すべてホテルスタッフのお陰で時刻表通りにピッタリ到着。
 この旅で初めて大西洋を望める町とホテル。しかものどかとまでは言えませんが、波打ち際まで散歩も。
 ここから、バスで世界遺産のあるアルコバサまで脚を延ばす。再びきつめの雨でしたが、 さすがは世界遺産、観光客も多めだったようです。ここもカルナバルのお祭り騒ぎがあるらしく、ランチに入ったバルは現地の若者で賑わい過ぎで店を替えたくらいです。
 ホテルに戻ったら、丁度、カルナバルのパレード開始。ホテルの部屋を海側にしてもらったので、抜群の展望でした。次々とパレードのダンス隊がやってくるので、途中で切り上げてケーブルで上の地域へ上がりました。
 ここからは今上がって来たプライア地区が一望でき、直ぐ近くにノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会が見えます。
▲アルコバサ修道院正面 ▲回廊から二つの石棺

▲回廊の2階から中庭とファサード裏側

 

▲ナザレの町のパレード出発

▲右にホテルの観覧客も ▲こんな山車も  
シティオ地区

▲ナザレ教会正面

▲ナザレ教会のアズレージョ ▲シティオ地区から海岸を見下ろす

バスで2時間弱、コインブラへ
 ポルトガルのバスターミナルは大半が建物の中にあり、目立たないのが便利なのか不便なのか、よく判りませんでしたが、そこを出発し、2時間弱でコインブラの町へ。ここは、世界でも3本の指に入る由緒ある大学のある町。
 バスターミナルから市中心部までは10分ほどかかり、途中でサンタ・クルス修道院等も見学。鉄道駅周辺のホテルにイン。
 サンタ・クルス修道院の横が市庁舎だったり、その裏側に大学へのエレベーターがあったり、面白い造りの町でした。
 昼前にメインのコインブラ大学へ。エレベーターでドンと上がり、今は使われていない旧大学を見学。ここも見学料は7ユーロと少し高め。でもそれなりの値打ちはあったかも知れません。
 まさかと思ったのですが、ここに学食があり、そこでランチを取ることになりました。お陰で昼食代は見学料一人分少々で済みました。
 帰り道、ゆっくり坂の多い大学を下っていたら、日本人の後藤君という青年に会い、聞いてみれば、コインブラ大学の学生で日本人は11人居るとか。しかも出身が何と高槻9中(わが校区)。余りの奇遇にビックリ。今頃、このホームページを見ているかも知れません。
 川向こうに渡るのに1日乗車券を買ったのでバスに乗ったのは良かったのですが、降りるチャンスを逃し、小一時間のバス旅行をしてしまい、元の駅前に帰還!マア急ぐ旅でもないのでいいんだけど…。
 気を取り直し、歩いて新サンタ・クララ修道院へ。
 『歩き方』の店はイマイチだったのですが、またしてもセルフサービスの店を見つけ、欲しいものを皿に盛って貰い満足でした。
▲コインブラ大学へのエレベーター ▲旧大学の全景 ▲教室もアズレージョですね

 

▲学食で今日のワンプレート

▲旧大学のラテン回廊で ▲高槻9中出身のここの学生と  

 

▲モンデゴ川の対岸から大学

▲新サンタ・クララ修道院 ▲修道院のイサベル像  

最後の訪問都市 ポルトガル第2の都市 ポルトへ
 Uターンして戻るのが鉄道なので、その練習も含め、次の移動は鉄道で。
 コインブラB駅というのがあって、そこまで一駅乗り、そこからポルトへ。ポルトも一つ手前から一駅乗るという路線。
 ポルトには2泊するので少し慎重にホテル選び。リベルダーデ広場に面したホテル候補3つを比べ、一番奥のホテルに決定。
 ポルトの鉄道駅はもちろんアズレージョで飾られた風格のある駅舎。リベルダーデ広場も両サイドは風格あるビル。この街も市電が運行されていて、風情がありました。
 初日はゆっくり市電道を通ったり、繁華街のサンタ・カタリーナ通りを歩いて市場で買い物したりしました(市場は寂れている印象でした)。
 旅の終盤で少し疲れも出て、その回復の午後でもありました。
▲ポルトの鉄道駅構内道路側 ▲ポルトの鉄道駅構内ホーム側 ▲駅前。向うに市電

 

▲サンタ・カタリーナ通りで

▲アズレージョの教会 ▲ポリャオン市場2階から  

この旅初の二連泊 ポルトまる一日
 ポルトには、町全体を見渡せる所が二つあり、その一つはカテドラル。
 ホテルの前のリベルダーデ広場から鉄道のサン・ベント駅へ。そこから5分ほど。
 回廊の2階へ上がるだけで、眺望が良くなります。
 南にドウロ川という大きな川が流れ、もちろん少し下ると大西洋です。この川へ出るには急坂を下らねばなりません。逆に言うと、町の中心部は高い位置にあります。 そこを結ぶ橋がドン・ルイス1世橋で、これは二段構造になっていて、上段は地下鉄も走っています。その横を歩いたのですが、余りの高さに脚が震えました。眺望もスケールが大きかったのですが、ゆっくり見る余裕はなかったですね。
 対岸側はヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアという地区ですが、ここからサン・ベント駅やカテドラル方面を眺めた後、急坂を下りると、ワイナリーが並んでいます。私達は余り飲めない方なので、有料ガイドをしてもらってまで見学しませんでしたが、お好きな方なら絶好のドリンクポイントでしょうね。
 帰りは橋の下段を歩いて再び対岸に戻り、バスでサン・ベント駅へ戻りました。
▲ポルトのホテル8階で朝食 ▲リベルダーデ広場から出発 ▲カテドラル外観

 

▲カテドラルの回廊もアズレージョ

▲回廊2階から西方面 ▲ドン・ルイス1世橋の上段部で  

 

ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアからドウロ川

▲ワイナリー地区からカテドラル ▲ドン・ルイス1世橋を見上げる  

 昼休憩があるので、見逃していたグレリゴス教会。ここは自力で登って得る360度の眺望。
 ここから再び川面付近へ急坂を下る。そこにサンフランシスコ教会があり、見学。
 教会の下にこじゃれたレストランがあり、天候も暖かったので、珍しく外でランチ。そこは市電1番線の始発駅もあり、それに乗って一路西へ。少し戻って、18番線に乗り換え、再びサン・ベント駅へ急坂を登り、市電は値千金でした。
 ホテルは東へ行くと直ぐ繁華街なので夕食がてらに散歩。そこでくっきりとした虹を見ました。超庶民的なバルで夕食をとりました。
▲グレリゴス教会・市電 ▲グレリゴス教会から駅方面 ▲教会からドウロ川へ

 

▲サン・フランシスコ教会

▲教会下のレストランでランチ ▲観光客専用?市電1番線  

 

市電1番の終点付近は大西洋

▲ポルトのホテル。何故か壁に枇杷の絵 ▲サンタ・カタリーナ通りで虹かかる  

最後はインターシティでリターン、もう一度リスボンへ
 前日から予約済みですが、インターシティでリスボンへ。ここも一駅乗ってからICに乗れる仕組み。土曜故か次のカンパニャン駅で30分待ち。乗ったら3時間10分で到着。実に早い。4日かけて北上したのですが。
 慣れた?サンタ・アポローニャ駅から、地下鉄。前に戸惑った買うだけで0.5ユーロ要ったチケットを利用でき満足? レスタウラドーレス駅で降りて、最後のホテル探し。次の日飛行機の関係で朝早くホテルで朝食を食べている時間は無いので、朝食付きはもったいない。となると必然的に中級以下になります。その条件で探したのですが、最終的にロシオ広場に面したホテルを物色。古びた3階まで登るホテル。ご老人でやっておられ、応対された方がほんとに人の良さそうな方だったのと、部屋からの眺望抜群でサント・ティルソに決定。しかも部屋代はこの旅最安値の25ユーロ。
 アルファマ地区がファドの本場らしいのですが、そこにファドとポルトガルギターの博物館があり、そこを目指しました。
 途中、日本人の女性と長崎で修業したポルトガル人の男性の夫妻でやっておられるレストランがあり、そこで昼食。自慢はオムライスで、今や日本にしかないカステラを頂く。少し坂を上って、展望台を通って、博物館に着きました。ジオラマに期待したのですが、出来映えはイマイチでした。
 丁度私達のホテルの横の大きな服飾の店で「ポルトガル・日本修好150年記念展」を行なっていて、そうなんだ…と感心し、見学。日本の留学中の大学生がガイド役をしてくれていました。おいしいお茶も頂けました。
 最後の夕食は前回のオリエンタルフーズのWokを再訪。中々人気のようで、混んでいました。
 再び降雨が始まっていましたが、ホテルの窓からはライトアップされたサン・ジョルジョ城を眺めることができ、満足な最後の夜でした。
▲ロシオ広場に面したホテルの窓で ▲ホテルの窓からサン・ジョルジョ城方面 カステラ・ド・パウロのオムライス

 

▲サンタ・ルジア展望台

▲アル・ファマ地区を下る ▲ポルトガル・日本修好記念  

 

日本・ポルトガルの「国鳥」

▲展示会のコーナー。前はロシオ広場 ▲最終夜、ホテルの窓外  
 

ヘルシンキ経由 関空へ
 リスボン空港発8:45ですから、遅くとも7:30頃にはチェックインが必要です。7時前には出かけなくてはなりませんがバスは動いていません。初めてタクシーに乗りましたが、空港に着くなりメーターを消し、変だと思ったら18ユーロを請求。メーターは8ユーロ台だったのに。これでスッキリ払えるはずはありません。色々やり取りしたのですが結局10ユーロだけ払い、喧嘩別れで降りました。
 後は、季節柄、搭乗までスムーズで、予想外はヘルシンキで翼に付いた氷を除去するのに手間取ったことくらいでした。ヘルシンキはハブ空港になっているのか、イタリア旅行とかを組む学生の卒業旅行等で賑わっていました。

 書き忘れたことですが、往路、関空からヘルシンキはダブルブッキングだったのでしょうか、何とビジネスクラスの座席を割り当てられました。その座り心地と言うか、寝心地というか、初体験でエコノミーとこんなにも違うのか、と感心しました。ボタン操作で6段階ほどあり、何と寝る時は広がるだけでなく沈むんです。イヤーびっくり!! さすがに食事はエコノミーと一緒でしたが、貴重な体験でした。
 パーソナルなテレビサービスで堺正人達の「南極料理人」をやっていて、寝る時間があまり無い内に関空に30分遅れくらいで着きました。この季節だから、バッゲージクレイムもスムーズで、三上は一旦帰宅の後、午後には学校へ行っていました。

 「旅の基本情報」ですが、通貨がユーロになって、当たり前ですが ほんとに便利です。いつも複数の国を経由する場合、いくら両替するか頭を悩ましたものですが、その必要が無いのは助かります。それに、持ち帰っても、またその内使えるという安心感は大きいです。
  ただ、今回少し困ったのは、『歩き方』にも「銀行両替がレートも良い」とあるのですが、どこの銀行でもOKではありませんでした。両替の手数料も銀行によって違い、1回目は替えた分の3%、2回目は定額で約8.5ユーロでした。2回目はそう言われたので、今後のことも考えて多めに替えました。
 物価はよく判りませんが、前に訪問した時ほど割安感はありませんでした。それと、行っている間にも円高が進行していましたから、余計不明確です(最新で1ユーロ=128円くらいです)
。ポルトからリスボンまでのインターシティの料金が20ユーロ、2560円(もちろん座席指定)ですから、安いですね。リスボンの食べ放題が約9ユーロ、1150円も安いですね。それでも以前はもっと安かった印象です。
 ホテルはハイシーズンと今は開きがあり、オビドスのホテルは明示していましたが、春夏74ユーロが、今は56ユーロ、というわけです。25%OFFですね。何処へ行っても、古びた建物を使い続けている部屋があり、そういう所を探せば節約旅行ができる印象を持ちました(最後のリスボンの様に一人1600円!)。

 治安は問題ないと思いますが、隅々までは判りません。電話はもう国際電話の時代ではないですね。以前はクレジットカードで架けるのがベストでしたが、今は携帯電話でOKです。会議の遅刻まで電話されました。メールも来ますし送れますネ。

 


Copyright © 2010 MIKAMI HIROSHI