思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その16
 大亮・恵美・桃勢の暮らし振り拝見
 

日本食食材の運び屋だ バルセロナの旅 10日間 
はじめに…息子一家が09年4月からバルセロナ日本人学校へ 
 息子・大亮は大学卒業後も、小学校の教員免許の取得とか、色々あったのですが、結局5年前に採用試験合格、茨木市の小学校に勤務。昨年度の後半に海外の日本人学校への勤務を希望し合格。行き先が決まったのは08年の12月でした。
 予想外にも勤務先はバルセロナ。大学3年の時、1年休学して中南米を遊学していたことが、考慮されたのか。尤も、幸か不幸か中南米ではなく、スペイン語圏の大本の国になった次第。
 何かにつけて、旅行するのと居住するのとでは大違い。今年の出発前の3月辺りは「引越し」で周辺の私達も大変でした。もちろん、保育士の妻の退職、3歳半の子供も同伴ですから、本人達が一番大変だったに違いありません。
 その内、バルセロナを訪問することにしていたのですが、延び延びになっている間に、衆議院の解散総選挙が入り、9月には伯母さんの米寿記念長唄の発表会があったりで、10月上旬の訪問になりました。
 結果的にこの時期の訪問は正解。向うの生活にも少し慣れ、色々なことが判りかけた頃だったようです。三上と西矢、その母のいつもの3人旅になりました。西矢の母は3年ほど前に病気で左半身が少し不自由になったのですが、彼女にとっては3回目のスペイン。でも、是非、孫の居るバルセロナを訪

▲運び屋らしく、スーツケース+ザック+機内持込、合計50`!▲広げたらこの通り

ねてみたいという意欲満々で曾孫にも会いたかったようです。
 そして、何よりこの時期で良かったのは、僕等が適切な運び屋になれたことです。何が現地で入手しにくいかも、判った時期ですから、メールでリクエストが送られてきて、それを可能な限り調達する日々でした。
 スペインは、この3人で、10年前に訪れています(HPにも報告)から、有名なサグラダファミリア等、主だった見所は見学済みなので、懐かしいポイント再訪、近場へ出かける、そんな感じで出発しました。
 着いてから、大亮・恵美に情報を得て、ガイドブックにも「ショートトリップ」の項目で紹介されている観光スポットを訪れ、下表のような日々を過ごしたことになります。振り返れば、いつも海外では、一刻を惜しんで、次々と見所を訪ねまわる慌しいプランだったように思いますが、これからはゆとりを持った旅になるのかな、という感じがしました。


9月29日 関空11:00発 KLM航空 10月5日 バルセロナ湾内クルーズ
9月30日 サンクガットの街散策 10月6日 タラゴナ・旧市街、円形球戯場
10月1日 フィゲラス・ダリ美術館 10月7日 サンクガットの街最後の散策
10月2日 バルセロナ・ランブラス通り 10月8日 バルセロナ空港12:00発
10月3日 バルセロナ日本人学校・学芸会 10月9日 アムステルダム空港経由 関空9:00
10月4日 モンセラット    

 
日本人学校は、バルセロナ市ではなく隣接するサン・クガット市に
 サマータイムなので、時差は7時間。11時に関空を立ち、KLMオランダ航空なのでアムステルダム空港で乗り換えて、バルセロナ空港着は夕方の7時半。いつものことですが往きは得した感じで、その日に着きます。EUだからでしょうか、アムステルダムで入国審査終了で手続簡単でバルセロナ着。8時頃には迎えの大亮一家と会えて、大亮の運転でサンクガットのPISOに到着。PISOはマンションのようなもので、3階で前が公園なので夜も夜景が見える新築マンションみたいな感じ。
 それまで、メールやスカイプで情報交換していて、大亮達の子供・桃勢(ももせ)が大家さんに可愛がられ、プレゼントをもらったとか聞いていたのですが、こんなマンションの持ち主、大富豪じゃん、と思ったら、その方がこのフラットを買われていて、今は近くに住まれているとのことで、ようやく理解。
 サン・クガットはバルセロナの北隣の都市で、日本に例えれば、大阪梅田と吹田・千里ニュータウンという距離感でしょうか。バルセロナの中心から地下鉄で25分くらい(地下鉄は日本でもよくありますがやがて地上に出ます)。緑豊かな静かなゾーンになります。日本人学校の生徒は、バルセロナから、スクールバスで通って来るようですが、教職員はサン・クガット周辺に住んでいるそうです。
▲バルセロナ空港で感激の対面 ▲PISOからモンセラット方面の夕暮れ ▲前の公園で。後がPISO
到着の翌日は、ゆっくりと桃勢とサン・クガット市散策
 長旅の疲れもあることだし、時間的ゆとりもあるので、先ずはこのサン・クガットの街と近郊の大型スーパーなどを探索することに。桃勢君も興奮気味なので幼稚園をお休みして同行。サン・クガットの駅とPISOの距離感は結局よく判らないままでした。歩いて行けない距離ではないのでしょうが、大半は恵美ちゃんの運転で送迎とか、タクシーに乗ることが多かったからでしょうか。
 駅につながるショッピング街の外れに大きな教会があり、その周辺に公民館とか、バルとか広がっていました。
 中心部から少し離れたところにエロスキーという名前の大きなスーパーマーケットがあり、そこには大きな駐車場も完備。3階建てになっていますが専門店もたくさん入っている日本でもあるようなスタイルのショッピングモールでした。
▲サン・クガットの教会 ▲教会周辺の公園で ▲スーパーの魚売り場で鰯を買う
ショート・トリップ第1弾は、フィゲラス/ダリ美術館へ
  次の日は、先ず桃勢君を幼稚園へ送ること

▲桃勢君、幼稚園に

からスタート。幼稚園はPISOの隣の区画と言っていいくらいの近さ。大半の子供は車で送迎だけど、彼は手をつないで小走りに。開門は8時45分、閉門は8時55分。その間に送れない親はベビーシッターを雇うしかないとか。親と先生が挨拶を交わして送り込む感じ。もちろん、スペイン語なので、最初、彼も嫌がったみたいですが、先生の懸命のケアーと1年先に赴任した同僚の子供が同じクラスで助けられたそうです。
 ヨーロッパは鉄道網が発達。バルセロナも地中海沿いの町なので、北へ行けばフランス、南へ行けばバレンシア地方。そこには幾つもの見所が配置されています。鉄道はRENFEと言いますが、そのバルセロナのキーステーションはサンツ駅。サン・クガット駅から直行しているといいのですが、残念ながら地下鉄乗換えが必要。妙さんの足の具合からすると地下の乗り換えは厳しいのですが、止むを得ません、必死に歩いてもらいました。
 僕達3人で行ける所へは行こう、ということで、その第1弾はダリ美術館のあるフィゲラスを目指すことになりました。サンツ駅での切符の購入は結構難しく、売り場が近距離・中距離・遠距
▲ホテル・ドゥランで食べたサルスエラ
離に分かれているのですが、中距離だと判るのにも少し時間がかかりました。特急とかがあるわけでもなさそうで、少しだけ早い急行がある 程度。結局片道2時間半かかる旅になりました。
 フィゲラスに着いてからは、先ず『地球の歩き方』に載っていたカタルーニャ海鮮料理の雄、サルスエラを賞味。良心的な店で、「2人前で十分だ」と教えてくれて、そしてその通り、十分過ぎるくらいのボリュームでした。
 ナマズ髭で有名なダリという人物には色々な評価があるのでしょうが、彼の存命中にこの美術館を建てたのですから(開館は1974年、ダリ70歳)、好きなように展示やオブジェが飾られていることになります。
 退廃や道化をモチーフにしたようなので、人を喰ったような作品やだまし絵がたくさん展示されています。彼はヒットラーをピカソのように糾弾しなかったそうですが、ヒットラーのことを「我々は狂気を演じているだけだが、彼は本物の狂気だ」と評したそうです。何だか迫力のある言い方です。
 Canonのポスターを製作したり、ぺろぺろキャンディーの名前をデザイン化したり、結構、生活に馴染んでいるんだなァと意外な感じもしましたが、疲れるほど展示物は多かったですネ。
  帰り道においしそうなパン屋さんがあったので、帰りの列車の中での夕食にしましたが、最初で最後の激しい雨が窓の外で降っていました。
 
▲ダリ美術館正面の中庭 ▲リンカーンのだまし絵 ▲レンズを通して見ると… ▲この組み合わせ…
久し振りのバルセロナ旧市街、ランブラス通りやサンジョセップ市場へ
 10年前、夜行でマドリッドからバルセロナに着き、辿り着いたのがランブラス通りのレイアール広場。この通りは世界の観光客が集まる場所。この通りの北の端がカタルーニャ広場でここへはサン・クガット駅から一本。4日目はここを再訪することに。気候も好いので、素敵な散歩道でした。有名な大道芸もたくさん広がっていましたが、少し質が落ちたかな?
 前には通り過ごしていたサンジョセップ市場も訪れましたが、バルセロナの胃袋とか言いつつ、来ているのは大半が観光客。ここで痛感したのは「誰でもカメラマン」現象。とにかくデジカメで撮影する人の多いこと多いこと。三上もその一員なんですが、隔世の感がありますネ。デジカメがここまで普及するとは…。
 カタルーニャ広場の東にエル・コルテ・イングレスという大きな百貨店があり、そのスーパーマーケット部門が地下にあり、ここでお土産にするスペイン特産の食品を買い込むことになります。
▲ランブラス通りを散策 ▲ご存知、大道芸 ▲カタルーニャ広場横の百貨店
▲サンジョセップ市場入口 ▲市場内の肉屋さん ▲市場の奥の屋台で昼食
夜はカタルーニャ音楽堂(世界遺産)で、フラメンコ風歌手のコンサート
 カタルーニャ音楽堂は以前も前までは行ったのですが、休館日で入れず。ここは、ガウディと同時代(モデルニスモ)のモンタネールの設計によるもので、世界遺産に登録されています。その音楽堂でコンサートが開かれている、というので、日本からメールで大亮にチケットを取ってもらった次第。「ステージは何でもいいから」とええ加減なオーダーだったのですが、ニーナ・パストーリという国民的人気のある歌手のコンサートでなかなか見応え、聴き応えのあるものでした。もちろん、夜でしたからつぶさには見られませんでしたが、建物もなかなかのものでした。
 聴衆のノリも凄く、流石にペンライトで踊る訳ではなかったですが、熱狂的なファンは終盤ステージに迫るという有様でした。
 ただ、コンサートの開始は午後9時。終演は11時近く。大亮に車で送ってもらい、帰りは地下鉄とタクシーになりました。

▲カタルーニャ音楽堂に入る ▲3階席まで。踊る人も ▲フィナーレ総立ち ▲音楽堂の天井
大亮達の住まいから遠望できる近さにありながら、圧巻だった巨岩と修道院のモンセラット
 ショートトリップ第2弾は、モンセラット。サン・クガットからは一旦バルセロナへ出ると三角形の2辺を辿るようになるのですが、大亮の車で直行すると正味30分ほどで到着。そこで車は駐車場に置き、登山電車に乗ります。
 ギリシャのメテオラと環境的には似ていて、急峻な場所にある信仰の対象は有り難いものなのでしょう、世界中から信者・観光客が押し寄せます。そこには修道院と関連施設以外に何もない、となれば一層価値は高くなります。しかも、この修道院の下の谷の洞窟から「黒いマリア」が見つかり、それがこの修道院に祀られているのですから、一層素晴らしい、ということになります。
 季節にもよるでしょうが、この地の空気は独特なようで、爽やかで、随分清々しく感じられました。それだけでも、一度登ってくる価値はありそうで、ここからのハイキングコースもあるようでした。
▲登山電車に乗って昇る ▲ケーブル頂上駅 ▲展望台テラスで桃勢も一緒に
▲修道院へ向かう ▲修道院前庭 ▲ドーム正面 ▲黒いマリア像(望遠)
地中海に面した港町でもあるバルセロナを実感、湾内クルーズへ
 ランブラス通りを南へ突き切ると、コロンブスの塔があり、そこは地中海。今回初めて、ここからゴロンドリーナ(ツバメの意味)号に乗って、30分の湾内クルーズへ。その上をモンジュイックの丘へロープウェイも通っています。
 大阪港とかの詳細は知らないのですが、ここは明らかに港湾施設であることが、超大型客船や荷揚げの風景から察せられます。風も気持ちよく、そんなに大きな船ではないのですが、海から見るバルセロナもなかなか風情がありました。
 下船後は、ポルト・ベイと呼ばれる地区で昼食。ポピュラーなタパスが勢揃いするTapaTapaで海を見ながらのリッチな気分のランチタイムでした。
▲湾内クルーズに出発 ▲船着場とコロンブスの塔 ▲丘に向かうロープウェイ
 

▲海のキリンさん

▲桃勢と港の時計台 ▲たっぷりタパス賞味  
最後のショートトリップは、世界遺産タラゴナ
 この旅の終盤は、もう一度ショートトリップ。今度はRENFEで地中海沿いを南西へ。旧市街とローマ時代の円形劇場で世界遺産に登録されているタラゴナ。妙さんの体調もあり選んだミニ観光バスが大正解でした。下車することはないのですが、先ずは海側へ下り、その後、丘の上にある旧市街へ、という充実したコースで大満足でした。
 ローマ時代の円形劇場は規模等は大したことはないのですが、後に地中海が迫っているのが特徴的でした。
 この街では、10年前、大変お世話になったメニュー・デル・ディアという定食をキチット食べられたのもラッキーでした。前菜とメインを3種類の中から選べるので3人で食べると全てのメニューを賞味できます。デザートまで付いていました。
▲ミニバスで海岸から旧市街へ ▲このミニバスで旧市街も遊覧 ▲ミニバスから精巧な落書
 

▲スペインらしい定食にありつく

▲3種類のメインディッシュ(魚・鶏・牛) ▲円形劇場。向うは地中海  
ほんとの最終日、もう一度、ゆったりとサン・クガット市散策
 長いようで短かった今回のバルセロナ訪問もいよいよ9日目、実質最終日。初日にサッと周ったサン・クガットの街を探訪することにしました。妙さんが気に入った町の中心部の教会を再訪したり、買い残した品物をスーパーで買うとか…。  
▲サン・クガットの教会の横で ▲教会のキリスト像の前で ▲ここにも黒いマリア像 ▲教会中央部
 

▲教会から駅へ

▲商店街の生ハム屋さん ▲商店街の三角公園で相談  


Copyright © 2009 MIKAMI HIROSHI