2年前の東北ボランティアツアー・遠野まごころネット大槌町の続編
思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その31   特別編
2014年・5月
被災3年を過ぎて再訪
 神戸大学東北ボランティアバス
釜石・大槌・山田…仮設住宅訪問 

はじめに 突然の参加要請…60歳代二人が学生の中に 
 震災直後から18回に及んで実施されてきている神戸大の東北ボランティアバスの参加者に欠員ができ、急遽募集というメールが来ました。何度か紹介しているバルセロナの豆腐屋清水君との繋がりで復活した大学同期の何人かがメールで連絡を取り合っていて、その中心に居る西君という大学闘争時代の仲間が、神戸大文学部の科目等履修生として近現代史とかを受講しています。結果的に彼がこのボランティアバスの継続的な参加者になっていて、「空きができたので、誰か行って!」と要請があり、「若い人が行くべきだがどうしても埋まらなかったら行ってもいいよ」とメールしました。そうしたら、「是非!」ということになった次第です。
 実は、出かける地域が2年前に辻元清美支援者有志で行った大槌町が中心で、その後はどうなっているのかな、と関心のある所でした。ただ前回は2泊3日(その後は東北観光)でしたが、今回は
4月28日夕方出発、30日から5月4日の夕方まで活動して5日の昼過ぎに神戸に帰着という足かけ8日間の長さ、耐えられるかなと少し不安でした。片道1080キロ、16時間かかるというのも、なかなかなものです。
 活動内容は定番になっている足湯、負けないゾウ作り、そしてお好み焼き作りで、西君との話では、老骨隊はお好みを担当しようか、そのためにもエプロンが要るなぁと準備しました。
 
 
@16時間のバスはさほど疲れず。釜石・大槌グループ、前半の宿泊は青少年の家
  大学の構内から出発し、ほぼ2時間ごとに休憩を挟み、運転手さんは2人で交代、東名高速ではなく北陸自動車道経由で岩手を目指しましたが、眠っている身としては何処を通ったか、あまり定かではありませんでした。着いてみれば、まぁ、こんなもんかという感じでそんなに疲れは感じませんでした。個人的には西君との積もる話もありました。
 釜石に着くと、レンタカーを借りて和野会館で陸前高田グループと釜石・大槌グループに分かれますが、西・三上は後者のグループでした。前者のグループは和野会館で宿泊しますが、ここは板張りで寝袋持参、風呂もなくバスで銭湯へ行くという結構きつい環境だと聞きました。釜石・大槌グループの宿舎は山田町にある県立陸中海岸青少年の家で、チェックインまで時間があるので、私達のワゴン車は釜石大観音を見学することにしました。釜石の製鉄所が盛んだった1970年に作られていますから壮大で、由緒あるものはないのですが、釜石の製鉄所の裏側に当たり見晴らしはよかったです。
▲和野会館で二つのグループに分かれる                ▲釜石大観音   ▲大観音像の上からの景色

A到着後、オリエンテーション的に大槌町の被災地見学。2年前の赤浜地区を訪ねる
 陸中海岸青少年の家はその名の通り、中学生とかの合宿行事とかに使われる施設ですが、近くの船越小学校が流されたためこの3月まではここに仮住まいしていたそうです。今は会議室とかも使えるということで、ゆったりしていました。もちろん風呂も10人くらいは軽く入れる大きさでした。夕食も朝食もサーブされますし、料金も割安な感じでした。ここで5泊できればいいのですが、地元の野球部とかの合宿みたいなものが入っていて、2泊しか使えないのは残念でした。
 到着して荷物整理を済ませたら、町(大槌)の見学に出かけました。案内役は3年生でした。
 2年前被災のままだった大槌町役場はようやく解体されることになってその作業が開始されていました。その一部はモニュメントとして保存されると聞きました。小高い丘(公民館がある場所)に連れて行ってくれて、大槌町の中心部が見渡せました。ここではスマホの威力発揮でした。YouTubeで「大槌 津波」で検索すると、この位置からの津波に襲われる様子が動画で見られるのです。恐ろしいほどリアリティがありました。
 前回花壇作りをした赤浜は向いに「ひょっこりひょうたん島」の蓬莱島が見えるのでそこにも連れて行ってくれました。2年前の花壇はどうなっているのか見たくて走り出したのですが、学生のリーダーが「そこへも廻りますから」とみんな一緒に行ってくれました。2年も経っているので、花壇なんて無くなっていて風景も変わっていると思っていました。ところが不幸なことに花壇はほぼそのまま残っているのです。そして、そこから見える海方向の風景もほぼ変わっていないのです。どうしてこういう状態なのかは、後でそれなりに解りますが、その時は愕然としました。
 この二日間は夕食がサーブされますから、5時半までに青少年の家に戻りました。夕食後、初めて全員(陸前高田と2分されていますから20人強)が集まるミーティングで、色々な注意、班分け、自己紹介が行われました。
 
▲大槌町役場跡 展望台から大槌町中心部。左に台形状の土盛  ▲上にゆりかもめ号が乗っていた建物
▲花壇がそのまま残っていた ▲2年前の作業風景(同じ場所)  ▲初めての全体ミーティング

Bワゴン車で3班が午前・午後に仮設団地訪問。途中で班ミーティング
 3日目の30日、いよいよボランティア活動が始まります。正味5日間の活動になります。
 活動は3班に分かれて進められます。班所属はメンバーの希望で調整します。行き先の仮設団地の特徴を行ったことのある学生が話し、参考にします。その班は最大9人、最少5人くらいで、ワゴン車で移動。午前と午後に異なった仮設団地へ向かう訳です。その活動が終わったら、車の移動中とか昼食中、夕食中とか、班ミーティングをします。それぞれの活動を報告をし合い、良かったこととか、改善すべき点を出し合ったり、感想を述べ合ったりします。夕食後、宿舎に帰って、全体ミーティング。各班の報告をリーダーがして、終われば、次は翌日の班でのミーティングで役割分担、打合せと続きます。
 時には車で移動中に、「今回の活動は時間の過ぎるのを早く感じるか、遅く感じるか、を言いましょうか」と経験者が言い出して、みんな思うところを披歴したりします。
 こういうパターンが定着しているようです。しっかり記録され、次に引き継がれていくようです。
 因みに西君と僕ははじめに書いたようにお好み焼き専従(笑)でしたから、お好み焼き実施予定3日間はその班に入り、お好み焼きが無い日は西君のお薦めの行き先を選びました。
 
▲宿舎出発風景 ▲戸別訪問で声かけ  ▲箱崎でお好み焼き作り
   

▲お好み焼きは大好評

▲旧不動生コン跡地で手芸班とお好み焼    

C負けないゾウだけでなく、ウサギやワンちゃんも。バリスタコーヒーも好評
 メインの活動は足湯と負けないゾウ作り(手芸)です。TVでも宣伝しているネスカフェのバリスタというコーヒーメーカーも宣伝活動の一環なのでしょうが、豆も含めて無料で貸与されています。これが結構好評で、本格コーヒーが飲みたかったという要望に沿っているようでした。会場での活動は2時間ですから、コーヒーを飲みながら、手芸と足湯とお好み焼きとなると時間不足にもなりますからフルコースという訳にはいかないことも多かったようです。
 負けない象は有名になっていますが、作り方を覚えたいからとか、孫にあげたいので、何度でも作りたいという方も居られますが、他のものを作りたいという声もあり、ウサギとかワンちゃんとかも作っていました。僕も自分で作ったことはなかったのでゾウとウサギ作りに挑戦しました(お好み焼の無い日!)。
▲大槌第5。立っておられる澤館さん。  ▲釜石野田、手芸 ▲釜石野田で完成作品と共に記念写真  
 

▲仮設住宅の談話室。前で足湯

▲野田西の支援者紹介掲示    ▲猿神での手芸。子供も参加

D後半の3泊は民宿。食事はないので各自調達
 後半の3泊は民宿サトウに宿泊することになります。活動範囲は南から釜石・大槌・山田、車での移動ですから宿舎が何処にあっても困ることはないのですが、この民宿は大槌町吉里吉里にあります。前は浪板海岸でサーフィンとかができるそうです。震災がなければ、この辺りはどこも良い景色なのです。一般の方も泊まっておられ、仕事で来られている風の人、子供連れの方は実家がこの近くでGWなので家族で来たと言われていました。青少年の家と違って食事は自前、会議室とかは無い、風呂が小さいとか、不満を言えばきりがありませんが、前回の訪問時に比べたら随分贅沢な不満かも知れません。
 夕食は、班で食堂とかを見つけて食べますが、何回も参加しているメンバーがイチオシを薦めてくれることも多かったです。昼食はリーダーの判断でコンビニとかで買って持って行く場合と、移動途中で復興食堂に立ち寄ったりすることもありました。前回利用したまごころ食堂は、今もやっていて、個人的には懐かしく、2年前と同じ400円で丼とか弁当とかを食べることができ嬉しかったです。
▲民宿サトウを出発 ▲民宿前の浪板海岸  ▲まごころ食堂での昼食  

E全体で約30か所の仮設団地を訪問
 1日に午前・午後の2か所、5日間ですから10か所の仮設団地を訪問したことになります(大雑把な計算で全部で30か所)。この活動開始時からずっと訪れている所からつい最近お邪魔することになった所まで色々です。僕達は行けませんでしたが、復興住宅も訪問先に入ってきています。
 活動の会場も集会場、談話室、エコハウスと名前がついている所と、様々ですが、50戸以上なら集会場ができるが、それ以下なら仮設住宅の1戸が充てられる、というような話でした。後者の場合、とてもお好み焼きを作るスペースはありませんでした。
 それぞれの集会場には支援員さんが居られ、ボランティアの活動をサポートして下さっていました。現地の被災者の皆さんに仕事をしてもらい、雇用創出とい面もあるようでした。それも直接雇用になると役所の仕事が増えるからか、派遣会社が手立てをしているそうです。ただ、休日は休みだそうで、被災者の方の不満もある印象でした。
 活動の中には戸別訪問があり、事前に広報はされていますが、ノックして出て来られたら「今、集会所で、足湯とか…お好み焼きとかもやっていますが、ご都合ついたら是非来て下さい」というような案内をして回りました。時間帯によっては不在も結構ある感じでした。
 
▲足湯セット等備品の積み込み ▲支援員さんとも話しながら帰路に ▲最後の訪問、猿神。寄贈鯉のぼりも  

F赤浜地区では高台移転の用地取得が、持主不明とかで難航
 2年経っても何も変わっていないというのが実感だと初めの方に書きました。その原因が何かは、大槌第5仮設団地でのやり取りから判ってきたのです。ここの自治会無き後に懇親会を作ったりして被災住民の交流を進められていた澤館さんが、西君に「関西テレビが取材に来て、その放映されたものをディスクで送ってくれた」と言われるので、是非見せてほしいとお願いして、その場で見せてもらいました。僕は作業中だったのでチャンとみられなかったのですが、西君が澤館さんご本人にそのニュースの感想を尋ねたら「なかなかしっかり実情を伝えている」という評価でした。そこで、このDVDをお借りして、みんなで見ようということになりました。
 民宿にはテレビはあるのですが、DVDプレーヤーはありませんでした。しかし、学生の技術力が高く、ノートパソコンをプレーヤーにしてテレビ画面で多くのメンバーで見ることができました。
 この番組は「ニュース・アンカー」で放送時間は夕方の5時前から7時。普通にはなかなか見られない時間帯なので、僕達を含め見ている人はありませんでした。僕が2年前に花壇作りをした地域は赤浜地区なのですが、この地区の代表者への取材で次のようなことが明らかになります。この地区は盛土をして住居は高台へ作ろうという基本方針を持っています。高い防波堤を作って海から隔絶されたような町にしたくないようです。被災した大槌町役場の近くにあった看板にも「海の見えるつい散歩したくなるこだわりのある美しいまち」と掲げられていました。
 高台移転の為には今の住居ゾーンの上の雑木林を宅地に造成する必要があります。その林は私有地ですから購入する必要があります。ところが売買の対象になると予想されていなかったので、地権者の整理がなされておらず、場合によっては40数人が絡んでくるケースもあるそうです。そしてその中に行方が分からない方も居られるのです。この方たちの同意を得なければ造成ができないとなると、そこでこの計画は止まってしまいます。
 この事態を乗り切るため、第三者機関を作って、後で持ち主の居所が判明したら、その時に補償金とかを支払う、という特別措置法を作るしかない、というのが現状なのです。私有財産権の侵害等の問題でデッドロックに乗り上げているという報道でしたが、間もなくクリアーできるのではないか、という印象でした。
 もう一つは、盛土です。巨大な台形状の盛土が幾つも見られました。2年前にはこれは瓦礫の積み上げでした。今は、この盛土は実験用だそうです。盛土は歪んだ沈下の危険がつきものですから、その観察をしているそうです。ただ、海岸沿いは遊歩道とかになりそうですから、少々の歪みは大問題にならないかも知れません。
 ここまで来ているので、特措法ができれば、事態はスピーディーに展開するように思えました。
▲復興事業計画の看板 ▲計画盛土の高さ表示(赤浜地区で)
 
参加学生の質の高さに驚く
 これまでボラバスは19次に渡って派遣されていて、その一部に関わっただけですから、チャンと見えていないこともたくさんありそうですが、印象に残ったことを書いておきます。
 正直驚いたのは学生の質の高さでした。西君に本とかを読む時間があるか尋ねたら、「ほとんど時間が無いからなぁ」という返事でしたが、ほんとにその通りでした。Bで書いたように、移動中もミーティング、午前の活動が長引き移動距離が長い時は、車中で持ってきた弁当を食べたりします。そういう指示は班のリーダーがテキパキとします。班の役割分担もリーダー、備品管理、ブログ(情報送信)とありますが、積極的に「私やります」と決まるし、初めての参加者でも薦められてですがリーダーを引き受けたりします。
 何より驚いたのは、現地到着直後のワゴン車の中で「ハンナ・アーレントの、えーと何やったっけ?」と何かのコンセプトを思い出そうとして何人かが議論しているのです。辻元清美の応援ネットの代表の方がハンナ・アーレントの研究者で僕も映画を見たし、その講演会に参加したばかりだったので、この会話にはビックリしてしまいました。たまたま、このワゴン車には法学部の3年生が3人乗っていてこの会話になったようです。後で聞いたら政治学で一コマずつ学者を取り上げ、その主要コンセプトと共に学ぶという講義だったようです。そのコンセプトは「凡庸なる悪」ではなかったようですが、それ以上聞く時間もなく、「面白い授業ですからノートもしっかりとっていますから見せましょうか」とまで言われたのですが、そこまでしなくても…で終わりましたが、のっけから衝撃的でした。
 さらに驚いたのは、2泊目の全体ミーティングが終わった後、「先日1か月ほど、ボランティアで行って来たフィリッピンの報告をするので、不十分だから恥ずかしいけど、よかったら見て下さい」とパワーポイントで報告するのです。次の日の準備もあるので手が空いている人は、と控え目でした。僕達60代組と支援室の林先生は勿論参加。詳細は割愛しますが、3年生の法学部の彼はフィリッピンのクリヨン島というハンセン病患者が隔離されていた島にあるキリスト教関係の施設でボランティアをして来たのです。パワーポイントを駆使して静止画、動画で紹介し、解説を挟みながら、30分くらい飽きさせませんでした。フィリッピンを選んだのは、台風被害があったからで、そのフットワークの良さには感嘆しました。
 活動を振り返ってのミーティングでも、参加者の皆さんが笑っているネタが障がい者のことだったりすることを問題視したり、仮設団地内の人間関係の難しさを的確に把握したりしていることがうかがえました。
 細かなことですが、夕食を食べに入った店で「支那ソバ」と展示されていると「これっていいんですかねぇ」とも言っていました。石原の「支那」発言を意識しているのではと思われました。


▲フィリッピンでの活動報告。クリヨン島 ▲施設のシスターの皆さんと

前向きで意欲的、現地に溶け込む活動。金銭的支援も必要なようです
 こういう活動に参加する学生だから、一般の学生とは違うのかも知れませんが、前向きな印象を持ちました。お好み焼きの準備ではキャベツを刻んでおくのが大変なのですが、「僕、キャベツ刻むの得意ですよ」と直ぐやってくれます。ジェンダーフリーも当たり前な感じで、ゾウ作りとかの手芸は男子学生も先生役をしているし、車の運転を女子学生もやっているのは普通のことのようでした。行動力も凄くて、最終日近くの早朝に往復2時間はかかると思われる名勝地・浄土ヶ浜へ希望者で行って来て、「凄い綺麗な所でした」と言っていました。
 
 仕事量は少なくはなかったですが、みんなでやりますから、スムーズに進みました。僕達年配組も特別扱いせず、やれることはやるという感じで、爽やかだった気がします。

 西君は別格でしょうが(彼は19回の内16回参加)、学生でも相当な回数参加している常連さんが居ます。そういうメンバーは被災者の方に覚えて貰っていて、○○君は、今回来てないの?とか聞かれることもありました。逆に前回尋ねた被災者の方にお土産を持って行く学生も居ました。

 イベントが少なくなっているそうで、こういう取組みを待っておられる方も多く、「遠くから来てくれてありがとうね。また来て下さいね」と言われていました。大半は年配の女性層なのですが、学生諸君の対応は本当に誠実で優しく、僕なんかは真似できないなぁと思うほどでした。年配の方も若い学生に親切にされるのはホントに嬉しそうでした。

 学生諸君はアルバイトを休んで来ている上に、参加費や宿泊代の一部負担をしています。ボランティア活動とはそういうものだと言えばそれまでなのですが、それだけで1万5千円程度でした。もちろん、Dに書いたように自前の食事代もかかります。
 もちろん、バスの運行の費用、宿泊費用の大半とかは、大学や卒業生からの寄付(神戸大学基金)、企業の社会貢献の寄付で賄われているようですが、震災3年が過ぎ、昨今の経済事情からその費用の捻出も厳しくなっていると聞きました。僅かずつでもみんなで出し合えればなぁ…と痛感しました。

ブログ「神戸大学東北ボランティアバスプロジェクト」に学生発信の全般的な情報があります。




 
 


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