思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その21
 恵子退職記念 再び4世代9人旅
 
バルセロナの大亮一家とはベルンで現地集合
 ファミリースイスの旅 
エミレーツ航空で正味12日間
 
はじめに…西矢が退職して2年、母妙さんリハビリに励んで5年、大亮がバルセロナで2年半 
 そんなこんなで、色々な意味を込めて、この夏にスイスへ大所帯で出かける準備をしてきました。
 スイスには色々な思い入れもありました。
 @先ず、西矢・三上の海外旅行はギリシャ・スイスから始まりました。
 A西矢の母、妙さんに20年前「一番海外で行きたい所は?」と聞いたら「スイスへ」ということで、これまた最初の海外旅行の地でした。
 Bそれにつながるのですが、その時、子供を置いておくわけにいかず、初のファミリーツアーになったのもドイツ・スイスでした。
 C5年前、三上が瀕死の重傷を負った事故の後、闘病後の従姉夫妻と一緒に訪れ、癒しの旅をしたのもスイスでした。
 Dその半年後、脳出血で身体が不自由になった妙さんに、「最後の長期の海外旅行で行きたい所は?」の答も「スイス」でした。

 そして、前から報告しているように息子の大亮一家はバルセロナの日本人学校に赴任していて、うまくいけば現地に集合したいねということになっていました。
 私達にとっては、贅沢な話ですが4回目のスイスになります。5年前にも、それまでに行けなかったサン・モリッツとかもプランに入れました。今回はゾーンとして全く新規はなかったのですが、さすがに伝統のある・世界の観光地 だけあって、色々なコースがあって新しい発見がありました。

 スイス滞在中にも、円高が続き、ニュースになるほどでした。帰ってから「円高で良かったね」と言われたのですが、それは全く違います。為替は相対的なものです。ドル安、ユーロ安は確かですが、スイスはユーロではありません。今もスイスフランです。スイスフランが一番安定しているのでしょうね。結論は「フラン高・円安」なのです。1フラン=90円程度だったのに、ドンドン円安になり、最終的には
1フラン=100円を越えました。
 まえがきであれこれ書きだすと冗長になりますから、続きは本稿で書くことにして、天候だけに触れておきます。旅はいつも天候次第の面はありますが、スイスのように自然の中に入る場合、それに左右される比率は高いです。5年前の土居夫妻との旅でスイス運は使い尽したと思っていたので、今回はダメでも仕方ないかなと思っていましたが、詳細は後で書きますが、不安の後に最高の状態が訪れてくれ、こんなにラッキーが続いていいの!?という感じでした。
 飛行機はエミレーツ航空でした。早くにフライトスケジュールが出ること、そして早いからか安かったことが大きな要因でした。

 
7月21日 関空23:35発 エミレーツ航空 ドバイ経由   7月29日 インターラーケン経由 ツェルマット
7月22日 ジュネーブ空港。モントルー 7月30日 グレッシャーパラダイス。フーリー
7月23日 ゴールデンパスラインでベルンへ 7月31日 ゴルナグラード。リッフェル湖
7月24日 グリンデルワルド到着 8月1日 スネガパラダイス
7月25日 シルトホルン。ミューレン。アルメントフーベル 8月2日 アンデルマット経由 ルツェルン
7月26日 フィルスト。バッハアルプゼー 8月3日 チューリッヒ空港
7月27日 メンリッヘン。ヴェンゲン。幾つもの滝 8月4日 ドバイ経由 関空17:10着
7月28日 クライネシャイデック。ユングフラウ    

 
エミレーツ航空は、カタールと並んで、関空発のお手頃価格なのでしょうか
 はじめにも書きましたが、今回は人数も多く、座席の確保・価格の問題があるので、いつもお願いしているマイチケットと早めにやり取りを西矢がしました。2月、他の航空会社の価格も出ていない時に申し込めたのがエミレーツでした。ホテルではなくアパートを予約したかったので、それが満室になっていくのを見ていると、焦った次第です。
 実際に乗ってみて、ドバイの往復はほぼ満席。ドバイからの便は色々あって、ヨーロッパへもたくさん飛んでいる様子でした。往きも帰りも深夜とかでしたが、空港で寝ている人は多かったですが、人々で溢れていました。多分低価格なのでしょうね、パックツアーもたくさん使っている印象でした。乗り継ぐ空港はドバイなのは当然ですが、だだっ広くて、妙さんの身体からして、チョット不便を感じる空港でした。

 ただ、深夜出発というのも、悪くないかなとは思いました。空港ビルの店は開いていないのですが、家を出るのは夕方ですから、落ち着いて準備ができました。出発の前に、最終打ち合わせができたのは初めてのような気がします。
 
 子供へのサービスはしっかりしていて、指人形やお絵かきセットはもちろん、何とミニリュックまでプレゼント。これには大変助かりました。子供達は自分用のリュックを持って来ていなかったので、役立つプレゼントでした。
 私達にはよく解りませんでしたが、ゲームも楽しいらしく、健介に至っては、機内で3時間ほどしか寝なかったそうです。もちろん、大人用の映画も充実していて、今回は往きに「武士の家計簿」、帰りに「雷桜」「海猿」(西矢は「SP革命編」)を見ました。その分本を読むことが少なくなりました。字幕に英語が出るので気になったり、勉強になったり(笑)…
 
▲塚脇で出発前の最終打ち合わせ ▲娘の夫(紀男君)が車で送ってくれました  
 
▲機内でゲームに集中 ▲ドバイ空港で乗り換え  

使える「スイス・セーバーパス」 しかも1等、割高ですが。
 5年前にも使ったのですが、ユーレイルパスのスイス版です。今回も15日有効の1等版です。バルセロナに居る大亮にはマイチケットから送ってもらいました。空港駅で日付を入れてもらう必要があるので、どこなのか少し手間取りましたが、便利でした。ユーレイルでもそうですが、車両の上に黄色い線が入っているのが「1等車」の印です。
 今回のような体の不自由がある場合は特に有効だったように思います。2等車でも結構空いていますが、1等車は確実に空いています。ですからどんな路線に乗っても心配無用でした。もちろん、価格もそれなりなのですが、それをどう考えるかは難しいところですね。因みに15日間で1等車はセーバーで約52,000円、2等車で35,000円でした。ユーレイルと同じで船も使えるし、博物館も無料でした(山岳鉄道は5年前に書きましたが、すべて50%オフになっていました)。
 初期の宿泊は都市部なので、ホテルを予約しました。できるだけ駅近ということにしましたが、それでも結構歩かねばならず、それは仕方ないのでタクシーを使うことになりました。モントルーはチェックインも遅いので、あまりゆっくりできる町ではありません。次の「ゴールデンパスライン」という列車のスタート駅が売りでした。
 
▲空港では車椅子を予約 ▲1等の車内で早速UNOに興じました ▲モントルー駅。シルバーカーを使用
夕食は、外食の時は妙さんの奢りということになっていましたが、モントルーでは天候も良くなく近場でその名も「北京城」という中華料理になりました。
翌朝、早速ゴールデンパスラインの先頭車両の先頭席4席確保して乗り込みました。予約しただけの値打があったかどうか…難しいところです。
もちろん、展望はよかったのですが、眠気も襲いましたから。

 ▲初日の夕食は「北京城」で
  ▲ゴールデンパスラインの先頭車 ▲レマン湖を見ながら走る車窓

ベルン駅で感動の再会。そのまま、急いで大聖堂へ
▲ベルン駅で感動の再会 ▲ホテル近くまで到着
  午後1時過ぎに首都ベルンに着きましたが、5年前とは随分景観も変わり、出た場所が旧市街の反対側だったので大変でした。
 でも、何とか大亮一行と会えて、駅構内を通り、妙さんとも合流できました。
 首都にしては落ち着いた街なのですが、今は工事が多く、どこも迂回路が多く、ともかく不便でした。
 閉まってしまっては困るので、ゆっくりしておれず、急いで大聖堂へ向かいました。妙さんはタクシーで駆けつけましたが、何度も迂回が必要でした。
 ホテルに着いて、歩の夫の紀男君から大亮の子供・桃勢君へのプレゼントに、信じられないほど歓喜していました。
 
  ちょうどホテル横の広場に面したレストランがいい雰囲気でした。そこで夕食をとり、早速その横でキャッチボールをしました。
 


 
▲紀男君のプレゼントに歓喜 ▲ベルン大聖堂の展望台で ▲大聖堂前で集合  
 
▲ホテル横のレストランで夕食 ▲夕食が終わったらキャッチボール  

トゥーン湖クルーズを入れたのは大正解
 ベルンは首都ですから交通の便は良いのですが、インターラーケンへ直行せず、アイガー等の北側にあるブリエンツ湖とトゥーン湖のベルンに近い方のトゥーン湖をクルーズで渡るというプランを西矢が発見。もちろん時間はかかりますが、基本的に進行方向ですから、ロスは気になりません。スイスパスが100%有効でした。
 トゥーンの町に着いて半時間少々時間があったので、旧市街を駈け足で廻ってきました。
 クルーズでも1等甲板と2等に分かれているのには驚きました。天候も良く爽やかな風に見舞われながらの2時間少々のクルージングでした。
 船はインターラーケンの西(ヴェスト)に着き、列車は東(オスト)から出ます。その間は何で進んでもいいのですが、『るるぶ』に馬車が走っているとの情報がありました。妙さんはもちろん、6人乗せて貰えたので、3人は走ったり(大亮)、歩いて(歩・弘志)追いかけました。
 オストからは少し列車を切り離したりしますが、1時間半ほどでグリンデルワルドに到着しました。
▲駈け足で訪れたトゥーン城 ▲クルーズの1等甲板でゆっくり ▲甲板は寒いくらい
▲ホットコーヒーをゲットして船内でランチ ▲インターラーケンヴェストに到着 ▲馬車でオストへ

グリンデルワルドでは5泊。アパート形式の部屋を1室確保
 グリンデルワルドで5泊するのですが、ホテル・アパートのロケーションは抜群でした。健介が結構地理感が良くて、三上や大亮が進もうとすると、「違う!もう過ぎた」と言うのですが、その通りで駅から何と3軒目のホテル、セントラル・ヴォルターでした。
 長期に滞在する此処と次のツェルマットは、是非アパート形式を予約したかったのですが、ネットで取るのは色々と戸惑いました。前回の大所帯のファミリーツアー(ハワイ・パリ)でも経験済みなのですが、ネット上ではグリンデルワルドでは全室アパートは無理で、ホテル&アパートでした。「隣の建物にある」と書いてあるのですが、距離が正確には判りませんでした。
 妙さんの身体のことを考えると、部屋割も難しかったのですが、結局大亮一家がアパート、その他でホテルの2室を使いました。隣と言っても間に一つ建物があり、少し離れていたので、夕食時に通うので手間取りましたが、マァ仕方ないか、という感じでした。
 ただ、良かったのは、10歳未満の子供は全くフリーなことでした。大人だけではホテルに4人、アパートに2人なのですが、ホテルの方の朝食を子供3人を含めて頂けるわけで、大変結構なことでした。それも5日間もバイキングで子供にもココアの注文とかも聞いてくれるという大サービスでした。
 少し困ったのは、アパートの方は3人くらいを前提にしているので、食器が極端に少ないことでした。鍋類もキッチンセットを2千円くらいで貸してくれるのですが、数が少なく使い回しに大変でした。
 アパート形式には色々なスタイルがあることは昨年のパリでも痛感したことですが、行ってみないと判らないものですね…。
 近くに日本語案内所があり、充実していました。スイスはCOOPが発達していて、スーパーと言えばミグロスかCOOPですが、此処ではコープの方が大きかったです。子供たちを安心して遊ばせる公園も商店街の並びにあり、砂利の代わりに木屑が置かれたりしていて、国柄を考えさせられました。
 
▲グリンデルワルドに到着 ▲駅前で。後にホテルが見えます ▲毎日、アパートの方で夕食

 

▲5日間、朝食バイキング

▲近くのCOOPで ▲公園の空飛ぶ絨毯  

実質初日は、思い切ってシルトホルンへ。大型タクシーを予約
 4日間のグリンデルワルドのプランをどう組むか、天候との関係もあり難しかったです。日本語案内所で天候のことを聞いても、確かなことは言えないようで「今年は気温が低いので、不安定んなんですよ」ということでした。天気予報が貼ってあるのですが、降水確率でなく陽射確率なのですね。それが高いほど好天。4日ほど先まで出ているのですが、シルトホルンはタクシーを予約するだけにキャンセルできないので「賭け」です。迷いましたが着いた次の日の陽射確率が25〜50だったので、これに賭けました。日本語案内所のスタッフに頼んで大型タクシーを予約してもらいました。チップも15フランと指示されましたが。
 列車で行くと、途中からバスに乗る必要もあり、「タクシーの方がお得かも」という『歩き方』情報に依るものでした。この賭けは「勝ち」でした。シュテッシェルベルクからミューレンまでゴンドラ、そこからブリック経由でシルトホルンへ到達するのですが、最初は曇天で、これは失敗だったかなと思っていたら、シルトホルンに着く直前、視界はスッキリ。360度の展望が広がりました。下にはもちろん、雲海です。
 朝一で行っただけに、人も少なく、眺望独り占めといった感じでした。映画007で有名な廻る展望レストランもまだ朝食メニューの時間帯でした。そこでゆったりとティータイム。子供達はもちろん雪合戦や雪だるま作りに興じていました。驚いたことに昨日クルーズしてきたトゥーン湖も雲間に見えました。
▲タクシーでシュテッシェルベルク ▲ゴンドラの中、まだ雲中

▲アイガー三山を背に

▲三山を背にキッズと

▲尾根から帰る ▲小さな雪山作りました ▲アイガー挟んで

▲廻る展望レストラン

▲展望レストランでティータイム ▲後にトゥーン湖が見えます
 
左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ。SONY-NEXで撮りました
 

ミューレンを歩きアルメントフーベルへ、そしてハイキングで戻る
 5年前に、ミューレンを訪れ、静かな佇まいに吸い込まれそうでした。正面に迫るアイガー三山にも圧倒されました。ちょうど道端に小さな女の子とお母さんがソーセージを売っておられ、1本6フラン。これでランチにすることにしました。
 直登というのでしょうか、約4分で急斜面を登り切るケーブルがあり、あっという間にアルメントフーベルに着きました。
 眺望は5年前ほどではなかったのですが、ブランコや滑り台があり、子供達は時間を忘れ、走り回っていました。この辺からロンドン在住の日本人一家(娘さんが2人)と知り合い、一緒に騒いでいました。

 妙さんと西矢は頂上のレストランで少し休憩してケーブルで下りることにし、他のメンバーはハイキングでミューレンを目指すことにしました。その初めにチョットした事件が起こります。下る道に牛が居て、誰かに何かをされたのか、その人達が去った後、通りかかった人に突進したのです。幸い、長身だったこともあり、大事に至りませんでした。ただ、皆はそのさまを見ていたので、恐怖でパニックになりました。のどかな音色のカウベルも恐怖の合図になりました。
 後は、ゆったりした草原と林で下って行くことができました。途中に子供向けのアスレチックもあり、「子供の冒険」とか書いてありました。
▲ミューレンの駅前 ▲ソーセージサンドで昼食

▲アルメントフーベルへ

 

▲アルメントフーベルで

▲足裏癒し系 ▲エーデルワイス  

▲牛さん怒り事件発生

▲途中のアスレチック ▲ゴンドラが下りて行きました
 
 夕食は、5年前に宿泊したホテルの1階にあったレストランのチーズフォンデュが地元の人にも人気があって美味しかったので、それに決めていました。ところが、材料が1人分しかないとのことで、断念。5年前には工事中で閉鎖されていた登山電車の駅の前にあるホテル「アイガー」でチーズフォンデュを食べることにしました。3人前だけしか注文しませんでしたが、アルコール分がきついこともあって、分量的にはそれで十分でした。さすがに高級なホテルだったので、サーブする人も洗練された感じでいい雰囲気で夕食を終えることができました。レストランを出たら前に綺麗な虹がかかっていて驚きの声を上げました。
 帰りはいつもの駅で乗り換え、グリンデルワルドへ戻ることができました。
▲前に絶景が広がる席でフォンデュ ▲ホテルを出たらこの虹がかかっていました ▲帰る車内で妙さん

グリンデルワルドから初めて行くフィルスト。近いのに絶景と高山植物の宝庫
 ホテルから15分ほど歩くとこの街の中心部は途切れるのですが、その辺りにフィルスト行きのゴンドラの出発駅があります。妙さんはホテルの前にあるバス停から村内バス(ポストバス)で行けます。
 ゴンドラの乗車時間は10分少々なのですが、いっぺんに視界も広がり、アイガーが真ん前に現れます。しかも、そこからバッハアルプゼーという湖への往復ハイキングコースが続いていて、なだらかです。そして、季節にもよるのでしょうが、高山植物の宝庫といった印象です。
 バッハアルプゼーでは「逆さアイガー」が見られるはずでしたが、さざ波が消えずクリアーな姿は見られませんでした。  
▲ホテル前から出発 ▲ポストバスでゴンドラ駅前へ ▲一気に昇るゴンドラ

▲バッハアルプゼーへ向かう

▲ハイキングコースの歩・健介 ▲バッハアルプゼー「逆さアイガー」 ▲奥の湖

▲高山植物の宝庫でした      

フィルストから歩はフリーガーに挑戦
 最近できたようですが、一人ジェットコースターみたいな「フリーガー」というのに歩が挑戦。ジェットコースター好きの健介は体重制限でダメでした(35キロ以上)。フィルストのレストランで例のロンドン在住一家と一緒だったのですが、別れを告げた後、フリーガーの順番待ちに行きました(因みにレストランのサラダが量り売りだったのは良いのですが、何と皿の重さを含めて取ると言うので、抗議されていたのは印象的でした。さすがロンドン住まい…)。
 メッチャ気持ち良かったそうですが、誰も付き合おうとは言いませんでした。  
 
▲フィルストのレストランでランチ ▲左で手を広げる歩 ▲ゴール  

夕食はアパートでクッキング作戦でした。何回か歩がシェフを務めました
 ゆとりのある日は、キッズはスイス日記とかも書いていました。夕食はアパートで作るのですが、歩も子供達と一緒に作ったりしました。子供達は手伝うのが随分楽しそうでした。    
 
▲ホテルのベランダで日記タイム ▲ホテルからアパートへの出口 ▲歩さんシェフで調理中  

26年前、ゴンドラ営業終了、やむなく歩いたメンリッヘンへ
 生まれて初めての海外旅行で無謀にも三上と西矢はパックツアーの皆さんと離れ、クライネシャイデックから2時間近くハイキングして、メンリッヘンからゴンドラでグリンデルワルドへ降りる積りでした。ところが、日が長いので気がつかなかったのですが、営業終了で万事休す! グリンデルワルドの町が見えるので、歩いて下りようと、歩き始めたのですが、見えていても遠い遠い!!途中何故か牛さん2頭に追いかけられるオマケまでつきました。途中の区間、農夫の父子に軽トラに乗せて貰ったりしたのですが、着いた頃には暮れなずんでいました。
 そういういわく付きのメンリッヘンへ逆に下からゴンドラに乗って登ることにしました。30分もあり、この地域の中で最も長いロープウェイです。鉄道でグルントまでひと駅乗ってそこからゴンドラスタートです。
 着いてから、メンリッヘンの頂上まで歩いたり、色々な牛を眺めて26年前を思い返したりしました。
 
▲グルントからメンリッヘンへ ▲この下に牛が居ます ▲メンリッヘンからグリンデルワルド方面  

 

▲メンリッヘン頂上を目指す

▲メンリッヘンから見るチュッケン ▲ヴェンゲン行きへ移動  

反対側の山間の村ヴェンゲンへ 急降下のゴンドラでした
 ここからクライネシャイデックへ歩くと明日のコースとダブるので、その道は取らず、再びゴンドラで反対側へ下りました。ヴェンゲンという村があり、そこはクライネシャイデックへ向かう登山電車の途中駅でもあります。
 土産物屋さんがあって、少しゆっくりしてヴェンゲンの駅前の公園でランチタイムにしました。子供たちは元気でこの公園でも飛び跳ねていました。歩がゲットしてくれたホットコーヒーがたいそう美味しかったですね。
 ここから鉄道でラウターブルンネンへ向かいました。これまで注目してこなかった珍しい滝をめぐるためでした。
 
▲一気にヴェンゲンの村へ ▲ヴェンゲンのお土産屋さん ▲ヴェンゲン駅前でランチタイム  

ラウターブルンネンの町の近くに凄い滝があるらしい!!
 ラウターブルンネンは20年前に、間違って来てしまいここからクライネシャイデックへ方向転換した町でもあり、ミューレンへ向かうにも基点となる町です。ところがもう一つ、外からは見えないけど中では凄い滝が渦巻いているトゥリュンメルバッハの滝がバスで行ったところにあるのです。駅の近くには外から見える巨大なシュタウプバッハの滝もありますが。
 妙さんには駅前のホテルの外庭の喫茶で待ってもらい、両方の滝を見学に行きました。シュタウプバッハの滝は真横まで近付くことができるので若者は行って戻りました。
 トゥリュンメルバッハの滝は有料で、その代わりというのも変ですが、50m近い高さを一気に昇るエレベーターもついていました。これはビデオくらいでないとその迫力は説明困難ですが、大変な迫力でした。  
▲ラウターブルンネンの町。後は滝 ▲シュタウプバッハの滝 トゥリュンメルバッハの滝EV  

トゥリュンメルバッハの滝

▲健介結構濡れています ▲谷口家が見えます?  

グリンデルワルド最後の日、選択の余地なくユングフラウヨッホへ
 結果的にはこの日の天候が最も良くなかったのですが、それに相応しい目的地になったみたいです。最もポピュラーなクライネシャイデックからユングフラウヨッホへ。なにせ、二段目の登山電車は大半が岩山の中を走るので、天候は関係ないとも言えます(少し痩せ我慢ですが)。
 クライネシャイデックで妙さんと西矢は待って貰い、第2段の登山鉄道に乗って行きました。ただ天候は優れず、アイスメール駅の窓からは何も見えませんでした。アイスパレスは当然、全天候型でした。世界で一番高い郵便ポストから谷口一家は紀男君にハガキを書きましたが、これも天候関係なし。
 結局、スフィンクス展望台とスノーファンでの雪遊びくらいが天候に影響されました。ただ、昨日の降雪が積もっているくらいで、超曇天でしたが、降雨や降雪に悩ませられることはありませんでした。却って何故か暖かく変な感じでした。
▲クライネシャイデックへ ▲クライネシャイデックにワンちゃん ▲アイスメール駅で ▲アイスパレスで

▲スフィンクス展望台

▲スノーファンで ▲雪合戦 ▲スノーファンから退場
▲後に日本製のポスト ▲紀男君に絵葉書投函 ▲クライネシャイデックへ向かう列車(お疲れ?)

クライネシャイデックでランチ、天候優れずハイキングは断念
 20年前、5年前どちらも宿泊したクライネシャイデックの名門ホテルで待ってくれていた妙さん・西矢と合流。ここでも美味しそうな匂いをさせていたソーセージをゲット。レシュティ(短冊切りのジャガイモ炒め)を添えて。ここからメンリッヘンへ少しハイキングという計画でしたが、超曇天のため断念。
 歩がミニ冒険で、子供達を連れて、終点の一つ手前のグルントで電車を降りて、帰って来ると言います。方角を間違うと迷いますから大丈夫?と心配しましたが、ほどなく無事帰って来ました。
 長かったグリンデワルドでの宿泊も最終日で、食卓にはケーキも出ました。
 
▲クライネシャイデックでランチ ▲グルントで降りる「探検隊」 ▲ホテル・ヴォルター最後の夜  

旅の後半戦、いよいよツェルマットへ大移動
 マッターホルンそびえる麓の町ツェルマットへ移動開始です。日本で時刻表を検索したら、3回乗り換えで、午後1時には到着予定でした。ただ細かな時刻をメモしてこなかったので、大所帯ですから乗り換え時間が気になるところで、日本語案内所でPCチェックしてもらいメモしました。
 こういう移動には例のスイス・パスが有効で、1等車で優雅に過ごせます。サロンカーになっている車両もありますからゲームしたり…。乗り換え駅もエレベーターがあったりスロープだったり、あまり難儀はしませんでした。
 移動日にしてはもったいないくらいの好天で、昼過ぎにツェルマットに到着。予約済みアパートを探すのに少し手間取りましたが、遠慮なく駅前広場でパンランチにしました。  
 
▲インターラーケンへの列車内、貸切状態 ▲これまで、これからを解説 乗り換え駅シュピーツで  

 

サロンカーで

▲ツェルマットに到着 ▲マーモットの噴水  

2軒目のアパートは駅から少し遠いですが、居住性は抜群でした
 予約する時、それなりに確かめた積もりでしたが、ツェルマットのアパートの位置は予想の180度逆でした(駅から進行方向へ行き右側の積りが、駅を戻り左側)。距離も思った以上にあり、少し驚きました。ただ、考えようによれば、その分静かだし、街の中心を流れるフィスパー川のすぐ近くではありました。
 経営しているホテルは歩けば15分くらい離れているし、スタッフは全く常駐せず、期間中結局全く見かけませんでした。どうしたらいいのか戸惑っていたらスタッフの同僚だという女性が少し案内してくれました。キーボックスとかはあるのですが、そもそも我々の部屋の鍵がありません。そうこうしている内に元気な青年が現れ、一応色々解決でした。支払いも最終日の前の日にそのホテルで済ませました。
 妙さんを電気自動車のタクシーでお連れして、落ち着くことができました。前と違い、部屋も隣同士、食器や調理器具も豊富で安心。隣だから器具や家具も運び放題でした。
 
▲初の電気自動車タクシー ▲ラ・ペルレ到着 ▲引き出し式ベッド実験  

 

▲キッチンも広い

▲夕食に乾杯 ▲WEGAの西永夫妻  

車椅子調達して貰え、大助かりの連続。初日はグレッシャーパラダイスへ
 アパートの場所が中心部から少し離れているし、狭いツェルマットとは言え移動も必要、ということで、妙さんに車椅子がレンタルで借りられたらいいのだけど…と話していて、ダメモトで西永君に尋ねてみました。「相談しとくから、また、来て」との返事で、その日の夕方8時頃に再訪したら、何と、そこに置いてあるではありませんか!!
  この時初めて彼の妻君に会えました。きっと彼女が見つけて来てくれたのでしょう。これでどれだけ助かったことか。西永君も「これがあったらVIP扱いですよ」と言っていましたが、その通り丁重な扱いを受けることができました。
 さて、ツェルマットでも天候を睨みながらプランをどう組むかでした。ここでも初日に一番高い展望台、クライン・マッターホルンへ向かうことにしました。その名前がポピュラーでないからでしょう、今は「グレッシャー(氷河)パラダイス」と呼ぶようです。これも5年前にはなかったアイスパレスもできていました。高度も相当高いので、妙さんと西矢は途中のトロッケナーシュテーク(ここから大型のゴンドラに乗り換え)で待つことにしました。
 ここでも、トップまで来れば雲海が下になり、隣のブライトホルンとかはクッキリと見えました。 雲に覆われがちでしたがマッターホルンも顔を出していました。

 
▲妙さん車椅子デビュー ▲段差にも配慮して乗車 ▲トロッケナーシュテークで  

 

▲アイスパレス

▲アイスパレス、氷中の滑り台 ▲記念撮影台  
▲パラダイスのピークで。後の先がマッターホルン ▲下りる向こうには村も ▲大型ゴンドラで一気に
▲トロッケナーシュテークで。自転車部隊通過 ▲小型ゴンドラへ ▲ツェルマットの街へ

ゴンドラをフーリで降りて、ツェルマットまでハイキング
 5年の間に色々変っていて、このコースには、シュワルツゼーといういい湖があり、マッターホルンが近くに見える人気スポットだったのですが、通過駅になってしまっていて寂れてしまっていました。そこよりさらに下ったところにフーリという駅があり、そこからハイキングにしました。歩さんが体調良くないというので妙さんと下りて貰い、西矢がハイキング組に加わりました。
 道はなだらかな下りで、森や林を抜けるといった感じです。ここでも子供達は色々と遊びながら下って行きました。

 無事、教会の横で合流し、メインストリートにあるお店でクレープを買い込み、裏の小さな公園でみんなで食べてランチにしました。
▲フーリで準備体操 ▲のどかなハイキングコース ▲林の中を駆ける ▲木彫のゴンドラの前

▲ジャンプ大会

▲今度は登山者の木彫 ▲クレープ屋さんに並ぶ ▲クレープランチ

午後は、WEGAへ行って、お土産まとめ買い
 いったんホテルへ帰って少し休憩し、皆でお礼を兼ねてWEGAへ出向きました。ちょうどメインストリートを山羊の行進が進んでいるのと遭遇。並行して歩くことになりました。
 WEGAでは、みんな色々と物色し、特に大亮と子供達はスイスアーミーナイフを選ぶのに苦労していました。
 
▲山羊の列、家に帰ります ▲WEGAでお礼の対面 ▲買い物に悩む  
▲こういう設備がある ▲満足して買い物から戻る ▲アパートのベランダから

ツェルマットのメインイベント、ゴルナグラードへ
 ゴルナグラードへは朝早く行くに限ります。上で仕事するスタッフ達と同乗するのがベストです。今回もゴルナグラードに上がった頃には雲はあっても遥か下界でした。
 シルトホルンの時と同じく、観光客も少ない時間帯でしたから、360度の眺望、独り占めでした。シッカリ目に焼きつけつつ、写真も撮りまくり。早く出発した分、朝食は此処でということになりますが、改装されたクリムホテルの一廓が良いスペースで手作りサンドの朝食は大満足でした。しかもそこはセルフレストランですから、遠慮なしでした。
 いつまでも此処に居ると、大切なマッターホルンに雲がかかるのは必定ですから、そこそこで次のビューポイントへ向かいました。
 
▲ゴルナグラードへ、降りる時もリフト ▲感動のゴルナグラード駅到着 ▲ご覧の通りの眺望  

▲キッズもご機嫌

▲やっぱりマッターホルンです ▲ホテルの窓から ▲ピークで大亮とキッズ
 
▲クリムホテルで朝食です ▲ホテルの窓に映る ▲続々と詰めかける人々  
 
▲妙さんピークへ ▲後はモンテ・ローザ ▲決め手は、やはりこれ  
 
マッターホルン中心にSONY-NEXで撮りました
 

定番、「逆さマッターホルン」のリュッフェル湖へ
 登山鉄道でひと駅、ローテンボーデンで下車。何度か訪れている妙さんと西矢はツェルマットへ直行しました。
 マッターホルンの先は雲でだんだん見えなくなりますが、ギリギリ間に合った感じでした。観光客も予想したほどではありませんでした。奥の第2リュッフェル湖はやはり人も少なく、逆さマッターホルンはスッキリしていたようです。こんな所までマウンテンバイクが通って行きました。
 リュッフェルベルク駅へは下りのみですから、天候が好いので、気分爽快で下りて行きました。駅前で、パックツアーの年輩の方からリンゴを頂いたりしました。
 
▲ローテンボーデンまで一緒 ▲リッフェル湖前で ▲下にリッフェル湖  
▲リッフェル湖近くに ▲第2リッフェル湖 ▲もうすぐマッターホルンが隠れる
▲リッフェルベルク駅を目指して ▲春・桃、手にリンゴ、健は本 ▲ツェルマットまでの電車

ホテルでランチ、市内散策も
 早めに戻れたので、ランチはホテルでチャーハンとか。その前に、歩に連れられて、キッズは線路の向こうの丘に駆け上りました。日記タイムも確保して、その後市の中心部へ見学に出かけました。有名なねずみ返しの家とかも見つけました。  
▲線路の向こうの丘に ▲帰ってきた面々 ▲日記タイム ▲ねずみ返しの家

ゴールドのマッターホルンにやっと対面。ツェルマット最後はスネガへ
 朝、雲が無く陽光を浴びるマッターホルンは金色に輝きます。毎朝チェックしていましたがお目にかかれず、今回はダメかな…と思っていたら、最終日に登場してくれました。朝6時頃、アパートの下の川辺から眺めることができました。こういうことには日本人の拘りが大きいようで、早朝の見学組には日本人が目立ったようです。段々と照らされる割合が増えていきましたから、撮影の枚数も増えました。
 ツェルマット最後のビューポイントは、これも意外と近場のスネガでした。天候に恵まれ、素晴らしいマッターホルンの眺めを堪能しました。アパートから5分ほどで地下ケーブル乗り場で、ここから3分ほどでそこはスネガ。突然マッターホルンが正面に現れます。20年前にも行っているのですが、随分印象が異なり、今は素敵なレストランと展望台が控えていました。
 ここから色々なハイキングコースが始まるのですが、短いエッゲンの村までにしました。ツェルマットまで下るルートもあるのですが、フーリからの道に似ている印象でしたから、やめました。しかも、ライゼーという小さな湖があり、ここに逆さマッターホルンが映るのです。エッゲンの村も今から開発という感じでちょっと高目のレストランが開業していました。
 スネガの展望台では、セルフレストランで飲み物だけゲットして、サンドイッチランチにしました。
 アパートに戻ってから、マッターホルン博物館にも行きました。教会の横に地下に広がる博物館で見応えのある展示や映画でした。もちろんスイスパスで無料でした。
▲ゴールドに輝く ▲妙さんも ▲三上・西矢も ▲スネガ行きの地下ケーブル

 

▲スネガの展望台

▲間近にマッターホルン ▲ハイキング開始  
 
▲ライゼー ▲ライゼーの畔に遊具 ▲筏の運転終了  
 
▲高山植物も ▲エッゲンの村 ▲スネガ展望台でランチタイム  

 

▲マッターホルン博物館の登頂ルート

▲昔の暮らし ▲昔のキッチン  

8月1日はスイスの建国記念日、花火大会に遭遇
 いつもこの季節にスイスを訪れていることになりますが、8月1日はスイスの建国記念日。5年前はルツェルンで。20年前はここツェルマット、しかも700周年記念で大騒ぎでした。今回は記念セレモニーはなく、花火大会でした。プライベートでも花火をするらしくスーパーとかでも花火を売っていて、アパートの前でも歩さんがやってみました。
▲先ずはアパートの前で ▲花火大会の開始 ▲大きく広がって ▲色柄も鮮やかに

いよいよ最終盤、氷河特急でルツェルンへ向かいます
 お世話になった車椅子をWEGAに返し、朝9時発の氷河特急に乗ってツェルマットを後にしました。5年前、現地で氷河特急を予約しようとしたら、1等車は満席で2等車になってしまったので、今回はマイチケットに予約を依頼しました(因みに子供も含め一人5千円でした)。
 さすがにサービスは良く、イアホーンで沿線ガイドを流していて、もちろん日本語もありました。好天でしたから、150度くらいの眺望を楽しめました。川とぶどう畑、いくつかの旧跡とかが眺められましたが、何と言っても山々の景観と野の花が素晴らしかったです。
 豪華そうで今まで入らなかった食堂車が近くにあり、大亮に誘われて入ってみて、そのレトロ調にはウットリしました。
 
▲氷河特急スタート ▲情報整理中 ▲イアホーンで情報ゲット  

 ▲メモタイム

▲横には川、後ろに山 ▲ゲーム中かな  
 
▲氷河特急の食堂車 ▲健介は母に付き合う ▲横に花々  

ルツェルンに到着、早速ショートクルーズへ
 アンデルマットで乗り換え、ゲシュネンからは特急で午後3時前にはルツェルンに到着しました。次の日の天候も良くなさそうなので、ルツェルン湖へのショートクルーズに出ました。ショートクルーズというのはなく、ヴェギスの町で降りて、別の船でUターンします。天候も崩れず、結構優雅な船旅でした。ここも1等甲板でした。
  帰ってから、歩達はボートに乗りに行きましたが、川沿いのイタリアンの店で最後の夕食になりました。こういう所はテラスは満席でも、店内に入ると席は空き空きでした。
 
▲ゲシュネンからの特急でランチ ▲焼失したルツェルン駅 ▲ショートクルーズの甲板で  
▲ヴェギスの町で ▲帰りの甲板で ▲最後の夕食は市庁舎横のイタリアン

ルツェルンのホテルは駅前ホテルの別館でしたが、朝食が良かったので、まぁいいか…
 最後のホテルは駅前の4ツ星ホテルの別館のようなものでしたが、スタッフは不在で、張り紙で本店への案内があるというルーズな所でした。ただ、朝食バイキングは本店でなのでここは4ツ星なので、悪くありませんでした。
 最終日は飛行機の出発が午後3時頃なので少しゆとりがあり、妙さんにはホテルで待ってもらい、ルツェルンの街を散策しました。旧市街やムーゼック城壁へは若者だけで向かいました。
 大亮達はバルセロナ行きの飛行機に乗るのですが、更に遅く夕方7時頃のようでした。でも最後までホームで別れを惜しむことになりました。
 列車はチューリッヒ空港まで行くので何の心配もないのですが、チューリッヒの町の駅から反対方向へ進むので少し戸惑いました。  
▲夕食後、前の川で白鳥に餌やり ▲最終日カペル橋で ▲カペル橋の内部撮影 ▲ムーゼック城壁へ

 

▲ルツェルンの旧市街

▲カペル橋外観 ▲ホテルの待合室から出発  
 
▲ルツェルンのホームで感極まる人も ▲ホームで追いかける桃勢 ▲空港駅までUNO  

アウトはチューリッヒ空港から。巨大過ぎて疲れる空港ばかり
 スムーズに空港に着きましたが、チェックインカウンターに向かうにも、免税手続きの書類を出すのにも、ゲートを探すのにも、面倒で時間がかかり、ほとほと参りそうな空港でした。チェックインはエミレーツは乗客が多く並ぶのが大変で、妙さんの疲れ様は限界でした。ドバイの空港もこれまた巨大で乗り継ぎの乗客も多く、落ち着けない空港でした。

 
▲巨大空港は不便ですね ▲空港内でやっと休憩 ▲ドバイまでゲーム  

 

▲機内食お子様メニューでした

▲ドバイ空港で ▲お疲れさん!! 茨木駅で解散式  

天候に恵まれ、事故なく、我が家最大のイベントは無事終了できました
 最近の機内食は、帰りはお決まりのように、蕎麦が出ます。有難いことで、胃のためには良いようです。
  関空に着いてからはいつものJRではなく、乗り換えのいらないリムジンバスで茨木駅へ向かうことにしました。高槻からは谷口グループは歩いて帰りました。ご褒美に冷たいジュースを日本円で買って貰ったそうです。

 上にも書きましたが、二つのアパートを予約して、大亮夫妻が中心になって料理を作ってくれたことが、この旅を助けてくれました。経済的にも、精神的にも、肉体的にも助かりました。当たり前ですが、大人がたくさん居ることは何かにつけて便利でした。何かの交渉にしても、子供の引率にしても、物や人の運搬でも、大変楽でした。妙さんの身体の不自由さをカバーし、サポートできたのも、大亮・恵美夫妻・歩の(時には子供達の)お蔭でした。

 覚悟はしていましたが、スイスの物価の高さにはやはり驚きました(例えば普通のパスタが2000円、マックのバーガーが1000円)。上にも書きましたが、為替レートが良くなかったのも一因です。帰ってからの新聞報道ではスイスの企業なんかも困っているそうですが。

 ただ、今書いたように調理されたものは高いのですが、食材そのものはそれほどでもありませんでした。COOPがどこにもあり、日本と同じ感じのスーパーマーケットでした。そこで買い出し、調理したので、食費トータルで考えると、まずまずということになります。米も昔流に言えば外米でなく、十分に食べられました(ハワイのコンドミニアムのように炊飯器はありませんでしたが)。

 前の3回でも感じたことですが、お金さえ出せれば、素晴らしい眺望も買える(一番高額な登山鉄道・ユングフラウヨッホ往復は正規運賃だったら約16000円もします)ということでした。それは日本の観光地でも同じことです。ですから、スイスの旅では、社会性のある事柄には滅多に遭遇しないことになります。もちろん、自然遺産の観光に限っての話ですが。
  私達が滞在したグリンデルワルドとツェルマットは東洋系では圧倒的に日本人が多かったです。ところが、ルツェルンでは、中国系(韓国系)らしき人が圧倒的に増えている印象でした。その内、イアホーンやアナウンスでも日本語に代わって中国語に代わって行く時期がやって来そうですね。

 ホントに最後に、アップし損ねた写真を下に掲載しておきます。

 
 
グリンデルワルドのホテルの階段の踊り場にあった部屋表示と飾り付きの鏡です。写っているのは健介君と三上(鏡の中)です。 ユングフラウヨッホへの登山電車は今もスイスパスでも25%off。でも来年は100周年。このビデオも、各国語で流れ今のところ日本語もあります(ハイジの声で)。 ツェルマットの教会横の公園にある垂れ幕です。妙高市と姉妹都市らしく、今回の震災被害へのお見舞いと復興を祈る内容でした。  





 
 


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