思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その13
 スイスパスをフル活用、インターネットもフル活用
 

静養にはピッタリ、快適スイスの旅・14日間 

 はじめに…3度目のスイス、癒やしの旅? 
 お知らせしたこともありますが、今年は闘病生活を終えた従姉夫妻とスイスの旅。訳あって、今年に延期になっていたもので、これが大変好都合になりました。
 スイスは、僕達の初海外旅行の行き先で、すべての出発点でもある訳で、数えて21年前。その後、西矢のお母さんの海外初の目的地になったのもスイス。それから数えて15年。その時は初の家族海外旅行でもありました。
 厳しい闘病生活の励みにもなれば、ということで、一緒に海外旅行へ行こう、行き先は従姉が絵に趣味があるので、イタリアかな、ということでした。でも、夏のイタリアは病み上りにとっては暑過ぎる。初の海外自由旅行ならヤッパリスイス!ということになりました。
 本来なら昨年に行っているはずだったのですが、昨年8月、従姉のお知り合いのお嬢さんがイギリスで結婚式を挙げることになり、今年に延期し、昨年は僕達のモロッコ旅行になった次第です。
 このことが好都合だったのは、@弘志がこの旅行の2か月ほど前に交通事故で相当な負傷をしたものですから、この旅は「もう一人の病み上り」同伴となった次第で、スイスは癒しの旅にピッタリでした。そんな体調でモロッコへ行くのはきつかったに違いありません。
 A偶然なのですが、今回フル活用することになった「スイス・パス」は、登山電車等は昨年まで25%引きだったのが、今年から半額になりました。これは大変なラッキーさでした。
 お盆前のピークシーズンではないにせよ、この時期にスイスですから、航空券も割高でした。が、いつものマイチケットで探してもらいKLMオランダ航空で早割りのようなシステムで航空券だけなら14万円台でした。USAは別にして乗換えだけなら空港使用料は要らないはずだったのに、今回のアムステルダムは取られてしまい、なんで?とは思いましたが。

 という訳で、ヨーロッパはいつでも行けるので、年取ってからと思っていた割には3度目の訪問になりましたが、15年前と大きな変化もありました。
 尚、今回も
写真説明を下に入れるようにしました。


月・日 行               動 宿泊ホテル
7月21日 関西空港11:25⇒16:20アムステルダム空港18:00⇒19:30ジュネーブ空港→ローザンヌ  ゲストハウス
7月22日  シヨン城 ヴェヴェイ オリンピックミュージアム ノートルダム大聖堂 ゲストハウス
7月23日  ベルン市内見学 大聖堂 パウル・クレー・センター ナツィオナーレ
7月24日  ミューレン シルトホルン アルメント・フーベル アルペンブリック
7月25日  クライネシャイデック ユングフラウ・ヨッホ ベルビュー
7月26日  グリンデルワルド経て ツェルマット  ポルックス
7月27日  ゴルナグラード リュッフェルベルク クラインマッターホルン シュワルツ湖  ポルックス
7月28日  氷河急行 クール 州立美術館 聖マルティン教会 大聖堂   ドライケーニゲ
7月29日  サンモリッツ ピッツネイル サンモリッツ湖  クリスタル
7月30日  セガンティーニ美術館 エンガディン博物館 コルヴァッチ展望台 クリスタル
7月31日  ルツェルン ピカソ美術館 フォルクローレショー  ヴァルトステッテルホフ
8月1日  イエズス会教会 ムーゼック城壁 ホーフ教会 ワーグナー博物館  ヴァルトステッテルホフ
8月2日  チューリッヒ空港12:20⇒14:30アムステルダム空港16:00  機中泊
8月3日  ⇒10:00関西空港    20分遅れ

スイスはやはり世界一流の観光地
 スイスについては何の解説も要らないでしょうね(ガイドブック風に言えば九州程度の広さに人口は745万人)。ここは、老後に取っておこうと痛感するほど、安全・快適な世界の観光地です。
  ヨーロッパの登山史や観光史に詳しくはありませんが、日本なんかとは比較にならないくらい早くに色々な挑戦が繰り返され、今に至っているのでしょうから、蓄積があります。
 それだけ、キャパも大きいことは前2回の訪問で痛感しているところですが、今回も感じ入りました。キャパシティが大きいことも確かなのですが、ヒョットすると、格差社会を反映していて、ここに来られる人というのは一定の富を手にしている階層なのかなとも思うに至りましたが、どうなんでしょう?
 今回の旅がとても天候に恵まれたこともありますが、気候は抜群に快適です。日本の上高地+北海道というところでしょうか。景観は日本と比較できない山の高さがほぼ4000m級に囲まれることです。
 スイスを訪れている人には相当高齢の方が見受けられます。日本でも色々なところにケーブルやロープウェイができ、それに乗りさえすれば、山の頂上とかに簡単に達することができるのは知っての通りです。黒部から入る立山、千畳敷へ直ぐに行ける中央アルプス、西穂に達する新穂高のロープウェイとか、枚挙にいとまがありませんが、その規模が桁違いに大きいというところでしょうか。だから、その気さえあれば、年配の人も世界からやって来られるという訳です。
 蓄積と言う点では、キャパが大きいということ以外に、素晴しいビューポイントがあるとして、その周辺に幾つものルートが開発されていることもあります。今もそれは続いているのかも知れません。3度目ですが、以前には行かなかったルートを辿るという楽しみもありました(例えば、マッターホルンの西側のクラインマッターホルン。ここは何と3883mもあるのですが、ロープウェイが小さな、クラインな岩肌をくり抜いているのです)。【写真:右上】

物価も超一流、ものによっては日本以上
 前述したように、誰でもが来られるわけではないスイス。それは物価の高さに原因がありそうです。アメリカ合州国、イギリス、日本は世界で物価の高いベスト3でしょうが、それに近いのがスイス。今円安で余計に高く感じられますが(ほぼ1スイスフラン=100円)、菓子パンの類が200円も300円もしたり、ホテルで飲むコーラが450円だったり(ミネラルウォータもそれくらい)。『地球の歩き方』によれば、農業保護が観光に役立ち、それが物価を高くしている面もあるとのこと。これは日本の産業構造を考える上でも参考になることですね。
 ただ、ホテル代は日本より安く、今回は奮発して四つ星クラスにも泊まりましたが、そこでも9000円以下で、もちろん朝食つきでしたから、スイスの観光国としての奥深さを表しているのでしょうか。
 前述した登山電車関係(ケーブル、ロープウェイ)がべらぼうに高いのです。それだけの値打ちが在るのは判り切っているのですが、それが重なると相当なものです。例えば、有名なアイガー北壁の前からユングフラウへ向かう登山電車の場合、グリンデルワルドからユングフラウヨッホまで往復でCHF164かかります。日本円にして16000円ほどになります。マッターホルンが見えるゴルナグラードへの往復は少し安いですが、CHF72。日本でも立山へ行った時にトロッコ列車とかが割高だった印象がありますが、そういうケースが続出すると言ったらいいのでしょうか。

スイスで有効なのはスイス・パス
 ヨーロッパは鉄道網が整備されていますから、ユーレイルパスが有効なのは良く知られていますが、今回のように訪れるのがスイスのみの場合は「スイス・パス」が有効です。
 はじめに書いたようにこれがあると、別枠になっている登山鉄道やロープウェイ等が半額になるという割引が有効です。日本円で1万円が5千円ですから、大きいです。もちろん、普通の鉄道は無料です。大きな都市のバスや船も無料です。
 そして、ミュージアムパスを兼ねているので、大半の美術館・博物館も無料。
 日本で購入していくのですが、1等車適用、日本円で約5万円です。細かな計算は今できませんが、ユーレイルパスと同じで一々チケットを買わなくて済むという快適さは経済的お得感以上のものがありますね。

 ダメモトで、どこでも一度はこれを見せて、無料だったり半額だったりするわけです。レマン湖、ルッツェルンの湖での船はフリーでした。【写真はレマン湖でシヨン城からヴェヴェイまでの船上】

現地でのホテル探しも悪くないが、今回は全てネット予約
 今回は、病み上りの従姉を案内する旅。ですから、現地に着いて、それからホテル探しで待ってもらうのはチョッときついかな、ということになりました。
  15年前には考えられないことでしたが、『地球の歩き方』のホテル情報にはURLがありますから、その情報を基に目星をつけて、ネットで予約を取るという方式を採用。春休みをフル活用して西矢が調査、大型連休中にネットで三上が予約を開始しました。一部ドイツ語でしか対応できないホテルもありましたから、ドイツ語辞書を引っ張り出すというおまけまで付きました。
 申し込みのフォーマットのようなものがあり、それに書き込んで送信すれば、返信が来て、許諾が明示されるというシステムで、至って簡単。驚いてしまいました。直ぐに返信の来ないホテルもありましたが、1、2週間もすればほぼ全都市のホテルの予約が取れてしまうというスピード振り。

 その際に、「折り返しキャッシュカードの番号等を送信されたし」というような指示があれば、そうしてきましたから、この場合問題なしでした。問題なのは返信のメールに“offer”とあるのを誤訳してしまったことです。offerには「提供する」と「提案する」の意味がありますが、前者にとってしまい、「提供してくれるんだ、ジャアOKだ」で終っていたのがミス。
 幾つかのホテルでは「そういう話はあったが確定していない」 という反応で、“offer問題”になるというわけでした。混み合っていて、追い出されたら大変なのですが、どこでも、結局「No problem!」で希望通りの部屋が用意されました。これもスイスの蓄積と奥の深さ故でしょうか。だから、現地でその日対応でもホテルはゲットできたのかも…
 皆さんもくれぐれも “offer問題”にはご用心を。
  これまでの旅では、トリプルを取ることが多かったのですが、今回は2ペアーですからツインを2部屋になるのですが、相談しながら進むのでファミリータイプが良いなということで、あればそちらを選びました。これがなかなか快適で、2部屋続きでどちらにもトイレ・シャワー付だったりするんですね。二部屋目は2段ベッドだったりして、少し落ちるためか、料金は割安になるというおまけもありました。

タイムテーブルもネット検索で十分
 いつものヨーロッパ旅行なら『トーマスクック』の時刻表を購入し、それを引きながら列車に乗る、ということになるのですが、今回はネットで調べられるという便利さに慣れてしまいました。SBBというスイス国鉄のような組織のWEBサイトがあり、そこで引けばばっちり出てくる次第。
 丁度日本でヤフーとかの「路線」を引く感覚です。もっとも都市名は正確なスペルが必要ですから、『歩き方』は必携ですが。
 プランを立てる段階で引いただけでは心配ですから、出発前に再チェック。次の候補もプリントアウトして行けば、現地で変更しても問題無しでした。乗り換えるホームの番号まで正確でした。大きな変更が無い限り、もう『トーマスクック』の世話にはならないように思います。

今まで行けなかった地域を入れたプランニング
 3回目ですが、過去2回では足が運べなかった地域を入れ込むようにしました。
  都市で言うとローザンヌ、ベルン、スイスアルプスの中ではサンモリッツ。この辺は何れもいい町々でした。もちろん、モンブランなんかはパスしました。
 鉄道が発達していますから、こういう地域を入れ込んでもロスタイムはあまり出ないところが観光先進地なのでしょうか。


初めて尋ねたシヨン城はこじんまりしていて見応えあり
 さて以下は、時系列に沿って報告します。 正味12日間ですが、 終盤に小雨に降られましたが、 半の天候は晴れ。それも、雲量ゼロという日が続くなんて我々ながら驚きました。
 こういうスイスへの入り方は日本にとってはポピュラーでないのか、アムステルダムで乗り換えたオランダ航空ジュネーブ行きには日本人はほとんど見かけませんでした。
 ジュネーブに着き、最近は便利な空港が多いのですが、そのまま
、鉄道駅に直結で、スイスパスの使用開始となりました。到着が夕方9時以降になるので心配したのですが、よく考えたら、スイスではこの時間はまだ宵の内、全くノープロブレムでした。ゲストハウスというだけあってバックパッカーに好都合な施設で、共同キッチンがあり、その割には小奇麗な施設でした。今回のホテルのセレクションの基準は駅に近いことでしたが、ここは最たるもので、駅沿い【写真右】。ですから、あのシヨン城【写真下】へも鉄道とバスで直ぐでした。
▲シヨン城の内部 ▲シヨン城塔からレマン湖 ▲ヴェヴェイへの船上からシヨン城の遠望

ローザンヌには色々な顔
▲ヴェヴェイのワイン祭で吹奏楽演奏
 シヨン城からは、前述したようにスイスパスをフル活用して、レマン湖上の船に乗ったのですが、モントルーまでなら近過ぎるということで、ヴェヴェイ迄船旅を楽しみました。何やら賑やかだと思ったら何とワイン祭、それも25年に一回のもの。土居夫はグラスを買えば飲み放題で大喜び。
  午後、ローザンヌの新市街と旧市街を巡りましたが、色々な顔のある街です。
▲オリンピックミュージアム ▲ノートルダム大聖堂

 IOCの本部のある町だけあって、レマン湖畔にはオリンピックミュージアムがあります。鉄道駅の北側には旧市街があり、そこにはノートルダム大聖堂があります。今地下鉄工事中で使えず、バスで移動するので遠く感じましたし、気温や人口密度も高く、チョッと気分的にはスイスと思えない暑さでした。

首都ベルンは落ち着いた町で、ホンとにここが首都?

 
ベルンへの列車はしばらくレマン湖沿いを走りますから、車窓の眺めは素晴しく、ブドウ畑は圧巻でした。ワインの良い産地だそうです。
 ベルンに着いて驚いたのは、近代的なのは駅ビルくらいで、直ぐに由緒ありそうなストリートが続きます。石製のアーケード街がトラム通りや噴水に沿っています。噴水は今も健在で、冷たい水が吹き出ていて、喉を潤すことができます。時計塔があり、毎時仕掛け人形が舞うのもヨーロッパにはよくある話ですが、どうしても見てしまいます。鉄道駅から10分もしないところに大聖堂があり、その裏手が見晴台になっていて、ベルンの街を特徴付けているアーレ川の綺麗な流れが見晴らせます。

▲ローザンヌからベルンへの車窓から ▲ベルン駅前(右にオブジェ) ▲ベルンのメインストリート
▲ベルンの大聖堂横の見晴台から ▲子喰い鬼の噴水 ▲ベルン大聖堂外観

 この大聖堂からの眺めは素晴しく、茶色の瓦に包まれた市街は見応え有りです。
 パールクレー・センターは21世紀の建物と言われるだけあって新しい美術館で、市の中心部からバスで10分くらいの郊外にありますが、終点なので判り易いロケーションでした。アインシュタイン博物館にしても、パールクレーにしても、ナチスの迫害に遭った人達が一時安全に暮らした町ということになります。
▲ベルンの大聖堂からの街並み ▲パウル・クレー・センター〈オブジェ・建物の一部。前に弘志〉

ひと味違うアイガー等、谷隔てるミューレンへ
 この辺りから、いよいよ山岳地帯に入って行きますが、前述の通り、タイムテーブルはシッカリしていますから乗り換えも順調で完璧。ベルンを出て、シュピッツ、インターラーケン、ラウターブルンネンと乗り継いで、最後はバスとロープウェイで一気にミューレン着。有名なクライネシャイデックの谷を隔てた向かいに当たります。彼の地では近過ぎるアイガー、メンヒとかが正面に見える位置ということになります。
 ここからシルトホルン
へロープウェイを乗り継いで出かけることになりますが、ガイドブックにも眺望を確かめてから乗るようにアドバイスがありました。もちろん、OKです。シルトホルンには回転展望レストランがあり、ホンとに回転しているのです。1回転約40分。ここは007シリーズで舞台になったらしく、その時のフィルムを上映していました。レストランの売りもジェームズボンドスパゲッティ! 360度の展望を目の当りにしながらそのスパゲッティを頂きました。それにしても、快晴でアイガー等三山がくっきりスッキリでした。
▲シルトホルンへ ▲左からアイガー・メンヒ・ユングフラウ ▲回転展望レストランで昼食
 シルトホルンから降りてきたら、ミューレンから直ぐ登れるケーブルがあり、アルメントフーベル。ここはシルトホルンが視界ゼロの場合でも登頂OKのところ。ここは、もっと近くにアイガー以下三山が迫る場所で、子供の遊び場もあり、僕らにとっては昼寝の絶好地でもありました。
 しかも、ここからは歩いて下りられる距離なので、フラワートレイルと名付けられた道があり、これはお花畑の道。その名の通り、色々なお花畑が続きました。
▲アルメントフーベルからの三山 ▲お花畑の道 ▲無事、ミューレンのホテルに着
 ミューレンは小さな村ですから、夕食もここでのホテル・アルペンブリックで取りましたが、近所の人も来ているようないい所で、チーズフォンデュを頂きましたが、結構きついワイン仕込みで酔いそうでした。

谷を越えてクライネシャイデックへ短い移動
 再びラウターブルンネンに戻り、そこからクライネシャイデックへ。15年前に間違って上った路線です。
 終点近くになり、例のベルビューが見えると何故か感動するものです。前述の“offer問題”で少し手間取りましたが、ノープロブレム。ただ、チェックインは午後1時ということで、荷物を預けて、ユングフラウヨッホへの登山鉄道に乗車。
 途中、アイスパレスに立ち寄り、寒いの何の。色々な氷の彫刻に囲まれました。
  ここでも絶好の好天に恵まれ、どこを見ても紺碧の青空でした。

▲ラウターブルンネンからクライネシャイデックへ ▲アイスパレスで ▲ユングフラウヨッホの高原で
▲ユングフラウヨッホで昼食 ▲アイガー北壁を背に ▲ホテルで夕食のひと時

もう一つのメイン、マッターホルンの町へ
 登山電車でグリンデルワルドまで下り、インターラーケンを経て、ブリークからツェルマットへ。お馴染みのコースですが、これも順調。順調でなかったのは天候。珍しく、スネガーへ登ろうとしたら、雨がぱらつき出し、断念。ツェルマットの町を探索。ここのホテルは多分この旅で一番のロケイションと心地よさだったようです。冒頭に紹介したファミリータイプで、サブの方は2段ベットだったのですが、ベランダから乗り出せばマッターホルンが見える最上階でした。
▲ツェルマットの町探索 ▲WEGA前広場は演奏会場 ▲夕暮れのマッターホルン
 マッターホルンと言えば何と言ってもゴルナグラード。翌日、一番乗りで登山鉄道に乗り込みました。前日天候が優れなかったので心配したのですが、全く杞憂で、雲量ゼロの超快晴!それも昼前まで続きました。
 ゴルナグラードで、コーヒーを飲みながらタバコを吸うのが夢でしたが、今回は禁煙中で店もオープンしておらず、昨日買い込んだマグドのハンバーガーで朝食でした。普段とても食べられないマグドも此処では美味!

▲朝陽に染まるマッターホルン ▲ゴルナグラードからマッターホルン ▲反対側のモンテローザ















 
逆さマッターホルンも実に鮮明に!
 いつも通り、登山電車でローテンボーデンまでひと駅乗って、リュッフェルベルクまで。その間にリュッフェル湖があり、ここに逆さマッターホルンが映るわけですが、風も無く鮮明でした。
▲リッフェル湖の白い花と逆さマッターホルン ▲お花畑とマッターホルン

ロープウェイでクラインマッターホルンそしてシュワルツゼーへ
 クラインと言うのですから、日本
▲3883m。高山病注意 ▲シュワルツゼー ▲ハイキング終了。
語で小さい。下から見てもホンとに小さい、マッターホルンと呼ぶには余りにも小さい、そんな岩の塊。そんな所へロープウェイで行けるんだろうか?と思っていたのですが、無礼にも行けるんですね。しかも高度も3883m。こんな好天の日でも 雲がかかっていましたが、日によってはモンブランまで見えるとか。
 途中でロープウェイを乗り換え、シュワルツゼー(黒い湖)へ。ここはマッターホルンに最も近付けるポイントなのですが、さすがに、午後も遅くなり始めて雲がかかりました。
 その後、ツェルマットのひとつ前の駅、フーリで降りて短いハイキングを楽しみました。従姉も足を痛めつつ、夫に助けられながら完歩しました。

今回は、WEGAでゆっくりショッピング。西永君ありがとう
 15年前は胃潰瘍でホテルで唸っていたので会えなかったのですが、ツェルマットの最大のお土産屋さんのWEGAの
▲オルゴールの説明をする西永君
今は店長をしている西永君に今回は会えました。21年前、ひょんなことから彼が寝屋川高校出身であることが判り、「ヤ−ヤ−」ということになった次第。
 今回は西矢が自分へのご褒美として高級オルゴールの購入を決めていたので、税の還付手続きをしてもらうためにも西永君頼りだったのです。今も彼は年に一度くらい日本へ帰るそうですが、もう、スイスに骨を埋めることに決めたようです。前からあるWEGAの店名もWEGA‐NISHINAGAになっています。そして日本人女性の店員さんが増えています。写真も撮らせて貰い、寝屋川高校の同窓会会報に掲載を約束しました。【皆さんも、三上や寝屋川高校の名前を出せば、きっとサービスが良くなりますよ!】
 税の還付なんてことは今回が初めてでしたが、WEGAでその分を値引きしてくれるので、一番確かな方法でした。

氷河急行で一気にクールへ。今年から全車パノラマカー
▲パノラマカーの威力? ▲クールへ向かう車窓からのどかな風景
 この旅で最高とも言えるホテルポレックスでゆっくり朝食を取り、ツェルマットから氷河急行に乗りました。実はスイスに来てから座席指定を取ろうとしたのですが、ベルンで申し込んだら、何と1等車は満席。止む無く2等席。5時間半の長旅ですから1等車にしたかったのですが、2等車も無ければ大変なところでした。
 パノラマカーが導入されていて、これがなかなか快適。要するに斜めの天井まで窓で繋がり、パノラミックなわけです。そして、世界で一番遅いと言われる急行だけあって、超スロースピード。高山植物をゆっくり見せるためでは?と言うのもあながちオーバーではない感じ。

クールは古都。意外と近代的な町
 クールは5000年の歴史を持ち、とか言うものだからしっとりした町を予想していたのが、随分近代的な町でびっくりしました。州立美術館や大聖堂、旧市街を散策しました。工事中でもあり、ホテルの位置がよく判らないので、タクシーに乗ろうとしたら「直ぐそこだよ」と笑われて、タクシー乗車は実現せず。
▲州立美術館で ▲クールのメインストリート ▲聖マルティン教会

再び氷河急行で、今度はサンモリッツまで
 氷河急行は「ツェルマットからサンモリッツまで」が一般的。長過ぎるので、クールで気分転換したのですが、この日はサンモリッツまで約2時間(実際には珍しく30分遅れ)。
 サンモリッツだけは日本の旅行業者からネットで予約を取り、代金も払込済みのホテルで4つ星。どんな感じか興味ありでしたが、なかなかいけました【下写真左】。丁度前に地元でも評判のいいレストランもあり、そこで遅めの昼食を取りました(またしてもイタリアンでしたが)【下写真中】。
 ホテルのサービスでピッツ・ネイルへのロープウェイの乗車券を提供してくれたので、曇天の中、出かけたのですが、まあ、納得。寒くて何も見えず、すぐリターンしたのですが【下写真右】。
▲サンモリッツのホテル。クリスタル ▲ホテル前のレストランで昼食 ▲ピッツネイルの山頂で
 サンモリッツは、アイガーとかマッターホルンのような有名な山があるわけではなく(後で判るのですが、全く無い訳ではないが)、ただスイスの3大観光地となればノミネートされる地域なのです。何故か高級感溢れるリゾートなんですね。ここも一日目は天候に恵まれず、天候運もここまでか、と一旦は諦めたのですが…。
 翌日また晴天。ホテルから歩いていける距離に色々あるのですが、先ずはセガンティーニ美術館。 ここへ直接行くのではなく、その道すがらにセガンティーニの小径みたいなのがあり、これが中々の風情でした。
▲セガンティーニの小径 ▲美術館の外観 ▲美術館の近くからサンモリッツ湖
 続いて、エンガディン博物館。これは民俗学のような佇まい。古い時代の住民の生活様式が保存されている感じです。
▲博物館の外観 ▲糸曳き道具 ▲会議室の天井模様など

まだ残っていました、絶景の地…コルヴァッチ
 前の日には天候に恵まれなかったピッツネイルなのですが、バスでサンモリッツ湖の横の湖に隣接するようなロープウェイがあり、そこからグンと登るとそこがコルヴァッチ。この日の午後、そこを訪れました。
 まだこんな所で4000m級の山々を眺望できるとは予想外の出来事、驚きました。ピッツベルニナなどを眺めることができます。そこには又しても展望レストランがあり、値段も日本のように「高いところは高い」とはなっていないから不思議。
▲コルヴァッチ方面の眺望 ▲湖方面 ▲展望台での昼食
 のんびりバス待ちをし、再びサンモリッツ湖に戻り、湖畔でゆっくりしました。ホテル等が集中しているゾーンと鉄道駅や湖のあるゾーンは少し離れています。それを繋いでいるのが超大型のエスカレータ。いくつかのエスカレータを乗り継ぐのですがその規模は半端ではありません。そしてそのメーカーは言うまでもなくあのシンドラー社ですね。
▲エスカレータの先はこの展望台 ▲水のきれいなサンモリッツ湖 ▲シンドラー社製

旅も最終盤、いよいよ最後のルツェルンへ
 氷河急行はサンモリッツ出発でもあるわけで、ここからクールまではその一部になります。クールからチューリッヒへ行く直前でルツェルンへ戻る、そんな鉄道路線。サンモリッツ駅までは珍しくホテルの車に乗せて貰う。何せ4つ星だから。出発まで時間もたっぷりあるので、ゆったりでした。
▲ホテル・クリスタル出発 ▲サンモリッツの構内で ▲氷河急行が巨大橋を渡る
 ルツェルンは知らない町ではありませんが、少し人が多くその分暑く感じられましたが、小雨が降り出し、そのせいでしょうかヒンヤリ感じられるようになりました。ここのホテルも超駅近で最終盤としては適切な選択でした。
 せっかくなので、夕食はフォルクローレショーをしている店でということで、店を予約。それまでピカソ美術館やショッピングに充てました。
▲カペル橋前で ▲ピカソ美術館 ▲カペル橋の絵画(焼失したものは復元できず)
▲ショーのルツェルン名物料理 ▲ホルンの演奏 ▲ショーが終わり、外は降雨

期待していなかったけど、雨は上がりゆったり最後のルツェルン
 午前中はまだ小雨でしたが、その間に、イエズス会教会、ムーゼック城壁、ホーフ教会等を訪問。午後は船に乗ってリヒャルト・ワーグナー博物館を訪問。この日はちょうど、建国記念日でナショナルホリデー。これは旅行者にとってはアンラッキーで店は殆どお休み!スイスの2大スーパーマーケット、COOPとミグロの下見を前日にしていたのに、全館閉館!
▲イエズス教会 ▲シュプロイヤー橋 ▲ムーゼック城壁遠景
▲ホーフ教会外観 ▲ホーフ教会内部。国旗があるのは建国記念日 ▲牧師さん演奏の練習
 ルツェルンからは幾つもの遊覧船が出ているのですが、約40分ほどの所にリヒャルト・ワーグナー博物館があり、訪れる人は多くないのですが、湖の中の半島のようになっていて良い雰囲気でした。
▲ワーグナー博物館 ▲博物館内部 ▲博物館前の船着場

スイスの空港はどこも交通至便、鉄道駅からパスポートコントロールに直行
 最終日はチューリッヒ空港駅まで1時間。イギリスのテロ事前発覚騒動の大分前でしたが、最近機内持込みの重量制
▲その名もbye‐bye‐barで
限が厳しく、今回も土居さんの分がはるかにオーバー。西矢さん分もオーバーで、これを分散。更にWEGAで買った高級オルゴールが金属製ですから引っ掛かって、見せろと言われるので折角パッキングしていたのが台無し!まあ、その後の英米絡みの厳戒態勢に比べたら十分我慢の範囲内でしたが。
 むしろ、スイスは入る時も出る時もパスポートコントロールが簡便過ぎて、これで良いの?と思うくらい。スタンプを押さないのは良いとして、チャンと見てるかい?と言いたくなるほどでした。
 最近の機内食は概ね軽めで胃の負担は大丈夫ですが、関空行きなんかは、カップラーメンが出されることが多いようで、モロッコの時のようにキツネうどんを期待したのですが叶わず、日清のカップヌードルでした。

 従姉夫妻にとっては初の海外個人自由旅行だったのですが、最初からこんなに天候とかに恵まれていいの?と思える旅でした。ラッキー続きだったのですが、そのためもあって、各地で「夢見てるみたい」「もう死んでもいい」「後百年生きられそう」(明らかに矛盾?)と何度も繰り返していました。三上の健康状態が回復に向かったことも言うまでもありません。事故以来減少気味だった体重も2、3キロ増えました。やはり、癒しの旅!でした。



 



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