ベーゼ・オンケルツの世界

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 「トルコ人出て行け! トルコ人出て行け! トルコ人出て行け!/トルコ人は全員、出て行かなくちゃいけない/トルコ人のヴァイギナ、ぬらして剃られて トルコ人のヴァギナ、つるつる剃られて・・・トルコ人出て行け、トルコ人出て行け、俺たちの国から出て行け/アンカラへ帰れ/おまえらのせいで俺は病気になっちまうから/ドイツの占領者、ビニール袋を持ち歩くやつらよ/古着収集者、保菌者たちよ・・・トルコ人のヴァギナ、おまえらは殴られたがっている」

 フランクフルト出身のスキンヘッド系バンド、ベーゼ・オンケルツ(Böhse Onkelz)の四人は、60年代前半に生まれた典型的な「落ちこぼれ」の「不良少年」であった。バンド名は「危ないおじさん(Böse Onkels)に注意」の標語に由来しているが、このように「不正解」の綴りを用いることで、彼らは学校への憎悪とそこでの成績を表現したという。見習い工や失業者であった彼らは、当初はパンクバンドとして演奏していたが、やがて赤と緑に染めた頭を刈り上げ、スキンヘッド界に入っていく。83年夏に『トルコ人出て行け』や『ドイツをドイツ人に』などのデモテープを製作し、ライブ活動でロックの激しい音楽にのせて反外国人感情を露骨に表現した。
 
84年のデビュー・アルバム『親切な男』は「人種憎悪を掻き立て、暴力を賛美」する「ポルノ的」駄作であり、「多元的社会にとって何ら意義はない」として発売が禁止された。しかし、この処分はむしろベーゼ・オンケルツの名前を世間に知らしめることになった。このアルバムとダビング・テープは闇市場に出回り、スキンヘッド界とその批判者の両者からこのバンドは注目を浴びることになったのである。彼らはスキンヘッドヘッド界のカルト的スターに祭り上げられ、ネオナチ集団が彼らのライブに集うようになった。彼らは、反外国人感情を抱いてはいたものの、直接的にはネオナチ集団に参加していないし、共感もしていなかったようである。しかし、この発禁処分とスキンヘッドとネオナチからの賛美によって、一般社会、特にメディアは彼らに「ネオナチ」の烙印を押しつづけることになった。その後、この烙印の中でオンケルツはアルバムを作りつづけているが、彼らの活動と変化はスキンヘッドや極右主義者とその周辺の姿を映し出している。

sqbt_yg.gif ベーゼ・オンケルツのメンバー

sqbt_yg.gif 「ネオナチ」のスティグマ

sqbt_yg.gif オンケルツの作品

sqbt_yg.gif オンケルツ歌集

 

 

ベーゼ・オンケルツBöhse Onkelz)のメンバー

1979年結成。Böhse Onkäls”から“Onkelz(s)”を経て83年から現在のバンド名に。

名前 生年月日 パート
Stephan Weidner
(シュテファン・ヴァイドナー)
1963年 5/29 ベース
Kevin Richard Russel
(ケヴィン・リヒャルト・ルッセル)
1964年 1/12 ヴォーカル
Matthias Röhr (Gonzo)
(マティアス・レール/ゴンゾ)
1962年 4/16 ギター
Peter Schorowsky (Pe)
(ペーター・ショロウスキ/ペ)
1964年 6/14 ドラム

写真;アルバム『Onkelz wie wir』のジャケットより

「ネオナチ」のスティグマ

 

ベーゼ・オンケルツの「ファン・パーティー」ライブ・チケット

 

そのライブの広告。横に「ナチス、ひそかに立ち去れ」「ナチスは出て行け」の落書

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