今、思うこと(バック) PART XLU

     
       去りゆく者の宴(ノートW)

U−1(2012/4/11)

私より年下だが
古希すぎたばかりの義理の弟が心筋梗塞で突然死した。
人間は不埒にも人の命をとかく値踏みするのか
まだ平均寿命にも達しないのにと、つい思ってしまう。
平均寿命に達しようが達しまいが
弟のように死は常に突然襲う。
だのに人間は己の死については平常は無頓着である。
朝目覚めたときの最初の思いは
「もう朝か」である。
決して「今日も生きているのだ」ではない。
まるで己が生きていることは当たり前とばかりに傲慢で
「まだ生かされている」の思いはとんとない。
だから死が間近にくるのを知らずして
平然と楽しみ追い求めることができるのだなと思った。

U−2(2012/7/1)

力が正義の世の中になってしまった昨今
民主主義国日本の政界でも
その論理は相変わらず跋扈している。
数は力の信条で古巣自民党倒した元民主党代表
民主党政権樹立の貢献者となったが
どういう訳かメンツ拘る検察や既得権に安住のマスコミに
よってたかって叩かれて賊軍扱いされてしまったようだ。
今回の民主党による消費税増税案でも
公約しなくても何が何でも今成立させるの現執行部に
公約守る方がまず大事と反対しても所詮は
数は力の論理のしっぺ返し食らってしまった。
この民主党元代表の主張は元々筋通っているとは思うが
世間で常に壊し屋だの選挙のためだのとしてこき下ろされる。
裏に何か組織のようなものが働いているような気がしてならない。

U−3(2012/10/21)

決して今の中国をほめるわけではないが
中国人のあの統率とれた行為は見上げるべきものがある。
個人的には自利の心で動くことこの上もないが
国の政策ともなれば損得抜きに行動する。
日本製品買うなと言えば従うし
日本への観光するなと言えば行かない。
それに反し今の日本人は出しゃばらず控えめだが
無国籍者のように周りだけの利害損失にこだわる。
福島の事故以後の日本人は各人が自己の利害で原発問題考えた。
民主党政権の頼りない政治指導のせいもあるが
国が原発ゼロを理念と掲げても
経済界はどこ吹く風とばかりに稼働を言うし
地元は原発なければ生活成り立たんと稼働歓迎するわりには
廃棄物は他所でしてくれと決め込むのである。

U−4(2012/11/11)

戦争起これば
個人としてどんなに善良と言われる人間も
非人間になると言われる。
敵に勝つため軍隊にはそうさせる何かがあるのである。
人間性を変えると言うものを現代に挙げるとするならば
霞ヶ関の官僚組織ではないだろうか。
確かに国の経営維持するために不可欠なものであろうから
当初は国に貢献するのだとの思いを持っただろう。
ところが国に貢献する思い持ちながらも
いつしか省益・私益を追求して憚らなくなる。
と言うより省益・私益を追求することが
国に貢献することだと思い込むようになる。
どんな善良な人間にもそのように錯覚させ
非人間性を培う何かが軍隊同様に霞ヶ関の組織にもある。

U−5(2012/11/21)

衆院の解散総選挙を間近に控えて
この3年間の民主党政権とは何であったのか考える。
敵失で政権転がり込んできたものだから
力も経験もないままに権力与えられて有頂天になり
児戯さながらの政治ごっこをして
自民党がもたらした国民の政治不信の疵を
一層広げてしまったようだ。
確かに民主党政権は二大政党時代作る実験として
考えられなくもなかった。
民主党政権が駄目なら又自民党政権に戻せばの観もあった。
実際は、健全な野党になりきれなかった自民党にも禍されて
自民党政権に戻って元の木阿弥になるのではの危惧もある。
だから二大政党時代の到来の夢崩れて
第3極云々などと喧伝されるのであろう。

U−6(2012/12/21)

大山鳴動してネズミが一匹。
第3極、第三極とマスコミに煽りに煽られて
選挙期間中は
自民党と民主党のコマーシャルが
何度も何度も飽くこともなく流され続けて
行われた今回の衆議院議員総選挙。
結局は元の鞘に納まった感じだ。
それがよいのか悪いのか。
それでかつての日本が取り戻せるのか。
前回の選挙で一つの幻影持たされ
今回の選挙で更なる幻影持たされて
ひょっとして踊らされているのかなの危惧持ちながらも
依然として懲りない政治家と懲りない選挙民のいるこの事実。
日本人である私はそんな日本が気になってならない。

U−7(2013/1/21)

花より団子。
名よりも実。
未来の一万円よりも今日の百円。
約束手形でよりも現金支払い。
これらの言葉はいかにも現実的で実利的響きを持つ。
その心を卑しいという者はぬくぬくとした環境に住んでいる。
スーツを着たヒューマニストがバラ色のビジョン説いても
切羽詰まった人間にはそれがどうなのだと言うことになる。
今回の衆議院議員選挙結果を別な視点で見ると
理想論を唱える政党が議員数を減らし
経済優先を掲げた政党が議員数を増やしたのは
明日の糧さえ心配するようになった国民が
未来に禍根を残すよりも今を生き延びるが大事と
判断せざるをえなかったからだとも言える。

U−8(2013/6/1)

橋下大阪市長の心の中まで覘けないが
今メディアによって彼は慰安婦を認めたとされている。
相変わらずメディアの世論操作の技術は優れている。
メディアの中の鬼子とされる彼は
メディアの逆像そのものであると言ってもよい。
よく橋下氏を批判するメディアがあるが
手法的に近親憎悪にも似た感情からだろう。
戦前にあれほど鬼畜米英で煽り日本の戦争を認めたメディアが
戦後は手のひら返したように逆のことをしたように
橋下氏もするかどうかは窺えないが
いずれにしても
米英への鬼畜視改め賛美するのを正義とするメディアや
その教育受けた戦後レジュームの申し子である日本人によって
彼が誤解されたままで終わるのは歴史的事実となろう。

U−9(2014/6/11)

久方ぶりに消費税がUPされたが
いつものこととて早くもそれになれてしまって
経済的な苦しみ感もうすれてしまった。
当初は福祉のためとUP理由を喧伝しながら
いまや税の使用目的を限定するのはおかしいと
他にも使われるようだ。
この論理は福島の復興に使われるのだとして徴収されたのに
実際は政治家や官僚のさじ加減で福島以外にも
使われているのと納税者を欺す点ではよく似ている。
税は国民のために使うものだと捏ねられて
見事さじ加減する側の利益になるようにされている。
利益目的の組織なら役得あっても然りなのだが
国民の奉仕者に役得にありつかせるようなことは
三流国家にしか作れない仕組みから生まれるのである。

U−10(2014/8/1)

認知症になると日常当たり前にこなせたことが
出来なくなると言われる。
毎日使う電気炊飯器の使い方さえが分からなくなるのである。
そんな馬鹿なというのは健常者の感覚である。
ところがつい最近、毎日使っていたパソコンの使い方が
突然分からなくなるという事態に私は遭遇した。
毎日使っているのにそんな馬鹿なの思いだった。
なぜそうした状態に突然陥ったのか分からないが
キイボードに書かれている字の意味が突然つかめなくなり
催眠術にかかったような気分だった。
幸いにして健常に分かるようになったが
もしやこれが認知症になる前兆ではないかと
不安が過ぎってきたが
単なる笑い話に済んでくれればと願うもう一人の私がいた。

U−11(2014/9/1)

ネット社会が到来してから
マスコミが決して伝えない情報というものが
この世にごまんとあることが分かった。
もとよりネットから発信する主体は個人であるので
法律に抵触しない限りは自由に情報が発信できる。
発信されたものは玉石混淆で虚実織り交ぜられている。
ネット情報を正しく読み取る資質が
今のサーファーにあるかどうかは分からない。
だが権力者になっている今のマスコミが
さも正義の味方であるふりして情報を伝えたり
印象操作する姿を見ると
未熟なネット情報の方が
権力チェックをしているのではないかと
今回の朝日新聞の「誤報問題」で思うようになった。

U−12(2014/11/1)

熟した柿は
人にもぎ取られない限りは
木からポトリと落ちて
その生を終える。
柿自身は熟したこと知らず
自ら落ちようともせず
落ちて朽ちることも知らず
時の命ずるままに
ポトリと落ちるのである。
私はそこまで熟しているとは思えない。
まだまだしたい欲心も残っている。
そのくせ
柿が熟してポトリと落ちるような
そんな逝き方にも憧れるのである。

U−13(2014/12/1)

病気の後遺症と加齢によって
ものが持ちにくくなった。
ポトリと九谷焼を落として壊してしまった。
歩きにくくもなった。
健常の人の五倍は時間を要した。
となるとかごの鳥のような生活。
テレビの見続け、さもなくば読書三昧。
忙中閑ありの一時なら素晴らしい生活。
毎日続けば地獄の生活。
現実感が希薄になり生の接触に飢えてくる。
挨拶でいいから人と生の会話をしたい。
恥も外聞もなく
電動カートを使ってまで
外に出る生活は素晴らしいと思い直した。

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