今、思うこと(バック) PART XLV

     
       去りゆく者の宴(ノートW)

V−1(2015/4/1)

わずか50年ほど前の日本では
どんな田舎の村でも
道幅2、3メートルほどのいわゆるメーン道路があり
その両脇に日常生活に必要なもの売る店屋が並んでいた。
過疎化著しい昨今では
そのメーン道路でさえ軒並み雨戸が閉まり
少し大きな町でもシャッター街となっている。
町医者もいなければ
子供の遊び声も聞こえない。
世話焼きでお節介な隣のおばさんもおらず
独り暮らしの年寄りには
生活する上に不便この上もない。
現役退いて後は悠々自適の楽しい生活をと
夢見ていたことが無惨な現実に裏切られている。


 V−2(2015/5/1)

日本のクォリティペーパーといわれる朝日新聞。
進歩的文化人の購読している最良の新聞なのだと
勧められ親同様に購読した。
後日誰かからか新聞は二紙をとった方がよいとこれまた忠告され
他紙をとったおかげで
新聞も切り口の違いで事実がいろいろ解釈されるのを知った。
そこで朝日で知って信じ込んだ数々は
北朝鮮の「地上の楽園」報道。
中国南京での大虐殺報道。
韓国での日本軍による慰安婦強制連行報道。
いずれも事実であること願った報道だった。
さて最近のアジアインフラ投資銀行のバスに乗り遅れるなの報道。
今度こそその主張が間違っていなかったと
確かめて死んでいきたいと思っている。


 V−3(2015/6/1)

人生のほとんど大阪で住んでいたこともあり
大阪都構想の是非を問う住民投票には関心あった。
それ以上に投票結果には改めて注目した。
都構想の功罪、政党や権益受益者の思惑は兎も角
出口調査による統計信じれば
70才以上の人の反対投票多数によって
維新掲げる都構想は否決されたことになっていたことだ。
この住民投票は
いずれ近々死にゆく人間がこれから生きゆく人間を
決めたという意味で
70才世代の一人としては複雑な思いを起こした。
もはやこれは単に一地域だけの話ではなく
高齢化社会を迎えた日本全体の話であること示す
象徴的な一例となった。


V−4(2015/7/1)

寝たきりと言わないまでも
外に出て体動かしては駄目との医者の指示で
カゴの鳥のような生活余儀なくされてしまった。
無理しなくこのまま養生すれば
後10年生きられる体だと言う医者の言葉が
患者の命救うための忠告なのは認めるとしても
ただ命長らえるために
これまでのように人との会話少なくなり
食事制限されるは
治療受け続けねばならないとすれば
それこそ生きるとは何かという根源的な問いに立ち戻る。
まだ惚けてきておらずバーチャルな生き方楽しめるので
これも贅沢な悩みのうちにはいるのかもしれないが
文字通り哲学者のような生活を味わう人生を迎えた。


V−5(2015/8/1)

最近とみに小さな字が読みにくくなり
リアルな外界からも閉ざされたままになった私は
大きな字でも読めるインターネットに情報頼るようになった。
権力ないままに言いたい放題に発信され
嘘か真か分からぬままに多くの情報得るようになったおかげで
公共メディアから得る情報にも
盲目的に信頼しなくなった。
報道とは言え誇張や隠蔽のオンパレードで
公共の利益守るという名目のもとにしても
印象操作されたものになっていた。
公共メディアの言う報道の自由は
自らに都合の悪い報道はしない自由になっていた。
今更ながらに今の日本の公共メディアは
権力持つものの考え方そっくりだと思うようになった。


V−6(2015/9/1)

生きてさえすれば
そのうちいいことにも出会えるだろうと
思ってきた人生だったけれど
こう次々と難儀なことに出くわすと
その楽観主義もいつしか打ち砕かれてしまうものだ。
年相応の病魔にとりつかれてしまってから
70になれば医療費無料になるとの夢なくなり
高い保険料払い続けた過去なのに
その恩恵受ける現在は高い医療代に翻弄されている。
遊びも少なくして蓄えた金のおかげで
どうにか今の生を凌いでいるが
老人性の抑鬱症が頭もたげてきてしょうがない。
かろうじて救いとなっているのが
まだ一日三度のおまんま無事食べられることだった。


V−7(2015/10/1)

昨今の新聞やテレビの報道は
世論調査の結果を見て
世論の動向がどうの民意がどうのと論じている。
公平で客観的な報道をするのがメディアの原則と
信じられている頃はなんと非主体的な民意のはかり方と
そのいい加減さを嘆いたものだが
メディアが事実をねつ造したり誇張したりして
情報操作することが露呈されてからは
報道機関というよりプロパガンダの利益集団となった。
そんな見え見えの世論調査なのに
あくまでも自らに都合よく利益誘導していこうとする姿は
まるでオカルトに洗脳された信者の行動のようだ。
彼らは間違ったことは決してしてないのだと心底思って
無垢な日本国民に取り憑いている。


V−8(2015/11/1)

私が住んでいる所はかつての小さな漁村地区。
その村が昭和の合併で町になり
ついで平成の合併で市になり
来年は伊勢志摩サミットが開かれる程の有名都市となった。
合併なったとてそこには産業無く
環境変化で漁だけでは生きていけない。
若者は土地を離れ他所に住みつき古里へは戻らなくなり
果ては日常品扱う店屋もなくなるに至っては
独り暮らしの親は仕方なく他所の子供の所に身を寄せる。
かくて立派な家なのに空き家多くなり
通りには子供の声も聞こえなくなり
夜に点く明かりの数も少なくなってきている。
形だけは一人前の市民だが
限界集落の住人でもあるのが今の私である。


V−9(2015/12/1)

各家庭にインターネットが配備され
プリンターも各家庭に設置されるようになったご時世に
使用される印刷用インクの高いこと高いこと
資本主義社会ならではの不快な常識となっている。
プリンター固有のインクを何十倍の高さで買わされるこの仕組みは
便利さを享受したという見返りとして
プリンター製造企業に与えられた特権に基づいているのだろう。
技術の進歩が進み大量生産が可能になり
百円ショップで供給されるインクであっても
錠にあわない鍵のごとく
すべてのプリンターに使用されないようにされているのは
利潤追求の大原則が幅を利かせるからとしか言いようがない。
現役のときにはさほど気にならなかったことだったが
年金生活の今になって気恥ずかしい嘆きごととなっている。


V−10(2016/2/1)

医療技術が進んだためなのか
寿命がまだ来てないということなのか
2016年を超えて
今私は生きている。
少なくとも生きていると感じている。
機能不全になりかかった臓器や
かろうじて持ちこたえている通常の思考力が
今まで生かされ続けている痕跡となっているが
そのために世の中の変化に積極的に関わっていけなくなり
ただただ眺めているだけでも
人の生き様の一つなのだと思って今を受けいれている。
もはや私にとっての最後の諦観とは
人の世話まで受けて生きるのも
人の生き様だと言い切ることだった。


V−11(2015/3/1)

久しぶりに
キューブラー・ロスの『死の瞬間On Death and Dying』を読み直した。
内容は死を受け容れるまでの
拒絶・怒り・取引・抑鬱を経て受容に至る迄の五段階説である。
若い頃の読書は単に知識の肥やしとなっただけだったが
今回のそれはわが身にずかずか入り込んだ。
今はわが病気が間違いであれと拒絶している段階だが
早く諦めよとの三途の川からの情け容赦ない誘いもくる。
思うに「死」とはいつも他人事だった。
どこかで「死」は自分とは関係ないと思っていた。
年重ね体にも種々病持ち
息することさえ苦しさ覚えるようになった今
死を受け容れるための五段階は
まさに己の死を担保にした最後の知の実験材料となった。


V−12(2016/4/1)

最近眠りが浅く夢をよく見る。
夢は見ている間はまさに現存するも
他人にとればまったくの非存在だ。
そればかりか当人とっても目覚めれば
夢そのものが非存在のようでやがては忘れ去られていく。
最近はインターネットの世界も夢のように思えてきた。
夢と違い見ようとすれば見られる世界だが
ボタン一つで閉じれば一瞬にして霧消していく。
人や己に覗かれる間だけ現存を主張するも
厚みのない妖怪のように漂っているにすぎない。
ネットの世界の残す重みのない貝塚を
後世の人たちはなんと思うのだろうかと気にもなるが
それ以上に今の私にはこの現実の世界ですらも
夢のまた夢のように思えてきてならない。


V−13(2016/5/1)

かつてのテレビ番組の話であるが
全体が左に基軸が置かれているマスコミ業界であったが
番組制作では右派の人も参加させていたので
視聴者としては結構面白かった。
論敵を呼んでも渡り合える力を持っていたからなのだろう。
ところがイデオロギー時代が終わった今
この業界はイデオロギーの観点がぬぐい取れないままに老化し
新しいマスコミ従事者の資質も劣化した。
結果「お友達番組」ばかり作るようになって面白くなくなった。
その頑迷固陋さは「阿倍倒せ」が社是なのだと開き直ったり
偏向報道を公正とふんぞり返ったりするところに象徴された。
一昔前ならそれでも視聴者を強引に承伏させただろう。
視聴者がその姿勢に何となく違和感を覚えるようになったのは
ネット情報が発せられるようになってからである。


V−14(2016/6/1)

日本人の元来からの気質なのか
敗戦後にGHQが行った日本統治政策に洗脳されたのか
いや、恐らくはその二つの考えの相乗効果として
日本人には自分の方が悪かったと思いこむ習性が色濃く残る。
そのために戦後70年経った二世代後の日本人までもが
「戦後責任」なる言葉に取り憑かれている。
それはかつての「帝国軍隊」が実に悪逆非道だったと
未だに今の日本人に教育されているからである。
確かに「帝国軍隊」は日本の歴史的事実であるので
戦争に関わった中国や朝鮮の人たちがそう言うのならまだしも
戦時中に戦意高揚たきつけた日本のマスコミや
知識人文化人を僭称する日本のエリートたちまでが
戦後は手のひら返したようにその悪行ばかり喧伝するのは
戦後すり込まれた日本人の贖罪の気持ちからなのだろう。

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