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円山公園(札幌)つれづれ日録の題字2005年4・5月

 5月30日(月)

 28日、仕事をしてから、長万部町内に車を置いて、特急北斗で札幌へ。

 札幌駅からタクシーでCAIへ。藤本和彦個展の最終日。いやー、おもしろかった。
 徒歩でギャラリーミヤシタ。井上まさじ展。美しい。制作法や画風に幅が出ている。貴重なお話もきけました。
 井上さんに車で送ってもらい(すいません)、テンポラリースペース。谷口顕一郎展のオープニング。「楽器兼彫刻」で知られる太田ひろさんの、熱い演奏。
 札幌の、両親宅にて一泊。

 29日。
 朝9時始動。
 まず、ギャラリーどらーる。今荘義男展。しぶい。
 徒歩で道立近代美術館。ジャン・コクトー展の最終日。常設展示(これくしょんぎゃらりい)も見たが、時間がないので、ガラスと浮世絵の展示はパス(さいきんのことばでいうと、スルー)。
 地下鉄東西線西18丁目からバスセンター前へ。市民ギャラリー。一線展北海道支部展。あとはぜんぶスルー。
 徒歩でさいとうギャラリー。朝地信介ミクニキョウコ展と木村初江展。
 おとなりのスカイホール。山川真一展と片桐三春展。もうひとつはスルー。
 西4丁目から市電で中央区役所前へ。コンチネンタルギャラリー。佐藤まゆみ銅版画展。ささやかだけど光る作品。会場で、クルトゥーラの舟見さんとバッタリ会い、クラフトショップ構想の話を聞く。
 タクシーで芸術の森美術館。本郷新展。古い図録をどっさり購入。
 無料連絡バスで、本郷新展のもうひとつの会場である札幌彫刻美術館へ。
 北1条宮の沢通りまで下りてからタクシーで工芸ギャラリー愛海詩(えみし)。吉岡幸雄植物染展。
 第一鳥居前からバスで札幌駅へ。
 ビックカメラでデジタルカメラ用メモリーカードを購入。ポイントを使い切ったので、256MBを1000円以下で買えた。(しかし、PDFをテキストファイルに変換するソフトを買うのをわすれた)
 紀伊國屋書店札幌本店に初めて入る。感動。ギャラリーで五島健太郎さんにはじめてお会いする。
 時間がなく、美術書以外のコーナーはスルー。グリーンバーグの評論集が出ているのを見て即決で購入。なにせ「翻訳中」と聞いてからもう10年たっている。ほかに日夏露彦さんの評論集も買う。
 再び来店し、じっくり店内を探訪することを心に誓う。
 宮越屋でコーヒー豆を買い、19時22分発、函館行き最終の特急北斗に乗るべく、プラットフォームにのぼったら、かつてないほどの人の列。全車満席の混雑で、けっきょく東室蘭まで1時間以上立っていた。やれやれ。
 21時30分、長万部で下り、車を運転して帰宅。

 30日、来客多数。なんとなく仕事や雑用をしているうちにおわってしまう。

 …。
 しかし、こうして書いていくと、せつないというか、なんともいえない気分だなあ。

 2日間でタクシーに5度乗るという、むかしの筆者なら考えられない「大名旅行」なのだが、べつに好きこのんでやっているわけではないし、金が余っているのでもない。
 言いかえれば、「きょうは行けないから、あした(あるいは、来週)にしよう」ということがほとんど不可能であるための、やむをえない措置なのだ。

 筆者も体力がおちているのに、今回はかなりのむりをしている。
 たとえば、2001年に横浜トリエンナーレなどを2泊3日で見た「東京どたばた日記」の旅を思うと、われながら情けない気分になる。
 今回の札幌など問題にならないくらい、たくさんの展覧会に足を運んでいたっけ。あのころの体力と気力よ、もう一度! というきもちだ。

 もちろん、上の短評でおしまいではなくて、各展覧会について「あーとだいありー」のファイルですこしずつ報告していきますので、お待ちください。


 5月27日(金)

 午後9時半、サイレンが鳴る。
 ことしの八雲は火事が多い。
 現場のアパートへ車を走らせた。大した火事でなくて、ひとまずほっとする。

 きょうの八雲は霧だった。
 きのうは快晴だったものの、この春はほんとうに気温の低い日が多い。
 何人かが指摘しているが、こんな感じの低温がつづく年は、冷害になることが多いという。
 筆者も、なんだか不吉な感じを抱く。
 不吉、というのは、うまくいえないのだが、宮沢賢治の童話や詩に、凶作を背景にしたものがあって、それらにも実に不穏というか、背筋が薄ら寒くなってくるような独特の雰囲気がただよっている。それと似た感じが、大気にあるようなのだ。

 

 5月26日(木)

 ひきつづき熱っぽい。
 しかも体調悪い。

 http://epio.jpinfo.ne.jp/05news/1394.gif

 いろんなウェブを徘徊しているけど、じぶんでなんか書く元気がなかなかおきない。

 

 5月25日(水)

 24日。
 熱っぽいのは変わらず。

 25日。
 やっぱり熱っぽい。
 やたらと朝早く目がさめたおかげで、ためまくっていた原稿の大半が片付いた。

 23日に書いたgoogleの話だけど、きょう「北海道美術」で検索してみたら、以前のように、最初に出てくるようになった。
 そればかりか「美術」でぐぐると、39番目だった。ちょっと自慢。

 書くのを忘れていましたが、22日に、アクセスカウンタが17万を突破しました。
 16万から、2ヵ月半ほどで1万を積み上げました。
 みなさまのおかげです。ありがとうございました。

 

 5月23日(月)

 20日。
 全道支局長会議のため札幌出張。
 夕方、2時間ほどあいたので、ギャラリー3つまわる。
 夜ふたたび会社の会合に出席、最終の特急で八雲に戻る。

 21日。
 朝から仕事。ツツジの植樹などの取材。
 午後、神社の社務所の物置が焼ける怪しい火事。

 22日。
 快晴。
 だが、終日どこにも行かず休息の一日。
 コクトーの評伝を読み進む。

 23日。
 熱っぽい。けれど、体温を測ってみてもほとんど熱がない。

 9日のつづき。

 人は生きているかぎり、自己承認を求め続けるものなのだろうと思う。
 これといって、根拠はないけれど。

 ただ、自己承認というと、どうしても頭から離れない人物がいる。

 宮沢賢治のこと。

 彼をめぐる熱は生誕100年を機に一段落した感があるが、たぶん今なお、日本語の作家で、もっとも人気のあるひとりだと思われる。
 しかし、なぜなのだろう。
 筆者も嫌いではないが、彼の代表作とよばれる作品に、じぶんを犠牲にして他者を救うというモティーフが多いのが、どうにも気になって仕方ないのだ。

 手元に本がないので、たしかめられないが、「グスコードブリの伝記」で、主人公のグスコードブリは冷害に苦しむ農民を救うため火山に突入して落命する。
 農民たちは、旗のようなものをそちこちに立てて彼を記念するというのが、もともとの結末だったが、賢治は推敲の末に、そのくだりを削っている。

 その、あまりの生真面目さを思うと、筆者は涙が出そうになる。
 死後に報われることさえも拒もうとする宮沢賢治。じぶんの存在意義を消し去ろうという衝動は、いったい何に由来するのだろうか。
 そして、そういう資質が、どうして日本語の読者に好まれるのか。
 筆者の貧しい読書の範囲で、ここまで自己の存在を他者のために捧げようという心もちを、西洋の小説などで読んだ記憶がない(あるいは、忘れているだけだろうか)。

 話は変わって。
 ここ数日で、googleの検索結果の表示が大いに変わった。
 以前は、「北海道美術」「美術ネット」で検索しただけで、当サイトが一番に出てきたのだが、先週末から、ずいぶん後回しになってしまったのだ。
 なんか、がっかり。

 もひとつ、くだらない話。
 さっきNHKニュースで、ケータイの進化ってのを放送してた。
 街中でながれてる曲を、自動的に検索して、教えてくれるんだと。テレビでは、流れている音楽をケータイがキャッチすると、オレ●ジレンジ「花」とかって表示されてた。
 ミスチル「シーソーゲーム」って出てきたら笑えたのに。


 5月19日(木)

 14−16日にがんばりすぎたせいか、17・18日は不調。

 19日夜、出張で札幌へ行く。
 仕事なので、このサイトに関係ありそうなところには、たぶんほとんど立ち寄れない見通し。

 それにしても今週末は、TOPICSに載っている催しが9つ!
 忙しいですね。

 5月16日(月)

 15日。
 さすがに午前はうとうとしていたが、昼から家族を連れて熊石へ。
 仕事じゃないんだけど、10月にわが八雲町と合併する熊石町の、年間最大のイベントを見ないわけにはいかない。
 その名も「あわびの里フェスティバル」。
 熊石は、アワビ養殖が盛んなのだ。
 峠を越え、八雲から約40分で、会場の熊石休養村に到着。

 …寒い

 そぼ降る雨。この日の熊石の最高気温は8.5度(気象庁のデータによる)。
 帰ってからニュースで知ったことだが、ようやく冬の交通止めからオープンした知床横断道は、雪のためにまたまた閉鎖されてしまったらしい。
 天気予報を見たら、道東のほうに、雪だるまがまだいるし。

 あわびの里フェスティバルの会場風景あまりの寒さに、焼いたアワビののっかった弁当を食べて、ただちに撤収した。
 ステージでは、奄美大島から来たグループが歌やサンシンみたいのを披露していたが、かわいそうに、聴いている人はすくなかった。

 桜はほとんどつぼみ。
 ことしはカレンダーの関係で、第●日曜日などときめられた催しが早めなのだが、桜前線はおそい。
 例年はもっときれいなのだろうなあ。

 会場の奥に位置する温泉「あわびの湯」につかり、八雲に帰った。

 16日。
 朝から、図書館へ行ったり、税務署に行ったり(いずれも取材)。
 午後は、強盗逮捕の発表。さらに夕方、長万部へ。
 ついでにコンピュータの中の写真も整理したら午後10時になっていた。
 14、16日と、仕事がつぎつぎとあって、やっぱり春なんだと思う(冬の間は、催しも活動も少ない北海道なのである)。


 5月14日(土)

 11日。
 支局でぼけっとしてたら、室蘭の画家、北浦晃さんがとつぜんおいでになった。

 特急列車で八雲まで来て、ハーベスター八雲で山々の連なる風景をスケッチしていた由。
 雲で、山(おそらく雄鉾岳)の頂が見えないのを残念がっていた。
 スケッチブックには、天塩川やサロベツ原野で鉛筆を走らせた作もあったが、意外というか、筆者が勘違いしていたというか、北浦さんは現実の風景を、それほど改変しない。ほとんど見たとおり描いている。
 それで、あの完成した構図になっているとは、いったいどういうことなのか。
 北浦さんが帰ったのちも、しばらく考えていた。

 北浦さんは「人物をずっと描いていて、風景を描くつもりなどなかったので」、運転免許を持っていないという。
 1990年代後半ごろのモティーフになった日勝峠にも、タクシーで行ってスケッチしたそうだ。

 12日。
 午後からグループホームの取材。
 あいかわらず東風が吹き、さむい。

 13日。
 ひさしぶりに長万部へ行く。

 14日。
 「40分ぐらいで頂上に着くよ」
という長万部町役場の某課長のことばにまんまと乗せられ、写万岳(写万部山)の山開き登山会に参加。
 ふだん運動などまったくしないので、エライめにあった。
 晴れた日には、噴火湾はもちろん、日本海も望めるらしいが、春霞に隠されて残念。

 帰途、コンビニに寄ってスポーツドリンクを買おうとしたら、脚が完全に固まっていて、動けなかった。
 まずい。
 ヘンな歩き方をして、強盗にまちがえられたらどうしよう、と思った。

 八雲に戻り、スポーツ少年団の結団式と、デジタルスポーツ射撃の説明会の取材。
 原稿も書く。
 どうしてきょうにかぎって、こんなに体力があるのか、よくわからない。

 夜、NHK教育で「ETV特集 ロシアの映像詩人 ノルシュテイン日本をゆく」を見る。
 彼は毎年日本を訪れているそうだ。
 番組中、彼は、学生たちのアニメをきびしくけちょんけちょんに批評していた。
「作品のアイウエオにまで達していない」
「まったく現実を見ていない」
すごい言われようである。
「歌舞伎を見たことがありますか。ぜひ見てください」
と説教されていた。
 一部を見ただけで軽々しく判断すべきではないが、たしかに、紹介されていた学生たちのアニメは、あまりおもしろくなかった。北海道教育大の学生のほうがいいぞ。

 不思議なのは、ノルシュテインもそうだし、彼が審査するコンクールのグランプリもそうなのだが、すぐれた作品はどれも、映像と音楽のリズムがぴったりあっていることだ。
 あれは、ストップウォッチでなにかではかっているのだろうか。それとも、そこらへんが、才能の差というものなのだろうか。

 5月10日(火)

 なんと「過去のTopics」のファイルに、催しの申し込み先などで、個人の電話番号の一部が削除されずにのこっていたことが判明。もし、当サイトのせいで、イタズラ電話などがいっていたとしたら…。
 個人情報保護法が施行されたというのに、申し訳ないです。お店と公共機関以外は、すべて削除し、メアドも晒してあるのは消しました。以後、十分気をつけます。

 5月9日(月)

 昨晩のNHK総合テレビのスポーツニュースで、この場所から十両に昇進した出羽の郷関を特集していた。
 34歳。初土俵から20年かかって関取になったのは最長記録であるそうな。
 すごいな。

 筆者は、その番組を見て、じぶんの「欲望」についてあらためて考えた。

 じぶんは、とくにどうしてもこれがやりたい、という強い希望がないような気がする。
 ほかの人が幸せであればいいや、みたいな、消極的な気持ちが強いのだ。

 実存は本質に先立つ、というサルトルの命題は、カントの倫理学の焼き直しだろうけど、まあその通りだと思う。
 つまり、人間は、どういう人格だから生きている価値があるかということではなくて、生きているだけで価値がある。
 しかし、じぶんに生きている価値があると信じる(これは科学の命題ではないので、「信じる」としか言いようがないだろう)、そのモメントというか、心的機制が何なのか。知りたいと思う。
 心的機制とかじゃなくて、本能的なものなのだろうか。


 5月8日(日)

 さらんべ公園で桜まつり。
 さむい。桜、ほとんど咲いてないし。

 5月7日(土)

 さむいので、ひきこもり状態。
 夜はめずらしくテレビ三昧。
 「世界! ふしぎ発見」でフェルメールを特集していたのにつづき、「美の巨人たち」で三岸好太郎をとりあげていたのを見た。
 「美の巨人たち」では、道立三岸好太郎美術館の穂積さんが話していた。

 厚田村ルーラン海岸。
 三岸好太郎が「生まれた土地」と詐称したところ。
 行っても、なんもなさそうだけど。

 テレビで三岸好太郎の本を持って歩いていたかわいい女子高生は、岩田めぐみさんというそうだけど、googleで検索してもよくわからなかった。

 そういえば、澤地久枝さんが「好太郎と節子」(NHK出版)という本を出しましたね。

 5月5日(木)

 あー、不調だ不調。
 原稿がぜんぜんすすまない。

 道内美術館の05年度日程を一部アップ。
 こういう単純作業ならなんとかやれるみたい。
 ただ、テーブルにするのはやめて、だらだらとテキストを流すのみ。特別展と所蔵品展の区別もやめた。

 5月1日(日)

 札幌から帰る。

 家族サービスやら何やらで、行けなかった展覧会、いつになく多数。
 というか、予定の半分以下しか見られなかった。
 案内状をくださったみなさん、ごめんなさい。

 それにしても、はたしてじぶんは、美術や写真を見るのが本心から好きなのか、それとも案内状を送ってくれる人たちに悪いから見に行くのか、だんだん分からなくなってきた。

 まあ、そんなことを考えていることじたい、あまり調子がよくないんだろうな。

 1988年の秋だったと思う。
 当時わたしは留萌支局に勤める新米だった。
 或る日のこと、はでな白いスーツを着て
「こんにちは」
と軽快に入ってきた男性がいた。
 ポール牧さんだった。

 若い人はあまりぴんとこないだろうけど、彼(ポール牧さん、ではちょっと不自然なので、とりあえず「彼」にしておきます)が結成した「コント・ラッキーセブン」は、萩本欽一・坂上二郎による「コント55号」とならび、ドリフターズのブーム前の一時期では最も重要なお笑いタレントである。
 また、「関東系の二人組」といえば、もしかしたら、歴史上でこの2組を超えるコンビはまだ登場していないかもしれない。

 彼は、近く留萌市民会館に一座を引き連れ「弱虫弱之進」という時代劇の喜劇を上演するので、そのキャンペーンでわたしの会社を訪れたのだ。

 その喜劇は、どこか「イワンの馬鹿」に似ていた。「弱虫」とバカにされていた侍が、戦いに勝ってしまうばかりか、あこがれのお姫様も手に入れてしまうという、通常の時代劇の優劣を完全にひっくり返してしまうような話だった。
 わたしは、彼が、徹底した平和主義者なのではないかと思った。
 8月に大水害に見舞われたばかりの留萌で、彼は「留萌が一日も早く水害から復旧しますように」とアドリブで言って、やんやの喝采を受けていた。

 彼が、ダウンタウンのドツキ漫才を
「ヤクザとおなじではないか」
というような意味の言葉で批判していたこと、そして、天塩町(留萌管内)雄信内(おのぶない)の寺の住職の息子だということを、後ほど知った。

 その後も、北見北斗高校に講演に訪れるなどしていたようだ。
 その際の北海道新聞の写真説明に「正しい指パッチンの仕方を伝授するポール牧さん」と書いてあったことは、北海道新聞史上でも最もおかしな写真説明として語り継がれている(ちょっと大げさかな)。

 だから、「仕事がなくて悩んでいた」から自殺したというのは、ちょっと信じられないのだ。

 いつまでも明るい笑顔で、正しい指パッチンの仕方を伝授しつづけてほしかった。

 合掌。


 4月28日(木)

 あすから札幌に行く予定なのだが…

 4月26日(火)

 22日。
 早朝、町内で17歳少女による殺人未遂事件が発生し、振り回される。
 夕刊に突っ込む。
 いろんな話も聞いたけど、ウラをとれないし、事件被害者のプライバシーをあれこれ書き立てるのも気が進まず、記事に入れるのはパス。

 帰宅9時。深夜1時まで原稿を書くハメに。

 23−24日。
 午前4時起床。
 地元の人とともに、1泊2日で岩手県・遠野へ旅行。
遠野市の「南部曲がり家・千葉家」 出張や帰省以外の旅行はひさしぶりのような気がする。大いにリフレッシュして帰ってきた。
 遠野はとてもきれいなところ。もう1度行ってもいいと思ったくらい。

 25−26日。
 ものすごい疲労に襲われ、仕事のペースがいちじるしく落ちる。
 旅のせいだけではないと思うぐらいの体調の悪さ。

 22日のポール牧さんの自殺、23−24日の遠野旅行、25日の福知山線脱線事故については、追って書きたい。
 しかし、書きたいことがたまっているからな〜。


 4月21日(木)

 原稿書けない、机周り整頓できない、じぶんの労務管理できない、約束わすれるで、社会人としてこれでやっていけるのか、悩むところではあるけれど、とりあえずあまり考えないことにしよう。

 4月18日(月)

 あいかわらずの体調だが、なんとかこのサイトの更新だけは、けっこうマメにやっている。「つれづれ日録」を更新してない日でも、ほかのページにちょこちょこ書きくわえている。

 ただし、美術館の本年度日程がなかなかアップできない。ごめんなさい。


長万部町豊津 4月15日(金)

 10日に書いた、沼沢地帯の写真。
 長万部から八雲にかけ、国道と海岸の間には、雪解け水でできたこんな“沼”がたくさんできている。
 もともと湿地帯のようなところで、ほとんどが原野である。

 しかし、さいきん「だからどーした」と言われるとこまる記事ばかり書いてます。

 4月13日(水)

 4月に入ってからほとんど晴れた日がないような気がする。

 スケジュール表、いろいろまちがいがありましたので、訂正しておきました。
 とくに重大なのは、FIVE ENERGY展の紹介で、一部まったく関係のないリンク先があったことです。指摘してくださったSさんありがとう。ごめんなさい。

 4月10日(日)

 6日は午後、寝てしまう。

 7日は、未明からの雨に、雪解け水がくわわって、町内の川があふれる寸前。
 さらんべ公園の川岸にある人魚姫の像も、頭まで濁流におおわれてしまったが、夕方から雨が小降りになり、被害は出ずに済んだ。

 8日は、朝からけっこう仕事があった。
 しかし、夜になるとガス欠状態。

 9日は雷雨。休み。

 10日。きょうも雨。
 夕方、東京理科大長万部校舎の入学パーティーを見に行く。


 八雲と長万部の間をむすぶ国道5号沿いは、雪解け水のせいで、季節限定の湿原や沼があちこちにできている。沼沢(しょうたく)地帯である。
 「沼沢地帯」ということばは、吉田一穂(よしだ・いっすい)の詩で覚えた。このことばが頭にうかぶと、なにか切ない思いで胸がいっぱいになる。
 夕闇のなかにおぼろげに浮かぶ水面はなんとさびしいものであろう。
 車内でイエモンの「楽園」を聴く。
 「過去は消えないだろう/未来もうたがうだろう」
というところで、涙が出てくる。
 この曲が日本のロック史においてエポックメイキングな楽曲であることは疑いないのだが、それとはべつのなにかに由来する情感が、心を揺すぶっている。
 雨は蕭々と降っている。


 4月8日(金)

 6日はせがれの入学式だった。

 4月5日(火)

 きょうも、とにかくねむい。

 先週、病院に行った結果を書くのをわすれていた。
 どこもわるいところはないそうです。
 しかし、あいかわらず熱っぽい自覚症状はあるのだった。

 近日中に、道内主要美術館の05年度予定表のページをアップする予定。
 日程を送ってくださったのは、いまのところ木田金次郎美術館、札幌彫刻美術館、深川のアートホール東洲館。ほかに、道立近代、三岸、旭川、函館、帯広の各美術館と、釧路芸術館の日程が入手できています。


大通公園3丁目。本郷新の彫刻 4月4日(月)

 とにかくねむい。

 4月1−3日(金、土、日) 

 1・2日、札幌へ行ってきた。

 雪の多さに愕然。
 いくら雪の降る年でも、だいたい4月の声を聞くと、市街地では土がすっかり顔を出すのがふつうだ。
 ところが、ことしは、左上の写真のようなありさま。
 まだ60センチ以上の積雪があり、どの道路の両側にもまだ雪の山がのこっている。
 この季節で、これほど雪が多いのは、1938年以来のことらしい。

 「絵画の場合」展のうちあわせに出た。
 ギャラリー周りをして、丸善で大量の本を買った。

 

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