10月のある日の夕方、旭ヶ丘で見た空つれづれ日録の題字

2002年10月後半

10月前半  表紙  スケジュール  月間ギャラリー日程
11月前半

 10月31日(木)
 山田吉泰彫刻展ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル)
 「風のかたらい」と題した作品が目を引きました。
 彫刻で風をモティーフにするなんて、なかなかおもしろいとおもいます。
 なかば擬人化されたふたつの風が、向かい合って、なにやら話し合っているようにも見えます。
 古来彫刻の題材になってきたのはほとんど人間と動物であって、絵画のように、風景とか静物はまず彫刻の対象たりえません。
 どうしてなんだろう、とかんがえてみると、人間や動物は勝手にうごきまわります。ひとときもじっとしていない。ところが、彫刻というのは、そのじっとしていない相手の一瞬間をとらえて固定させるのです。
 風景や静物はうごきません。とくに、静物の彫刻なんて、つくってもさして意味がない。シクラメンの彫刻をつくる人はいませんね。そりゃ、実物の鉢植えを持ってくれば済むからです。自動車の彫刻というのもない。自動車は、かってにうごきまわりませんし、うごく際も、人間や動物のようにかたちを変えながらうごくわけではありません。もちろん「持ち歩きたい」「部屋に飾りたい」という欲求は当然あるので、置物やミニチュアにはなりますが、実物大の自動車のブロンズ像を飾るくらいだったら、実物の自動車を持ってきたほうが気がきいています。
 ところが、風というのは、人間や動物とおなじく、かたちを変えながらうごくんですねえ。
 いや、止まっている風、というのは、ありえませんし、その上、風は絶対に目に見えません。だから、ある程度は抽象的に処理するしかない。
 目に見えるかたちにしてやろうと、彫刻家の意欲をこれほどそそる題材も、めったにないかもしれません。
 題材えらびのことばかり書きましたが、造形もスマートでみごとです。目に見えない風なのに
「うん、これは風だ」
とおもわず納得してしまう、すらりとしたフォルムです。
 しかも、じっさいのモティーフは、マッスはほとんどゼロなのに、この作品ではしっかりと、軽すぎず重過ぎないマッスを感じさせるのがおもしろい。
 ほかに「ふたり」「かたらい」といった、この「風のかたらい」に通じる小品がならんでいます。
 いずれも抽象的なかたちがふたつならんでいるものですが、しげしげと見ていると、人間以外のものにしか見えないのがふしぎなところです。
 また、1999年の大同ギャラリーでの個展で発表した、段ボールに着彩してつくるという小品や、昨年の「北海道立体造形展」(道立近代美術館)での「記憶の標」に通じるレリーフ的な作品も、展示されています。後者は、よく見ると、磔刑のイエス像のようなかたちが見え、宗教的な雰囲気をただよわせています。
 山田さんは札幌在住、道展会員。
 11月3日まで。 

 小林麻美個展=テンポラリースペース(中央区北4西27)
 昨年の二人展のときにはインスタレーション的な作品でしたが、今回はシンプルに、油彩とドローイングによる個展です。
 「母に捧げるリューカデンドロン」という題で、モティーフはアフリカ原産の花だそうです。
 中央部に毛がはえているなど、どちらかというと気色の悪い花とのことですが、展示されているのを見ると、一輪の花を巨大に、わりとラフなタッチで、しかし熱心に描いているということのほうが、なんだかふしぎな感じがしました。
 自作の絵本やドローイング集もありました。
 31日かぎりで終了。

 のこりは来月にまわします。ご容赦を。


 10月30日(水)
 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)の展覧会から、ふたつ(のこりは後日。すんません)。

 藤野千鶴子展
 宇宙のひろがりを感じさせる藤野さんの絵画。
 それも、いわゆる宇宙的なモティーフを描いてそう感じさせるのではなくて、もっと次元の異なる宇宙、あるいは、人間の心の奥の宇宙。そんな感じさえします。
 「美術の窓」の最新号に
「藤野さんの抽象画ならお年よりも子供も楽しめるのではないか」
という意味のことが書いてあったけど、たしかにそうだとおもいます藤野千鶴子「宙−天使たちのイーヴァム」
 子供の落書きよりも奔放に、伸びやかに走りまわる線。
 色彩は、ふかみがあるだけではなく、さまざまな色がかさなりあって、海や宇宙をのぞきこんでいるような重層的な画面をつくりだしています。。
 昨年あたりから、それまでの白、赤、黄色を中心とした構成にかえて、青や紺といった寒色系が中心になってきました。
 でも、どこかに暖色の部分を残しているせいもあって、さほどつめたさはかんじられません。
 今回は、大作5点に、すべて「天使たちのイーヴァム」という題がついています。「イーヴァム」というのは、(天使にとっての)時間と空間、というくらいの意味だそうです。
 右の写真も、その1点です。
 色の変化のほかに、これまでにくらべ、「地」の部分がすくなくなって「図」が全体を埋め尽くしている作品が多くなってきました。一般的には、画面をうるさくさせることが少なくないのですが、不思議と全体的には安定しています。
 「やっぱり絵は色ね。絵の具を重ねて、ふき取ることでいい色が出せるということが今回分かったの」
と話す藤野さん。「イーヴァム」5点を経て、青系のいい色が出せるようになってきた、といいます。その成果藤野千鶴子展の会場風景は、比較的小さな「天使によるラ・カンパネラ」などに現れています。
 小さな写真の右側の絵がそれです。
 写真では、やはり下の層の薔薇色などが見えませんが、それでも、グラスのような深い群青色の美は感じ取れると思います。
 ほかにも「奇跡のリスト」のような題の作品があり、藤野さん今回は、リストのピアノ曲を聴きながら描いたのかしらん。
 また小品では、観音開きの扉の付いたユニークな額縁に描いたものがありました。
 札幌在住。

 西田靖郎個展
 西田さんのアクリル画も、宇宙のひろがりを感じさせますが、細密な具象画なので、暗い空とか大きな星といったモティーフがみてとれます。しかし、よくあるSFふうのイラストとはひとあじ違う、西田さんなりの独自の幻想的な世界を、みごとに築き上げていると思います。
 必ずといっていいほど登場する禿頭の人物は、西田さんの職業が僧侶ということに関係しているのでしょうか(ただし西田さんご自身は頭をそっていません)。
 筆者は、西田さんの絵を見るといつも、西域を連想させます。地上に砂あらしが舞い、廃虚のような石が転がっているためかもしれません。あるいは、僧侶のような人物が、仏教の伝来してきた土地を連想させるせいなのかもしれません。でも、それだけではなくて、宮澤賢治ら多くの日本人があこがれてきた「ひとつの幻想世界としての西域」に共通するなにかが、絵の中にたゆたっているような気がしてならないのです。

 きょうはちょっとうかがっただけですが、技法の上でも相当いろいろなくふうをされているようでした。
西田靖郎「Eclipse」 たとえば、多くの作品に見られる、中空に浮かぶ巨大な星ですが、支持体の上に水を円形に塗り、その上から金箔をまくのだそうです。表面張力の力で金箔は円形にひろがっていき、このようなふしぎな描法になるのだということでした。
 この写真では、とうてい丸い星の姿まではとらえられていません。
 もうひとつの特徴といえば、自作の丸い“キャンバス”でしょう。これは、板に切れ込みを入れて半円形にしたものをつなげ、その上から丸いベニヤ板と布を張ってこしらえるのだそうです。
 上の「Eclipse」でも、丸いキャンバスをふたつ、ちょうつがいのついた枠の中にならべています。このあたりは、知人の建具屋さんや表具屋さんの協力を得ているということで、仕上がりがなかなかスムーズです。
 出品作は
「Eclipse」(同題が4点)
「Eclipse 挽歌」(同題が2点)
「tree」
「tree 時の琴弦」(同題が2点)
「たまゆら」
「ほおずき」
「古歌」
「ねがひごと」
「12月の暦」
「南瓜」(同題が2点)
 「たまゆら」などは小さな絵を3点セットにして額装した小品。ほかに、時計をくみあわせた小品が2点あるのもユニーク。
 檜山管内熊石町在住。   

 ふたりとも、美術文化協会と新道展の会員です。
 11月2日まで。


 10月29日(火)
 あられが激しく屋根をたたく一日。
 体調不良につきギャラリー巡りはなし。


 10月28日(月)
 さいきん「あすでおしまい」という展覧会の話が多くて、すいませんです。
 きょうも、あす29日で終了の、意欲的な二つの陶芸展について(順不同)。

 ひとつは、もみじ窯 香西信行作陶展アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル6階)
 香西信行作陶展香西さんは札幌市内の陶芸家ですが、空知管内栗山町に穴窯を持っていて、今回の作品は、そこでじつに10日間かけて焼いた壷や茶器がメーンです。
 さすがに10日間も炎にさらされただけに、壷の表面は、灰が積もっては溶け−の繰り返しで、おそろしく複雑な景色がうまれています。写真手前の「自然釉窯変大壷」で、わずかに見える茶色は、備前などの焼き締めの色とおなじものですが、さらに白っぽい色や灰色、ガラス質の青緑などが、微妙な配色で表面を幾重にも覆い、あるものは流れ落ちています。
 この迫力は、自然釉ならではのものでしょう。
 窯の中で、どの位置に置くかで、灰のかぶり方もちがうようで、「窯変天目茶入れ」などはいささか洗練された味わいですが、やはり景色を見ていると飽きません。水差しなどもダイナミックです。
 「大きな壷にしろ、茶入れにしろ、10日間の間に、薪にぶつかって壊れたり、ひびが入ったりして、3つか4つのうち1つしか生き残りません。でも、じぶんのやりたいことに近づいているように思います」
と香西さん。
 生活のうつわもたくさんあり、粉引きや萩手など、瀟洒な皿や食器もあります。
 北海道陶芸会の副会長なので、5日からスカイホールで開かれる同会にも出品するでしょう、たぶん。

 もうひとつは、尾形香三夫陶芸展=大同ギャラリー(北3西3、大同生命ビル3階)。
尾形香三夫「練上皿ふたつの世界」 「オプ・アート」を思わせる精緻かつ華麗な練上げ技法にますます磨きのかかってきた尾形さん。
 今回は、いままでの青と灰色を基調にした器や陶板、表面に裂け目のある壷などにくわえ、「ふたつの世界」と題した皿がとりわけ目を引きました。
 あえて有彩色をもちいずに、墨絵のような灰色の階調だけで表現しています。
 なんと、13種類もの粘土を薄く重ねているのですから、その精密さにはあらためておどろかされます。
 「練上げ」というものを見たことのない人は、とりあえず個展を見てほしいんですけど、きょうはいそがしい人のために特別サービスで、部分拡大写真もつけちゃいます。
 ところで、どうして「ふたつの世界」なのでしょう。
 こ練上げ皿の左下部分の拡大写真の写真で、左右にある、紅葉を伸ばしたような同一のかたちは、じつはおなじ色の粘土をつかっているのです。
 周囲の色が暗い左側はあかるく、右側は逆に暗く見えますよね。目の錯覚です。
 「隣り合った国も、ぜんぜん違うように見えてじつはおなじだったりとか、いろいろものの見方ってありますよね」
 なるほど。そういわれると、さまざまな連想が浮かんでくる作品でもあります。
 尾形さんは、石狩管内新篠津村に「混沌窯」をひらいています。 ご本人のHPはこちら

 季刊美術批評誌「てんぴょう」13号が出ました。
 筆者は、この3年間のまとめというつまらない文章をものしています。
 ここで、椹木野衣さんにチャランケ(アイヌ語で文句、くらいの意味)をつけていますが、この問題については、筆者の完敗であることはこちらに記したとおりです。
 お近くの書店でお求めください。

 「アートな本棚」に海野弘「パトロン物語」を追加しました。


 10月27日(日)
 休み。
 11月のギャラリースケジュールを新設しました。


 10月26日(土)
 27日で終了する展覧会をいくつか見てきました。

 森と水の国写真展=コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階)
 梅沢俊さんによる前田一歩園の写真と、岡田操さんが撮影した道内の湿原の空中写真とからなる展覧会。
 財団法人前田一歩園は、阿寒湖周辺に広大な所有地(3892ヘクタール)をもち、一部は阿寒湖畔の温泉街などもふくまれますが、その大半が森林です。
 ただ、梅沢さんのあいさつ文にもありましたが、じつは前田一歩園というと原生林というイメージがあるのですが、木を伐採したところもあちこちにあって、そういう土地にはあらためて針葉樹を植え、針葉樹と広葉樹の混合林にすべく施業(せぎょう=森林に手を入れること)をしているのです。
 梅沢さんの写真は、清流や高山植物などをうつくしくとらえています。「盗掘がないのでたくさん咲いています」といったキャプションには、複雑な気持ちにさせられます。

 岡田さんの写真は、なにせ筆者は湿原が大好きで、国土地理院の地図で- - -という湿原のマークを見るとうっとりするタイプなので、すごくたのしかったです。
 そして、北海道にはまだまだ日本ばなれした、ダイナミックな自然がたくさんのこされていることも知って、うれしくなりました。
 「風連湖・ヤウシュベツ川」など、とても自然がつくったものとはおもえないほど、奇怪なかたちの自然堤防やいりくんだ湖岸線にみちています。
 野付半島や、尾岱沼(根室市)など、エゾシカの踏み分け道と水草のつくる光景は、人間の手の届かない奇観というべきでしょう。
 これらの自然を、たいせつにしていきたいとおもいました。

 酒井浩慶展=ギャラリーミヤシタ(南5西20)
 前回の個展は小品ばかりで「工芸的だなー」という印象が正直言ってあったのですが、今回は、大きな木彫がいくつかあって、なかなかよかったです。フォルムに迷いもないし。
 「半年とか一年とかのスパンで、やってる仕事が、吹っ切れるというか突き抜けるというか、そんな瞬間があるんですよね。まさにそういうときにした仕事がありました」
 柱から、象の鼻のように曲がった棒が出ている木彫などが、その仕事のひとつです。
 素材はスギ。道内では、ほとんど使っている人はいないでしょう。

 札幌市資料館(大通西13)の展覧会は、美術作品の出来うんぬんよりは、やっている人が楽しそうな展覧会ばかりで、見ているとホッとします。
 第22回ぐるーぷ真駒内展は、油彩11点、水彩16点。奥田房子さん「風見鳥のある家」は、真横にすばやく走る筆のタッチがユニークでした。
 風景人物スケッチ展&スケッチ教室生徒展は、こないだまで道新の札幌市内版「まちかど探検」に挿絵を描いていた人と、その生徒さんの作品展。ペンの、肥痩のない線と、明度の高い着彩が特徴。
 ぐるーぷ・マルメロ展の会場には、ほんとにマルメロが置いてあっていいにおいがしました。
 平澤由美子 第二回「輪」と「和」のキルト展−北の大地に憧れて-は、米国やオーストラリアでも展覧会の経験のある平澤さんのパッチワークキルト展。統一感ある色彩と基本に忠実な型が、とてもよかったです。古い着物など、「日本」を意識した作品もありました。 

 しかしなあ…
 犯人50人、人質90人死亡だって。ロシア政府って野蛮だなあ。
 そこまでしてチェチェンに独立させたくないか。


 10月25日(金)
 水彩連盟作家展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 全国規模の公募展「水彩連盟」の、一昨年につづき2度目の北海道巡回展だそうです。
 委員の井口通太郎さん(千葉県)、猪瀬文子さん(東京)、柴田俊さん(静岡県)、会員の小笠原緑水彩連盟展の会場風景さん(東京)、大原裕行さん(千葉市)、川口邦子さん(横浜)の6人が出品しています。
 以前にもどこかで書いた記憶があるのですが、道内での水彩作品にくらべ、マチエールが堅牢で、ちょっと見ただけでは油彩のような感じの作品が多いです。支持体が紙ではなく、キャンバスなどであることも一因でしょう。
 作風も多彩です。
 大原さんの抽象作品は、薄く薄く色を塗っています。題は「野の朝」「田の朝」。微妙な空気感だけをうつしとったようなたたずまいがあります。
 「ふき取るのが大変でした」
と話してらっしゃいました。
 小笠原さんは「水音をきく」シリーズを3作。絵の具が流れ落ちるさまが、荒々しくも壮快です。
 川口さんは「シュワーシュワー」「人の情景」「ジャボーン」など、とぼけたユーモアの感じられる人物画。
 猪瀬さんは「作品」とだけ題して、白い地に、濃淡さまざまな灰色のみじかい帯をぽつんぽつんと配してます。簡素な抽象画。
 井口さんは「沈黙の仮面」シリーズの3作。黒い影が、現代人の不安を反映している水彩連盟展の会場かのようにもとれます。
 柴田さんは、唯一モティーフのはっきりした具象画。「迷宮の街(ヨルダン)」はにぎやかで、空の青がまばゆいですが、「そして人々はだれもいなくなった」は、一転して廃虚のような街並みを、モノクロームに近い色調で描いています。

 中谷有逸展=同
 <版>概念の拡張に、意欲的に取り組んできた帯広の版画中谷有逸「大地の神シリーズ」の1点家(道展会員)。まいとし札幌で個展を開いているのですが、いま昨年の「つれづれ日録」を見たら、仕事がいそがしくて見にいけなかったんですね。失礼いたしました。
 1年見ないうちに、具象的なイメージが復活しているのが、印象に残りました。
 で、昨年に引き続いて、作品はすべて「大地の神シリーズ」と銘打っています。
 リベットのような鋲が表面に連なっているのでついつい鉄板を張り合わせたものとだまされてしまいましたが、支持体の鉄板などの上に、型を抜いたビニールを乗せ、そこから、鉄粉やアルミ粉をといた絵の具を塗る、というか、流し込んで、絵を描いています。だから、シルクスクリーンに似た“版画”ということになるんだそうです。
 ううむ、一種の金属絵画とでもいえるでしょうか。
 左の写真は、シリーズのうちの1点で、鳥を慈しむ人と撃つ人を対照させています。
 やはり、昨年の米国の同時中枢テロが、中谷さんの脳裏のどこかにあったようです。
 生命の大切さ、とことばにすると陳腐ですが、中谷さんはすごくシンプルで、しかも時間の重みのような感じを漂わせるマチエールで、たいせつなものを表現しているのだと思います。
 ほかに、繊維を薬品に浸してアルミ板に模様をつけた作品もあり、中谷さんの実験はまだまだつづきます。

 つづいて書道。
 札幌墨象会12人の書展=ギャラリーノルテ(北1西6、損保ジャパン札幌ビル3階)
 先週の札幌墨象会展につづく展覧会。あまり名前を聞かない人がおおいけど、若手中心なんでしょうか。
 先週にくらべると、筆者の「墨象」のイメージに近い、極太の筆で黒々と…という作品が多いようです。
 坂口末子さん「陽」なんて、紙の9割以上が真っ黒です。
 その中で、佐藤放心さんの「磊」などの作品はサイズも小さめで、墨色もちょっと薄めの、気負いのないものが多いようです。
 墨色といえば、牧蕗涛さん「堂」なども、にかわかなにかをまぜているんでしょうか。筆の筋筋のあいだに気泡がたくさん出来ていて、ふしぎな世界をつくっています。
 長嶋幸子さん「風」は、極太の筆をつかっていますが、淡墨のせいか、どこか茫漠とした感じが面白いとおもいました。
 ほかに、雨宮百合子、石川時子、太田青坡、川本和子、五條覚尭、佐々木真哉、竹本克子、寺島春代の各氏が出品しています。

 以上26日まで。

 第四十回記念むつはな心墨会書展スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)
 代表の大井秋聲さんが亡くなられていたのですね。若山牧水の短歌を書いた巻紙が展示されていました。筆者は、かなになると、どうも形容する言葉がみつからなくてこまることが多いのですが、この巻紙のちらしは、絶品のように感じられました。合掌。
 漢字、かな、近代詩文、墨象とバラエティーに富んでいます。
 杉山歌子さん「踊の手ひらひら進み風の盆」は、ほんとにひらひらした雰囲気があり、たのしい書です。
 賛助作品として、中野北溟さんの小品が掛かっていましたが、ますます枯淡の境地というおもむきで、両隣の作品が元気なだけに、なんだかちょっと心配であります。
 27日まで。

 第七回 心臨会書展アートスペース201(南2西1、山口中央ビル)
 三橋啓舟さん(札幌)の主宰するグループ。
 三橋さんの作風の反映なのか、パワフルな小字数書と、ひょろひょろした味わいの漢字が目立ちました。
 そのなかで、木村寛子さん「独成」には古びた味わいがあり、梶野松琴さん「壟畔」はダイナミックでした。奥村蘭舟さん「煙」は、火へんの処理がユニークにおもいました。
 22日で終了しています。

 あー、つかれた。きょうは15段の面を組みました。


 10月24日(木)
 DETO AKIYO Photo exhibition -kamakura- =TOM'S CAFÈ(北区北6西2パセオ地下)
 札幌の画家・碓井良平さんたちと抽象画のグループ展を展開してきた出戸明代さんが、今回は写真展をひらいています。
 額のわりには、サイズのちいさな(たぶんサービス判)モノクロ写真ばかり。1点だけ、レーザープリンタで出力したとおぼしき、使われていない門を写した大きな写真が展示されていました。
 ふすまを外した和室、柳のある廃園、銭湯(?)の煙突など、どこかなつかしい、無人の風景ばかり。なかでも、影の部分の多い、木造家屋のはめ板の写真には、筆者自身そういう古い家に住んでいたことがあるので、ひどく郷愁をさそわれました。
 ただ、作者は、ただ古いものを提示するのだけが目的ではなく、曲がりくねった木の写真もあることから判断されるように、シンプルな線のうつくしさを出したいというねらいもあったのではないかと推察されます。写真のサイズが小さいのも、あまり細部ばかり見ないで、大づかみで構図をとらえてほしいという思いなのかもしれません。
 24日で終了。

 タナカサトエ展=this is gallery(中央区南3東1)
 抽象画。ただし、平面ではなく、三角錐を壁掛けにしたかたちにえがかれています。
 透視図法で表された立方体の、中央がすこし高くなったかたちです。ピラミッドを、底部を壁につけたかたちといえばいいのでしょうか。
 絵は、ホルスタインのような模様をカラフルにしたようなものです。
 十勝在住。東京や仙台では個展の経験がありますが、道内はこれがはじめてとのことです。
 26日まで。

 朝日、読売などによりますと、日本画家で院展同人の荘司福さんが亡くなりました。92歳でした。

 木田金次郎美術館から同館のニュース「群暉(くき)」を頂戴しました。ありがとうございます。
 「美術館日誌」のところになぜか筆者の名前も出ています。てれくさいです。


 10月23日(水)
 きのうは更新をサボってしまいました。
 すいません。 

 まず絵画から。
 櫻井マチ子個展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 2月のカフェ・エルエテ・デ・ミュゼ(中央区南1西24の1の11リードビル2階)での個展あたりから、めっきり“熱帯動植物園路線”になったマチ子さん。
 今回の個展では、「very very」と題した大作3点(うち1点は、新道展で展示されたもの)を中心に、油彩を展示しています(写真はその1点)。
 いやー、これまでマチ子さんの絵って、ことばにしづらかったからなー。仏教的というか、インドっぽいというか、幻想的っていうか…。その点、こんどの新機軸の絵は、文章にする櫻井マチ子「very very」

 トカゲやフラミンゴなど南方の動物と植物をデフォルメし、滑らかな曲線と、鮮やかな色彩で描いたもの

って書いとけば、だいたいのところはまちがってないからなー。まあ、でも、何にも言ったことになってないのは以前とおんなじなんだけど。
 それで、どうしてこういう絵になったんですか。
 「植物がすきになったのよ。ほら」
 会場にちいさな観葉植物の鉢植えをいくつも持ち込んでいます。
 「やっぱ、花ってエロティックよねえ」
 これまでの絵より、奔放に描かれているような印象もありますが、じつは構図は完璧に計算ずく。黄金分割などを意識しているとのことです。
 また、色彩のうつくしさ、鮮烈さも、この写真ではとうてい表現できていません。ちっとも濁りがなくあざやかなのに、生っぽさがないのは、薄塗りをかなり地道に繰り返しているものとおもわれます。そうでなければ、マンゴーの果実をおもわせるきらきらした黄色などとうてい出せないでしょう。
 新道展会員、札幌在住。 

 NOUS油彩展=同
 上野仁奥絵画教室の4回目の展覧会。
 長谷川直子さん「おいらん渕」。堅牢なマチエールに好感をもちました。 

 第67回 衆樹会秋展=同
 絵画愛好者のサークルで、年2回展覧会を開いてます。
 佐久間伸さん「悠久なる自然(漁岳)」「悠久なる自然(恵庭岳)」。細密な描写と抑えた色調が目を引きます。
 菅野寅吉さん「廃船A」。よくある題名ですが、廃船そのものがモティーフではなく、中の電気系統を画題にしているのがおもしろい。
 下田敏泰さん「早春の漁川」。下田さん得意の渓流風景です。以前より、色彩の隠し味が増えたようにおもいます。
 ほかに、安味真理、沖本慎介、堤博子、時川旬子、藤田敏次、松本美智子、村元惇、渡辺学の各氏が出品しています。 

 第15回彩友会油絵展=同
 厚生年金会館文化教室のグループ展。講師は道展会員の山本勇一さん。
 なぜかヴェネツィアの風景画が多い。みんなで行ったのかなあ。いいなあ。
 市川真紀さん「カフェ」が、薔薇色の多用で、個性的な仕上がりになっています。
 以上、26日まで。
 A・B室は後日。

 吉井光子展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 絵の具や静物などを配した、いわゆる構成画。
 やさしい色調と、おちついた構図で、だれにでもすかれそうな、あたたかみのある油彩です。
 筆者は「長い道」という絵が気に入りました。大きな時計盤は、きっと悠久の時の流れに、画家がみずからの来し方をかさねあわせているのだとおもいます。
 朱葉会会員。札幌在住。

 岩本勝美水彩画展=同
 写実的なタッチの建物や山岳風景。
 前者はなかなかリアルで、後者はペンによる輪郭を多用したすばやい筆致です。
 江別在住。
 27日まで。

 菅原由香個展=テンポラリースペース(北4西27)
 これは現代美術になるのかしらん。若手のようです。
 会場にはいって見た瞬間
「おーっ、日本的だのう」
とおもいました。狩野派の花鳥画みたいのが2点壁に貼られ、会場中央には、絵の描かれた傘が置かれています。
 でも、壁の作品をよーく見ると、ボタンの花のような絵は、写真をカラーコピーしたような(あるいはごく写実的な洋画)陰翳のあるリアルな図柄で、その上から薄い紙のようなものをかぶせ、背景に雲みたいのを描いて、日本画みたいに仕上げているのです。
 ちょっとした細工で、表象の性質が一変してしまう不思議さを感じさせる展覧です。

 つぎは陶芸。
 佐藤ケイタ陶芸展=器のギャラリー中森(同)
 個性的なうつわがならびます。四角の皿や珈琲茶碗など、どれも手びねりで、どっしりとした厚みを持っています。ほとんど無釉ですが、いわゆる定型化した備前とはちがったダイナミックさにあふれています。
 なんと、野幌の土で焼いたとのこと。近年でこそ道内の土にとりくむ陶芸家はふえてきましたが、ハナからあきらめている人も多いだけに、たのもしくおもいます。
テンポラリーカフェでコーヒーをいれるけんちゃん でも、こういう皿だと、インスタント料理なんかを載せると、うつわのほうから叱られそうだな。
 31日まで。 

 ところで、器のギャラリー中森の1階「中森花器店」が改装し、ちいさな喫茶スペース「temporary cafè」がオープンしました。
 夕方には、現代美術作家のけんちゃんこと谷口顕一郎さんがいて、おいしい珈琲をいれてくれます(400円)。
 花器店のとなりにあり、現代美術の発表が多い「テンポラリースペース」と、花器店2階でクラフト中心の「器のギャラリー」を有機的にむすびつける場にしたい−と、オーナーの中森さん。
 「ピアノも入れたし、ちょっとしたライブなんかもやっていきます。たまり場になれば」
と意欲的です。
 さっそく、菅原由香さんと、ひきつづき26日から個展を開く小林麻美さんのパーティーが、25日午後6時からここでひらかれます。
 けんちゃんによると
「ふたりの作品を同時に見られる唯一の機会」
だそうです。
 ちなみに、写真の手前にあるメニュー帖は、かつてテンポラリースペースで個展を開いたインドネシアの現代美術作家メラ・ジャスルマさんが置いていった帳面を活用したものです。 

 釧里窯 高橋義信作陶展スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)
 タンチョウがトレードマークの、釧路の陶芸家。
 ことしは大きい花器や壷がすくなく、また緑の釉薬で大胆に絵付けした作品もあまりなくて、おちついたデザインの、日常のうつわが中心です。
 どうしてもタンチョウの絵に目がいってしまいますが、自然釉による景色のうつろいのうつくしさも見どころです。
 27日まで。

 青木紀子作陶展アートスペース201(南2西1、山口中央ビル6階)
 十勝管内本別町で「順心窯」をひらいている陶芸家。
 ほとんどうつわです。水色がさわやかで、貫入の表情もおもしろいです。
 会場には、風景写真も展示してあったのがめずらしい。
 22日かぎりで終了しました。おくれてすいません。 

 書道展もいくつか見たんですが、また日を改めて…。


 10月21日(月)
 休み。16時間も寝てしまった。

 坂巻正美さんからメールがあり、9−10月にギャラリー門馬のオープニング企画として開かれた「Northren elements」の作品タイトルが違っているとの事で、訂正しておきました。
 またヤナイは、おっちょこちょいだから間違ったんだろう、とおもわれそうですが、今回はめずらしく、作品に添えられたパネルが誤植になっていたようです。

 秋から初冬にかけて、道内で、北海道ゆかりの美術家の回顧展がひらかれています。
 道立館では、帯広は寺島春雄展、釧路は赤穴(あかな)宏展、旭川は因藤壽展。
 ちかく、芸術の森美術館では亀山良雄展が、北見の北網圏文化センターでは神田一明・岸本裕躬展が開催されます。
 さらに、道新によると、函館では今週、近堂隆志展が棒二森屋で、宮西詔路展が丸井今井で開かれるそうです。函館の美術家は、なかなか札幌で個展を開いてくれないので、ほんとは見に行きたいのですが、むりだろうなあ。


 10月20日(日)
 第1030回市民劇場 奏でる音と立体の響き札幌芸術の森・アートホール(南区芸術の森2)
 ピアニスト明楽(あけら)みゆきさん、オーボエ・岩崎弘昌さん(札響首席奏者)、美術作家・中橋修さんによるコラボレーション。
 まあ、てっとりばやく言うと、中橋さんの立体がたくさん置いてある会場で、ふたりが演奏するというもので、いっぷう変わったクラシック音楽(といっても曲目は今世紀が中心)のコンサートという感じであります。
 中橋さんの立体は、これまでに発表した黒っぽい球体などにくわえ、ちいさな方形の穴がたくさん空いた大きなオレンジの箱型とか、白い直方体とか、青の三角屋根型とか、かなりたくさんありました。
 とくにおもしろくおもったのは、ピアノの周りの床に大小の白い円がちらばっており、床の上に直接置いてあると思ってたら、強い照明があたると、影がきのこ型になるんですね。四角形のちいさな台の上に置いてあるということがわかりました。中橋さんの作品は、影もその作品の一環だということができるでしょう。
 ほかにも、客席の後ろに、さりげなくドアのような立体が置いてあったり、まずはアートホールという円形の会場を、考えて使っていたようにおもいます。

 演奏のほうは、道路の渋滞のため、前半の2曲を聞き逃していることもあって、あまり大したことはいえません。サンサーンスとプーランク以外は知らない人ばっかだし(不勉強ですいません)。ただ、S・パルムグレンというフィンランド生まれのピアニストによる「=3つの夜想的情景=より『星はまたたく』」という曲はきれいでした。
 アンコールでは、バッハの「アヴェ・マリア」を演奏しました。前半はピアノ独奏で、アルペジオの前半をスラーで、後半をスタッカートとまではいわないけどはっきり弾いてたのにたいし、オーボエが主メロディーを吹きはじめると、アルペジオをなめらかにひいてたのがおもしろかったです。

 でも、美術の業界から見ると、クラシック音楽の業界ってかわってますよね。とても21世紀とは思えない服装で出てくるし、ちらしなどにやたらと気取った顔写真を載せるのはなぜなんでしょう。
 ピアノとオーボエが合奏する曲でも、オーボエの奏者はピアノに背を向けて、楽譜を見ながら演奏してるんです。ほかのジャンルの音楽ではありえないのではないでしょうか。

 芸術の森の紅葉はきれいでしたよー。

 吉田一雄展=パークギャラリー(中央区南10西3、パークホテル)
 旭川在住の画家。サムホールくらいの作品が多く、ぜんぶで50点くらいはあったみたい。
 濃い色の下地に、白っぽい色を薄く塗り、引っかいて線を描いた、抽象に近い作品が多いです。
 21日まで。


 10月19日(土)
 白鳥信之展=大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
 あいかわらず寡作の白鳥さん。でも、絵の前に立つと、まあそんなことはどうでもいいや、という気になってきます。
 白鳥さんの油絵がリアルに見える秘密のひとつは、おそろしく丁寧な斜線にあるのではないかとおもいました。
 ギュスターブ・ドレの銅版画などが、明暗を、こまかい線の稠密で表現していますよね。あれと共通するものがあります。あごの下など、人物の陰になっている部分は、濃い色をただ塗るのではなく、すこしくらい色のごく細い線を丹念にひいて表現しているのです。その線の方向が、同一の陰の部分では一定のため、画面にしっかりしたリズムをうんでいるのだとおもいます。
 上のフロアには、リンゴを描いた絵が30枚あまり陳列され、これが今回の個展の“新機軸”といえます。
 毎年秋になると何枚か、リンゴを描くのだそうです(ただし、夏みかんの絵が1点)。リンゴ、というと、セザンヌをおもいだしますが、あちらが構図の、いわば方便としてリンゴをいろんなところに配置していたのに対し、白鳥さんの絵の、とくに小品は、どれもリンゴが1個だけ、写実的に描かれています。
 一部には、キャンバスの代わりに、日本画用の和紙を支持体にした絵もあるとのこと。
 「それでも、10年前ならもっと写実的に、リンゴだけを描いていた。いまはそれを取り巻く空気も描きたい」
 女性を描いた新作「六月の風」や、谷あいの集落を2枚のキャンバスに描いた新作(無題)は、そのことばを裏付けるように、空気感をたいせつにしているようです。
 後者は、後志管内喜茂別町の双葉地区がモティーフとのことですが、近景の畑は、白鳥さんの絵としてはこれまでにないほど、ラフに描写されています。緑の海のなかに、白の塊がさっさっと置かれ、ジャガイモの花だと推察されるのですが、あからさまには図示されません。
 「すみずみまでぜんぶをリアルに描いてたらうるさいから。この絵も、田舎の空虚な、というか、静かな感じをだしたかった」
 ある特定の場所を描いた、というよりも、普遍的な風景を絵にしているような印象を受けます。それは、白鳥さんのどの絵にもある程度通じる特質なのでしょう。人物が、とてもリアルでありながら、しかし人間の本質みたいなものを抽出しているように見えるのも同様です(ちょっとほめすぎかな?、でもいい個展でした)。
 札幌在住。
 22日まで。 

 それにしても、日に日にさむくなりますね。


 10月18日(金) 

 きのうのつづき。

 札幌墨象会展=ギャラリーノルテ(中央区北1西6、損保ジャパンビル3階)
 墨象、というと、太い筆に墨をどさっとつけてどどーんとジャガイモみたいなかたちを書いた作品というイメージが筆者にはどうしてもありますが、この展覧会は、わりあいいろいろなタイプの作品がありました(もちろん、太田青坡さん「基」のようなパワフルな作品もありましたが)。わりあい小品が多かったのも、楽に見ることのできた原因かもしれません。
 たとえば、五條覚尭さん「水」などは、造形はおろそかにしていないのはもちろんですが、ライトな感覚がたしかにあります。また、三上雅倫さん「心」は、金文に通じるシンプルさが魅力です。
 三上山骨さん「宙」。上方に、一気に引いた横一文字の大胆さ。にもかかわらず、逆三角形の構図は、安定感があります。
 東志青邨さん「爵」は、文字のかすれ具合がおもしろい。
 高谷義仁さん「物」は、なにやら高僧の書いた丸に似た禅味があります。
 いろんな仕事をこなす安藤小芳さん「秋収冬蔵」。この人にはめずらしく、まとめることを放棄してしまったような、ラフな作品でした。
 代表の島田青丘さん「前」は、肚のすわった文字でした。
 19日まで。

 馬場怜書展スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)
 さて、墨象というと、道内では欠かせない存在なのが、後志管内余市町在住の馬場さんです。
 作品はすべて一文字。
 泉 因 鬼 風 玄 心 此(2つ) 信 辿(2つ) 月(3つ) 〓(三に縦棒) 回
です。
 いちばんおどろいたのは「玄」。まるで、岩山の上の噴水から水がふきでている絵のような作品です。あるいは宇宙樹をおもわせる堂々とした結構です。紙のおおきさを超越したスケール感をただよわせます。
 ふたつの「月」もよかった。右の月は、墨の飛沫が、光のシャワーのよう。左の月は、やわらかい光を宿しているように見えます。
 前衛を突き詰めると、書はどこかで、その初発である象形文字の近傍へと帰っていくような気がします。
 馬場さんは1925年生まれ。お年を感じさせない、元気いっぱいの書風でありました。
 20日まで。

 結成30周年記念 第十一回 點の会書展ギャラリー大通美術館(大通西5、大五ビル)
 島田無響さん(札幌)率いるグループですが、まさに多士済々、書風もバラエティーに富んでおり、見ていてまったく飽きません。
 一部にかな、近代詩文もありますが、大半は漢字の創作。書風はばらばらです。
 ただし、全身全霊をそそいだという“いかにも”的な力作はすくなく、どこかで肩の力をふっとぬいて、かるみをたたえたような作品がけっこう多いのが、この会の特徴といえるかもしれません。
 たとえば、松永律子さん「梯航」。堂々たる運筆なのですが、こちらにのしかかってくるような重々しさはありません。強さとやわらかさとが、絶妙に拮抗しているようです。
 おなじような感覚は、三橋啓舟さん「鑿成」、中村懐玉さん「廉敬」、小沢載月さん「策杖尋雲」、大西久子さん「飛輪」といった作品にも感じました。麓抛月さん「薄如梵」あたりにあると、ふわりとしたユーモアも漂います。
 島田さんは、すっかりうまくまとめることをやめて、仙人のあそびの境地に達しているかのようです。
 20日まで。

 スカイホールでは、第19回 北海道テキスタイル協会作品展も見ましたが、なんだか前に見たときより作品サイズが小さいみたいだぞ。でも、手法、表現とも多彩な作品があつまっています。
 どうしても平塚香恵美さん「水に流せない事」が目に入る。手漉きの紙を用いているのですが、その紙に「9月11日」と印刷された新聞紙の切れ端がまじっているのです。
 原田せい子さん「氷点B&W」は、ガラス片を規則的にいくつも並べて編みこんだような作品。
 澤口弘子さん「風のささやき」は、壁掛け作品ですが、あたたかそうなストールにもなります。
 20日まで。
 このほか、版画家・渡會純价さんが講師を務めるデッサン教室のノール・デッサン展も開催中。

 古本Revolution 越澤秀個展Gallery・Cafe marble(中央区界川2の5の6)
 洋書の古本に即興的な絵を描き、4枚とか16枚をまとめてタブローにしたもの。たしかに古本なら絵を描いても惜しくない。
 描いてあるのはロボットとか、頭に果物を載せてるオヤジとか、飛行機とか、いろいろです。
 ちょっと前に流行った「ヘタウマ」イラストに通じるのん気さがあります。
 札幌出身、東京在住。

 きょうははじめて円山公園駅から市バス「旭山公園線」に乗り「界川2丁目」で下りる、というコースを取りましたが、道に迷いました。
 このバスは1時間に1本しかないうえ、毎時●●分に来る−という規則性もないため、利用しづらいことこのうえなしです。
 附近は高級住宅街。雨がしとしとと降り、日が短くなっていることも手伝って、「荒地」の詩に出てきそうな暗さです。
 やっと探り当てて店内に入り、2階のテーブルに腰を落ち着けましたが、註文をとりにくるけはいはまったくありません。よく見ると「注文はカウンターまで」という意味のことを書いたちいさな紙片がテーブルに置いてあります。
 しかし、メニューもないのに、なにをたのめばいいのでしょうか。まあ、ムリしてオーダーしなくていいよというお店の配慮なのかも。
 帰りは、旭山公園線を待っていては日が暮れてしまうので、「旭丘高校前」まであるき、ロープウェイ線に乗って円山公園駅までもどりました。

 きょうはこのほかに、三岸好太郎美術館の特別展「二人の超現実主義者−福沢一郎と三岸好太郎」を見ました。
 福沢一郎は、日本にシュルレアリスム絵画を紹介した画家で、油彩14点が陳列されています。敗戦直後の2点をのぞくといずれも、日本の画壇にデビューし三岸とも独立美術で接点のあったころの1928−31年の絵です。
 したがって、この展覧会を見ているだけでは、彼のことはよく分からないので、もうちょい勉強した後に、展覧会の紹介に書くつもりでおります。

 で、福沢一郎のことを学ぼうと、西武アートコレクション=五番舘赤れんがホール(中央区北4西3、ロフト)=を見に行きましたが、売り絵ばかりで、やっぱりよくわかりませんでした。
 シャガールがたくさんありました。版画なのに200万円とかします。
 客より係員のほうが多くて、ちょっとあずましくなかったです(方言もろだし)。
 20日まで。

 石田邦夫 くどうなおこ 2人展=札幌市資料館(大通西13)
 石田さんは、道庁赤れんがなど定番の建物の淡彩。
 くどうさんは、水彩のイラスト。なかなか手慣れています。植物を装飾的に処理していますが、かわいらしい色遣いです。
 20日まで。
 ほかに、おなじ会場の西川芋山書作展、天々展、前川恒子作陶展、グループよつ葉油絵展、コンチネンタルギャラリーのアカンサス押花の会第5回作品展、コニカプラザサッポロの「写真展2002えべつ散策」、札幌市写真ライブラリーの札幌医科大学写真展を見ました。

 ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館)のホームページが閉鎖されたようです。
 掲示板を巡っていろいろな意見があったそうですが、だったら掲示板だけやめればいいのにもったいないですね。


 10月17日(木)
 高橋英生展=石の蔵ぎゃらりぃ はやし(北区北8西1)
 ようやく1990年代以降になって急速にビル化がすすんだ札幌駅北口にあって、ふるい街並みののこる北8西1附近。この会場にははじめて行きました。
 古い蔵を改造しており、入って左手が喫茶店。右手がギャラリーになっていて、1階には、木のうつわ作家の府川晃さんの作品が常設展示されています(函館の陶芸家のうつわも何点かあったけど、名前わすれました。すいません)。

 英生さんの絵は2階に13点。うち1点が版画(たぶんシルクスクリーン)で、のこりは油彩。すべて、昨年あたりから取り組んでいる「野の華」シリーズです。
 以前も書いたかもしれませんが、一見何の変哲もない野草の絵に見えるこのシリーズ、じつは英生さんなりの実験精神がこめられているとおもいます。
 非常に写実的でありながら、じつは緑や白、赤など数少ない色の配置による抽象画にもとれる構成。
 奥行きをあえて欠いた平面的な画面づくりもそのあらわれでしょう。
 今回、あらためて感じたのは、前進色と後退色のたくみな配置による画面の奥行き感。緑の草の上に赤い花がぽつぽつと配されると、花はぐっと手前に浮き出て見えるのです。

 入口附近には、一昨年歿した富良野の画家・小野州一さんのしゃれた版画が飾ってありました。
 高橋英生さんは1933年稚内生まれ、札幌在住。近代美術協会会員。
 11月10日まで。

 矢野直美写真展「恋する鉄道」=キヤノンサロン(北7西1、SE山京ビル)
 アウトドア雑誌「BE-PAL」などに連載している札幌出身カメラマン兼ライターによる写真展。
 いやー、むかしは鉄道ファンというと、むさくるしい男性と相場がきまってたんですけどねえ。
 こんなにステキな女性が“参入”してくるようになったんですねえ。
 さすがに
「国鉄塗装のキハ42系のなんだかかんだか」
というマニアックな写真はなく、また、車輛を入れて周囲の風景をうつくしく撮った、よくある鉄道写真もそれほど多くないです。大半は、「鉄道写真」というより「鉄道と人写真」ってとこでしょうか。したしみがわいてきます。
 旅行中の女性グループ。おさないきょうだい。若い機関士など、みんなイイ表情しています。
 あと、明知鉄道、十和田鉄道、上田交通といった、民営鉄道を舞台に撮ったものが多いのが特徴といえば特徴です。
 壁には、ホンモノの乗車券にまじって、今回の個展タイトルが印字された硬券が貼ってあったけど、どうやってつくったんだろう!?
 18日まで。

 さて、きょうは書道展をたくさん見ました。
 札幌墨象会展(ギャラリーノルテ)、點の会展(ギャラリー大通美術館)、馬場怜書展(スカイホール)です。
 いずれも見ごたえがありましたが、きょうはもうおそいので、あす書くことにします。ごかんべんを。


 10月16日(水)
 畑俊明 藤本和彦 コラボレーション展ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館)
 畑さんがモノクロの写真スライドをカシャッ、カシャと壁に投影し、藤本さんはギャラリー空間の中央に何本もの角材の柱を立てる一方で、トレードマークになりつつある格子模様の紙を、写真が投影されている部分の横の壁や、床などに貼っています。そして、柱の根元では、プラントを写して白黒を反転させた巨大な写真が水の中に沈んでいます。
 たしかに、映像は藤本さんの立てた柱のせいで縦に欠落が生じ、また柱には写真の一部が写っているので、よくある絵画の二人展なんかにくらべたら「コラボレーション」であることはまちがいないでしょう。
 ただ、畑さんのスライドとかプラントの写真が、昨年の個展とほとんどおなじものを使いまわしているように見えることもあり、たんにふたりのインスタレーション的作品を会場で合体させただけという気も、正直なところいたします。このふたりの実力をもってすれば、もうちょっと意表をついた展示ができると思ったんだけどなあ。

 昨年の個展のコンセプトについて畑さんからいただいたメールを、昨年10月の日録に転載しています。
 また、一昨年から昨年にかけて芸術の森美術館で開かれた「北の創造者たち」展における、藤本さんの展示についてはこちらで
 19日まで。

 02晩秋 壺中の天を探る=さいとうギャラリー(南1西3、ラ・ガレリア5階)
 コ橋浩(室蘭焼 さびた窯)、コ橋眞知子(工房ラスパ)、平塚昌男(赤蝦夷焼 北炎陶房=日高管内様似町)、高際美映子(札幌)の4人による陶芸展です。
 なんだか、布とかつるなどと一緒に展示しているので、インスタレーションというか、ぼけっとしてると、床に置いてある皿や茶碗を割ってしまいそうです。
 さびた窯の皿は、抹茶色の釉薬のつかいかたがいかにも軽やかで、食卓を楽しくしそう。コーヒードリッパーもあります。
 赤蝦夷窯は「明るいわび、さび」がテーマだそうで、トドマツや白樺を穴窯で燃やしてできる自然釉による景色がイイ味を出しています。
 20日まで。

 札幌時計台ギャラリー(北1西3)の向かいにあるマリヤクラフトギャラリーで、北海道デザイン協議会の手になる、豆をテーマにしたカフェが、期間限定で29日まで開設されています。
 札教大の学生などによるビデオなども流され(音楽とぜんぜんあってないけど)、意表をつくおしゃれな空間に仕上がっています。珈琲200円。
 きのう行ったら、着せ替え麻衣ちゃんこと白戸さんがウエイトレスをしてました。まあ、カフェはお手の物でしょうからねえ。
 17日以降は失業者なので、だれか彼女にバイトさがしてあげてください。

 けさの北海道新聞によると、札幌の大地康雄さんが独立美術の会員に推挙されました。おめでとうございます。
 道内在住の独立美術会員は、全道展会員の栃内忠男さん、竹岡羊子さん、輪島進一さん、道内の公募展には所属していない高橋伸さんについで、健在の方では4人目です。 


 10月15日(火)
 小川誠彫刻展=大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
 ことし下半期、道内で開かれた彫刻展のなかで、おそらく1、2をあらそう個展。
 時間のやりくりがつかず、もっと早い時期に見て、このホームページで紹介できなかったのがくやしい。きょう15日で終了なのです。
 小川さんが、今後の北海道の具象彫刻をになっていく作家であることを、確信しました。

 3階の入口からはいると、96年作の「VIHARA -Flower water-」がまず目に入ります。
 わりあい写実的な裸婦で、上半身を向かって左側にひねっていて、そこから動きがでています。
 その向かい側には、98年作「Holyday」。裸婦が腰掛けています。
 それにしてもこの生命感はどうでしょう。まるで、いまにもすっと立ち上がって動きそうな感じすらします。
 しかしそれは、作品が、人形のように人間そっくりというのではない。いろんなところを捨象してなおかつリアルで生きているようだ、というのは、いったいどうしてなのでしょう。見る経験の足りぬ筆者にはまだ理解できないことです。

 この2点以外の彫刻は、やや写実的な路線からはずれ、裸婦や、母子像が、デフォルメされています。
 おおまかにいって、腕や胴体などが、紡錘のかたちの発展としてとらえられているようにかんじられます。
 テラコッタによる「祈りのかたち−昇華−」など、おさなごを抱いている母親は、じっさいの人間からくらべると、かなり痩せています。
 しかし、だからといって不自然さはなく、また、ジャコメッティのように、きびしい条件下の人間を髣髴とさせるたぐいのものでもありません。むしろ、人間性に対する作者のとてもあたたかく肯定的なまなざしがかんじられます。凡庸な表現に回収されない「人間への讃歌」とでもいうべきものでしょう。
 女性が両手をあわせている「祈り」は、宗教性を帯びていることは否定しませんが、宗教性ということばから連想される或る種の堅苦しさはあまりなく、のびやかな精神とでもいえる空気をただよわせています。

 昨年の全道展に出品された作品とほぼおなじ「Holiday U」は、いすにななめに坐っている女性がモティーフで、地面からおよそ45度の角度でほぼ一直線になっているかたちがユニーク。この作品にしても、うなじのかたちなど、とても現実の人間とはおもえませんが、それでも生命感がうしなわれていないのですから大したものです。

 「北の彫刻展」の紹介でも触れた真鍮の小品ですが、この個展にも「異次元へのいざない」と題されたシリーズが数点出品され、黄金の輝きを放っています。そのうちの1点「激突する光」は、丸っこいフォルムが、じっさいの作品サイズを超えたスケール感をたたえているような逸品です。
 なお、階段のところに、抽象作品が1点だけありました。「多次元宇宙V」(99年)という作品です。
 おもに九州各地のパブリックアート作品も写真パネルで紹介されています。

 それにしても、この個展は、昨年の全道展で小川さんが協会賞(最高賞)を取ったために企画されたものなのですが、全道展の主催である北海道新聞が取材に来ないのですから、まったくあきれてしまいます。
 1961年大分市生まれ、東京芸大の大学院修了。昨年、道教大函館校助教授。

 伊藤健次写真展「原野を渡る風」富士フォトサロン札幌(北2西4、札幌三井ビル別館)
 これもすばらしい写真展でした。
 ネイチャーフォトとしては、それほど特徴あるものではないのかもしれません。ですが、あまりアウトドアで活動しない筆者のような人間にも、なぜかすごくなつかしい風景なのです。たとえば、真冬、ダケカンバの枝から新雪がおちる一瞬をとらえた写真など、あの雪の日独特の静けさが、じんじんと見る側につたわってくるようなのです。
 といっても、この感覚は、北海道人特有のものなのかもしれないな。

海から戻ってくるサケを待つクマ。
その姿が、たまらなく美しかった。
遠い海を想って。

などというキャプションのついた、波打ち際のヒグマを逆光でとらえた作品がなつかしいなんて、変かもしれないけれど。
 あと「森で寄り添うシマフクロウの夫婦」は傑作です。シマフクロウ自体、いまや希少種ですが、2羽がなかよく枝の上にならぶ一瞬をとらえたのは、めずらしいのではないでしょうか。とても、心和む1枚です。
 16日で終了。

 遠藤ミマン・岡沼淳一二人展札幌時計台ギャラリー(北1西3)A室
 このふたりの顔合わせは、札幌では2度目、帯広をふくめると4回目となるんだそうです。
 なんでも、ミマンさん(国展、全道展会員)が何度か、かつての教え子が引っ越していった帯広で個展を開いたことがあったそうで、そんな縁で、帯広の隣町の音更に住む岡沼さん(自由美術、全道展会員)と知り合いになったようです。

 道内画壇の最長老格であるミマンさんは、昨年暮れから今年にかけて大病をわずらいましたが、退院してふたたび絵筆を執っています。今回の個展には、入院中に、お見舞いの花束をサインペンなどでスケッチブックに描いたものを、古いキャンバスにコラージュしたものが数点あります。ここまでして絵を描くか、と、その根性には脱帽します。
 また、終戦直後、ひどいリウマチのため一時は死を覚悟したミマンさんが、窓を開けて見たヒマワリをモティーフに描いた「枯れひまわり」も陳列されています。下のほうには「第1次絶筆」などと、エンギでもないことばが書いてあります。「こんな枯れた花だって立っているのだから自分だって」と思い、ミマンさんは死の床から再起したの岡沼淳一・遠藤ミマン二人展でした。

 写真の作品は、岡沼さんの新作「雪解」です。
 岡沼さんは十勝川水系の埋もれ木をつかったダイナミックな彫刻で知られています。
 「雪解」は、あまり構築的にならず、木の自然なかたちをいかした作品で、あたらしい展開を予感させます。筆者には、木目が、川の水の波紋のように見えました。
 「気流」は、「北の彫刻展」の出品作に通じる、三角形を基調とした大作。
 また「月夜」「月明かり」は、中空にぽっかりとあいた穴が、はてしない空間性を感じさせます。
 「WIND WORD」など3点は、埋もれ木ではなくイチイに植物油を染みこませたものが材料で、白っぽい埋もれ木に比べればずいぶん黒っぽく見えます。
 岡沼さんは、昨年教職を辞しましたが、今回
「いやあ、彫刻つくることがこんなに楽しいとは思いませんでしたよ」
とわらっていました。
(16日一部訂正)

 野呂一夫個展=同B室
 8〜20号程度の油彩を中心に30点(うち3点は淡彩)。
 ベテランらしく安定した筆つかい。とくに「秋のバラ園」「ライラックの茂み」など、北大植物園に材を得たとおぼしき諸作は、緑の階調がゆたかでうつくしい。

 グループ友巴里展=同C室
 どうやら夕張の人たちのグループのようです。メンバーは、堂間タマ子、松原攻、森好子、小林和拓、小林都、千葉邦子の6氏。
 新道展会友の堂間さんは、ピエロを題材にした絵をたくさん出しています。
 小林さんの新道展入選作「時空の旅」は、歯車のようなかたちをくみあわせ、構図を探求しています。

 16th GEM木版画展=同3階全室
 毎年秋におこなわれる大規模なグループ展。
 北井淳子さん(全道展会友)「窓辺から」、白山久美子さん(同)「追憶-April-」、吉川勝久さん(同)「八月の光」は、いずれもことしの全道展出品作。
 藤澤英雄さん「Carnevale=notte」は全道展奨励賞、大澤あい子さん「2001年8月のニューヨーク」、植田伊都子さん「Belong to」などは入選作で、なんだか全道展のおさらいみたいになってきました。もちろん、それ以外の作品も多いのですが。
 「Belong to」はあらためて見ると、札幌ドーム、時計台、開拓記念塔、テレビ塔、イサム・ノグチの「ブラックスライドマントラ」、ミュンヘン大橋など、札幌の名所オンパレードですな。
 GEM目版画展のHPは現在休止中

 以上、19日まで。
 きょうはとりあえず、このへんで。

10月前半  表紙  スケジュール  ギャラリー日程