<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

「デルフィニア戦記1放浪の戦士」(茅田砂胡 中公文庫)
 国を追われたウォル・グリーク王。彼の窮地を救ったのは、異世界からやってきたというリィと名のる少女だった。二人の邂逅が、デルフィニア王国ひいては大陸全土の運命を変えていく・・・!
全18巻のこのシリーズ。この作品について、僕の唯一の不満といえば、完結して何年もたってからようやくその存在を知ったこと。なんでもっとはやく作品を、そしてこの作者を知らなかったのだろう?(傍に銃でもあったら、悔しさのあまりアタマを撃ちぬくところである!)
中公文庫より文庫バージョンで刊行されてより、初めてこの物語を手にとることになった僕であるが、その面白さのあまり、残りのノベルス版17巻を即購入、一気に読みとおした。
 ともかく、面白い!その波瀾万丈のストーリー展開もさることながら、登場するキャラたちが展開する会話の(もしくは漫才の)軽妙さといったら他に類をみない。
 キャラクターの造形がしっかりされていることも作品の魅力のひとつだろう。本作品の特長としてどんな極悪キャラだろうと、作者はけっして「奴」とかそんな描写はおこなわない。「人」である。
悪人は悪党としての過去をキチンと認めている、というかそんな感じ。
 たとえばウォルたちの当面の敵となるペールゼン侯爵。ウォルを追放し、デルフィニア王国を簒奪しようとするとんでもない悪党なハズなのだが、作者の麗筆は彼の美点をも公正に描写するため、憎めないキャラになってしまう。事実、僕は彼が贔屓のキャラになってしまった(笑)
5年もの間、国王が不在という「大空位時代」に侵略的な隣国の介入を赦さなかった一点をとってみてもペールゼン侯爵の政治的手腕の非凡さがわかろうと云うモノ。
彼の不運は、ウォルとリィという二大怪物を同時に敵としてしまったこと。そして、「悪党」に徹しきれなかったことだろうか。
 18巻の内、4巻までが「王位奪還篇」ともいうべきお話。5巻以降真の意味でウォルとリィ、その愉快な仲間たちの冒険がはじまる・・・といえる。
 未知の方にはお薦めの作品、そして作家さんである。
栗本薫「風の挽歌」(グイン・サーガ67 ハヤカワ文庫)
 ここにぼろぼろになった一冊の本がある。
1999年8月刊行のグイン・サーガ67巻「風の挽歌」が、それ。

 この長大な物語のなかで、この巻は特別な位置を占める。
なんとなれば、1994年6月刊行の44巻「炎のアルセイス」以来、誘拐されたシルヴィアを求めて、ただ一人探索の旅にでたグインがついに中原へと帰還をはたした記念すべき一巻なのである。
じつに5年ぶりの本篇復帰。
むろんのこと、諸手をあげて67巻を歓迎した読者たち。が、そのストーリー展開にも、ファンは感動することとなった。

 グインがキタイからシルヴィアとマリウスを救出し、ついに中原トーラスへとたどり着く。そして遙かな6年の昔、(現実の年月にして20年前)トーラスのオロから託されたゴダロ一家への伝言の約束を、グインは果たしたのである。

 まったく、感動ものの、一巻であった。グインがゴダロ一家と対面したシーンは、今までの感動的シーンのなかでも、ベスト3にはまちがいなく入るのではないだろうか。
なぜにかのシーンが感動を生むのだろうか。
 むろんグインとゴダロ一家の邂逅というビッグ・イベントもあるだろう。。
が、それ以上に、ゴダロ老人が示した対応が、読者の感動をうんだのではないか。あの一瞬、ゴダロ老人はグインと拮抗し得ていた。今までのキャラたちのなかで、グインにああまで肉薄しえた人物がいただろうか。一瞬たりといえども、人間であるゴダロが「神」たるグインと並んだのである。
 人とは、ここまで偉大になりうるのか?
だからこそ、あれだけ読者の気持ちを揺りうごかしたのだろう。そんな気がしてならない。

 あえて苦言を呈するならば、なんというのか、このシリーズ、あちこちに矛盾だらけ、つじつまの合わないところが多々みられる。が、1巻からの課題というか、宿題をついにやってのけた筆者の「律儀さ」には率直に敬意を表したい。
トーラスから迎えの軍勢に守られ、ケイロニアをめざすグイン一行。巻末にてスタフォロス城の廃墟に佇む。かくして1巻から、じつに20年をかけてえんえんと語られた長大なこのシリーズ、巨大な螺旋がその周回をおえ、あらたな軌道を辿り始めた。
 この巻以降、真の物語のスタート、新たな螺旋のはじまり、そして最終巻へのスパートが開始された・・・そうイメージするのは、はたして僕一人だろうか。
<追記>
作者のサイト「神楽坂倶楽部」によれば、2004年11月20日、グイン100巻目を脱稿された由。
その偉業に賞賛の拍手をおくりたい。
高島俊男「本が好き、悪口言うのはもっと好き」(大和書房)
「中国の大盗賊」(講談社現代新書 1989年)を読んで以来、氏のファンとなって幾星霜。

 このタイトルからして、僕は好きである。
秀逸で洒脱、我が意を得たり!とでもいうべきか。
ただし、「悪口」をいうのはいいとして、内容が間違っていては目もあてられない。
失笑をかうのがオチである。
 が、しかし本書の場合、その心配はいらない。
というか、教えられることばかり。
僕など日頃使っていた言葉の使い方、あるいは文章の書き方の不備を再三指摘され、思い当たることばかりで、アタマを抱え赤面するのみ。
著者ご自身は「悪口」と言われているが、陰湿さがないため、爽快感がある。
この本を読んで怒るのは、自身の器量のなさを実証するだけだろう。

たとえばこの本の一節、「新聞醜悪録」にスポーツ記者がよくつかうという、「ゲキを飛ばす」なる用例にコメントがある。「情けない負けかたに腹を立てた監督が選手にゲキを飛ばした」という感じの文章なのだが。

これはねぇ、もし言うなら「活を入れる」と言うんだよ。「ゲキを飛ばす」というのは遠くにいる味方(あるいは味方になる可能性のある勢力)に呼応をよびかける書信を発すること(中略)その手紙が「ゲキ」、漢字で書けば「檄」だ。目の前にいるやつを叱りつけるのをゲキなんて言うものか(本書48ページより)

 万事がこの調子の語り口である。
僕など、ただただ恐れ入るばかりで、ハラがたつはずもない。

 ところで、ソレに関連してのことだけど、人気作家松岡圭祐氏のベスト・セラーの一冊、「千里眼の瞳」の中、ヒロインの岬美由紀の「檄を飛ばすなら映像通信で充分ですし・・・」なる科白がある。
 前後の文の関係からすると、このフレーズ、あきらかに活をいれる、のが文意だろうと思われる。作者が間違えてのことなのか、はたまたヒロインも現代の若い女性だからしてその用法を知らなかったものか?
 機会があれば、その「真相」、松岡圭祐氏に伺いたいものだ。
夏見正隆「僕はイーグル」シリーズ(トクマノベルス)
 この人の他の作品と違い、本書には異星の超兵器も大怪獣も登場しない。
このシリーズを一言で説明すると、自衛隊の戦闘機パイロットをメインに、日本を襲った軍事的危機を描いた物語・・・といえるかもしれない。
 登場するキャラたち。えらくエキセントリックな人々が多い。
作者の視線は、とくに政治家、官僚、一部軍人、そしてマスコミ人たちに辛辣である。
「現場」で苦闘する人々の意見は無視し、自分の地位や権益を守るためにのみ奔走する輩。
むろんフィクションであるはずなのでが、思わず「あんたたちのために、主人公たちは命をかけて働いているンじゃないぞ!」とつぶやく自分がある。
ストレス発散のためだったら、本書ほど不向きな作品はない。
逆に、鬱屈するばかりなのだから(笑)

 しかし、ついに航空自衛隊も、最良の宣伝小説をもった、といえるかも。
これを読んで、国の防衛問題なんかをまじめに考える若い人が増えるかもしれないし、また自分もパイロットを目指す人がでてくるかも。
が、しかし、それはそれで問題もある。
この作者さんの別の作品に「ファントム無頼」を愛読している自衛官が登場していたが、ホントにそんな人がいるものだろうか?
 同時に「僕はイーグル」が愛読書という自衛官・・・これまた問題だろうなぁ。
可笑しくもあり、怖い気もする。

 ただ、この作品に不満があるとするなら。夏見正隆氏、どうも男性キャラに冷たい気がするのだ。
今までの作品では、女の子たちが大活躍。男どもは脇役に甘んじていた。
で、本作品。タイトルからするとようやく男性キャラの活躍の時がきた!と、喜んでいた。
ところが主人公(らしい)青年パイロットは敵にあっさりと撃墜され、病院へ直行というていたらく!
代わりに、証券会社のOLから転職してきたという女性パイロットが、その天才ぶりを発揮しだしている。たしかに、美女が戦闘機でもって天翔ける、というのはむくつけき男よりも絵になるけどね。
 男性読者としては、もっと男どもに頑張ってもらいたいものである。
2004年11月現在、このシリーズ4巻まで刊行中。

 追記。
第四巻「哀しみの亡命機」にて、風谷青年、ようやく魅せてくれた!
コンゴも彼の活躍に期待したいところ。
松下寿治「天山疾風記」(富士見ファンタジア文庫)
  前漢後期〜末期の時代、西域で活躍した漢の武将、陳湯(ちんとう)の物語。
  (「漢書」陳湯伝、匈奴伝、西域伝に収録)

 漢が「西域」の秩序を維持するため設置した「西域都護」の副校尉として、当時猛威をふるっていた匈奴撃破のため、活躍。
 実在の人物ではあるのだが、品行方正とは正反対、実に破天荒な人物であったらしい。
そのことは作者の「あとがき」にも編集部による「解説」にも言及してあるが、こンなことしでかして、よくも青史に名を残せたものである。

 「三国志」などの登場人物たちに比べ、知名度ではずっと落ちる陳湯ではあるが、浅学な僕などがその名を記憶していられたのは、田中芳樹氏が「中国武将列伝」(中央公論社 1996年)を上梓された折り、「私撰中国歴代名将百人」リストの中に彼をランク・インされていたお陰である。
 用兵にかけては天才的、決断力も実行力も尋常ではない。
が、その素行に関しては大いに問題ありの陳湯。なにしろ朝廷からの勅命があったと兵を騙して匈奴との決戦に駆り立て、勝利すると戦利品を着服する有様!
西域の政情を安定させた功績から一時「関内候」に任ぜられるも、戦利品着服が暴露されて僻地に流されたりもする・・・。
 なんというか、波瀾万丈というか、じつに浮き沈みの多い人生をおくった人物。

 と、こういう風に読むと、実態はどんな人物だったのだろう?
多くの読者には、そんな興味がわいてくることだろう。
あるいは、田中芳樹さん本人の「新作予定」の中に、「陳湯伝」があったのかもしれぬ。
が、ここに、松下寿治という新人作家による「陳湯伝」が誕生したのである。

松下氏の「陳湯」・・・
若い。まるで、街のガキ大将が、稚気をのこしたまま大人になった、そんな感じである。
僕が田中芳樹さんのご本で知って以来、抱いていたモノとは相当ちがうのだ。
が、これはこれでいい。
なにより読者を惹くモノがあると思うから。
魅力的な虚像をいかに創造するか、という田中氏の作家作法からするなら、
立派に合格である。

 多くの人々に一読を勧める所以。


トップへ
戻る
前へ
次へ