レトロな町並み38−長崎

平和祈念像  浦上天主堂遺壁   浦上天主堂  浦上天主堂旧鐘楼
  
長崎市電    長崎新地中華街  眼鏡橋

[2019年11月更新]
 6年ぶりに長崎を訪れました。初日は浦上エリアを散策し、雲仙観光ホテルへ移動し宿泊の後、翌日は長崎へ戻り、眼鏡橋、中華街を散策しました。

【平和公園】
 長崎市松山町にある平和公園には、昭和30年(1955年)に完成した平和祈念像や、昭和44年(1969年)につくられた平和の泉、折鶴の塔、長崎の鐘、長崎刑務所浦上刑務支所跡等があります。毎年89日には平和祈念像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。

【浦上天主堂】
 浦上天主堂は、明治28年(1895年)に起工し、大正14年(1925年)に完成するまで、30年の歳月をかけて建てられ、当時東洋一と言われたそうです。昭和20年(1945年)89日の米軍原爆投下により、爆心地から500メートルの天主堂は、一瞬のうちに爆風で崩壊、火災で屋根と床の可燃物は焼失したと言われています。天主堂内にいた人も含め、多くの信徒が一瞬にして亡くなったと言われています。聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破しました。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちました。
 現在の天主堂は昭和34年(1959年)に再建されたと言われています。旧鐘楼の残骸は、天主堂手前の小川土手に残されています。また、遺壁の一部は原爆落下中心地に移設されています。

【原爆資料館】
 平成8年(1996年)に原爆50年を踏まえて開館したと言われています。平和公園、原爆落下中心地のすぐ近くにあり、被爆の惨状や原爆投下の経緯、核兵器開発の歴史や平和希求などの資料が展示されています。

【長崎新地中華街】
 江戸時代から中国との貿易が盛んで、長崎には約1万人の中国人が居留したと言われています。17世紀の大火の後、唐人屋敷前面の海面を埋め立てて造ったのが、現在の中華街の前身と言われています。
 長崎新地中華街にある江山楼新館にて、特上の長崎ちゃんぽんを昼食にいただきました。美味しいスープと麺、多くの海鮮が入った長崎の味を満喫しました。

【眼鏡橋】
 寛永11年(1634年)に興福寺の黙子如定禅師が架設したと言われ、日本初のアーチ式石橋として知られています。川面に映った影がメガネに見えることから、この名前がついたと言われ、『日本橋』『錦帯橋』と並び日本三名橋に数えられます。国の重要文化財に指定されています。


 九州の北西部にある長崎市は、人口約45万人の歴史ある都市です。江戸時代には、鎖国時代の唯一の国際貿易港・出島を持ち、海外との玄関として栄えました。また、広島に次ぐ第2の被爆都市としても知られています。長い歴史の中で、古い町並みや史跡も多く残されており、観光都市としても発展しています。

大浦天主堂 グラバー邸
旧長崎地方
裁判所庁舎
旧リンガー住宅 グラバー園からの眺望

旧自由亭

旧三菱第2
ドックハウス

旧香港上海銀行
長崎支店
眼鏡橋
浦上天主堂 平和祈念像 長崎市電

【大浦天主堂 】

 カトリックの教会堂で、1865年に建立され た日本最古の現存するキリスト教建築物と言われており、国宝に指定されています。正式名称は、日本二十六聖殉教者堂とのことです。ゴシック調の煉瓦造りと木造建築の教会の中に入ると、昔のままのステンドグラスや天井等、長い歴史がしのばれます。

【グラバー園】
 スコットランドから来日したトーマス・ブレーク・グラバー氏が、1863年にこの場所に建築して居住した、日本最古の木造洋風建築と言われています。戦艦武蔵を建造した三菱重工業の長崎造船所を、見下ろす位置にあったため、1939年(昭和14年)にその秘匿目的で三菱重工業に買収されたと言われています。その後、長崎市へ寄贈され、国の重要文化財に指定されています。
 園内には、長崎で活躍した、フレデリック・リ ンガー氏、ウィリアム・ジョン・オルト氏、ロバート・ ネール・ウォーカーJr氏の旧邸も移築され、保存されています。いずれも幕末から明治期の洋風建築がそのまま残されており、往年の姿がしのばれます。また、1878年(明治11年)に開業した西洋料理店
「自由亭」の建物や、1896年(明治29年)に三菱重工業・長崎造船所の休憩宿泊施設として建てられた「旧三菱第2ドックハウス」「旧長崎地方裁判所庁舎」等も保存されています。
 園内からは長崎市街、稲佐山や長崎造船所等を一望することができ、絶好の展望スポットにもなっています。

【旧香港上海銀行長崎支店記念館】
 1904年に建てられた石造りの洋館は、当時、神戸以西で唯一の外国銀行として、在留外国人、特に貿易商を主な取引先として外国為替や外貨の売買を主要業務としていたと言われています。その後、長崎市が買収し、1996年に旧香港上海銀行長崎支店記念館としてオー プンし、国の重要文化財に指定されているとのことです。

【眼鏡橋】
 1634年に架けられたと言われる日本初の石造りアーチ橋で、国の重要文化財に指定されています。長崎市の中心部に近い中島川に架かる石造の2連アーチ橋で、水面に写る部分と合わせると眼鏡のように見えることから、眼鏡橋と呼ばれています。歩行者のみ通行可の橋となっており、周辺は散策スポットになっています。

【浦上天主堂】
 長崎市の浦上エリアにある教会で、1914年(大正3年)に完成したと言われていますが、1945年(昭和20年)の原爆投下で破壊され、天主堂にいた信徒含めて全員が亡くなられたと言われています。現在の建物は1959年(昭和34年)に再建されたもので、その後レンガタイルで改装し、往時の姿に復元されたと言われています。

【平和祈念像 】
 浦上天主堂にも近い、平和公園の北端に1955年(昭和30年)に建てられたと言われています。神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く 掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われています。

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