ハリマオの設立話 第12話
【イギリス遠征】
今は昔、高校の先生をしている幼友達と飲んでいた。彼がパーソナルコンピューター(PC)を買ったという。当時はまだ出始めのころだったので随分値段は高かったと思う。
「へ〜、すごいじゃん。またどうして?」
『ん〜、先生も、20代のころは(おにいさん)でやれた。30代のころは(パワー)でやれた。
40代になるとそうはいかない。なにか(教える技術)がいる』
「それでPCかったの?」
『うん、自分への投資なんだ』
なにかかっこいい話しで心に残った。
平成9年の秋、本屋さんで立ち読みをしていて一冊の本に目が止まった。『ラグビー・クリニック』(創刊号)とあった。ラグビー校の特集だった。その1ぺージには朝靄の中にたたずむラグビー校の写真が載っていた。かっこいい写真だった。すぐに買い求めた。
夜、寝る前に布団の中で読んだ。直ぐに読み終えたが読み返していた。寝る前はラグビーのことを考えていると安らかに寝付ける。読むところがなくなっても写真をながめていた。
ラグビー校でプレーする日本人の子供の写真もあった。ストッキングのずれ方がなんともかっこ良かった。毎晩ながめていた。ある夜思った。
「ここへ行こう!」
「ラグビー校へ行こう!!」
友人は(自分への投資)として30万円のPCを買ったが、自分は(20年以上まじめに働いた自分へのご褒美)に『ラグビー校探訪の旅』を自分にプレゼントしようと思った。
会社を一週間くらい休んでも罰はあたらないと思った。雑誌を眺めていると、思いがどんどんふくらんだ。どうも物事をひとりで完結できない性分らしい。回りの人間を巻き添えにしたがる傾向にある。
ラグビー校へ行きたい。→イギリスに行くならワールドカップも見たい→ワールドカップを見るならみんなと見たい。→みんなと行くならイギリスのチームと交流もしたい。
一枚の写真から、またとんでもないことを考え始めていた。『ハリマオのイギリス遠征』である。「これはムリだよな」との思いと「みんなといっしょにイギリスに行ったらたのしいだろうな」との思いが同居していた。でも、迷っていたわけではなかった。直ぐ図書館に行って、実現可能なのかを調べていた。理想形を決めた。
(案)【名西ハリマオイギリス遠征】
時 期:平成11年9月〜11月の間(第4回ワールドカップ期間中)
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:30万円
参加人数:20名
(内容)
・オリジナルツアー
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦
・リッチモンドのクラブと交流
・2泊はロンドンのB&B、2泊は郊外のマナーハウス
とてつもなく大きな企画であり、まだなにも決まっていなかったが、これが実現できるなら、自分の寿命が10年短くなってもいいと思っていた。
平成11年1月2日の新年会でこの企画を発表した。みんなからの賛同を得た。
一年半温めてきた企画がその時動き出した。それからはみんなの協力も仰ぎ、具体化していった。ワールドカップのチケットが手に入らないといううわさもあり、右往左往しながら5月初旬には概略が決まった。
【名西ハリマオイギリス遠征】(東急観光)
時 期:平成11年10月7日〜12日
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:31万円
参加人数:15名
(内容)
・オリジナルツアー添乗員付き
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦(日本VSウエールズ)
・リッチモンドのクラブと交流(まだ決まっていなかった。)
2泊はロンドン(スタキスロンドン)2泊は郊外のマナーハウス(ディンズフィールド・ハウス)
当初描いた構想がほぼ実現しそうになっていた。会社の休みは課長からは了解を得ていた。
翌日から東京出張に出かける6月14日の夕方、課長と話していた。
「イギリスの話、部長にも話しておいて下さいね。もう、ほぼ決まってきましたから」
『実は部長には二度話したんだ』
「二度ってどうゆうことですか?」
『だめだと言われた。休暇願いにははんこを押せないと言われた』
「………」
『俺は行かせてやりたいと思っている』
「どうやって行くんですか?」
『休め。後は俺がなんとかする』
「………」
課長の気持ちはうれしいがそれはムリだと思えた。イギリスに行けなくなりそうだ。二年準備してきたイギリスが消えていく。なにも考えられなくなっていった。センターにいたくなかったので帰った。ボーとしながら運転をしていた。そのまま家に帰り『おとうさん』になる元気がなかった。車をとめ缶コーヒーを買った。カセットを入れたら、宇多田ヒカルの『オートマチック』が流れてきた。また忘れられない曲が出来てしまった。
次ぎの日、東京での3泊4日の研修会に出かけた。東京で年2回研修会があり、その都度廣瀬さんにお目に掛かっていた。いつもご馳走になり、ハリマオのことについて相談していた。今回はいやな話しをしなければならなくなった。気が重かった。自分が行けないことは諦めるとしても、メンバーに対し、乗せるだけ乗せて自分が行かない責任はどう取ればいいのか。申し開きが出来ないことをしてしまった思いだった。年甲斐もなく落ち込んだ。心がむき出しになっていった。20年ぶりの悲惨な状態だった。とにかく廣瀬さんには、現状をありのままに伝えようと思った。6月17日、霞ヶ関でお目に掛かった。
「すみません。イギリス行けなくなりました」
『なんだて〜』
課長との話しを伝える。
『課長さんに迷惑が掛かるから行くのはやめた方がいいだろうな。でも君が行けないのは痛いな。この話しは君の夢だったからな。ん〜、でも今一番悔しいのは君だろうから泣き言は言うまい』
なにかとっても救われた気がした。ウルウルして顔が上げられなかった。
『他の者が行けなくなったのとは訳が違うので、どうなるか分からないが、出切る限りみんなで行く方向で考えよう』
地下鉄の駅で別れ、浜松町のホテルまでひとり歩いて帰った。
悔しさと申し訳無さでいっぱいだった。トボトボと歩いていた。僕のイギリス遠征はこの時終わった。
見上げた東京タワーが滲んで見えた。
平成11年10月7日、小島らはイギリスに向けて飛び立った。