ハリマオの設立話 第13話 完結?
【燃え尽き症候群】
だれにも話していなかったが、イギリス遠征が終わったらチーム運営から手を引こうと決めていた。イギリス遠征は自分にとって究極の目標に思えた。それまでは新しい夢がどんどん沸き出てきて、つぎつぎに実現してきた。夢を見ることがチームを運営するための活力源だったが、イギリス遠征以上の夢は思い描けなかった。夢が描けなければおしまいである。この企画を最後に壱プレーヤーに戻ろうと考えていた。
長年、チームの運営に携ってきたが、自分には『チームリーダー』は向いていないと思っていた。今もそう思っている。
職業柄、血液型性格判断を信用するわけにはいかないが、B型はリーダーに向いていない。もっと適した人がチームの運営にあたっていれば、もっといいチームになっていたし、みんながもっと満足できる形になっていたと思う。
チーム設立当初、みんな忙しい身の上だったのか、言い出した自分に遠慮してくれたのかいつのまにか自分が仕切っていた。チームの運営は自分には向いていなかったが、気持ちいいとも思った。30名近い人間が自分の一言で動く事は中々経験出来ない事でもあった。独断で動かすことも多かったが、日頃会えない仲間なので、そうせざるを得ないことでもあった。誰よりも長く、誰よりも一生懸命チームのことを考えたという事実だけを頼りにチームを動かしていた。また、言い出した責任はあると思っていたので続けてきたが、いつまでもこのままでいいとは思っていなかった。イギリス遠征は区切りをつけるのにいい機会だと思っていた。
ところが自分のイギリス遠征が、志し半ばでこけてしまい中途半端な状態になって、どうしたら良いのか迷っていた。イギリス遠征辞退でみんなに迷惑をかけた気持ちもあり言い出せないでいた。
中途半端な気持ちのまま、ずるずると練習や試合の予定を立て、連絡していたが、なにかしっくりこなくなっていた。プレーすることよりもたのしい時期もあったチーム運営が、徐々にたのしくなくなった。自分がたのしんでいないと仲間にも伝播するのかチームも勢いがなくなったと感じていた。
このままではいけないと思っていたが、時間は止まったままだった。新たな一歩を踏み出せないでいた。もうイギリス遠征前の自分には戻れなくなってしまった。
そんな気持ちを引きずっていたら、プレーにも気持ちが失せていった。「ラグビーもこれで終わってもいいかな」と思い始めていた。自分でも驚く現象だった。テニスプレーヤーが陥る『燃え尽き症候群』なのかと思い始めていた。もう充分たのしんだ気がしていた。
しかし心のどこかには、「ボロボロになるまでやるんじゃなかったのか」という気もあった。自分がどうしたいのか分からなくなっていた。
平成12年11月5日、岐惑との定期戦を終えて思った。
「やっぱりラグビーは好きなんだ」 自分の気持ちを再確認した。ハリマオを始めた頃の自分を思い出した。もう少しラグビーを続けていたい。
「出切る事なら50才まではプレーヤーでいたい。」
これからの自分の目標は、これかもしれないと思った。少し気が晴れた。
現在、チームには名西出身以外の人も増えた。中西栄作(中西)や森下洋一(森下)のように紹介者が今プレーしていなくてもチームの中心になってやってくれている。中西のアドバイスは西陵のラグビーを感じさせてくれる。森下のようにハリマオでラグビーボールと始めて触れた人もいる。その彼が今一番純粋にラグビーを愛しているようにも思う。彼がラグビーを語る時、まぶしくさえ見える。そうな彼らのためにも今のままではいけないと思う。チームの平均年齢も40才前後である。47才が運営していては、47才のチームになってしまう。活力を失ったハリマオは見たくない。チームは『生き物』であり、活力あるチームでいるためにも世代交代が必要である。
平成13年5月27日、岐惑から待望の二勝目もあげた。チームのムードも良くなっている今こそその時期と考える。
ハリマオは常に『もっとたのしく、もっと自由に!』を求めているチームでいたいものである。
そして、今、思っている。
「自分が育てたチームが、一人歩きする姿を見たい!」と。
“Three cheers for Harimao
hip hooray!hip hooray!hip hooray!“
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