ハリマオの設立話 第10話

【色物チーム ハリマオ】

エンジャにゃ〜ズという練習相手も出来たし、メンバーも少しずつ増えていた。太田肇(太田)中島靖浩(中島)もハリマオで知り合ったメンバーである。ふたりは同期であり、おまけにふたりとも名西ガールと結婚している。よく似たふたりであるが、太田は黙っているともてそうである。(しゃべると見かけによらず硬派で固いことを言う。女性にはくどいだろう) 中島はしゃべった方が良い。(話にうんちくがあり、酒が入るとさらに面白い) 

 そうな彼らともズーと前から知り合いの様になっている。ハリマオは自分に大勢の人々を引き合わせてくれている。

  『ハリマオもラグビー協会に登録しましょう』と大原たちから言われていたが、反対していた。反対というよりも、その必要がないと思っていた。我々は草ラグビーであり、草ラグビーのままでいたいと思っていた。どこの団体に所属しているわけでもない。ただただラグビーが好きな者が集まり、ただただ楕円球と遊ぶ『より自由で、よりたのしい』集まりでいいと考えていた。その行為のどこにラグビー協会が必要なんだろう。組織や所属にとらわれたくないと考えていた。よりシンプルでいたかった。

 

 しかし、試合をするにあたっては、無所属が大きな弊害となった。桂ちゃんの紹介で東惑の方にお目に掛かった時も『試合をするのはかまいませんが、ラグビー協会に入っていないのは困ります』と言われた。東惑にはラグビー協会の理事もいるのでラグビー協会に入っていないチームとは試合が出来ないと言われた。一宮LPからも言われていた。どうも釈然としなかったが、我々が試合出来るチームも限られている。我々の年齢で、ラグビー協会と無縁でプレーしている人々はあまりいなさそうだった。その意味でも我々は異色だった。異色なら異色で自分たちの路線で行きたかったが、瀬に腹は代えられないので妥協し、ラグビー協会に登録することにした。

 協会登録に行って不愉快になった。来るんじゃなかったと思った。協会役員は学校の先生が多いためか、みんな高圧的な態度だった。申請書類の細部まで偉そうな態度で指示された。

温厚なこのぼくが、「おまえたちにラグビーやらせてもらってるんじゃ〜ね〜」と叫びそうになったが、我慢して登録を済ませた。あの時以来、協会登録は誰かにお願いして自分では行っていない。そんなこともあって、今だに協会登録には疑問を持っている。

 

 ただ協会登録したお陰と大原たちの広報活動の成果が出だした。協会の中では、『名西ハリマオはエンジャにゃ〜ズの兄貴分的チームであり、あまりラフプレーをしない弱いチームだ』と広まっていった。そんなこんなで試合の話しが舞い込んでくるようになった。そのころのハリマオは、『岐惑戦効果』もあって充実した練習をしていた。同じ時間数練習しても目的を持つと違っていた。舞い込んだ試合申し込みも全部受けた。

 

平成9年3月16日(新城市の何かの大会)

 会場に行くのに迷子になったこと以外憶えていない。

平成10年412日「豊橋ラグビー祭招待試合」

 対豊橋クラブ戦、イエロージャージお披露目戦だったが遅刻してボロボロ。

平成10年5月17日「新城市民大会招待試合」

 対新城クラブ戦、雨により中止。

紳士的な弱いチームは招待試合には最適だった。そして、回りの期待通り負けるから次ぎのお呼びもかかった。ハリマオは『色物チーム』になりかけていた。

際目付けが、「各務原市市民大会招待試合」で相手は川崎重工・航空自衛隊連合軍というではないか。ハリマオも自衛隊から試合の申し込みが入るまで成長していた(?)

 見つけてきたのは、植竹芳裕(植竹)である。彼は植竹康人(兄ちゃん)の弟である。つまり兄弟で名西ラグビー部でありハリマオである。兄ちゃんは高校時代いっしょにプレーしたが、まったくルールを知らない。オフサイドラインが分かっていない。疲れ知らずでよく走るのはいいがとんでもない所から出てくる。味方でありながらびっくりする。相手はもちろんもっとびっくりしている。以前はルールを説明したが今は「放し飼い」になっている。兄ちゃんが反面教師になったのか、植竹はわきまえている。おまけにファイトマンであり、試合中彼の突き刺すようなタックルを何度も見た。脳震盪もよくやるので時々ボケているのも仕方がないと思っていたが、自衛隊との試合はボケすぎである。

「自衛隊は言いすぎだぞ」

『そんなことないですよ。時々、川重(川崎重工)でいっしょにやりますけどたいしたことないですよ』

「でも自衛隊なら、暇にまかせて体を鍛えてるんだろ?」

『まあ、体は鍛えてますけど、頭は鍛えてないですよ』

「おもしろいじゃん。でも、おれたち壊されるぞ」

『まあ、走ることは走りますけど、タックルするなと言っときます。やりましょ〜よ』

「ん〜、グランドは?」

『基地のグランドで芝とは言い難いですが草のグランドですよ。アフターファンクションのバーベキュー付きですよ』

バーベキューに吊られたわけでもあるが、彼の熱意に負けて了解した。

 

 平成11年5月23日(日)の試合の二日くらい前の日、植竹から電話がかかってきた。

『すみません。試合に出られなくなりました』

「おいおい、君の企画だぞ。仕事でも入ったの?」

『いいえ、仕事ではないですけれど、母が亡くなりました』

も〜勘弁して下さい。反応出来ない事を言わないで下さい。

『兄も行けませんが、後のことは川重の村上という者に話してありますので、行けば分かります』

「そんな事はいいから、母上の事をちゃんとやれ!」

これだけ言うのがやっとだった。

 

土曜日、お通夜に参列し、母上のご霊前で手を合わせお伝えした。

「ご子息はふたりともりっぱな社会人になっていますよ。安心してお休み下さい」

 

 日曜日、試合の前にメンバーを集め話した。全員で黙祷を捧げ、ご冥福を祈った。

みんな暗い顔をしていた。何か言いたかったが、いい言葉が見つからず、精一杯の強がりを言った。

「今日の試合は、植竹兄弟の分までラグビーを楽しもう」

 相手チームはおじさんもいたが、ムキムキマンもいた。そのムキムキマンが走るは走るは。分けなく走り回っている。どこのポイントでもハリマオの倍の人数がいた。技術以前の体力負けをした。彼らがいる限り、日本の国防も大丈夫と思えた。そして、また接待試合をしてしまった。名西ラグビー部もそうであったが、ハリマオも強い相手には善戦するのに、弱い相手にも合わせてしまって、お約束のように負けてしまう。あ〜あ、もうそろそろ勝ちたいよな。

 

 試合後のバーベキューはヤケ食いをした。敗戦の腹いせに死ぬほど食ってやった。その成果で途中で肉が足りなくなり、幹事が肉を買いに走っていた。精一杯の抵抗であった。

「ざま〜みろ」と言いたところだが、なさけなっかった。こんなことしか出来ない。

 お腹がいっぱいになったころ、桂ちゃんに聞いてみた。

「今日の試合どうだった?」

『なにかハリマオのみんなを見ていると、スローモーションを見てるみたいだったよ』

ガ〜ン、ガンガンガン、自分でもうすうす感じてはいたが、あまりに素直すぎるご意見。

返す言葉もない。ウシ。

「こっち肉ね〜ぞ。ビールもね〜ぞ。ビール、ビール」

今日は酔いつぶれてやる〜

  ハリマオの設立話 第9話へ       ハリマオの設立話 第11話へ